第四章【43】「暴かれ出でる」
シュタイン様は、物事の本質を見抜くことに長けている。
そんな話を何度か耳にし、この身で体感したことすらあった。
それは今よりも、十年程遡る話だが。
「ヴァン。その剣の振りは、君の目指す方に合っていないんじゃないか?」
ふと王宮傍の森で素振りをしていた際、不意打ちに、通りすがりのシュタイン様にそう指摘されたことがあった。
当時は僕も十代に至らず、皇子も年上とはいえ然程に変わらない頃。礼節の足りていなかった僕は、そんな皇子を知己の兄の様に思っていた。直接的な関わりこそ多くはなかったが、アレックスを通して色々と聞いていた故だろう。他の目上の方々に比べて、身近に感じてしまっていた。
「シュタインさん?」
だから無礼にも、そんな風に呼んでしまった。
しかし皇子はそれを気にかけることもない。ただ静かに頷き、右手を顎に触れさせて考えるような仕草を見せた。当時から薄らと隈が浮かぶ、ギョロリと開かれた瞳に、僕を映しこんで。
自分の内側を覗き込まれている。
そんな錯覚は恐らく、間違いではなかったのだろう。
「……シュタインさん、どうしてこんなところへ? しかも一人で、護衛も付けずに」
「フン。皇子だって、一人になりたい時もある。情勢的にも、今は国や周囲から妙な危うさも感じられない。羽を伸ばすならこの時期、ということだ」
「そんな平穏な時期に大事を起こさないで下さいよ」
若い頃から……いや、若い故、今より余計にか。シュタイン様もアレックスもこうして頻繁に監視を掻い潜り、王宮を騒がせていた。もっとも、戦時中でも問答無用なアレックスとは違い、シュタイン様は言葉の通り、時期を図っておられた様子だが。
どちらにしろ、到底野放しには出来ない事態。僕は握り締めていた模造刀を下ろして、皇子へと歩み寄った。
「王宮までお供します。抵抗しないで下さい」
「なんと、これはしまったな。あのアレックスに手を焼きながらも、長く付き合いを続ける変わり者だ。しかも話に聞く通りのクソ真面目な対応。このまま見逃す道理の相手ではなかったか」
「当然です」
頷く僕へ、やれやれ見過ごすべきだったと息を吐く。しかしどの道、気まぐれの散歩程度。単なる息抜きに過ぎなかったらしく、僕の言葉を拒むことはなかった。
けれど、代わりに。
「それよりも、ヴァン」
「はい」
「もしかして君、最近訓練の教官が変わったか?」
「……え」
「いや、今の聞き方は違うな。変わったに決まっている。変わったことは知っている」
「は、はあ。確かに、新しい方になりましたけど」
「そうであろう。なにしろ近頃、実戦部隊へ昇格したと。子ども故に後方任務からとはいえ、今までのとはまるで違う。訓練もより高いレベルにならねば、生きては帰れないからな」
皇子の指摘通りだった。
その頃の僕は剣技の才や訓練での戦術を認められ、いち早くアヴァロン騎士団の実戦部隊へと配属された。そして言葉の通り後方任務からとはいえ、既に幾つかの実任務へも参加していた。
当然、そうなった以上は指導も訓練も別のモノとなる。教官も変更され、高いレベルのものが与えられ、求められていた。
だから僕は、その新たに教えられた技術や技を磨くべく、こうして一人で棒振りに励み地力を高めていた。
そのつもり、だったが――。
「しかし――鬼気迫る修練を無為に還すようで悪いが、その『剣技の型』の身に付きが悪いのは努力不足ではない。君に型が合っていない故だ」
皇子は、僕にそう言い付けた。
それも僕の内側の、焦燥感すらをも見抜いた指摘を。
「それ、は」
「具体的に言えば、君に相手を誘う戦い方は向いていない。狡猾に手練手管で不意を打つ手法は、実に有用な戦術であるが……評価されてきた今までの積み重ねにも、君個人の性格的にも、あまり噛み合いのよいモノではないだろう」
「っ」
「もっとも君のことは詳しく知らないし、動きについても、過去の任務や訓練で見た数度の印象でしかないが。恐らく騎士団長など上の者が確認しても、同じ風に言うのではないか?」
どうしてそれ程までに、確信的に断言するのか。果たして戦いとは縁遠い皇子の言葉に、正当性はあるのか。
そう考えない訳ではなかったが、なにも返すことが出来なかった。
何故ならそれは、僕自身が。
他でもないこの身体が、薄々勘付いてしまっていた事柄に相違なかったのだから。
「勿論、知識は必須だ。重ねて体感することも出来たなら上出来であろう。だが少なくとも、その型を主として進めるべきではないな。――そうだな、こちらでそれとなく取り計らってやろう」
「そんな、そこまでも。……シュタインさん、僕はまだ」
「頑なになるな――と、十代にも至らない君に言うのは早過ぎるか。まあとりあえずは対応させるから、君はその悔しさをバネに励んでくれたまえ。それが国の為になる」
アヴァロン国の、アレックスの。
それから、
「広くは、――世界の為に、な」
「――――」
そう言われてしまっては、反論など出来る筈もなく。
結局僕は別の教官の下に付き、こうして第一級の騎士団長とまでなった。
◆ ◆ ◆
思い返せば、あの頃から既に。
皇子は世界の外側をも、遠く見据えていたのだろう。
今、この時にも。
皇子は物事の最奥を見据え、真偽を看破し、言い放つ。
「――大概にせよ、魔女どもめが」
屍肉を被った人形遊び。
その言葉を突き付けられ、和装の老爺は目を見開いた。
合わせて、丁度左右の位置取りに立つ二人の鬼狩りもそれぞれの反応を見せる。
鬼将たる鴉魎は僅かに眉を動かし、けれども無表情を張り付けて。感情を悟らせない為になのか、それとも皇子の言葉になにも感じていないのか。未だ底を測り知らせないままに、静粛のままに状況に身を委ねていた。
対して、准鬼将の魁島は。
「……屍、肉だァ?」
眉間にしわを寄せ、歯を見せ、遂に沈黙を破った。双眸を見開き老爺へ振り返る動きは、まさしく動揺を隠せていない。そのような言葉がこの島の主へ突き付けられることなど、想像すらしていなかったように。
恐らくは僕もまた、同じような表情をしているだろう。違和感を覚えなかった訳ではなかったが、そうであっても。
まさか屍肉などと、そんな言葉が使われようとは。
「あらら~。やっぱりこれ以上はダメ、みたいですねぇ」
もう一人、ネネ・クラーナは変わらず……いや、一層に満面の笑みを浮かべる。鬼狩りたちの後ろに隠れていた彼女が、訳知り顔で愉しげにする。
そして再び戻り、――立ち尽くす老爺は。
「――フフ」
背中を丸めた、その男は。
――ニヤリと、頬を吊り上げた。
瞬間。
空気が、変容した。
「ツヅッ――!!?」
ソレは冷たさを帯びていた。
ソレは重く前進へと圧し掛かった。
空間そのものを凍てつかされては、肌に張り付く寒さを振り払うことは出来ない。
空間そのものの重力を増されては、逃れる術など有りはしない。
指先がかじかみ、身体の芯が冷下に落とされ、力を奪われ支えが挫ける。
抗いようもなく、尽くすべく手も与えられない。
どうにもしようが失いままに。
「カ――」
気付けば、僕は左の膝を地に伏せ、その場に跪いていた。
あの鬼将と対峙していた時でさえ、気骨を震わせ気丈に振舞い続けていた筈が、耐えようなどという考えどころか、苦しみの類さえ感じさせられることなく。
まるで突然に、指先の一つで電灯を落とされたかのように。気付けば屈していた。
それも、僕だけではない、
魁島や桃色髪の魔女までもが膝を折り、どころか魔女の少女は両手を床板へ下ろし、半ば蹲ってしまう程に押し潰されている。
平伏を余儀なくされている。
残る半数、三人の例外を除いて。
『おやおや……』
やがて、発せ聞かせられた声は、大凡老爺の喉から発せられたモノではなかった。
その証拠に顔を上げ姿を見やれば、彼は口元に笑みを浮かべたまま、ピクリとも表情を動かすことをしなかった。
ただ立ち呆けた状態で、糸で吊るされ操作を放棄された、人形の様に。
在り続けるだけとなった老体を通し、別の者が声音を発し、この状況へと介入しているッ!?
『鬼将の坊やはさておき、まさか皇子様が立ち残るとは。素直に感服致します』
響く、高く落ち着いた女の声。
喉からではなく、なんらかの方法で直接的に空気を震わせているのか。どこかハウリングする不協和を織り交ぜながら、声の主は話を続けた。
そう、未だに屈することなく立ち続けている。
シュタイン・オヴェイロン様へと。
『この島への単独転移。第一皇子の名の下に休戦へ持ち込み、大番狂わせ。加えて暗躍を暴き、初見間もなく私の正体まで突き止めた。――想像以上です』
「……貴様、気持ちが悪いな」
皇子は君臨を崩さない。
この空間の支配を物ともせず、その声へと言葉を返した。
「ならば我輩も言わせてもらおうか。貴様は想像以下だ。日本国への同時攻撃、その悪辣さ。我々アヴァロン国を敵に回す、愚かな立ち回り。屍肉を操り装う、倫理の欠如。その上、相対した我輩が想像以上などと、貴様の知能不足を媚びた言葉で補うとは」
下も下、予想を遥かに下回る。
貴様にはもはや、『死』以外の結末を用意はしない。
そうまで、断言した。
『これは手厳しい。嫌われてしまったものです。話し合いの余地はなし、ということでしょうか』
「いいや、話は続けて貰うぞ。全てを詳らかにせよ。貴様は自らの立場を弁え、死を覚悟し、全ての暗躍を明かし、速やかに身を引き、自死せよ」
『フフ。それはなんとも、実に私好みの追及です。仲良く手を取り合うことも出来そうではありませんか?』
「くどい。貴様と我輩は、万に一つも交わらぬ」
『残念です』
声は息を吐き、しかしその高い音を落ち込ませはしない。
当然続く言葉も、謝罪や降伏ではない。
『では、改めまして』
彼女は変わらず僕らを押し潰し、――今更に。
老爺の身体から、己を名乗った。
『ヴァルハラ国の魔法使い、レイナ・サミーニエと申します。以後、――死の間際に至る時まで、どうぞお見知りおきを』
と。