第四章【55】「覚悟以上を」
ねえ、ゆーくん覚えてる?
あの日、ゆーくんが初めて私を遊びに誘ってくれた時。
教えたこと全部忘れちゃって、ムードもへったくれもない、定食屋さんに連れて行ってくれたの。
ああ、ゆーくんらしいなって。
そんな風に笑って、今でも笑い話にしてるけど。
そういうデートはダメだよって、何度も何度も口うるさいくらいに。
教えてた筈、だったんだよね……。
◇ ◇ ◇
常軌を逸した魔法戦の後、立ち会う二人の魔法使い。
そして、そんな彼女らへ背を向けて、私たちへと笑みをこぼす。
「では、ネネ・クラーナ。目には目を、魔法には魔法ということで」
視線の先。立ち塞がるは、この島の首領。
黒衣を纏う、鬼狩り最強の剣士。
「俺は、こちらの対応を任されましょうか」
鬼将――鴉魎。
アヴァロン国の戦力評価において、最も高い位である特級へ優に足を掛ける、同じく常軌を逸した実力者。
たったの一刀。
右手に携えられた黒塗りの刃は、それだけで充分に全てを斬り伏せる。異国の魔法であっても例外なく、難なく退けられたのをこの目で見ている。
一振りの重さは明らかに、こうして対面しているだけでも私たちは、喉元に刃先を突き付けられている。逃げるには手遅れなのだと、どうしようもない袋小路の死を浴びせられる。
秒間以下の隙であっても、ひとたまりもなく。……いいえ、それさえ見せなくとも、男がその気になれば否応なく。
刃が振るわれたら最後、私は死に絶える。
全ては失敗に終わり、私という個人そのものが失われてしまう。
「……っ」
その恐怖を呑み込んで、体内で凍え閉ざす。この身をより冷たく落とすことで、恐れも緊張も、全てを不感にさせる。
文字通りに、頭を冷やし思考する。状況を、捉え続ける。
ほんの僅かな光明をも、決して素通りさせないように。
いつか至るその時を、絶対に手繰り寄せられるように。
やがて、見合い出方を窺う中で。
私の前に立つヴァンさんが、声を上げた。
「リリーシャ・ユークリニド! そしてスズヤマチユキよ!」
大部屋へと響かされる、ソレは。
私たちを取り巻くこれまでの事態、――その答えだ。
「今更だが、見ての通りだ! 話し合いは破綻し、鬼狩りはヴァルハラ国の魔女らと協力関係にあった! そして全てはアリョウと、魔女レイナ・サミーニエの二者によって引き起こされたモノだ!!!」
街への壊滅的な攻撃も、図書館での惨殺も、ゆーくんを攫いこの状況を作り出したのも、全部。
なにもかもが、共謀する二者による策だった。
向こう側、リリーシャが僅かに眉を寄せる。
レイナ・サミーニエ。
リリーシャやサリュちゃんの師。彼女らに力を教え、今のレベルにまで導いた、魔法使い。
加えて彼女らの世界である、ヴァルハラ国の実質的な支配者。
恐ろしき、魔女。
リリーシャに聞いていた、悪い予想が当たった形。
本当に、事の裏側に潜んでいたのは……。
「その魔女はここには居ない! 先程までは異世界より干渉があったが、それも消えた! だが、敵対関係は明白だ!」
重ねて、ヴァンさんは。
「皇子自ら見定め、問答の余地はなしと断言した! それ故に僕は国の騎士として、――鬼将、アリョウを討つ!!!」
そう、宣言した。
微かに振り向けば、背後で。
未だ膝を落とす第一皇子も、確かに頷き、私へ訴える。
彼らは敵だ、と。
ああ。
それは、なんて。
「……ありがとう、ございます」
敵対は明白に。日本国の攻撃も彼らの策謀であるなら、もはや憂い、悩む必要もない。
状況へ注力し、打ち勝つことに全てを賭せば、それでいい。
もう、なにも。
見えないものに惑わされる必要は、ないんだ。
「鬼将――鴉魎さん」
「ええ、涼山千雪」
微笑みのままに、頷く。
だから、私も。
「――私は、貴方たち鬼狩りを、悪く思ったことはありませんでした」
それを伝えた。
妖怪である私と、妖怪を標的とする彼らは、相反する立場ではあったけれど。
この世界の在り方や鬼の歴史を考えれば、彼らの主張はなにも間違ってはいないと思っていた。どころか人間の立場を思えば正義であり、正道とすら思えていて。
共生なんてしなくていい。
或いは共生の道を選んだとしても、反する者らは討伐して摘めばいい。
悪なる妖怪を滅するという手法は紛れもなく、この世界の運用における、最善の一つだ。
私はそう、彼らのことを納得出来ていた。
だけど、
「だけどヴァンさんの言葉が真実なら、貴方たちは、――貴方は、街の破壊を共謀した。例えそこに世界の利があったとしても、その犠牲を、貴方はなんの説明もせずに実行した。手前勝手で、多くの命を、奪った」
それは許されない。
後に正しかったと説明されたって、証明されたって、認めることは出来ない。
それに、なによりも。
「それに、貴方が手を出したのは、――私の大切な人たちです」
私の友人知人を傷付けた。
私の関わりを乱した。
私の日常を、壊した。
今尚も、私の大切な人たちを、巻き込み続けて。
私の全部を、台無しにしようとしてる。
「私の基準が、私の価値観が、……私の感情が、貴方たちを許せない。――これ以上は、なにも起こさせないです」
「……フ。芯のある覚悟だ。彼は良き友を持ったようです」
でも、覚悟だけでは。
それだけでは、なににもなりはしないから。
「涼山千雪。貴女は示せますか? その覚悟、以上を」
感情、言葉、それ以上の。
成果を、――結末を。
ゆらりと、下げられた黒刀を静かに揺らしながら。
一歩、私たちへと踏み出す鬼将。
「……っ」
その問いかけに、歩み寄る死に。
不感に落としてもまだ、身体が強張ってしまうのが分かって。
だけど。
近付く濃密な死の気配、――その、向こう側で。
リリーシャが。
「――――」
冷たく、鋭く、尖れた視線で私を射抜いていた。
信頼でなければ、味方を案じるような温かいモノでもない。
対して強要する様な、怒気を孕ませたような、そんなモノですらない。
そんな感情は微塵もまとわせていない、突き刺すような目だ。
それはただ、純粋に。
出来なければ死ぬ。それだけだ、って。
分かり切っていたことを、真っ直ぐこの身へ投げかけた。
「……ええ」
そんなのは、改めて示されなくたって、とっくの前に。
「やるしかないし、……やるって言ったのは、私だもんね」
私が鬼将の相手をするなら、――って。
だから、この死に、この恐怖に。
立ち向かえ。
「――――――――」
戦え。
その為の、策が。
私にも、あるのだから。
呟く。
「……遅くなって、ごめんね」
それは、ここには居ない人たちへ宛てて。
「……頑張るから、ついてきてね」
それは今ここに居る、自分自身へ宛てて。
そして――。
「――少し早いけど、使わせて貰うからね」
それは、この身だけが知る、至るべきその高みへと宛てて。
呟きの、後に。
私は、――氷極へと投身した。