第一章【16】「至急の要件」
一通り書類が完成すると、改めて手続きするといって千雪は帰っていった。
ぱたぱたと駆け足で行った辺り、他にも用件が控えていたんだろう。
だっていうのに、昼食に付き合ってくれたり、色々と教えてくれたり。
相変わらず、苦労性な奴だ。心底ありがたい話だが。
「どうだサリュ。千雪とは仲良くなれそうか?」
「ええ、とっても。親切で素敵な子だわ。だけどユーマとの距離が不安ね。問い詰めるのを忘れちゃったわ」
「俺と千雪はそういうのじゃねぇよ。長い付き合いの腐れ縁みたいなもんだ」
「だからこそよ。ふとした拍子に良さに気付いちゃって、案外簡単にコロッといっちゃったりするんだから」
「そんな心配はないと思うんだがなぁ」
俺と千雪がなんて、想像出来ない。
別に千雪に魅力がないとかそういう話ではなく、関係として発展するような要素が、皆無というか。
それより気になったのは、サリュの強い関心だ。
俺のプロポーズや恋人関係を、予想以上に考えているらしい。今までも言葉の端々に素振りはあったが、独占欲のような感情まで見せられるとは。
まだほんの少し自己紹介をし合った程度なのに、積極的に向き合ってくれている。
それが不思議で、不可解で、……むず痒く、照れくさい。
「ユーマ? どうかした?」
「いや、俺らも地下に戻らないとなって」
「そうね。張り切って掃除よ!」
引き続き作業に取り掛かろうと、喫茶店スペースを後にする。
と、途端。
軽快な通知音が響いた。
スマホを確認すると、姉貴からのメッセージだ。
「オトメ?」
「ああ、なんか連絡が来たみたいで」
緊急の可能性を考え、すぐに確認する。
すると案の定、急ぎの呼び出しだった。
『来客あり。至急サリュを連れ、昨日の仕事部屋まで来られよ。至急』
「……ったく、部屋片すのも急務だと思うんだけどな」
「別のお仕事ってことね」
「そんな感じだ。すぐに来てくれってよ」
しかし来客とは、一体誰のことだろうか。
ひとまず予定を変更し、二人で指定された部屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
十分もかからなかっただろう。
「姉貴、来たぞ」
昨日の仕事部屋へと到着し、扉を開けた。
机と椅子と、あとは本棚が並ぶばかり。相変わらず物寂しい場所だ。
けれど、遅れて息を呑む。氷水をかけられたような寒気が、一瞬にして背筋を硬直させた。
嫌な汗が全身から噴き出し、動悸が早まり呼吸が乱れる。立ち眩みすら覚え、視界に映る光景が幻かなにかではないかと疑った程だ。
部屋には姉貴と、もう一人。
あまりにも、予想外な男が立っていた。
静かな一室に佇むその男は、紛れもない。
「ヴァン・レオンハート、ッ!」
思わず声を荒げた。
ヴァン・レオンハート。
昨夜俺を殺そうとした、金髪の騎士だ。
どうしてこいつがここで待ち構えている?
こいつが姉貴のメッセージにあった来客だっていうのか?
「冗談じゃねぇぞ」
咄嗟に体制を低く身構える。
キッと睨み付け、奴の一挙手一投足に全神経を集中させる。
戦闘態勢のこちらに対し、――しかし男は、毅然とした態度を崩さない。
どころか力無い所作で肩を落とし、大きく息を吐かれた。
「落ち着きたまえ。今日は帯剣していないだろう」
制され、気付く。
男は全身を白のスーツで着込み、昨夜のような武装は一切見られない。聖剣も携えていなければ、目立つのは左胸ポケットに飾られた赤い薔薇だけだ。
その余裕が腹立たしい。
俺に続いてサリュも部屋へ入ってくる。
サリュは特に反応を示さず、ただ真っ直ぐに彼を見るだけだった。
……道中どうしてもということで買った、おやつの肉まんを口に含みながら。
それには流石の騎士様も、一層重苦しい溜息を吐いた。
「サリーユ君。君の挑発は最高だ。憤りを超えて虚しさを覚える」
「え? なに?」
本人としては意図しておらず、純粋にお腹が減っていただけなんだろう。
あれだけ食べておいてまだ要求されるとは思いもしなかった。こうして指摘されても尚、素知らぬ顔でもふもふと齧り続けている。
そんな様子がまた男の眉を寄せたが、すぐに平静を取り戻した。静かに瞳を閉じ、昨夜同様の無表情を張り付ける。
続けて、男は最初に一礼した。
「突然呼び立てし、申し訳ない。ご足労感謝する」
「もぐ。……なによ、急にかしこまって。あげないわよ」
「結構だとも。さすがに昨日の今日、共に食事という気分にまではなれない」
「じゃあなによ」
「話がある」
堂々とした態度のサリュに、あくまで事務的に対応する男。
昨夜の戦いを通した結果か、二人の立ち位置には明確な差が生まれていた。
サリュは余裕を持って、騎士は劣等感を抑えながら。
そんな、下手に触れれば爆発してしまいそうな導火線の傍で、……事もなさげにスマホを弄り続ける姉貴。
どうすればそこまで無感情で居られるのか。
俺だけが動揺している。未だに心音はうるさいし、男の所作を警戒してしまう。
俺など鼻にもかけず、話は進んでいく。
「サリーユ・アークスフィア。君の正式な住民登録が先程完了した。というよりは、こちらの都合で急遽早めさせてもらった」
「住民登録が? それはまた、どういった意図でかしら」
サリュが首を傾げる。
俺にも、意味が分からなかった。
一体どういう風の吹き回しだ?
昨夜はあれ程までに来訪を拒み、……殺そうとまでしていたのに。
「昨夜より状況が変わった。それについては後に説明させて貰おう。ともかく、我々アヴァロン国は正式に君を受け入れた。百鬼夜行に所属する日本国の住民と認め、今後は理由無く君を裁くことはしない」
そして同時に、と。
騎士ヴァン・レオンハートは真っ直ぐにサリュを見据え、宣言した。
「君は戦闘員、第二級戦士となった」
サリュを、戦闘員に。
それも、第二級という階級を与えて。
「んぐ。――戦闘員、ね。軽く知識はあるけれど」
肉まんを食べ終え、改めて男に向き合う。
異世界法の中には戦闘員に関する法がある。
異世界転移を行った以上、転移者は特殊な力や異界の利器を持っていることが多い。そういった特殊な転移者たちの、殊更、戦闘可能と認められた者たちを管理する。
それが戦士称号の授与と階級制への登録だ。
姉貴が視線を僅かに上げ、説明した。
「階級は六つ。飛び抜けた力を持つ特級。大きな力を持ち指揮官としての権限を与えられる一級。続く二級三級の上級戦士。四級五級はまあ協力者って立ち位置だね。それぞれ実力に見合った階級を与えられ、法の下の戦闘員となる。えっと、第何条だー?」
「異世界法第八十二条だ」
男が加える。
その法に乗っ取り、サリュは第二級の上級戦士と任命されたわけだ。
「ちなみにうちの愚弟は第五級。最下位ね」
「うるせぇ」
「おうおう。ブルっちゃってる癖に、口だけは立派ね」
「ちっ」
いちいち言うな。
大体姉貴だって第三級で、上級とはいえ下部だろうが。
男が咳払いをして続ける。
「サリーユ君は実力でみれば第一級、あるいは特級であることも否めないが。転移から間もない故、そこまで上げることは出来なかった。よって第二級だが、これもまた破格の階級であることは理解してもらいたい」
「ふーん。まあ別に階級制度とか気にならないし、好きにやって頂戴」
それより、と。
サリュが男を指差し尋ねる。
「わたしをその第二級にして、なにをさせたいわけ?」
そう、そこだ。
サリュを呼びだした案件。
拒んでいた移住の登録を早め、尚ヤツがここへ訪れた理由。
「差し当たってだが、まず君が第二級となることで、君には戦闘要請が掛かるようになった」
「要請。お仕事の依頼、みたいなこと?」
「概ね相違ない。階級に見合った仕事を、我々アヴァロン国や所属している百鬼夜行が依頼する。内容によってはある程度の強制力も発生するが、その分報酬も出ることになる」
特に第三級以上の上位階級戦士には、所属だけで一定の賃金が払われる。
この世界に来たばかりのサリュにとっては、貨幣を得られる有効な手段だ。
願ったり叶ったりな状況ではある。
「助かるわ。お仕事とお金をどうするか、ちょっと考えていたの。それで?」
「同時に君が要請に応じ仕事にあたる際、こちらが持っている情報を開示することが出来るようになった。勿論君からも情報を提供して貰い、お互いサポートし合えるわけだ」
「ああ、そういうことね」
サリュが頷き、俺と姉貴もまた視線を合わせ納得する。
恐らく向こうの狙いは二つだ。
一つ。サリュを法の中に縛ること。
二つ。その上で情報共有出来る状態へ持って行き、なんらかの依頼をこなしてもらうこと。
「サリーユ君。今までの話を正しく理解して貰えたなら、こちらと協力するメリットが分かるはずだ。この世界での立場や生活が安定する他、有事の際、単独よりも優位な情報が集まりやすくなる」
「要するに、勝手に動くなって言いたいんでしょう」
「この日本国で暮らしていきたいなら、順守して貰いたい」
「分かった。あなたたちが受け入れてくれるというなら、わたしにも敵対の意思はない。協力することもやぶさかではないわ」
合意する。
日本国の戦闘員として、異世界法の中に縛られた。
だから話を進める。
大切なのは、その前提を突破した上での本題だ。
「それで? あなたたちはわたしに、なにを求めているの?」
当然の問い。
男は、静かに答えた。
「――君の住んでいたヴァルハラ国から、再度この世界への転移が確認された」
「っ」
その言葉に、空気が凍る。
誰もが目を見開き、息を呑んだ。
サリュの世界から、あれ程の魔法使いが存在する国から誰かが来た。
それは紛れもない、脅威だ。
「現在転移者は逃走中であり、こちらの戦士に多数の被害が出ている状態だ。よって」
ただ一人、冷淡な騎士は無表情のままに言葉を続けた。
「サリーユ・アークスフィア。君にはその転移者の確保に協力してもらう」
それがサリュに与えられた、最初の仕事となった。