第四章【52】「最期を望み往く」
業火が身体を焼き焦がす。
加熱された一帯は、呼吸を試みるだけで口内と肺を真っ赤にして、もはやなにも感じられず、ただ息が出来なかった。
だが、一瞬の後に、激しい痛みと熱さがぶり返し神経を痛めつける。
焼き尽くされ爛れた内側は力なく崩されながらも、剥がれた傍から元通りに再構築される。バチバチと紫電を撒き散らして、ご丁寧にもう一度苦しめって、全ての感覚すら直しやがって。
「■■■■■□□■■■――――!!!!?」
叫び、のた打ち回る。
無様にもガキみてぇに転がって、爪先で地面を削って、額を土草に擦り付けて。
死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。
自分をどうにかしたいのか、それとも自分をこうしたソイツをどうにかしてやりたいのか。
そんなの、どっちもに決まってんだろうが。
どっちも心の底から、渇望している。
「――■■ガ、……ア、ア□ァァァ……」
果たしてどれくらいの間、焼かれた芋虫みてぇな有様を晒していたのか。
ようやく収まり、ただ脱力してその場に横たわって。掘り荒らされて滅茶苦茶になった大地に、大の字になって空を仰ぐ。
「……あ、ァ」
気付けばそこは、室内ではなかった。
焦げ臭さが鼻につき、木々の擦れる音が耳に煩い。けれども他には誰の気配も感じられず、誰かの声が聞こえることもない。
ただ一人、森の中で倒れている。
今ではもう、身体の内側に炎は欠片も残っていないし、断たれていた筈の両腕も思った通りに持ち上げられるし、夜空へ掲げて拳を握ることも出来る。
本当に、まるで、なにごともなかったかのように。
このオレの身体は、ピンピンしてるくれぇに、いつもの通りで。
だけど、――もう。
なにもかもが決定的に違っていることは、分かっている。
「――――」
身体を起こし、前へと歩みを進める。
どこかへ向かうでもなく、ただ踏み出して、そのままに直進する。そうすればどこかへは行き着くだろうと分かっていたから、適当でよかった。
そうして辿り着いた、一つの集落。
島に幾つか点在している、戦闘員ではない、この島の住人たちが拠店とする集合地。
時代遅れの古ぼけた木造が大凡で、だが一軒二軒程は、新築の白い外壁の二階建てがあったり。そうじゃなくても並ぶ電柱や、真っ赤に目立つ消火栓や、倒された子ども用の黄色い自転車が。
まったく、あべこべだ。家の中にもテレビやら冷蔵庫やら、色々と便利なモンが揃えられてるんだ。いっそのこと全部建て替えて、当たり前にしちまえばいいよによォ。
なんだったら、こんな辺境の島、とっとと全員で抜け出しちまって。
本土の方に移住して、普通に暮らしてりゃあよかったんだよ。
突然介入して来やがったクソな異世界の連中の支配に下ったって。気に食わねぇが、妖怪組織の害悪共と休戦だの協力だのを結んだって。
ボケ老人だの守られてきた風習だのを崇めて、下らねぇプライドで意固地にこの島へ閉じ籠ることなんて、なかったんだよ。
こんなことになるんだったら、よォ。
もっと早く、全部、ブチ壊してやればよかったのによォ。
「……………………」
思ったところで、愚痴捨てたところで、今更だ。
ここにも、誰も居ない。
誰の姿も見当たらないし、誰の声も、なんの音も聞こえないし。
……なんの気配も、感じられない。
だから森へ戻って、別の場所へ歩みを進めても。
誰ともすれ違うことはないし、変わらずなんの音もない。
別の集落地へ辿り着いても。
緊急時に避難することになっている洞窟や、隠れ屋敷を訪れても。
ガキの頃に遊び場や秘密基地にしていた、大人が寄り付かないような場所に行っても。
全部、何処にも、大人も、子どもも、誰もかも。
居ない。
「…………………………………………」
もう、残って居ない。
◇ ◇ ◇
オレは、半端な弱いヤツらを見下してはいたが。
馬鹿にしては、いなかった。
だってアイツらはオレとは違う。
オレ程に選ばれてもいなければ、力を持って生まれていなければ、――だからオレ程に強さに賭けている訳でも、オレ程に熱量を持って強さを求めてもいなかった。
漫画家になりたい。そんなヤツが居た。
訓練が終われば速攻で家に帰って、絵やら物語やらを考え練っていたヤツが。オレが自主的に自分を磨いている間にも、外敵を屠る為に血と汗を流し、使命に焦がされていた頃にも、構うことなく絵を描いていやがったクソ野郎が。
他にもゲームに熱中していたヤツや、島から出ねぇのに服装なんぞに金と時間を賭けていたヤツも、恋愛に現を抜かす馬鹿二人も。
見下して当然だ。
どいつもこいつも、鬼狩り失格のクソクズ共だった。
だけど、アイツらが弱いのは仕方がないことだ。この島で見下されるような立場に陥ってしまうのは、可哀想にもどうしようもないことだ。
だってアイツらは、こんな島に生まれたばっかりに……いや、違うか。
こんな島に生まれて、それでも尚も。
強さよりも、使命よりも、求めていた大切なモノがあったんだ。
なにも間違っちゃいねぇよ。
本来オレたち鬼狩りってのはそういう、『戦いとは無関係なモノを大切にするヤツら』の代わりに戦い、護るのが役割なんだから。
オレたちの中にそういうヤツらが居たって、なにもおかしいことなんか、ねぇんだよ。
あァ、むしろ。
そういうモンをなに一つ持っていない、なにもないオレこそが、……可哀想なヤツなんじゃないかって、そう思うことすらあった。
まァ、でもよォ。
生き残っちまったのは、そんな、可哀想な程に強いオレ様で。
夢や未来を視ていたアイツらは、その所為で弱くて死んじまった。
◇ ◇ ◇
そんなことを思いながら、ただ進むままに辿っていたら。
この足は、その場所へと戻ってきていた。
あのクソ鬼と対峙した、殺し合いの跡地へ。
大地が抉られて、草木は焦げ落ちて、雨後の湿りけでぬかるんで……。
潰れ転がる幼い鬼狩りたちが、未だ捨て残された、その場所へ。
「…………あァ」
あの時、オレがこの場でクソ鬼を強襲したのは完全な独断だった。
才能ナシで望み薄な連中を、雁首揃えて捨て身の時間稼ぎに放り投げる。食い扶持を減らす為の、下らねぇ狙いで行われたガキ共の特攻作戦。
そんな馬鹿げたものを、呑み込める筈もなかった。そんなクソみてぇな方針になんざ従ってられるかと、真っ向から背いてやった。
命令違反は厳罰だ。最悪、殺されるかもしれないぞ。
そんな命令は出ていない、オレの出る幕ではない、大人しくしていろ、と。
飛び出す寸前、俺へとそう叫ぶヤツらが居た。
ソイツらにも色々な考えがあったんだろう。単純に仕来りに厳しいヤツも居たし、上の連中の息子で偉そうに言い下すヤツも居た。そうやって我先にと自分よがりを続けた結果の准鬼将かと、馬鹿げたことを吠えたヤツまで居たか。
それを全部振り切って、オレはアイツを今すぐに殺す方を選んだ。
そしてそんなオレに続いて、遅れて包囲に手を貸してくれたヤツらが居た。
……ほとほと、情けねぇヤツらだ。誰かが先導しねぇとついて来れやしない。
止めた連中とは真逆。あのクソ鬼を殺したいヤツら、ガキ共の囮作戦を許せないヤツら、よく分からねぇがオレに憧れていたりするヤツら。
まァ、安心しろや。
命令違反だかなんだか知らねぇが、包囲作戦もオレの提案で、ブッ千切って走り出したのもオレだ。責任はオレがとってやる。
なあに上の連中も、馬鹿だが能無しって訳じゃあねぇ。問題さえ解決しちまえば、アイツを殺しちまえば、それで終わりだろう。
結果さえ残せば、なんの文句もありはしねぇだろ。
なんて、息巻いておきながら。
「……………………」
結局、オレはガキ共の死地にも間に合わず。
連れたヤツらの半数以上を、勝手な行動で余計に失い。
挙句愚鈍なばかりに殺し切れず、休戦を敷かれ、手遅れになり。
どころかこの戦いも、それまでも、全部が全部。
訳の分からねぇ、トチ狂った魔女の手のひらの上で。
そもそも、この島はとっくの昔に。
オレたちの頭は、――鬼狩りの、将は。
鴉魎は。
アイツ、が。
「……ガ、ア……■ヅッ」
ああ、クソッ。
血が滾る。
感情が抑えられない。
脈打つ心臓が高鳴りを強め続け、思考も肉体も、全てを変容させようとしてくる。
暴れろと、全てを潰し壊せと、ただそれだけの化物に陥れと、――他でもないこのオレ自身が訴えてきやがる。
「……黙って、ロ」
テメェで確実だってんなら、喜んで暴れてやるよ。
だが、まだだ。
まだ、オレが。
オレは……ッ。
「……ツ、ヅっ」
足下。
横たわる亡骸の傍で、静かに添えられた刀剣を拾い上げる。
握り込み軽く力を込めれば、円形の模様が明滅した後、刃に薄らと紅い光が灯される。……炎の刀には及ばねぇが、高熱を帯びた刀身ってんなら、ただの鈍らよりはマシだろう。
それ以外にも、もう一刀。幾らか見繕って結局、風を纏わせる刃を。どちらの二刀も型落ちのハズレだが、同じくなにもないよりは、だ。
「――――」
分かっている。
オレにはこの果てに、なにもない。
暴れようが、逃げようが、なにをしようがここで詰みだ。
屋敷に戻ったところで、用済みと消されるか、ジジイみてぇに屍の木偶人形にされて玩ばれるか。
だったらと手のひら返しでクソ鬼共に寝返ったところで、どの道、いいように使われて終わりだ。一緒になって仲良しこよしも、とても堪えられねぇ。
だったら、やりたい放題でいい。
オレはオレのままに、ここで終わりでいい。
騙され謀れた愚かな准鬼将は、それでも最期まで、鬼狩りとしての使命を全うした。最期まで対敵である鬼に刃を突き立て、決死を尽くした。
それでいい。それが、いい。
例えそれさえ、連中の手のひらの上であったとしても。
どう動いたところで、なにもかも手遅れで、なにも変えられないっていうなら。
オレは。
「――オレ様は、よォ」
それでこそ、だろうがァ。
◆ ◆ ◆
寒空の下で、空を仰ぐ。
恐らく時間帯としては、そろそろ深夜を抜けて早朝へ差し掛かる頃だ。
だけど空も辺りも、未だ暗闇に落ち、抜け出すことが出来ないでいる。
古家を取り囲む木々たちの奥は、なにも見えない黒で塗り潰されたまま。
どこまでも深く、纏わりついて、離してくれないままだ。
「……」
ふと、考える。
全てはこの先、この島を出てからだと、そう前のめりに立ち向かい続けてきた。その為に千雪が、リリーシャが、そしてヴァンたちが戦っている筈だ。他でもない俺も、それは避けられないだろう。
だが、その『この先』って場所には。
果たして、なにが待ち受けてるっていうんだろう。
鬼狩りたちとのこの戦いに生き残って、街へ戻って、サリュたちと再会して。
それで、終わりじゃない。
どころかきっと、ここでの諍いなんて、ほんの一端でしかない。
街への異世界からの襲撃や、リリーシャの言っていた先生って奴についても、全部。
全部がむしろ、これが終わってからで。
「……冗談じゃねぇよ」
こんなにも必死に、懸命に、血反吐を撒き散らして足掻いているのに。
それで終わりじゃないなんて。まだまだぶつからなきゃいけないことが山積みで、困難も苦心も、目に見える形で待ち構えているなんて。
ああ、でも。
そんな情報と空想だけの脅威に圧倒されているような、場違いで思い上がった余裕なんてない。
「――ッ」
おぞましい気配が。
震え出しそうになる程に冷たい殺意が、息苦しくなる程に重い闘気が。
木々の向こうの深闇から、にじり近付いてくる。
荒々しくも洗練されたそれは、俺の知る限り、――いや。
「……違う」
俺の知るアイツの気配に似て、でも、まったく違っている。
変容している。
その全てを押し潰さんとする、殺すだけには余りある圧力は。
命を絶ち、尚も死肉を貪り喰らう、――まさしく人喰いの、化物の。
『悪鬼の醜悪さ』を、内包していた。
そして、その化物の気配が膨れ上がったと、そう知覚し――。
「ッツ!!?」
だが、既に。
手遅れに――。
「あ――」
目前へと現れた、二刀を携えし鬼人が。
瞬く間の、剣閃が。
――この身を削り、穿った。




