第四章【53】「殺し合い」
瞬間の接敵と、下される二刀の斬撃。
驚愕は、その急速に振るわれた一閃ではなく。
「――――」
大きく踏み出され土草を跳ね上げる、その右足が。
夜空へ突き立てられた刃先が勢いのままに、一直線に下ろされるその過程が。
鬼気迫り牙を剥き出しにする、魁島鍛治の形相が。
それらの全てが、この目には、鮮明に捉えられた。
「――ッ」
左右より注がれるそれぞれの狙いは、明解に両肩だ。
一度目の初撃もそうだった。魁島だけでなく、鴉魎との図書館での接敵の際も。――コイツら鬼狩りはまず、両腕を奪いにかかる。
恐らくは、鬼の生命力が尋常ではない故に。
初撃即殺を完遂することが困難である為に、戦闘手段である腕部を切り離し、無力化を図る。
手出し無用。なんて分かりやすく単純な戦法だと言いたいが、まったく分かりやすい程に、その影響は絶大だ。
事実俺は、何度もそのたった一手で。
幾度となく傷を開かれ、血肉を散らされてきた。
だから、肩部を起点に硬化を行う。
なによりもこの繋ぎ目を断たれないようにと、それに注力し――。
と、そう思考した、その瞬間には。
俺の両腕が、胸部が、半身の全てが指先に至るまで、鬼血に包まれ硬化が終わっていた。
更には咄嗟に眼前で交差させ、剣戟を防ぎに晒した、赤黒く染められた両腕が。
ガギリ、と――鈍い音を鳴らして、深く穿たれ大きく削られながらも。
「――――!」
果たして、左右共に千切り飛ばされることはなく。
この身体は魁島の斬撃を、真正面から防ぎ切っていた。
「な――」
下ろした刃が制止する、秒間未満。
少なくない血を散らしながらも形を保つ腕の向こう。体制を低く屈ませ、こちらを仰ぎ見る魁島鍛治は、確かな驚愕に目を見開き――。
けれどもすぐさまに、キツく鋭さを増した眼光が。
再び繰り出される刃らを先導して、この身体を貫き射抜いた。
目論見通りの展開だ。
千雪とリリーシャが本拠地へと攻め入り、転移封じの結界を破壊する。
結界そのものと魔法使いの対応はリリーシャが引き受け、代わりにそれ以外の鬼狩りら勢力――主に最大の障害となる鴉魎を、千雪とその場に居るヴァンで受け持つ。
実際のところ、向こうでそれが手筈通りに進んでいるかは分からない。ただ、大きな力の発露や続く爆発から、事が起こされたことだけは分かる。
そして今、目前。
俺が魁島鍛治をこの場に引き込んだこともまた、想定通りだ。
しかし、それは決して優位に立った訳でも、高い勝率の展開へ運べた訳でもない。
ただ最悪に陥った中で、分の悪いながらも最善を拾い上げた程度。未だ互角未満の追い詰められた状況下で、それでも喰らいつける舞台に上がれた、それだけだ。
勝負はここから。
それぞれの場で決死を潜り、次を勝ち取らなければなにも続かない!
「ッ――らアッ!!!」
声を上げ、両腕を振るう。
退く踵をそれでもと踏み下ろし、止めどない連撃へと拳を向かわせる。
注がれる刃が二十三十であるならば、俺の攻撃は精々一か二。強化し硬さを纏う両拳はほとんどが迎撃に振るわれ、未だ掠り傷の一つすら届かない。
明らかに。
先刻までの接敵よりも遥かに、打ち合えている。
「ゾ――!?」
なんて、考えた傍から、右腕の肘から上が斬り飛ばされた。
だけど即座に、恐らく二秒とかからない間に再生し、再び鬼血を纏わせる。もっともその二秒間にも幾度となく斬り刻まれ、胸部や喉元を裂かれることになるが、――でも、決定打には至らない。
どころか、此度の打ち合いでは未だに。
魁島の攻撃は、一度たりとも致命傷に届いていない。
「シ、――ッ!」
「ガ、アァア!!!」
横薙ぎ、左方から右方へ奔り抜ける旋風を纏った白刃。それを再生した右拳を突き出し、指を飛ばされながらも受け止める。
斬られ砕かれた拳は、手の甲の半分に侵食してパックリと割られてしまっているが、――それまでだ。
同様に、続く連戟。横へ二閃縦へ一閃斬り入る斬撃をも、左腕で真正面から受け切る。
外皮は鬼血諸共にズタズタに裂かれ、骨まで見える程に深く暴かれてしまっているが、――その程度であれば一秒もかからず、バチリと紫電が瞬く間に元通りになる。
防御を抜かれ身体へ届かされても、胸を通過する斬線は心臓部へ到達しない。喉裂く一撃も僅かに呼吸を阻害する程度で、息を詰まらせることも、当然頭部を飛ばすことも出来ない。
そう、明らかに、俺は魁島へと追随出来ている。
その領域へと、この身体が踏み入っている。
それは、他でもない。
鬼としての側面が、より強固なモノへと変貌しているんだ。
「――ぐ、ア、■■ァ……!」
不意に、攻防のさなか、突き出した右手を視認する。常人よりも膨れ上がり、大きく硬く、色濃い黒に覆われたその腕を。
気付けば頭部にも、もはや慣れた違和感が突出し、いつからか対する魁島の身体も、見下ろす形になっている。
そういう客観性を意識することで、まだなんとか、思考を繋ぐことには成功しているが。
ソレだッて必要アるのかヨッて、無為を煩ク叫ぶ自分ガ煩イ。
「……あ、ァ」
分かっている。
手も足も出なかった攻撃に目が追い付き、反応が間に合うのも。
鬼血が硬度を増していき、徐々に刃を深くは通さなくなっていくのも。
傷付け飛ばされた身体があっという間に、どんどん加速度的に治癒されていくのも。
事、全ての優位は。
取り返しのつかない結末へと、近付いているんだ。
だが、どうやらそれは、俺だけではなく――。
「ヅヅヅ!!?」
不意に、魁島の白刃が、大きく腕へと斬り込まれた。
打ち合わせた右腕が、拳から肘のところまで真っ二つに両断される。
思わず飛び下がり後退すれば、すぐさま紫電が迸るに遅れて、腕は元通りに治癒されるが。
距離を開かれた魁島は、間もなく追い縋ることをせず。
その場に立ち止まり、刀剣を握り締めたままに、右手で頭部を抑え、
「ヴ、ヅヅヅ、ガ、ヅヅ■■■ヅッツ」
低く唸りをこぼし、額に二角を露わにするのだった。
合わせてドロリと、黒衣からこぼれだす赤黒い血泥が、晒された腕を包み込んでいく。それは首元から頬の際に至るまでもを覆い、俺と同様に、硬く堅牢な外皮となった。
「……ハ」
まったく、優位などと、勘違いもいいところってか。
同じ鬼の血を持つ、半妖同士であるが故に。
俺が鬼によって強くなるなら、向こうだって鬼の側面を強くすればいいだけの話。力関係は決して、反転することを許されない。
でもその方法は、コレを続ければ、それは即ち。
互いに化物へと身を落としていくだけの、より最悪へと堕ちていくだけの引き摺りあいにしかならず。
生憎と、俺にはそれ以外に手段がなく。
魁島はそれを躊躇する様な、そんなヤツにも思えなかった。
「殺ス」
言葉はそれだけだ。
対話の必要はない。既に俺たちは、分かり合うことなど出来ないと知っている。
片桐裕馬は、なんとしても生き残る。
この命を繋いだ先にこの命に価値を見出してくれたみんなの場所へ帰る。そこで今度こそ、自分自身のなにかを見つけ出す為に。
魁島鍛治は、なんとしても俺を殺す。
罪を重ねて来た命を絶つ為に。過去同様に未来など有りはしないと、望むことすらおこがましく馬鹿らしいと、次へ繋ぎはしない。
「殺ス殺ス殺ス、殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス■ス■■■■■■殺■、殺スヅヅヅ!!!!!」
「……煩ェな。ンなモン、とッくに何度も聞かされて分かり切ッてンだよ」
俺ももう、言い返して説得しようだなんてことは、思わない。
それに、――俺とお前の仲だ。
「思い出したよ、洞窟のコト。月に一度だけの見張り当番。オマエだけが、俺のところにまで来やがッた。よく分からねェ愚痴やら、俺への憐れみやら、聞いてられねェ話がほとんどだッたけどよォ」
癪だが、言ってやるよ。
認めてやるよ。
「当時オマエが言ってた通り、時々でもベラベラ喋るヤツが来てくれるッてのは、――悪くなかッたぜ」
「殺■■■■■■■■■ヅヅヅヅヅヅヅヅ!!!!!」
ああ、やってやるよ。
お待ちかねの、殺し合いだ。
「まさかオマエも殺されたからッて、文句はねェよなァ! 魁島ァアアア!!!!!」
不本意極まりねェが、こんな状況だ。
俺だッて手加減は、してられねェンだよ。