第四章【42】「連なり集う時」
開け放たれた、重厚な深緑の大襖の奥。
導かれたそこは、広々とした大部屋だった。
劇場、演芸場と、そんな言葉が浮かぶ。
天井も床も明るい木板が磨き敷かれ、左右の側面もまた、明るい黄土色の砂壁が囲う。幾つか点在する入口と同じ大襖らには、枯れ木や連なる山々、大熊や虎や竜まで、様々に描かれている。
それらをはっきりと見せるように、降り注ぐ灯りは強く、煌々と。先導する二人の鬼狩りの影を、色濃く彼らの後ろへ下ろしていた。それは僕らもまた、例外ではないだろう。
そんな劇場の向こう側に、一人待ち受ける少女。
黒衣を纏い、黒のとんがり帽子を被った彼女は。
「どうもはじめましてぇ! ネネ・クラーナと申しますぅ! 以後、お見知りおきを~♪」
間違いなく、この島に所属する者ではなく。
我々の推測を裏付ける、確証となったのだった。
「……な」
「……フッフッフ。これはこれは、最初から盛り上げてくれる」
不覚にも言葉を失う僕に対して、皇子は笑みをこぼす。
当然ながら、鴉魎と魁島はなんの反応を示すこともしない。彼らは立ち止まった僕らを置いて、少女の方へと歩みを進めた。
そうして彼女の傍らへ、鬼将らこの島のトップたちが、言葉もなく控える。
その意味は、もはや口にするまでもない。
「と、いうわけでぇ、そういうコトなのぉ。お話し合い、しますぅ?」
明るい口調で、小馬鹿にしたように間延びする声で。
少女――ネネ・クラーナは、首を傾げて一歩前に出た。
合わせてふわりと、後ろに隠れていた桃色の長髪がちらりと映る。……なるほど帽子で見えにくくなってはいたが、額に覗く前髪もまた同じく、気付けば目を惹く程に目立つ色合いだ。帽子の影を落とす瞳もまた、この国では異色な、淡い翡翠の色をしている。
その風貌、その様相は、明らかに。
本来であれば、この場所には在る筈のない、異質だ。
「予測はしていたが……」
ようやく呟き、重く息をこぼす。
不可解な力を纏わせる刀剣や、転移封じの結界。恐らくは数週前の、日本国へ対する東地区と図書館への同時攻撃も。
やはり鬼狩りは、世界間を越えた繋がりを持っていた。
それも、予想の中では大凡最悪な相手、サリーユ・アークスフィアの故郷と。
ヴァルハラ国の魔女たちと、とは。
こうなってしまえば、今この対面は愚策も愚策。鬼狩りたちと話を付けるつもりが、その背後に隠れていた魔女まで現れ、立ち会うなど。
「――ッ」
対峙しているだけでも分かる。満面の笑顔で覆い切れていない、この息苦しさを覚える程の緊張と圧力。サリュに届くはないにしても、リリーシャに匹敵している。……鬼将、准鬼将に連なって、そのレベルの魔女までもが揃うとは。
これでは我々には、万に一つすらも……。
『ヴァン』
「……ああ、セーラ」
耳元で囁かれる妖精の声に、頷きを返す。
だとしても、だ。
どれほど絶望的であっても、我が国の皇子を前に屈する訳にもいくまい。
しかし、虚空より聖剣を取り出そうとした、その間際。
「フム。そうだな」
不意に、こちらも控えていたシュタイン皇子が、彼女に応えるように、一歩を踏み出した。
「な――」
なにを、と。
止める言葉も間に合わない。
くすんだ金色の髪をたなびかせ、目元に深い隈の刻まれた、くたびれた横顔で。
けれども口元に、不敵な笑みを浮かべたままに。
「落ち着けヴァン。こちらが強いた休戦、剣を抜けば、全てはご破算よ」
皇子は、それだけを僕へ言い付けた。
それから徒手空拳のままに、奴らの目前へと立ち塞がる。
馬鹿げている。無謀にも程がある。理屈も採算もまるで通らない、一国の皇子にあるまじき愚行。その御身を騎士より前に曝け出し、相対する敵へと差し出すなど。
だが、そんな御託の全てを振り払うかの如き、堂々とした立ち姿は、――まさしく、国の頂に立つに恥じない……。
「では可愛らしいお嬢さんの提案通り、話し合いといこうか。――我輩の前に、全てを詳らかに晒せ」
シュタイン様は、真正面からそう言い付けた。
その言葉に、少女は目を見開き、思わず足を止めた。
もっともすぐに、にへらと頬を緩めるのだが。
「……へぇ~。強気などころか、可愛らしいとかお世辞まで言っちゃうんだぁ? 流石は皇子様、もしかして結構余裕あったりぃ?」
「当然であろう。この程度の修羅場など、飽きる程通って来た。今更引き下がってどうするというのか。退路がないというなら尚のこと、前進は道理であろう?」
「ん~。でもぉ、今度こそ死んじゃうかもとは思わないのぉ?」
「ならばそれまでのこと。我輩がそれまでの男であったというだけの話。――それより殺すというのであれば、些かお喋りが過ぎるのではないか?」
などと、挑発までもを織り交ぜる。
それでも皇子が君臨し続けるのは、紛れもない、そういうことだ。
「……ちぇ~。やりにくいなぁ、殺したいなぁ」
唇を尖らせ、少女が独り言つ。
それにさえも、皇子はクツクツと笑みを返す。
「やれやれ、それまでにしておけよ愛らしい小娘。我輩を生かすというのであれば、礼節を弁え言葉を選べ。でなければ、――死ぬことになるぞ」
「あらら。それはそれは、ご忠告を感謝致しますぅ。年端もいかない小娘の戯言と、どうぞお忘れいただきますようにぃ☆」
「フッ、口の減らぬヤツめ。まあよい。……では話し合いの前に、確認だが」
言って、皇子は両手を左右へ広げた。
尚もその身を広々と晒し、次は少女の後ろへ控えた鬼狩りたちへ問う。
「鬼将、准鬼将――否、鬼狩りたちとまとめるべきか。君らはその所属を日本国とし、我々アヴァロン国との同盟状態の影響下にある。そのような認識で間違いはないかな?」
勿論、先程の准鬼将の発言のように、快く承諾出来ているかはさておき。
事実確認として、そうであるのか、違うのか。
皇子の問いへ、鴉魎は小さく頷いた。
「その認識に誤りはありません。我々鬼狩りは日本国の組織であります故、日本国が同盟を結んだ貴方の国とも、同様の関係が結ばれております。その為、貴方様方はお客様です」
「よかろう。ではこの小娘との、ヴァルハラ国との関係を明らかにせよ」
その問いかけへも、鴉魎は。
一礼し、答えた。
「は。大変申し訳ございませんが、協力関係にあります。同盟国との折り合いが悪いと知りながら、我々鬼狩りは、彼らと手を組んでおります」
「っ」
包み隠すことはしない。この期に及んで、言い訳を挟むようなこともしない。男はありのままに、その事実を言いのけた。
傍らの魁島も、それを否定することはない。桃色髪の魔女もまた、にこりと笑って頷いた。
「その通りぃ。ネネたちはこの島と、対等な協力関係を築いてる。それとも、互いの利益の為に互いを利用し合ってるって、そう言った方がいいかなぁ?」
「口を挟むな。今我輩は、この島の者と話しておる」
「えぇ~。相互確認って大事だと思っただけなのにぃ」
「そんなもの、言葉にする必要もなかろう。それも対等などと、馬鹿馬鹿しいことまでもをヌケヌケと抜かすな。互いに利益を求めているなら尚のこと、どちらかが出し抜いているに決まっておろうが」
加えて、関係性など重要ではない。どちらが利用し利用されていようが、協力関係という体裁が保たれているのであれば、それはつまるところ。
それぞれの狙いが、互いに利として絡み合っているということだ。
そして、
「では聞こうか、鴉魎。鬼将准鬼将両名は、件の鬼との混ざりモノを奪い取る為、藤ヶ丘と呼ばれる街の図書館へ襲撃を行ったな」
「はい、間違いなく。俺と魁島、ここに居る我々が」
「その時には、協力関係であったか、否か?」
「ありました」
詰まることなく、即答する鴉魎へ。
皇子は、その問いを突き付けた。
「ならば貴様らは、あの日の同時攻撃を――図ったな?」
「――ッ」
それで、ようやく。
この身体は再び前のめりに踏み込み、皇子の前へと立ち入った。そうしなければならないと、半ば強制的な形で、ヤツらと皇子を隔てた。
なんと恐れ知らずなのか。その問いかけは、分水嶺を完全に越えてしまう。
にも関わらず、この方は――いや、だからこそ、なのか。
それ程のものであるが故に、シュタイン様は、ここへまで。
「答えよ、鬼狩り。貴様らは自国の危機を見過ごしたばかりか、自ら加わり虐殺までしてみせたのかと、そう問うているのだ」
重ねる、我が国の皇子へ。
対する、鬼狩りの将は――。
「…………ええ」
鴉魎は、ただ、――静かに小さく、顎を引き。
けれど返答を発したのは、突如として割り入った声だった。
「――如何にも。儂ら鬼狩りは、片桐の鬼を奪取する為、必要以上の犠牲を出した」
声の主は、ネネ・クラーナの後ろ、並び立つ鴉魎と魁島の更に後方から。部
屋の奥からゆっくりと歩み寄る、小さな体躯の人影。
現れたのは、一人の老爺だった。
しわがれた声に、白く色落ちた髪や口周りの髭。丸まった背中は年齢によるものなのか、それとも重ね羽織られた着物の所為か。鮮やかな金模様の目立つ黒を基調とした和装は、あまりに分厚く動きをはばかる程にも見られるが、……だが老爺はしっかりと床板を踏み締め、杖などをつくこともなく自立していた。
このタイミング、自分ら鬼狩りという語り。紛れもない、この島の代表。鬼将准鬼将とはまた別種の力を持った、いわゆる権力者。
彼こそは鬼餓島の、鬼狩りの長だ。
――しかし、何故か。
「……?」
なにか、違和感があった。
正体不明のチグハグさが感じられた。
雰囲気。いや、もっと具体的には、身体の運びだ。何故かその動きが、噛み合っていないように見受けられる。
ゆったりと、けれども確かな足取りは、老体でありながら戦士であった頃の辿りを思わせ――否、そうではない。鬼狩りであったにしては、普通過ぎる。ただ当たり前に歩いているようにしか見えない。年齢に見合わず歩けているは、常識の外へ至っては有り得ない。
気付いてしまえば、丸まった体躯も不自然だ。果たして戦いを退き長い時を経ていたとして、それでもそうまで、如何にも老爺に相応した立ち姿に成り果てるのか。
それとも、戦士ではなかったのか?
で、あるならば逆に、どうしてそれ程までに着込みながら飄々と歩くことが出来る?
矛盾とまではいかない。
だがそれもまた、巧妙に取り繕われているような感覚。
「……貴方は」
ああ。
この違和感を信じるのであれば。
彼は老爺ではなく。
老爺を模した、なにかだ。
そして彼の登場に、皇子は――。
「――フッフッ。これはこれは、……なんとも、戯けた」
歯を見せる程に、頬を吊り上げた。
「道化が過ぎるぞ貴様ら。我輩の手前、このような戯れたままごとは早々に取り止めよ」
「……ほう」
老爺は右手で口元へと触れ、重く息をこぼす。
なんのことだと、疑念を呟くのでもなく。
道化やままごとなどと揶揄されたことへも、眉を寄せることすらせず。
鬼狩りの長である筈の男は、感心するように皇子を見据える。
その視線へと、応えるかのように、
「言った筈だぞ、――全てを詳らかに晒せ、と」
笑みをこぼすままに、――シュタイン様は、虚偽を暴いた。
「態度を弁えぬ小娘に遅れて、今度は屍肉を被って人形遊びをする狂い人か? 大概にせよ、魔女どもめが」