第四章【40】「最善のゴールへ」
少々話が脱線も脱線し、不謹慎にも声を上げてしまっていた訳だが。
帰って来た千雪に制され、小屋には静けさが取り戻された。
朝へと向かいながらも、未だ深い夜闇に覆われた森の中。
言葉ばかりとはいえ、約束された安全圏で俺たちは立ち会う。
「それでー? ゆっくり歩いて来た感じは?」
一人は、異世界から訪れた魔法使い。かつては敵対し、街を壊滅させるほどの力を見せた、黒衣の少女。
リリーシャは変わらずフードを後ろへ下ろしたまま、せせら笑いを浮かべる。
答えるのは、純白の着物を纏った銀色髪の少女。
「そうですね。驚く程に静かでした。監視の目も一切なくて、本当に休戦みたいです」
百鬼夜行に所属し隠れ家に務める、混血の半妖。どうやら嘘偽りなく、作られた記憶でもなく、幼少期から見知っていたらしい雪女。
涼山千雪は、それでも楽観視は出来ないと眉を寄せる。
「でも、ここへ隠れていることは見抜かれて当然。休戦が解かれればすぐにでも、鬼狩りたちが押し寄せてくることになる」
それを示唆するかのように、近くにある居住区にも足を運んだが、島民の姿は一切失われていたらしい。恐らくは戦いの余波から逃がす為に、予めどこかへ匿われている。
連中には最初から、この小屋周辺が戦いになると推測されている。
そして、その戦いの狙いこそが。
連続する幾つもの事件の、その終着点を握らされている『標的』こそが。
他でもない、俺という鬼だ。
「一時中断されただけ。……良い方向にも悪い方向にも、なにも動いてないってことか」
呟く俺へ、千雪が頷く。
だけど、『もしかすると』はあるかもしれないと、そう続けて。
「この状況を作り出した、アヴァロン国の皇子様。第一皇子の、シュタイン・オヴェイロン。あの人の狙いや行動によっては、なにかが変わるかもしれない」
「……第一皇子」
突如現れた、豪勢華美な礼服の男。皇子に相応する飾りの数々に身を輝かせながら、なのにどこか陰鬱でくたびれた風貌。
何故この島に、その皇子が現れたのか。
更には俺たちへ休戦を敷いた、その意図は確か――。
「厄介な思惑がある。この戦いそのものが、仕組まれている可能性がある」
それもこの島の枠組みに収まらず、日本国そのものや、或いは彼らのアヴァロン国――異世界にまで影響を与えかねない程の、なんらかの暗躍が。
その可能性を明らかにするまでは、全ての戦闘行為を禁止する。何者かの手のひらの上である現状を、一旦停止させ、状況を見極める。
皇子はそう言って、鴉魎やヴァンを率いてその場を去った。島の主の屋敷へ向かい、今頃は話を詰めているのだろう。
それによっては、この現状が打破されるのかもしれない。
不明瞭な違和感が取り払われ、活路が見出されるのかもしれない。
「問題は山積みだし、そう簡単にはいかないだろうけど。でも、悲観するばかりでもないと思うよ。私たちでなんとか、ゆーくんを――」
続ける千雪は、胸元へ上げた両手をぎゅっと握り締めて、そう言って。
だが、その考えを。
「いやいや、状況は良くならないよ。むしろ、もっと悲観した方がいいくらい」
リリーシャが遮り、――どころか。
彼女は重ねて、驚くことを言ってのけた。
「――だってこの件って絶対、レイナ先生の策略だもん」
「……は?」
「レイナ先生。さっきあたしがチラッと言った、あたしやサリーユの魔法の先生。あの人が間違いなく関わってるし、――というか多分、根幹だと思うんだけど」
それは、どういう?
その人の策略、根幹って、……言葉通りの意味なら、コイツには事の裏側が見えているって、そういうことなのか?
思わず言葉を失えば、リリーシャは続けた。
「普通に考えれば想像出来るでしょ。鬼狩り連中が使う刀に、あたしたちの魔法式が使われていた。それに今この島を覆っている『転移封じ』の式も、あたしたちの法則に則って作られている。間違いなく、あたしたち魔法使いが関わってるワケ」
魔法使い――つまりは、ヴァルハラ国と呼ばれる彼女らの国が。
そしてその関与があるのなら、十中八九、その指揮を執っているのは『レイナ先生』に違いないだろう。リリーシャはそう断言した。
「魔法使い、レイナ・サミーニエ」
サリュやリリーシャの師匠にして、今現在に至っては、国を支配し取り仕切っている最高権力者だと。
実質的な、彼女らの国のトップだと。
「あたしたちのこと魔女って呼ぶ人も居るみたいだけど、それならあの人こそ、その魔女って呼び名に相応しいよ。それもとびっきりの悪い魔女」
「……魔女」
「ほんとに怖い人よー。自国をサポートするって名目で王様に取り入って、戦争を誘発させて、近隣諸国を軒並み制圧して。それで完全勝利の暁には、その王様の首を取って自分がトップに成り代わったんだから。理性的に狂気的って、こういうのだよね」
「……お、おう」
予想以上におっかなかった。
とんでもなさすぎるだろ。
「よくそんな人のところに居たな」
「ほんと。でもぱっと見は美人で温厚な人なんだよー」
物腰も柔らかく、落ち着きを持った大人びた女性。深く関わりを持つことがなければ、大抵の人が「良い人だ」と騙されるだろう。それこそ国を支配した今であっても尚、潔白だと思っている人も少なくない筈だ。
それ程までに、上手に繕われている。
それ程だから、自国を掌握してみせた。
それがレイナ・サミーニエという魔女だと、リリーシャは吐き捨てた。
「ったく。底が見えない怖さがあったり、時折凄く冷めた目をしてたり、油断がならない相手だーとは思ってたけど、……まさかここまでとはね。手を広げるにも程がある。異世界侵略とか、先生ながらブッ飛んでるわ」
「侵略、って」
馬鹿げた単語だが、笑えない。
思い出される。他でもない、リリーシャと戦ったあの夜を、後に記事に扱った情勢通達。姉貴に頼まれ取りに行かされた、あの『異世界新聞』に、そのことが書かれていた。
リリーシャの攻撃は、ヴァルハラ国からの侵攻であり。
世界を跨ぐ戦争に繋がる可能性が、十分に有り得る、と。
「……冗談じゃねぇぞ」
それがここにきて、はっきり形を帯びて来たってのかよ。
しかも今まさにこの状況が、ソレの渦中だって、そんな話があるのかよ。
「……お前は、知らなかったのか? その一環で街を襲ったんじゃ、なかったのか?」
「そうね。少なくとも、あたしがあの国を発ってサリーユを殺しに来た時には、そんな話は聞かされなかった。ただ単純に、逃がしたあの子を追いかけろって言われただけ。ただあの子を殺しに来ただけよ」
けれど思えば、それが全ての引き金だったのか。
リリーシャが話す。
そのサリュの転移をきっかけに、彼女たちは異世界という存在を捕捉し、異世界転移の法則へと辿り着いてしまった。同じ頃に国を支配した傍から、更にその外側が在ると知ってしまった。
皮切りが、リリーシャによるサリュの追跡に始まっただけ。それから開かれた道をより深く理解することで、異世界にすらも手を伸ばすという考えに至っても、なんら不思議ではない。
「……いいえ。あの人の野心なら、それを即行動に移して当然って、納得出来る」
ともなれば事態は、これからより苛烈になっていくだろう、と。
あの人が関わっているなら、もうただでは終わらないと、そう言い切った。
「別段異国の皇子様やらが出てきて暗躍がバレたところで、あの人は気にしない。……むしろバレたのを機に大手を振って、最悪、先生本人が舞台に躍り出て来るかもしれない。そうなったら、それこそお終いね」
「聞くまでもないんだろうが、そいつもヤベェのか」
「ヤバいもヤバいに決まってる。残念だけど、あたしじゃまるで歯が立たない」
そりゃあそうだ。なんたって二人を教えた魔法の師。半端な実力者では、務まる筈がない。リリーシャでは到底敵いはしない。
――けれど、サリュなら別だと、彼女は眉を寄せて言った。
「クッソ癪だけど、先生とやり合えるのはサリーユだけ。だからもし先生本人がご登場ってなったら、それこそ脇目も振らずに島の結界をぶち壊して、あの子を呼ぶことね」
それが、唯一の解決策となる。
つまり俺たちの目的は、結局のところ、そこになるわけだ。
応援を呼ぶ、または自分たちでこの島から脱出する為に。
転移封じの結界を、破壊する。
「そう、ね。それが出来れば、先生の企みがなんであろうと、関係ない。――もっともそれが出来ないように色々と細工を張り巡らせているから、成す術もなく国が堕ちるワケだけど」
それでも、どうしようもない打つ手がないと立ち止まるのは愚策だ。楽観視は出来ないと釘を刺しただけで、諦めろと言っている訳ではない。
状況は決して良くならない。だから悲観して好転するよう、こちらも策を巡らせろ。
それがリリーシャの言い分だった。
「一応さっきあの場所で、あたしの腕を斬り落としたあのクソ騎士の『妖精』から耳打ちされたわ。話し合いが怪しくなったり決裂したら、派手な合図で伝えるつもりだ、ってね」
「……そういうことは早く言えよ」
「今のタイミングで問題ないでしょ。これから本題に入るんだからさ」
言って、俺たちは見合う。
この場に立ち合わせた俺たち三人と、それから向こうにいる聖騎士と妖精。皇子は恐らく味方に違いないが、光明となるかは分からない。
結界に覆われ逃げることの許されない敵地。鴉魎ら鬼狩りだけでなく、一国を掌握したサリュたちの師さえもが、ほぼ間違いなく関与している。
極めて最悪な状況の中、――それでも、と。
俺たちは誰一人として、全てを諦めることはなかった。
「今更あの人の下に戻るのはご免よ。倒すなんて馬鹿な考えはやめてよね。あたしは自分の利益の為に、あなたを連れてとっとと逃げ帰るわ」
「私もそれに賛成です。逃げる為、応援を招く為の道を確保する。そこに注力しましょう」
「――ああ。ここを抜け出す、それが今の一番だ。他は全部、その後だ」
自分のことも、この島や鬼狩りのことも、リリーシャやその師匠のことも。
全ては今、ここで決することじゃない。とてもではないが、この場でなにかを掴み取ることは出来ない。だからここを脱して、それからだ。
生きて次を、希望を――。
だから薄ら寒いこの恐怖は、停滞する観念は、呑み込め。
「そうと決まれば、じゃあ改めてどうするかだけど」
そのまま千雪が、そう話を切り出し。
しかし、一瞬押し黙り、それから。
「――その前に、一つだけ」
そう、断って。
じっと、俺を見据えて言った。
大きな瞳で真っ直ぐに、佇む俺を捉えたままに。
微かに首を傾げて、懸命なような明かるげな表情を浮かべて。
「ゆーくんは、私のこと思い出した?」
と。
「……」
思い出すもなにも……などとは、言わない。
その問いの意味が、今ならはっきりと理解出来る。
だから、答えは――。
「――ンなもん、思い出したに決まってンだろ、チビ雪」
あの日のことだけでなく、それ以前から。
暗闇の奥に閉じ込められていた時から、お前は、居てくれたんだな。