表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
relate -異世界特区日本-  作者: アラキ雄一
第零章「感情の想起」
149/263

第零章【10】「前日譚Ⅹ ~エピローグ~」



 私がその場へ辿り着いた時、森は、静寂に満ちてしまっていて。

 全ては、取り返しのつかない形で、終わってしまっていた。


 狂乱した大鬼が暴れ回った、荒れ果てた空間。

 そこにただ一人立つのは、私たち鬼狩りの将である鴉魎。その傍には、仰向けに倒れた幼い子どもが――私の弟が、胸を大きく上下させて呼吸を繰り返して。


 それから、彼が。

 身体を削られ左腕の欠けた彼が、血まみれで、膝を付きピクリとも動かない状態で。


「あ……」


 鬼将が立ち残り、けれども横たわる鬼が生きている。そんなのは有り得ない。それは鬼を狩るべくして放たれた鴉魎に、矛盾してしまう。鴉魎は弟を狩り取る為に、鞘入りの刃を携えていた筈だ。

 じゃあ、この結末はどういう?


 そんなの、決まっている。

 彼が、――ユウマが。


「――遅かったサね」


 そう、呟いて。

 九尾の狐、九里七尾も今更に、木々の奥からこの場所へと姿を現した。

 別れた時のままに右腕を失って、もう片方の左手には、目を閉じてぐったりとした千雪を抱きかかえている。意識はないようだけれど、見た限りでは命に別状はなくて。


 それからあの人は、もう一人、後ろに同行者を連れていた。

 黒い和服に着飾った、髪の長い幼い少女を。


「フム。どうやら事態は、一旦落ち着いたようじゃな」


 彼女は、立ち呆ける私や九里七尾に構わず、言葉をこぼしながら歩みを進める。

 進行方向は真っ直ぐに、倒れた弟だ。


「方々で暴れておった未熟な鬼狩りたちも、意識を落として鎮静化されておるようじゃ。一件落着、といきたいところじゃが」


 その歩みを、カチリ、と。

 鴉魎が静かに鞘を鳴らし、微笑みを浮かべ牽制する。


 けれども少女は足を止めることなく、更に一歩を、二歩を踏み入った。

 やめておけ――と、そう言って。


「残念じゃが、お主では妾は止められぬ。妾一人であるならばいざ知らず、女狐めをも敵には回せぬじゃろう? 妾の見立てじゃが、今のお主では身を捨てようとも、女狐を殺すには至れぬ」


「忠告、感謝致します。では――今より先に至れば、届く道理では?」


「……馬鹿げたことを言うでない。それに妾は別段、危害を加えるつもりなどない」


「では穏便に」


 鴉魎は、静かに刀から手を離す。

 すればすぐさまに、少女はゆっくりと、右手を弟へとかざした。


 そしてそれぞれの指先から、細い糸をゆらりと放つ。

 言葉の通り、危害を加えることもなく。それらの糸はただ弟の身体へ触れ、彼女らを繋ぐばかりだった。


 私にはそれがなんなのか、まるで分かりはしなかったけれど。

 やがて少女は、なるほどと、そうこぼした。


「暴走は完全に収まっておるな。どうやら自発的なモノではないようじゃが」


「でしょうね。止めたのは、彼だ」


「うむ。……しかしコレは、止めたというよりは、結果的に止まった形じゃのう」


「と、言いますと?」


 尋ねる鴉魎へ、少女は答える。


 コレの本質は――作り替えだ。

 この鬼は、精神性を別のモノへと変容させられている。


「なんとも珍妙、そして強引な術じゃ。こやつの内側に、別の要素が上書きされておる。それも元あったモノを消去する訳でもない、重ね合わせのグチャグチャじゃ」


 見るに堪えない下手くそ。百点満点で採点すれば、精々十点前後。赤点も赤点、酷過ぎる有様だと、そうまで言った。

 それはまるで、質の悪い悪霊にでも取り憑かれ、精神を乱されているような。特定の声を延々と囁かれ続け、思考を侵される様な。


「その癖、相当根深いところまで侵食しておる。術の力に反して効力が半端というか、……いや、そもそもコレは、他人をどうこうする用途では使われていなかったか」


「――それで、結局のところ、どうなっているサね」


 ようやく言葉をこぼした九里七尾は、千雪を抱えたまま少女へと踏み出し。

 けれどそれをも、彼女は静かに空いた左手を上げて制する。これは自分の専門分野だ、立ち入りは不要だと。

 その上で、少女は九里七尾へも答えた。


「有り体に言えば、現状この鬼は、この男の精神に侵されておる」


 と。


「精神、に。……どういうことサ」


「一種の洗脳と思えばよい。あらゆる物事へ対して、どのように考え、どのように感じ、どのように思うのか。そういった思考の方向性を誘導されておるのじゃ」


 更に、その植え付けられた方向性は、鬼とはまるで相反するものばかり。


 自分は人間である。

 人を喰らってはならない。

 命を粗末にしてはならない。

 狂乱に陥ってはならない。

 他者を、繋がりを大切にし、生き続けろ。


「高慢にも、真っ当な人間にでもするつもりだったのか。……死の間際にわざわざ力の限りを尽くして、さぞかし大層身勝手な正義感や、使命感に急かされていたのだろうな」


 もっとも、それで満足して逝ったのであれば、なにも言うことはないが。

 言って、少女は続ける。


「じゃが死に際であった故か、慣れていなかったからか。結果、術は大きく失敗し、この子鬼めはどうしようもない矛盾を背負わされてしまった」


 人の肉に飢えながら、人の肉を拒絶させられ。

 命を欲し牙を剥きながら、けれども奪うことを嫌悪させられる。

 揺るぎようなく残虐な妖怪でありながら、心優しい人間として生きることを強要される。


 こんなモノ、噛み合う筈がない。

 恐らくは、まともな理性を持ったまま生きることは不可能だろう。苦悩し続け、いつか全てが瓦解し、暴れ狂う鬼へと回帰するだろう。


 当然、そんな不安定な存在を解き放つことなんて、出来る筈もない。

 鬼は本来味わうことのなかった、ありとあらゆる悲愴に晒されながら、それでも暴走していないからと、長く生きることだけを許されるのだろう。


「……あ」


 私は、それが嫌だったから。

 そこから解放してあげたかったから、事を起こしたのに。


 ユウマは、それを――。


「しかしまあ、それはあくまで」


 あくまで、今のままなら、だが。

 遅れて、少女はそう付け加えた。




 方法がない訳ではない。

 ――妾であれば、手段がある、と。




「妾であれば、この鬼子を救えよう。死に逝ったこの男にも、手向けを送れよう」


 少女はニヤリと、口元を緩め。

 鴉魎や九里七尾や、私を見渡して、言った。


「今のままではチグハグじゃ。しかし妾がそれを整えれば、いい塩梅にすることが出来る。――どころか、人間性を強めることも出来るであろう」


 植え付けられた人としての精神性を、上手く貼り合わせ、馴染ませることが出来る。不完全で不出来なモノを、完成へと導くことが出来る。


 他でもない、大妖怪、女郎蜘蛛の自身であれば。


 また、逆も然り。

 貼り付けられた人間性を引き剥がし、純粋な鬼へと戻すことさえも。


「もっとも妾に手を出せるのは、精神性のみ。人間としての内側を確立させたところで、正体そのものはなにも変わらぬ。半妖でありながら、鬼の血を持ち過ぎる失敗作、であったか? 結局はその通りじゃ」


 この夜のように、なにかの弾みで暴走する危険性は変わらず付き纏う。そういった「もしも」を考えるのであれば、余計な手を下す必要なんてない。

 たった今、ここで殺しておくのが一番。


「どの道、妾が手を尽くしたところで、人間らしい飾り付け。感情を弄り過去を作り替え、あたかも人間らしさの強い精神に模るだけ。なにも変えられはしないのじゃ」


 けれど、もし。

 長きに渡り、ソレを保ち続けることが出来たなら。やがて真にソレを受け入れることが出来、或いは学ぶことが出来たなら。

 生き行く中で変化し、定着することが叶ったなら、その時は……。


「故に、問おう鬼将よ」


 少女は、鴉魎へ。

 私たち鬼狩りの頂点に立つ、その剣士へと問い質す。


「果たしてこの鬼、お主はどう扱うべきと考える?」


 成れの果ての後に、成り損ないとなり倒れた、この小さな子どもを。

 どうするべきであると、判断を下すのか。


「――そう、ですね」


 鴉魎は静かに俯いて、右手を口元へと寄せ。

 いつものように、ニコリと、気味の悪い屈託のない笑顔を浮かべた。




 そうして返したのは――どうにもしません、という。

 なに一つとして取り合わない、全てを放り投げた回答だった。




「手出しをしません。考えることもしません。お手上げです」


 鴉魎が命令されたのは、暴走した鬼の処分。鎮静化された鬼をどう扱うかなどは、一切の指示を受けてはいない。到底迂闊に、自身で判断を下せる領域の問題でもない。


「そういったグレーゾーンに手を出して、後から色々と押し付けられるのも御免です。ですので、口添えはお断りさせていただきます」


「なんと、責任感のないヤツめ」


「滅相もない。その責任を背負わないようにしているのです」


「では意気地なし、とでも言うべきかのう」


「なんとでも。俺はあくまで末端の兵隊、標的を狩る刃に過ぎません。……なにより、こんな幼気な俺に、この子や島の命運を背負わせるような、そんな大問題を預けないで下さい」


「ハッ、ぬけぬけと言いおる。しかしまあ、もっともでもあるか」


「それに、ですね」


 重ねて、それから鴉魎は。

 静かに視線を、膝を付き朽ちた彼へと向けて。




「――お願いを、されましたので」




 そんなことを言うのだった。


「立場上、任務や命令を与えられることは――行動を強要されることは当然ですが」


 頼むと、お願いだと、そんな風に縋られたのは初めてのことだった。

 鴉魎は言って、優しく口元を緩める。


 果たして、それがどういうものだったのか。

 私たちにはもう、知りようのないことだけれど。


 この場で鬼将が鬼の首を絶つことは、大凡有り得ないと宣言された。


「ふむ。では、次じゃな」


 続けざまに、女郎蜘蛛と正体を明かした少女は、同じく大妖怪の九尾の狐へ向く。

 お主はどうする、どう考える、と。


「言っておくが女狐よ。先程ヤツめに偉そうな口を叩いたが、妾は此度の責任を、一切背負う気がない。妾はあくまで方法があることを提示し、それが妾には出来ると言ったまでじゃ」


「……言ってくれるサ」


 九里七尾は息を吐き、肩を落とす。

 それからもう一度、しっかりと少女へ向き直り、言葉を返した。


「いいサね。――片桐の弟を生かせと、状態を安定させろと、このアタシが命令する。合わせてその鬼の所属を百鬼夜行とし、アタシの下で預かることも約束するサ」


 結局この後、どう転ぶかは分からない。島との協議の結果、最後には始末することになるかもしれない。そうでなくとも、再度何処かへ幽閉されることになるかもしれない。上手く行ったところで、果たしてどれだけの条件を背負わされるか。


 それでも、九里七尾は宣言した。


「二言はないサね。アタシは生きようとするこの子の味方をすると言った。この先それを後悔しようとも、心変わりし殺す側に回ることがあっても――この島で、この条件下で、アタシはあの子を見捨てることはしないサね」


「当然、妾への貸しにもなるが?」


「上等サね。所属は違えど、同じ街を根倉にする日陰者同士。世話にもなれば、逆に世話を焼いてやるサ。なんでも言いな。――だから!」


 だから中途半端は許さない。

 誠心誠意を以って、最大値の成果を叩き付けて、貸しを取り立てに来い。


「それでこそ、アンタにも最高の有益になるサね」


「はっ、誠に道理じゃな。妾とて気ごころを許せる相手ではないが、それ故に信用を失墜されては面倒極まる。――よかろう。妾が自ら提案した故、鬼子には最大値の成果を約束し、責任を負わせてもらおう」


 九里七尾が頷き、少女もまた承諾する。

 この瞬間に、あの子の不安定な状態は、恐らく取り除かれるであろうことが約束された。それは恐らく彼女の言葉通り、最大の成果へと辿り着くだろう。

 その上責任の所在や、新たに生きる道が開かれたなら、所属し預かる組織までもが。私には及びようのない話が、着々と積み立てられていく。




 ああ、本当に。

 私には、なに一つとして辿り着けなかった、選ぶことすら出来なかった事柄たちが。




「……私、は」


 私では、あの子を殺してあげることすら。

 いいえ、それすらも、達成することは出来なくて。




 けれどそんな私にも、少女は問うた。

 最後は私だと、この身を視線で射抜いた。




「無力を恥じるか? 無能を嘆くか?」


「っ……」


「まあそれは真っ当に、至極当然であるが。……それらに囚われるは愚鈍が過ぎる。これ以上の無様を晒したくなければ、状況へ追い縋れ」


 少女は並べる。




 無力であっても立ち止まるな。

 得難い希望が提示されたなら、どれだけ険しくとも、どれだけ倒れようとも、決死で這ってでも進め。


 無能であっても考えをやめるな。

 望まぬとも配られた手札を、予想の埒外で展開されていく状況を、常に思考し最善を選び続けろ。




 既に過去となった『諦め』に、囚われるな。

 『諦め』に冷え閉ざした魂に、再び炎を灯せ。


「問おう。――お主は鬼子の為に、妾たちと手を取るか、否か?」


 提示された、その道行に。


「――――――――」


 私は。




 私は――――。









 そうして過去の私は、九里七尾と東雲八代子の手を取って。

 今一度、弟の命運を分かつこの瞬間に、立ち会わされることになった。




 一人、光の落ちた隠れ家で呟く。


「……裕馬」


 あの日、弟を助けてくれた彼から取った。

 漢字は当て字だが、確か東雲八代子が付けたのだったか。


 裕福な馬で、裕馬。

 望まぬともあらゆる人たちの手を借りて生き、同じようにこれからも育てられていく。ある種の皮肉を込めながら、けれども決して後ろ暗さの暗示ではない、強い名前。


「……どうするべきなんだろうね」


 或いは、どうするべきだったのか。

 今この時になって、戦う覚悟と同時に、あの時の『冷たい諦め』すら湧き出でてしまう。今度こそ清算するべきではないのか、終わらせてあげるべきではないのか、……なんて。

 結局、そんな迷いがあるから付け入られた。対策しているつもりで、あんなにも堂々と真正面から全てをご破算にされた。図書館を散々にされて、成す術もなく裕馬を奪われて、まんまと私は生き延びて。


「まったく」




 どう動けばいい?

 今、私に提示されているものはなんだろう?


 なにを考えればいい?

 今、この手にある手札と状況はどうなっている?




 この後、手筈通りに進んだなら。

 私はサリュと対面して、裕馬の全てを話すことになる。


「……サリュ」


 森の裏手の墓にいるらしく、七尾さんがそれを呼びに行ってくれた。間もなく私も神守黒音へ連絡し、例の件についても伝えるつもりだ。そうなれば十中八九、サリュは隠れ家へと来てくれるだろう。




 それで、全てを話したなら。

 サリュは私に、裕馬に力を貸してくれるだろうか?


 そうなったなら、サリュの力が得られたなら。

 私はどうすれば、裕馬を助けてあげることが出来るだろうか?




 それとも、やっぱり私は、裕馬を。


「……諦める、べき、なのか」


 裕馬個人の問題。

 鬼餓島との対立や、立ち塞がる鬼狩り組織。

 だけでなく、あの日街を襲った連中の、更に後ろに隠れた正体不明の敵。


 この状況下で私は、なにを選ぶべきなんだろうか。


「――――いや」


 その選択は、最後でいいのかもしれない。

 今は状況を把握して、考えて、事態に当たる。それでいいのかもしれない。




 少なくとも、サリュと話してみないことには――私の道は開かれず、自ら閉ざすことも出来ないのだから。





読了ありがとうございました!

これにて第零章は終了となります!


次話より舞台は現在へ戻り、第四章後編を開始します!


休戦の後、果たして裕馬たちを待ち受けるモノはなんなのか。

そして過去を知ったサリュたちは、これからどう道を選ぶのか。


いよいよ本編も、佳境の章へと入ります!

どうぞお楽しみ下さい!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ