第四章【44】「侵略者」
ヴァルハラ国の魔法使い、レイナ・サミーニエ。
老爺の身体を置きものに、ここではない何処かから声を響かせる女は、自身をそう名乗った。
「ヅ、ぐ……!?」
変わらず正体不明の圧力で、僕や魁島らは、抑えつけ跪かされている。ビリビリと、空間そのものまでもが震えを立てる程の威圧だ。恐らくは魔法によるものに違いないだろうが、どうであろうにも、抗うことが出来ない。
まるで邪魔だから伏せていろと、視界の隅に追いやられているかのように。……僕はまんまと、その通りに、手も足も出せなくされている。
そのような状況を押し付けておきながら、飄々と、悪びれることもなく。
女の声は続ける。
それも、
『おっと、もう一つ。大切な紹介が抜けてしまいました』
おどけたような口調で、重ねて。
『私の目的は世界征服であり――その為に、日本国へと攻撃を仕掛けております』
そんな馬鹿げた企みまでをも、堂々と明かしてみせた。
……有り得ない。
「なに、を」
コイツは、分かっているのか?
自分の言葉がなにを意味しているのか。それを我々、異世界を管理するアヴァロン国の皇子を前に宣告することが、どれほど愚かしいのか。正しく理解した上で、理性的に口走っているのか?
ああ、だが恐らく。
尋ねればコイツは、またしても笑みをこぼし、頷くのだろう。
正しく理解し、分かった上で、極めて理性的な発言である。……などと。
姿が見えない故、表情等を窺うことはできない。だがその落ち着いた声色は、正気を失っているようには思えなかった。
狂人の類には違いないが、錯乱している訳ではない。コイツは自身の歪んだ道理の中で、正しく言葉を吐き捨てたのだ。
冗談のような物言いでありながら、しかし、そうでないなら。
決して虚言ではないのだ。
そして、僕らと同じように、跪く程の重圧に晒されている筈なのに。――変わらず尚も、平然と君臨を続ける皇子が。
シュタイン様が、その言葉を受け頷き、金色の髪を静かに揺らした。
「レイナ・サミーニエ。……では我輩も、改めて名乗ろう」
動揺も、後退も、その立ち姿を挫かれることも、有り得はしない。
皇子はあるがままに、宣言を返す。
「我輩は、シュタイン・オヴェイロン。世界を管理するアヴァロン国の第一皇子であり――」
即ち貴様らとは相容れぬ――敵だ、と。
「フム、魔女よ。貴様は、同盟組織・百鬼夜行に所属する例の『第一級の少女』や、先程立ち合わせたあの少女らの、所属していた国のトップに違いないな?」
『ええ、間違いなく。サリーユ・アークスフィア、リリーシャ・ユークリニド。私は両魔法使いと生まれを同じ国に持ち、所属を同じくし――合わせて彼女らを指導した、師に当たります』
「それから現在は、その祖国の支配者である、か?」
「……っ」
それはあくまで、我々の国の推測だった。
サリュが共有したヴァルハラ国の情勢を鑑みるに、大きく考えられる可能性。聞けば彼女が転移する間際、彼女の師である魔法使いは、もっとも多くの領土を支配していた国の王を殺めたと。王座を退けさせ、成り代わったのだという。
その後どうなったのかなど、……確認せずとも明らかに。
案の定。
老爺より響かされた声は、感情を震わせ、肯定した。
『それも間違いなく。私こそは、ヴァルハラと呼ばれる我が国の、――女王です』
私は現在、自国どころか世界の全てを掌握している。
支配し、統べている。
そのままに、女は続けた。
『つまりこの場は、皇子と女王の会合ということです』
「ハッ。ならば礼節を弁えよ。居合わせた互いの従者を力尽くに平伏させるなど、言語道断である。俗な女の分際でトップに立つとは、悲しい巡りもあったものだな」
『そうでしょうか? 必要な処置であると理解を示していただきたいものです。――正当な話し合いを進めるには、正しく力の差を明らかにするべきでしょう?』
お互いの力量を正確に把握し、その上で立場を弁えることは、交渉の為に重要でしょう?
……ああ、なるほど。直接耳にするのは、この場が初めてだが。
その言い分には、覚えがあった。
「さて、似たようなことを主張する泥人形の報告を受けたのも記憶に新しいが」
『全てを詳らかにせよとのことでしたので。それにこの局面、もはや隠し立てする必要もないでしょう?』
女は、――レイナ・サミーニエは。
『この島の組織と共謀し、この国を人形たちに襲わせたのは、私ですよ』
それすらも、打ち明けてみせた。
『日本国へ大きな打撃を与え、機能をマヒさせ、混沌へ陥れる。その為に彼らを石ころから教育し、転移させました。――同時にその混乱へ乗じて鬼狩りたちが施設へ攻め入り、拠点をも壊滅させる。鬼狩りたちも合わせて、脅威を軽減して目的を達成させられる』
我ながら素晴らしい妙策だ、などと。全ては恙なく大成功に終わった、などと。
そんなことまでも、笑みをこぼしながら、言いやがった。
「……ヅ。貴、様ァ……」
奇しくも、この平伏に感謝しなければ。跪き身動きを制されていなければ、途端にこの身体は、理性など置き去りに老爺へと斬りかかっていたであろう。
この目で見た、あの街の崩落を。居合わせたアレックスを守護する為、動くことも許されず、ただ見ていることしか出来なかったあの惨状を。燃え盛り喪うことを余儀なくする、あの破壊と炎を。
この女は、笑ってみせるのか。
「なるほど。ではもはや、なにを明らかにする必要もない。世界征服などとも、恥ずかしげもなく堂々とぬかした」
だが皇子は、変わらず淡々と。
その宣言を真正面から聞き入れ、敵対勢力であることを確定させた。
「レイナ・サミーニエ、貴様は差し詰め――侵略者ということであるな」
なにも予想外のことなどない。
想像の通りに、埒外の害敵であっただけだ、と。
『ええ、その通りです。私は正しく侵略者。自身の世界という小さな檻を破り、外側へと歩みを始めた。掌握を広げんと、手を伸ばし始めた。――残念ながら仲良しこよしという主義ではありませんので、少々手荒な方法を用いておりますが』
「いやなに、別段それをおかしいとは言わぬよ。侵略侵攻とは、外世界への進出に珍しくない手法だ。間違ってはいないとも」
極めて個人的に、些か時代遅れを感じるというだけ。しかしその点は、広く無数の異世界故、考え方の相違が絶えることはない。
だから仕方がない。皇子はそう言って――。
「だが、はいそうですかと頷くことも、ならば許してやろうということも、出来ない」
それだけの話だと、跳ね除けた。
主義主張、正義と悪、環境規則秩序及び全ての価値観。その全てを尊重したところで、許容の出来ない領域は変わりはしない。
「そうだな。貴様の侵略に納得出来る理由があったなら、その時は死罪を取り消してやろう。それが最大限の、貴様への歩み寄りだ。どの道、一生牢獄の中で不自由に暮らせ」
『容赦のないことで』
「なにを言うか、相当の譲歩であろう。屋根の下で食事を与えられ、大人しく眠っているだけで生きていられるのだぞ? 何故、侵略者を国で生かさねばならぬのか。本当であれば捕らえた後に力を奪い、奴隷のように扱い国の損害を返して欲しいところだ」
声を高らかに、両手を広げて言い付ける。
跪いたままに、顔を上げることさえしなければ、二者の言い合いは言葉遊びのようにも聞こえるのだろう。時折入り混じる笑みもまた、互いに洒落にならない冗談を言い合っているように。
それが虚実であることは明らか。
取り繕われた話し合いの舞台、互いが懐に隠し切れない殺意を滾らせていることも、万人が察せられるだろう。
だが、僕には。
そのように虚実を演じ笑みをこぼせることが、まるで理解出来なかった。
声の主だけではない。
恐らくは、それと真っ向から渡り合うことの出来る。
シュタイン皇子もまた、――我々とは、大きく外れているのだろう。




