第四章【49】「生存の競合」
屋敷の一角。
崩落させた壁を潜り抜け、決戦の場へと踊り出す。
粉塵巻き上がり、視界が霞み立ち姿が陰る。しかし踏み入る直前に視認は終わり、その身の丈から気配も含め、誰がどの位置にいるかなど明らか。
合わせて、ヴァンさんが大きく踏み込み、その一歩を鳴らす。滲み出す剣気は戦闘の意を隠すことなく、一気に距離を詰めんとしていた。
私も例外なく、すぐさま右手を突き出し、周囲の空間へと冷気を放出して――。
けれど、誰もが行動に移す中、一手早く。
かの魔法使いは、次の行動を終えていた。
「――奔れ、黒雷!」
状況の確認など、曖昧なままで構わないというように。――いいえそんなモノは、踏み入り視認する必要もなく、既に把握が完了していたのか。
ただ小さく呟き命じて、破壊の魔法を解き放つ。
発動される力は、右隣りの間近から。
カッと瞬きを散らして、黒色の光が幾重にも放たれた。
灯りに包まれたこの部屋を、駆け抜ける数閃。色濃く闇を帯びた雷撃が直進し、動線上を塗り潰していく。
総数は七。たった一発でも手足を軽々と呑み込み、ひとたび触れれば、ビル群や硬化された鬼の身体をも焼失させる。その威力、重さは、誰が相手であっても同じ筈だ。
容赦も躊躇いもないのは一目瞭然。まさしく必殺の稲妻は、初撃にて、全ての幕を閉じにかかった。
だけど、それでも終わることがないのは、分かってる。
ただ、驚くことに。
即座に対応してみせたのは、――鴉魎だった。
「フ――」
一足。
暴走した魁島鍛治の前へと踊り出し、庇うように立ち塞がった、その刹那。
右手の刀剣が振るわれ、寸前、迫りくる黒雷の全てが斬り払われた。
目にも止まらない剣戟は、後に動作の余韻を残したばかり。私には迎撃を認識することは出来ても、斬閃を捉えることは許されなかった。
躱すでもない。真正面から、鬼と化した魁島にすら通さない。赤黒く染められた刃は、必殺の雷撃にも対抗出来るのか。
「ほら、出来ました。魔法も光の束も、力を以て斬り伏せればよいのです」
「なあに言ってるのぉ! 次来るわよ、次ぃ!」
桃髪の少女が声を上げ、注意を促す。
その通りに立て続け、リリーシャは更に苛烈に、周囲の空間から魔法を撃ち放つ。
たった初撃防いだだけでは、なにも終わらないのだから。
「黒雷、氷槍、光の礫を――ッ!」
次々と重ねられる連撃は、種類すら一つに限られない。背後に魔法陣を展開させ現象を引き起こし、その間にも魔法は数を増していく。
力を以て斬り伏せる。そう言った男を押し潰さんとする、より圧倒的な力尽くの波状攻撃だ。
それに、それだけでも終わらない。
それだけでは終わらせない!
「は――あッツ!!!」
一手遅れ。奇しくも合わせる形で、私も雪女の力で攻撃を仕掛ける。周囲に作り出した巨大な氷柱を射放ち、後追いに冷気の渦をも放出した。
無数の礫と形のない吹雪。鬼将も大鬼も魔法使いも、彼らが並ぶこの部屋の反面を、丸ごと包み込む程の物量。魔法攻撃や氷柱を弾くことは出来ても、凍える冷気を斬り裂くことは出来ない。
加えて、輝く聖剣を携えた騎士が、大きく踏み込み距離を詰めていく。煌々と光を束ねた刃は恐らく、先程同様の強大な力を内包している。私やリリーシャの攻撃を凌ぎ切ったとしても、その隙に近距離に潜り、懐であの輝きを解き放ったなら間違いなく――。
三位一体。いずれもが一撃で致命傷を与える、渾身の同時攻撃。
誰か一人は、そうでなくとも、大きく負傷させることが出来たならッ!
「いけ――ッ!」
万が一、無傷で乗り切られたとしても。
すぐさま次へと移れるように、構えたままに、その攻撃の行く末を注視して――。
間もなく、私たちの攻撃は。
「うわあああああああああ!!! もうっつつつ、きっっっついんだからぁああああああああ!!!」
一人の少女の叫びと、共に。
――ことごとくが、消失した。
「――――え?」
音もなく、――いや、音はあった。
彼女の叫びに呼応するように轟いた、薄い硝子が割れ弾けるような、甲高い破裂音。その反響が、耳から抜けていくのに並行して――。
この目に映る私たちの現象が、砂や埃みたいに、解けて失くなってしまった。
私の氷柱も冷気も、リリーシャの黒雷や光線の魔法も、ヴァンさんの剣に纏わせていた輝きの渦さえも、全てが。
私たちの全身全霊が、まるで最初から、なにもなかったみたいに……。
重ねて、私たちだけじゃない。
例外はない。
目前、身体を膨れ上がらせ狂気に呑まれた大鬼までもが、その影響を浴びて。
身を覆っていた鬼血を剥がされ、凶暴な様相さえも、緩やかに霧散していった。
「……ア?」
変わらず両腕は肘から上を失いながら、身体中の斬跡から流血をこぼしながら。
魁島鍛治が、元の姿へと還っていく。
気付けば、視界の端で。
切っ先を下ろす鴉魎の刀剣も、赤黒い刃が白刃へ戻されていた。
「――なに、が」
思わず呟き、けれどもそれは明白だ。
居合わせた全員が、それぞれ自身の戦う力を削がれている。
そう、ただ一人。
未だ周囲に幾つもの魔法陣を展開させた、彼女を除いて。
「間一髪、……ねぇ~」
決して余裕があるようには見えない。呼吸が乱れ肩を上下させ、額には玉粒の汗まで浮かべている。満身創痍という程ではないにしても、相当に消耗しているようだった。
それでもパックリと開かれた笑みは、この状況へと勝ち誇っているようで。
一見、彼女の魔法によって、攻撃や強化の類がことごとく無効化された。この空間か、または島全域に及んでいるのか。鬼将准鬼将の二人をも対象としているから、範囲によるものだって考えられるけれど……。
いいえ、それだけじゃない。
コレはもっと深みにまで入り込んでくる――ッ。
「……う、……あ」
遅れて気が付いた。
手が震える。白い吐息がこぼれる。歯が上手く噛み合わずに小さく音を立てて、視界が霞みに薄らんで、眩暈すら覚え倒れてしまいそうになって――。
寒い。
身体が冷え切っている。
現象を掻き消されて尚残っていた寒冷に包まれて、まるで普通の人と同じみたいに、身体が芯から凍えついている。
「これ、は――ッ!?」
合わせてバギリと聖剣を床板へと突き立て、息を絶え絶えに。
ヴァンさん喉を晒し、ソレを叫んだ。
「百鬼夜行の、結界陣なのかッ!?」
「な――」
私たち、百鬼夜行の結界陣。
隠れ家後ろの森に施されていた、対象へと弱体化を与える代物。妖怪封じの陣を反転させて構築し直した、妖怪以外を封じる陣。
あの夜、リリーシャを相手に発動させて魔法の力を奪い、戦いを終わらせたものだ。その際ヴァンさんも最後の場に居合わせていたなら、その影響下にあってもおかしくはない。彼はコレを、その時に近しいものだと感じ取っているのか。
でも、違う。
まるで別物だ。
コレはリリーシャやヴァンさんだけでなく、私や鬼狩りたち、妖怪に対しても働いている!
「こん、な……のっ」
全てを対象とした、力を封じる陣。それだけでなく、その時に発動していた攻撃さえをも無効化し、破砕し塵にした。
こんなの、効果も効力も桁違い。私たち百鬼夜行の陣とは比べ物にならない、遥かに上位互換の――魔法だ。
手も足も出ない。私に至っては、この冷気の中で意識を保つことすら困難に。
徐々に黒く縁取りされていく視界では、ヴァンさんも、その下ろした大剣を携えることは敵わないみたいで。
なのに、あの魔法使いの少女は更に魔法陣を発生させて。
鬼将もなんら抵抗なく、白く尖れた長刀をゆらりと持ち上げて。
そんな、中で。
彼女だけは。
――リリーシャだけが。
「……舐めんじゃ、ないわよ――ッツツツ!!!」
同じく攻撃を無力化され、力を奪われている筈なのに。
少なくとも先程の魔法攻撃は掻き消されて、即座の追撃は敵わなかった筈なのに。
突如、彼女から激しい旋風が撒き散らされ。
その直後、それを皮切りに、――解き放たれたかのように。
リリーシャを取り囲むように、複数の魔法陣が、展開された。
発動している。
彼女の魔法が、暗雲を振り払う!
「一度コレに痛い目見せられたのよ! コレで全部おじゃんにされたのよッ! それをあたしが、なんの対策もしてないワケ、ないでしょうがッツツツ!!!」
そして、リリーシャは、
旋風に左肩の黒布をはためかせ、
残る右手を頭上へと掲げ、
開かれたその右手のひらに、――炎を。
揺らめく焔の巨大な剣を、瞬時に発現させた。
見まがうことのない、それは、私たちの知る――。
「焔の、大剣ッ!!!」
口上と共に。
強大な焔が、対敵らへと振り下ろされた。