第四章【39】「与太話」
「実際、サリーユとはどれくらい進んだワケ?」
この先、死地へと向かおうかという状況下で。
リリーシャは歯を見せ愉しげに、そんな話題を振ってきやがった。
「公言してる仲なんでしょ? 軽くつまんだ情報的には、仲良しこよしってくらいしかなくてさー。聞くのも不愉快だけど、聞かないのも勿体ないじゃん。ねぇ?」
ニヤニヤと、表情を綻ばせる。
これは、からかわれているのだろうか? ――いや、からかわれているのだろう。散々言い合ったり殺し合いにまで発展しておきながら、しかし恋路に関しては気掛かりだし、問い質して楽しんでやろうと。
思わず、大きく肩を落としてしまう。
が、そうして一息吐けば、これに関しては納得だ。リリーシャも女の子。サリュと同い年であれば十九で、そうでなくとも十代中盤から後半だろう。見た目も幼く十代に相応だから、なるほど違和感がない。
他人の恋路。気になるのも当然、遊びたくなるのも当たり前か。
「…………」
ただ、問題が一つ。
大変申し訳ないのだが、この話題には広がりがない。
千雪や百鬼夜行の連中にも散々言われ呆れられていることだが、なにしろ俺とサリュは、なにも進んでいない。
いわゆる恋人らしいことを、なにもしていないのだから。
「ねえねえ、どうなの? 死ぬか生きるかなんだし、隠し事なしでぶっちゃけなよ」
「……いや、その」
「ま・さ・か、二カ月三カ月くらいあって、なにもしてないってことはないでしょ? 色々事件はあったみたいだけど、その分距離が近付いたりして、燃え上がったりしてるんでしょ?」
「…………あー」
居た堪れなくなって、目を逸らしてしまう。
しかし、それこそが応えだ。
リリーシャは、え、と息をこぼし。
「嘘でしょ? あなたまだ童貞なの? 童貞のまま死ぬの?」
「その言い方はどうだよ!?」
予想よりも遥かにエグイ言葉で、俺の心をぶっ刺して来やがった。
よりにもよってそう言うかよ!?
「信じられない、信じられない! あの胸よ? あの憎々しい性の暴力みたいな肉の塊よ? それを前に、正気でいられたっていうの!?」
「……いや情けないが、正気を見失う時もなくはなかったぞ」
「でも手は出さなかったんでしょう!?」
「いやそれも、一切出してないって訳でも……」
「その言い方、どうせハプニングとか不可抗力程度に決まってる! 自分の確固たる意志を持って狼になったことはないのかって、そういう話なんだけど!」
「それは、…………ない、が」
「有り得ない有り得ない有り得ない! 鬼の血の暴走がどうとか以前に、あの子を前に理性を保ち続けたの!? あなた我が強いの弱いの、どっちなの!? それとも弱いからこそ我を通せない臆病者なの!?」
散々な言い分だ。
そこまで言われれば、流石に言い返させて貰いたい。
「言っとくけどな、俺とサリュは別に、……おかしい話なんだろうが、恋仲って訳じゃねぇんだよ」
「だからなに? それって形式的な話でしょ? あの子があなたをフィアンセと言って、あなたも悪く思わず受け入れている。こんなの恋仲に等しいでしょ! っていうか、恋仲になるべきでしょ!」
「それはお前、恋人未満ってヤツでだなあ」
「だとしても、自他共に認められた婚約関係で! お互い満更でもない距離感で! 『でも正式にはお付き合いしてないから』なんてふざけた言い訳で! 全部我慢出来るのはどう考えたっておかしいでしょ!?」
だったら同じように、理屈をつけて鬼の狂化も抑えてよ!
性本能と同じように、血の本能も抑えてみせてよ!
なんて具合に、実に返し辛い指摘まで叩き付けられてしまった。
いや俺だって上手くいくならそうしたいけど、そっちは全然別の話なんだよ! 悔しいけどどうにもならないんだよ!
「馬鹿も馬鹿、大馬鹿過ぎる! あんな調子のいい子、雰囲気作って丸め込んだらやりたい放題だったのに! 思うがままに出来たのに!」
「そういう言い方をするんじゃねぇ!」
「そうしたら童貞のまま、悲しくさめざめと死ぬこともなかったのに!」
「いやいやまだ死ぬつもりもねぇからな! 勝手に童貞で終わらせるなよ!」
「ったく、あの子もあの子だわ。こんなお年頃の年下を侍らせることも出来ないなんて。……あの子に限ってお預けなんて器用も出来ないだろうし」
どちらも奥手で臆病者。面白くもないし、どころか呆れて腹まで立ってきた。
リリーシャはそうまで言って、再度大きく息を吐いた。
「……言ってくれやがって」
こちとら、めちゃくちゃぶっ刺されてるんだが。やっぱりコイツは敵だろ敵。
てかコイツ、認められた婚約関係とか満更でもないとか、その辺りの情報まで聞いてるのかよ。どこのお喋りと繋がってやがったんだ畜生。
「ていうかあの夜も気になってたんだけどさ、あの子のどこがいいワケ?」
げんなりと眉を寄せたままに、気だるげに続ける。
正直別の話題に切り替わるものだと思っていたのだが、どうにもこの辺りのことが気掛かりみたいだ。
しかしまた、「どこがいい」と来たか。
「……どこ、ねえ」
「なによその反応。まさか思い当たらないとか、めちゃくちゃ愉快に悲しい展開?」
「そういう訳じゃねぇよ。全然愉快でもねぇし」
言い詰まったのは単純に、思えばソレについて尋ねられたことがなかったからだ。
今のリリーシャみたいにどこまで進んだのかとか、その進捗について叱責されたりからかわれたりすることは多くあったが、――どこがいい、か。普通にメジャーな質問だと思うが、なんで聞かれなかったんだろうな。
まあ、メジャー過ぎる故に、か。
「改めて言われると難しいな」
「ッハ、なによソレ」
「そうだな。――まあ顔はいいよな。お前の言った通り、身体も凄ぇいい」
「……見た目が悪くないってのは同感だけど、ちょっと子どもっぽ過ぎない? あなたやっぱりロリコンなの? もしかしてあたしも危なかったりするの?」
「それもよく言われるが、……その気はないつもりだぞ」
あと、お前に手を出すとか、そういうことは有り得ねぇよ。……いやまあサリュと同様に可愛らしく、優れた容姿をしているとは思うが。
思う、が。
「…………」
「なによその目は。胸がないって言いたいワケ? あたしじゃそそらないって、そういう話? 殺すよ?」
「なにも言ってねぇだろうが」
「目が言ってるから。――まーあの子の男に色目使われても気持ち悪いけどさ。略奪愛とかは趣味じゃないし」
むしろ同じ対象にされると虫唾が走るくらいだ。あの子のことが好きな人間からは、すべからく嫌われていたい。
リリーシャはそう吐き捨て、話を戻した。
「それで? 見た目が好みなワケ? っても内面の話になると、あたしはめちゃくちゃ否定しにかかるけど」
「オイ」
だったらなんでそんな話を振ってきやがったんだよ。
「んー。でもそうなってくると、ますますあなたたちの関係って中途半端だね。手を出していないどころか恋仲でもなくて、それ以前にまさかの、恋心にも満たない感じなんじゃない?」
「……うるせー」
「それとももしかして、そんなフワフワした関係で好みの女の子を傍に置けるのが楽しい感じ? 役得だーって堪能してる? まあ納得出来なくはないけど、それは普通にキモいかなあ」
「んなつもりねぇよ。あるわけねぇだろ」
「そーだよねぇ。……いやあ参ったことに、話しててもそういう打算的な感じがしないんだよねぇ。正真正銘のピュアボーイって、笑っちゃうんだけど」
心底馬鹿にした様子で、鼻で笑い。
それから、
「いやほんとに、なんで偽装のあたしたちの方が進んでるんだって話よ」
不意に、リリーシャはそんなことを言ってのけた。
「まー仕方がなかったとはいえ、最悪も最悪よね。っても無事婚約関係も破棄したワケだし、別にいいんだけどさ。むしろ速攻で忘れたい、引きずりたくない」
「偽装、婚約関係」
「なに? 知らなかったの? あんなにデカデカと病室にまで、片桐リリーシャとか書いてあったのに。あなたがサリーユと一緒に部屋に来たの、知ってるよ」
というか、あの時も起きていた。眠りを装って、落ち込むサリュを見て腹の底では笑っていたらしい。
驚きの話だが、今はいい。それに偽装婚約の件も知っていた。あの姉なので本気の本気かと疑っていたが、やはり裏があっての策略だった訳だ。
今はそれらよりも、――進んでるって、それは。
そして、リリーシャは。
「ったく。なんであたしらがキスまでしてるのに、あなたたち正式な婚約関係が手も繋いでないのよ。ほとほと呆れるわ」
そんなことを、言ってのけやがった。
「――いや、待て」
いやいや待て待て。
なんだって?
「姉貴とキス? お前が?」
「今更なに言ってんのよ。あの夜したでしょ」
「あの夜!?」
「いやいやなにビックリして――……あー、しまった。あの時、あなた気を失ってたか」
「どういうこと!?」
待ってくれ! マジで意味が分からないんだが! 本気で混乱して思考がまとまらなくなるんだが!
姉貴とコイツが、――え?
なに、どういうこと?
「俺が気を失ったタイミングで、その夜に、キス? いや、キスだけなのか? そう言っているだけで、もっと凄いなにかが!?」
「おいこら、ちょっと」
「じゃあ偽装結婚ってどういう、……待て、結婚が偽装だったってだけで、関係性や心の繋がりって部分はなにも明白になってないのか? 姉貴もウェディングドレスとかでウキウキだったし、名字も変えてたし!?」
「待ちなさい」
「そもそも関係や心だけじゃなくて、キスってことはお前、身体の繋がりがッツツツ!?」
「待ちなさいって言ってるでしょーがぁ!」
などと、暫し声を上げて盛り上がってしまい、遂にはリリーシャが腰を上げ、俺も合わせて立ち上がったりしたのだが。
向かい合い言い合う、俺たちへと。
不意にガラガラと、古びた扉を開ける音が割り入り。
「……流石に騒ぎ過ぎ。不謹慎過ぎ」
と、右手で頭を抑えて眉を寄せて、帰還した千雪が大きく息をこぼすのだった。