第四章【47】「通さぬ意地/果たすべき使命」
変容し、狂乱に堕ちる。
かの鬼狩りは、その全身を大きく膨れ上がらせ――。
「■■■■■□■□□□■■■――――!!!!!」
大口を掲げ、咆哮を轟かせた。
「ッ!」
その体躯、大凡通常の倍以上か。
全身を滲みだした赤黒い泥で包み込み、筋肉を膨張させ、頭部側面からは二対の大角が天へと突き立てられる。この目で視認した、あの夜の片桐裕馬の暴走状態に相違ない。
唯一の違いは、その両手に携えた刀剣。彼の場合は素手で殴り付け暴れ回っていたが、魁島鍛治は武具を握り締めたままだ。どころか、その二剣までもが泥に覆われ、幾重にも刀身を塗り固め、極大の太刀へと成り代わっている。
果たして理性を欠いた状態では、先程のような洗練された剣技は欠けているであろうが、……そうであっても攻撃力に関しては、比にならないレベルの上昇が見込まれる。
同じ戦い方では通用しない。いや、こうなってはまったく別の対敵。
一手しくじれば逆転し、追い詰められる可能性さえも……。
「皇子」
「ウム。流石にこの辺りであろうな」
前に立ちはだかり、後ろを窺えば、――控える皇子は。
咆哮に煽られ震わされた中で、その声を全員へと届かせた。
「聞け、鬼狩りよ! ――否、鬼将よ!」
シュタイン様は、高らかに告げる。
「准鬼将はこの休戦下で抜刀を行い、攻撃の意志を示した! よって我輩の敷いた此度の休戦は、貴様らによって破られたということだ!」
で、あるならば。こちらも相応の態度を示す他ない。
加えて鬼将は、鴉魎は、その発言からも明らかに。
「鬼将! 貴様もまたヴァルハラの魔女と手を組み、我々への攻撃の意志があると知りながら、その策略へと加担している!」
日本国への攻撃も、この島での戦いも。全てが魔女の利となり、すなわちアヴァロン国の不利となることを分かっている。
明確なる、敵対行為だ。
「その上、自身の所属する組織さえも差し出す外道! 鬼狩りの処遇は置いておくとて、貴様には問答の余地もない!」
疾く死に絶えよ。
でなければ、我らがその命脈を絶つ。
宣言に合わせ、僕もまたこの手へと、聖剣を取り出そうと構え――。
寸前。
突如振るわれた大刃を目前に、後方へと飛び下がった。
「■■■■□■■ヅヅヅヅ■ヅ!!!」
「――ッ!?」
振り向き様の一斬。
目を合わせることもない、我々の姿を捉えたのは攻撃の後だろう。気配か直感か、どちらにしろ、本能のままに振るわれた暴力的な一撃だ。
だがそれ故に、誤魔化しの効かない実直な太刀筋。挙動から攻撃の察知に成功し、素早く身を引き掠めることもなく躱し切る。
咄嗟であった為、同じく刃の範囲に入っていた皇子を真正面から抱え、振り回しての後退となったが。
「ご無礼、申し訳ございません」
「よい。……が、吐く」
ごぽりと、口の端から微かに透明な雫をこぼす。抱えた身体は分厚い鎧に包まれていながら、触れる腕等の細部は薄く、骨張っている。くたびれた風貌の通りに、やはり健康的とは言い難い状態だ。
とはいえ追撃があっては、ある程度の無茶は覚悟していただかなければならないが――。
「――ム」
続く破壊が、我々に下ろされることはなかった。
そもそも今の一撃とて、手の届く範囲に居た羽虫を振り払った程度に過ぎない。
魁島鍛治の狂化は、ただ一つの標的へ向けられて。
全ては、引き金となったヤツへと叩き付けられているのだから。
「鴉鴉■鴉アアアアアアア■■■アアアア■アアア□□アアアアアアアアア!!!!!」
下ろされる一足は、優に床板を踏み割る。
絶叫と共に打ち出された身体は弾丸の如く、遅れて発砲音をこだます勢いで放たれた。
旋風を乱れ纏う、猪突猛進。それはただ、暴力を振るうという一点を遂行する為に。その先の結果など、力量差など、理性も思考もかなぐり捨てた特攻には不要だ。
瞬く間に標的へと肉薄した大鬼は、両腕の大剣を振り上げ、勢いのままに斬り下ろし――、
バツン、と。
けれども剛腕らは、なにものにも触れることなく宙へと放り出された。
気付けば血をなぞらえていた、男の赤黒い刃によって。
「オ、ゴ……!!?」
「残念ですが、暴走もまた予定の通り、恙なく。それでは俺の生存も変わらず、揺るぎはしないでしょうね、鍛治」
遅れて、噴き散らされる鮮血。
その光景に、不覚にも、背筋が凍り付く。
僕には彼の剣閃を視認することが、出来なかった。ゆらりと下ろされていた切っ先が、気付けば横薙ぎに持ち上げられ、それだけの間に、事は起こされていた。
果たして両腕を奪われた本人すらも、如何なる剣戟が行使されたのか、把握出来てはいないだろう。驚愕か、それとも絶望か。その身体は暫し動きを止め、咆哮すらもが音を潜める。
身が竦む。
……ああ、そうだ。
そうだとも。
体躯を増したとて、暴力に身を任せたとて、敵いようもない。或いは理性を取り払ってしまっては余計に、触れることすら困難だ。力を尽くし、思考を巡らせて尚も、決して届かぬ程に懸け離れているのだから。
裏切り者だと判明しようが、断罪すべきだと我らが皇子が宣言されようが、なにも関係はない。真実を暴くなど、傷の一つも付けられやしない。
その研ぎ澄まされた剣気を、欠片も錆び付かせることなく。
変わらず、男は我々の前に君臨している。
僕は――。
「ヴァン・レオンハート」
不意打ちに。
今しがた、後方へと導き手放した皇子が、名を呟く。
「我輩は『結果で語る者』を好み、『結果を伴わぬ戯言』を嫌悪する」
「…………」
「なあに、そう眉を寄せるな。いつもと変わらぬことだろう?」
シュタイン様は未だ青ざめた表情ながら、それでも口の端を吊り上げ。
意地の悪い笑みを浮かべて、僕へと言いつけた。
「勝てば勲章を、負ければ汚名か、死か。それが片時も離れることのない――騎士の宿命だ」
ならばこそ、なにが違うというのか。
否、なにも変わりはしないだろう。
「強大な敵、困難な任務。それだけの話であろう?」
「……は」
思わず、僕もまた笑みをこぼした。
まったくこの人は、芯を喰ったような物言いで、――無理難題を言ってのける。
理不尽極まりないと、辟易すらしてしまう。
だけど、珍しいことでもない。
なにぶんこの身は、騎士であるが故に。
「ッ」
息を呑む。
さあ、切り替えろ。
未だ秘められたことも多く、不明瞭な道先。しかし立場は明白に、なにが敵でなにを斬るべきかは定まった。
ならばこそ、全てはこれからだ。
――この戦いからなのだ!
「セーラァ!!!」
我が妖精へと号令を。
そしてこの手には、聖なる大剣を現出させる。
握り締める大刃はすぐさまに、黄金色を灯して。発光する細かな粒子らは例外なく、破壊を内包した妖精の力。それらを束ね結び合わせたこの威光は、正しく聖剣の輝きで空間を照らしてみせる。
拭い切れなかった魔女の残滓も、立ちはだかる鬼将の絶対的な存在をも、あらゆる不条理を薄ら掻き消す。この輝きは暗闇の底であるが故に、一層目を惹き他を霞ませる。
その力、切っ先を、一身に標的へかざす。
「――フ」
開かれた距離。恐らくはあの男の俊敏さを以てしても、一足に詰められることはない。先刻同様に懐へと踏み入られ、根元を掴み止められることは有り得ない筈だ。
重ねて、今一度、大鬼が吼える。
「鴉鴉アアア■■■アアアア■アアアア□■■■!!!!!」
腕を斬り飛ばされ、傷口が塞がらないままに、尚も。魁島鍛治はその巨体を振り乱し、再び鴉魎へと襲い掛かった。
諸共にはなるが、この機を逃す手はない。彼もまた敵対する立ち位置に在り、共闘を図るなども不可能。なによりあの男を仕留められるのであれば、本望であると思える。
容赦も躊躇いも不要。
全てを薙ぎ払え。
この一閃こそが、我々からの宣戦布告と知れ――!!!
「キャリバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――!!!」
叫び、撃ち放つ極大の光閃。
全身全霊の輝きの束は、標的はおろか大鬼すらをも呑み込む。
人の身で在っては絶対に、人の領域を越えたとしても、大凡は扱い切れぬであろう力の奔流。
触れるモノ全てを焼き払い、消失させる絶対的な破壊。
それはかつて、敵対するリリーシャへと不意打ちに放ったモノを、遥かに凌駕する光量。よもやこれまでの生涯で最もとすら思える威力だ。
反動もまた尋常ではなく、床板を砕く力で踏み締めなければ、この身が吹き飛ばされるだろう。突き出す両腕も痛みを覚える程に熱せられ、強化を緩めれば肘から先を失う。
痛みを伴い、なんとか踏み止まるだけの余剰を残して。それ以外は全て、撃ち出す輝きへと注力させた。この身を無事に放てる限界と、そう言っても過言ではない。
なにしろ捨て身には、まだ踏み切れない。
何故なら恐らくは、これ程の一撃を放ったとしても――。
彼らの力もまた、常識の範疇を遥かに逸脱しているのだから。
「はぁい、通しませんよっ、と☆」
案の定、恐れた通り。
我が必殺の一撃は弾け、霧散した。
「ッ!?」
千切れ、粉々に解かれる光たち。
合わせて当然身体への負荷が消失し、けれども残された痛みや熱が、これが現実であることを訴える。一閃は確かに撃ち放たれ、今しがた消え去ったのだ、と。
目を見開けば、もはや疑いようはなく。
四角く、折り重なった『半透明な障壁』らによって、防ぎ切られたのだと悟った。
場違いな少女の快声が言い示すままに、聖剣の光束は、通り過ぎることを許されなかった。その魔法によって作られた障壁で、真正面から阻まれたのだ。
それも少女や鴉魎らを守るだけでなく、魁島鍛治をも遮る形で、なに一つとして干渉を許さず無力化してみせたのだった。
――僕の、渾身の極光を。
間もなく、飛び掛かっていた大鬼もまた、血飛沫を散らし膝を落とし。
彼女らは小さく、笑みをこぼすのだった。
「あらら~ぁ。ネネの障壁が六枚も割られるなんて。反射したり減衰させたり、割と一枚でも十分だと思ってたのになぁ。流石は聞いていた通り、リリちゃんの左腕を奪った聖剣って感じねぇ」
「別段、手出しは無用でしたよ」
「そうなのぉ? 鬼将さんってぇ、こういう物理じゃない特殊系は苦手だって思ってたわぁ」
「使い手にはなれないというだけの話です。しかし光の放射も炎も氷も、当然魔法も、全ては力技ですから。ならば俺も、力尽くを以って対応するまでです」
「脳筋に聞こえて、これで本当に魔法を斬り伏せるんだからビックリよねぇ。じゃ、ネネの手出しは要らないワケで」
「ええ。貴女は急ぎ、予定の通りに進めて下さい。時は今ですよ」
「分かってるけどぉ、方式の調整が難しいの。もう少し待って貰えるぅ?」
小気味よく、ネネ・クラーナは桃色の髪を揺らしながら。鴉魎に至っては、跪くも低く唸りを続ける魁島と変わらず接敵を続けながら。
まるで何事もなかったかのように、平然と、……いや、彼らにとっては事実、何事もありはしなかったのか。
「――ば」
馬鹿げている。
冗談じゃない。
だが、この展開は。
――恐れた通り、だ。
「――――」
ひと呼吸の後、突き出していた剣を構え直す。
ゆらりと手元へ引き戻し、刃を起こし、低い姿勢のままに彼らを睨み続ける。
全てを賭した一撃、……程度で終わる筈がない。そうして障壁を突破出来ていたところで、減退した威力では彼らを屠ることは出来ない。
どう転んでも僕一人では、この状況の幕を引くことは出来ないと、そんなことは分かっているんだ。
だから余力を使い切ることはしなかった。
けれども、派手にする必要があった。
「――ああ」
レイナ・サミーニエが我々を威圧し、
魁島鍛治が暴走し咆哮を轟かせ、
鴉魎がその冷たさを抜身に刀剣を振るい、
その上、僕がこうまでし、ネネ・クラーナに魔法によって防がせたのだ。
襲い来る相敵らも、転移封じも。
解決すべき事柄の全てが、この拠点に並び立っているのは明白だ。
「……力及ばず、悔しさも拭えぬが」
僕の使命は、この場を制することにある。
ならば通すべき意地は、この身一つで立ち向かうような愚策ではない。
「さあ、頼むぞ」
合図としては十分だろう?
これ程の状況を前に、彼らがただ蹲っている筈もないだろう?
そして間もなく。
反撃の時は、――来たる。
現状の破砕は、粉塵散らす爆発と共に。
閉鎖は側面を穿たれることで瓦解し、介入を許す孔を開いた。
続けざま、破壊された孔から現れたのは――二つの影だ。
戦況は次の段階へ。
より苛烈な乱戦へと、我々は踏み出すことを余儀なくされている。
元より後退の意志など、とうの昔に捨て置いた。
尻込みしているつもりは、毛頭持ち合わせてはいない!
「――参るッ!」
彼女らの乱入に呼応し、この足を踏み出し。
僕は再びこの剣を携え、戦場へと踏み入った。