第四章【46】「瓦解」
この場を支配していた重圧が、解かれた。
瞬間、ひと呼吸の間に。
立ち尽くしていた老爺の首が、斬り飛ばされた。
一切の表情を変えることもなく、寸前、こぼされた動揺の声すら本人のものではない。命じられたままに、その首が落ちる最期に至るまで、動くことすら許されなかった。
いや、最期というならソレは、とうの昔に終わらされていたか。
屍肉、人形。そう呼ばれた朽ちた身体はやはり手遅れで、首を奪われても、血の一滴すらこぼしはしない。
「ア――アヅッ!!!」
重ねて続け様、欠けた五体の向こう側で。
魁島鍛治は両手に携えた抜身の刀剣を振るい、残された身体を大きく斬り伏せた。
両肩から逆側の腰部へ下ろされ、交差する二斬。外見諸共に内側をも両断し、案山子にすら使うことは許さないと、完膚なまでに終わりを与える。
そうして老体が、死に体の抜け殻になる、その間際に。
『――ではネネ。あとは、手筈の通りに』
屍肉を弄んでいた魔女は、レイナ・サミーニエはそう言い残し。
その存在を、この場から完全に消失させた。
重圧だけでなく、冷たさにも似た異様な怖気。空間に満ちていた濃密な死の感覚さえもが、残滓の跡形もなく掃われる。恐ろしくも異界から届かせていた干渉が、通路を断たれ、完全に途絶えたのだろう。
だがそれはあくまで、この場での一難が取り除かれたに過ぎない。
それにこの状況は、まだなにも終わってはいない。
終わる筈など、有り得はしない。
「ヅ――ッツツツガァア!!!」
吼え、猛り。
崩れ落ちる老爺の傍ら、カチリと音を立てて刀剣を握り直し、――魁島鍛治は屈んだままの少女へと詰め寄り、その刃を振り下ろした。
左右からの双閃。
迫りくる斬撃らに、少女は咄嗟の応対を間に合わせることは適わず――。
だが、それは。
「――いけませんよ、鍛治」
迅速にして必殺の刃を、遥かに上回る神速を以って。
まさしく、瞬く間に。二人の合間へと割り入った鴉魎は、長刀を抜き放ち、魁島の斬撃を打ち弾いた。その不意の必殺を、真正面から阻止してみせた。
轟く金属音は甲高く、反響を残し、鍔迫り合う刃らは火花すら散らす。衝撃は旋風を巻き起こし、ネネ・クラーナは当然に、距離のある我々すら衣服や髪を振り乱された。
威圧の類とは異なる、物理的な振動。そうあっては皇子も耐え難く、大きく退き、今度こそその衝撃を遮らんと、この身を踊り出した。この身を盾に――いや、こうなってしまえば、そうも言ってはいられまい。
「シュタイン様、抜剣の許可を!」
「……ならぬ。まだアレは、連中の内輪揉めだ」
――だがその時を覚悟し、構えを解くな。
僕は頷き、命じられたままに、今は状況へと集中する。
眼前で繰り広げられる、その光景。
刃を突き付け合い、睨み合う、二人の鬼狩りへと。
「テメ、ェヅヅ!!!」
目を見開き歯を剥き出しに、黒衣から覗く手足は既に、赤黒い泥に覆われながら。ギチギチと二剣を圧し続け、魁島は叫んだ。
恐らくは我々も、相対する剣士をも、なに一つとして理性的に考慮することなく。ただ感情のままに、狂気に踏み入り問い詰める。
どうなっている、と。
「こんなのは、知らねェ! ここまでとは、聞かされてねェぞ、ァア!!?」
「落ち着きなさい。……と、言っても冷静になどなれません、か」
「ッッッザけンじャねェぞテメェ!!! 鴉魎ッ! テメェはァ!!!」
尚も踏み込み、力尽くに押し付け。
魁島は鴉魎へと、声を上げ訴える。
「連中との協力関係は、ジジィらの最終判断だッて、そう言ッてただろうがァア!!!」
異界の魔女との関係性は、どころか、図書館への攻撃も含めて。全てはこの島の頭首である老爺と、鴉魎を含む鬼狩りの上位集団が決めたことだった、と。鬼狩りは組織として、魔女らと手を結ぶことに決定した筈だ、と。
――そしてそれらを自分たちへ下ろし伝えたのは、他でもない。
鴉魎だった筈だ、と。
魁島は、続ける。
「今日さッきの作戦だッてソウだろうがァ! オレたちは上の指示で上の判断で、あの鬼どもを追い詰めてたッて話だろうがァ! そういう話になッてるだろうがァ!!!」
「ええ、間違いなく」
「だッッたらその上の連中はよォ、当たり前に生きてンだよなァ!!? ジジィみてェに死体を玩ばれたり、そもそも全員もう居ねェなんてコトはねェよなァ!!?」
戦力評価。及び、部隊や包囲を整える時間を稼ぐ。その為に若輩の鬼狩りたちを先遣部隊として攻め入らせ、相手の出方を見る。十代やそこらの鬼狩りたちがことごとく死に絶え、結局はただの食い扶持減らしにしか思えないあの作戦すらも。
クソみたいな上の連中による、クソみたいな損得勘定によって行われた最悪の作戦だと、そう思っていたアレさえも。
まさか死体が命じたなんて冗談はやめろと、――魁島は。
「オレたちはよォ! 上のヤツらが出してもいねェ命令を勝手に遂行させられてたッてワケじャあねェンだよなァ!!? アア!!?」
魁島鍛治は絶叫し、勢いのままに両腕を振り切り、刃を通しにかかり――。
それらを突き付けられた、鴉魎は。
静かに歯を見せ、頬を緩ませた。
考え至るのが遅すぎましたね、――などと。
そんな言葉を、こぼして。
「既に全ては手遅れですよ、鍛治」
直後。
振り切られたのは、鴉魎の長刀だった。
風切り音と共に、魁島の身体が大きく後退し、奇しくも我々の前へと足を下ろす。重ねて、遅れ全身に幾つもの斬傷を開かれ、一帯へと流血を散らした。
だが先程とは違い、膝を折ることはしない。ただの裂傷であるならば、彼ら鬼狩りが倒れ伏せる道理はない。紫電の明滅と共に、その傷は塞がれることとなるだろう。
しかし、不可解にも。
魁島鍛治は傷を開いたままに、再び鴉魎へと飛び掛かった。
その喉元から、一層の絶叫を鳴り轟かせて。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
再びの鍔迫り合い――いや、かち合わせ圧し合うことなどない。双剣から振るわれ続ける連続の斬閃を、たった一閃の刃でいなし続ける。幾数もの必殺のことごとくを、優に対応してみせる。
一歩たりとも退くことはなく、むしろ踏み込み、幾度の後退を余儀なくさせる程に。
鬼将は准鬼将の攻撃を難なく躱し、打ち返す。
「ヅヅヅヅヅヅッツヅツ!!?」
「無駄ですよ。無用ないざこざは控えなさい」
「ヅヅ! だッたら応えやがれ! ジジィはいつから、いつからああだッたんだ!!! テメェはいつから、それを知ッていやがッたッツツツ!!!」
いや、それだけじゃない。
それだけの訳がない。
「ッ! いや、テメェ――鴉魎、テメェがあの女と、あの魔女と鉢合わせたッて、そもそもの話が――ッ」
「ええ、その言葉に偽りはありませんよ。この島へ訪れた彼女に、最初に巡り合わさったのは俺です。この屋敷へ同行させたのも、交渉の場を作ったのも俺です」
――もっとも。
その時には、もう。
「会合の際にはもう、頭首は息絶え、彼女の傀儡と化していた訳ですが」
「な――」
「勿論その場に招集した、他の者たちも例外はなく」
つまり、大凡最初から。彼女ら魔法使いと鬼狩りが手を結ぶと決められる、その前の段階から、鬼狩りらはそのトップである男の命脈を絶たれ。
その屍肉を扱う魔女によって、全てを掌握されてきたということだ。
否、正しくは、そうではない。
全てを最初から知り、剰え同行し続けていたこの男を含む、二人が。
鴉魎と、レイナ・サミーニエ。
その両名が、ここに至る形を作って来たと――。
「これはね鍛治、鬼狩りと魔法使いの間で結ばれた協力関係ではありません。――俺と彼女の間で結ばれた、契約なのですよ」
それが、真実。
詳らかにされた、暗躍の正体だった。
その上で、鴉魎は。
安心しなさい、と。
「大丈夫ですよ、鍛治。これは貴方にとっても悪い話ではない。貴方が俺へと語ってくれた望みをも、叶えられる形ですから」
そう、呟き聞かせた。
その言葉に、今度こそ。
「――――ア」
魁島鍛治は、動きを制止させた。
その間ほんの僅かに、秒を刻む程度でしかなかっただろう。振り抜いた両剣が僅かに宙をさまよい、それでも前のめりに傾く身体は、ゆらりと鴉魎へと距離を詰めていた。気を引き戻せばひと呼吸の必要もなく、間髪入れずに次の斬撃を重ねられた筈だ。
けれどもこの場においては、あまりに致命的に。
次の瞬間、魁島の身体を、幾重もの光線が撃ち貫いた。
「――こ、ばッ」
連なる発光は、構えたままに制止する鬼将の側面を抜けて。
彼が手を加えるまでもない。居残ったもう一人の魔法使いは既に立ち直り、今しがた斬りかかったその男へと逆襲した。
桃色髪の少女もまた、鴉魎に笑みを並べる。
「ネネも気持ちは分かるけどぉ、トップってそういうものじゃな~い? 勝手に他所と協力関係を結んでぇ、それでこんな田舎に弟子を派遣してぇ、なのに敵諸共に威圧で潰してぇ。散々だけどぉ、逆らえないよねぇ~」
「……が、ッぐ」
「だけど仕方ないよねぇ。だってネネ、先生に敵わないんだもん。だから文句も言えないんだぁ~。――本当は協力関係なんてご免だ~って、従属関係の方が妥当じゃないか~って」
言って、再度。
かざした右手の指先から、幾つもの閃光が魁島を穿った。
腕を、足を、胸部や腹部をも問答無用に貫かれ、剣を地に刺し片膝を落とす。それでようやく、新たに開かれた傷らが激しい紫電を散らし始めるが、魁島はすぐさまに、再度飛び掛かることはなかった。
前のめりに傾く身体は、乱れ渦巻く殺意は、決して衰えることのない怒りを抑えてはいないが、――それでも。
それでも、立ちはだかる二者には敵うべくもないと、理解出来てしまう。
踏み止まるしかないと、堪えるしかない、と。
だから叫ぶ。
「答えろ! 鴉魎!!! テメェの狙いは、なんだッツツ!!!」
黙っていられる筈などないと、絶叫する。
「あのクソ魔女に触発されたッてかァ!!? 世界征服なンてふざけた野望に加担しようッて、ンなワケねェよなァ!!! テメェはナニを狙ッて、どンな絵を描いてやがるッ!!!」
何故、魔女たちを引き入れたのか。何故、魔女らの力を必要としたのか。
――何故、自身の所属する組織の長を、鬼狩りを差し出したのか。
「まさかテメェも操り人形ってオチか? 違うよなァ! 死んでいるワケもねェ、あの女に屈したワケもねェ! テメェレベルの野郎が、なんで、――なんなんだよ!!!」
それとも。
魁島は息を呑み、言い飛ばした。
「それともテメェも、――オレの望みと同じように、この島を潰してやりてェッて、そう思ッてやがッたのかよ!!!」
それも、頭首らの首を落とす程に。
子どもたちを使い捨てるよう、そんな指示を通達させる程に。
「そんなにもこの島を憎んで、滅ぼしたかったとでもいうのかよ!!! 鬼将のテメェが! その張り付いた薄ら笑いの下で! なァ――どうなんだよ!!?」
問いかけへと。
半ば悲鳴にも似た、絶叫へと。
「――――」
男は静かに、大きく肩を落とす。
右手に携えた長刀をも、刃先を下ろし、力なく垂れさせる。
練り上げられていく魁島の殺意に相反し、脱力と共に、冷たく底へと沈んでゆく剣気。重苦しく息を呑む程のソレは、先程までの魔女による威圧に似た、暗い澱みを孕ませて。
「――繰り返しになりますが、鍛治」
鴉魎は、魁島鍛治へと返答した。
その、宣告を。
「全て手遅れです」
鴉魎は、並べた。
触発されてはいませんが、きっかけではありました。
世界征服には笑いましたが、面白いとは思いました。
操り人形ではありませんが、手のひらの上で踊るのも愉しいものです。
死んでも屈してもいませんが、この身を預けているといっても過言ではありません。
「それから、」
憎んでなどはいませんが、――潰れてもいいと、滅んでもいいと。
「俺が自ら滅ぼしてもいいと、そのくらいには思っていましたよ」
……ああ、それが。
それが世迷言では済まないと、それ程の力を持っていると、分かっている。
そして、そんな彼が宣言している。
手遅れだ、と。
「問答の意味もなく、どうする術もありません。今までも、これからも」
魁島鍛治に変えることの出来る事柄など、既に存在していない、――と。
それが彼にとっての、最期の引き金となった。
「――――ア」
変容し、狂乱に堕ちる。
かの鬼狩りは、その全身を大きく膨れ上がらせ――。
「■■■■■□■□□□■■■――――!!!!!」
大口を掲げ、咆哮を轟かせた。