第零章【09】「前日譚Ⅸ」
その力に気付かせてくれたのも、あの人だった。
「君が自分の落ち着かせる時、奮い立たせる時、なにかの力を使っているのね」
魔法使いの彼女が、教えてくれた。
死の間際、建物に潰された俺を助けられたのは、その力を感知することが出来たからだと。以降も短い時間を一緒にしながら、何度かソレが感じられたと。
「魔法とは別だから、詳細までは分からないけれど。外には一切の干渉をしないで、君自身の身体の中だけに、なにかの力が働いてる」
それは、俺には完全に無自覚のモノで。
彼女はその力を、代わりに紐解いてくれた。
俺に備わっているのは――自身の内側を自在に操ることの出来る力。
意識的に、自意識へ対して命令を下せること。
例えば、恐怖や動揺で思考がまとまらなくなっても。死に瀕する程の一撃によって、どうしようもない絶望に追いやられても。
――落ち着け、と。
ただ一言、自分自身へそう命じるだけで、この身は落ち着きを取り戻す。
身体の震えも、立ち止まり地に根を張る足も、なにもかもを投げ出す諦めの感情さえも。――どころか、なにが好きでなにが嫌いで、なにを大切にしてなにを手放すかさえも。
俺は俺という存在を、奥底から完全に作り替えることが出来た。
それが、たった一つの。
地味で貧弱な、俺だけの異能力だった。
だが、こんなでも立派な能力。
なんの役にも立たない訳ではないし、案外便利だったりもして。
だけど、まさか。
この力が、冗談みたいな『常識外れ』を引き起こすことまで、出来るなんてな。
薄闇の中、散り散りに差し込む月の光たち。
当たり前に見ればきっと僅かな、ほんの一筋の漏れた光が線になって、重なり合っているだけなんだろう。
だけど、この歪んでブレた視界には――眩い光の柱たちが、幾つも下ろされているように映って。
俺はその光たちへと、ゆっくりと右の手のひらをかざした。
明かりの向こうに居る、ヤツへと向けて。
「……落ち、着……ヅ」
落ち着けと、自らに命じる。
死への恐怖を抑えろ、死にゆく苦しみを耐えろ。それらが可能な自分となれ。
そして、
――荒れ狂う本能を、抑制せよ。
その命令は、果たして。
直後。
「ヅヅヅヅヅ――!!?」
木々の向こうから、叫びが上がった。
合わせて巨体の鬼が大木を吹き飛ばし、再びその姿を俺の前へと晒す。
「――む」
すかさず、立ち塞がる少年が静かに腰を落とし。
けれども彼が動くよりも先に、――俺は自らに命ずる。
制止せよ。
攻撃の、暴力の意志を拒絶せよ、と。
それだけで、大鬼は。
「ガ、ガアアアアアアアアアアア!!?」
即座に振り上げた右腕を、しかし俺たちへと振るうことはなかった。
攻撃を、制止させた。
「……は、っ」
思わず、血を吹きながらも笑ってしまって。
少年は振り向き、そんな俺に目を見開いた。
「――貴方、は」
「…………」
我ながら、まさか格上を相手に、そんな表情をさせられるなんて。
こっちこそ、驚きだよ。
でも、どうやら本当に、最後の最後で驚きの展開だ。
なるほど突然、この鬼が言葉を発し始めたのは、俺が落ち着けと命じたからであり。今こうして攻撃や暴走を抑制しているのも、俺が力を発動させているからか。
まったく、馬鹿みたいな話だが。
どうやら俺の力ってのは、自分自身へだけでなく、その『俺の一部』を取り込んだヤツに、干渉することが出来たらしい。
「……分か、る……かよ……ッ」
生憎、顔こそ剥がれ落ちているが、五体は指先まで万全の満足だ。自分の身を千切って渡すような機会なんて、今この瞬間まで一度たりともなかった。ある訳がなかったし、そんな機会はあっても御免だ。
だから今更に、こうなってようやく気付けた。
この力は、そんなことまで出来たのかよ、って。
「――ガ、ばッ!?」
咳き込み、嘔吐する。ブクブクと塞き止められない血反吐に、溺れそうになる。それでもなんとか吐き出し続けて、浅い呼吸で息を繋いで。
まだだ、と。
もう少しだけ生きろと、歯を食いしばり地面を踏み締める。
「…………これ、で」
これで、最期だ。
他にももっといい方法が、あるのかもしれない。
もっと違った力の使い方が、あるのかもしれない。
けれど今の俺には、残念ながらこれが精一杯だ。
もうさ、なにかのアイデアを考える余裕すら、ないからさ。
だから、
「……………………ハ」
不躾な荒療治だが……まぁ、なんだ。
俺からの門出のプレゼントってことで。
「……悪い、ナ」
能力の解放を以って。
俺は自らと、繋がりを持ってしまったヤツへと、命令した。
――人間性を、再構築せよ、と。
「――――――――――――――――」
元より普段から常用し、動揺やら怒りを抑え込み塗り潰していたけれど――思えば、そこまで自分を作り替えるのは、初めてで。
それは、
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あ、」
それは、死ぬほど気持ちの悪い感覚だった。
「――――――――――――――――」
自分という存在が、『自分の知る自分』へと塗り替えられていく。自立的でありながら、どこか俯瞰して作られた『自分』が核とされてしまう。
まさしく、自己洗脳。
俺とは達観しているつもりでいたが、子どもらしいところも多いようなので――そういう風に形作られ。
適当だったり逃げ腰だったりする癖に、変に義理堅く状況を見捨てられないらしいので――そんな男であるようにする。
俺の好みや、苦手嫌い――簡単なモノも。
生きる指針や、絶対的な価値基準――落としてはいけない、大切なモノも。
そのように自覚しているから、そのように自覚するよう作られる。
経験という積み重ねで『辿り着いた自分』を、『辿り着いた自分が生み出した自分』へと変貌させてしまう。
今この瞬間、俺は自身の意識だけでなく。
自身の無意識すらをも、意識的に工作している。
「――――――――――――――――カ、――――ハ」
もう死の恐怖なんて、どこへやら。
頭の中をグルグルと、自分で埋め尽くされて、自分で掻き混ぜられる。
なんなんだ、コレは。
なんなんだ、俺は。
自分で自分を塗り潰すなんて、とても正気の沙汰じゃない。
けれど、
ヤツの方は、他人の精神に勝手に踏み入られ、侵され、喰い千切られ、押し潰されているんだ。
あの大鬼こそ、正気でなんていられないだろう。
「ガ――ガアアアアアア■■■□■!!? アアアアア■アアァ!!? アアア■■アアアアガッガガアアアアアアアア■アア!!?」
絶叫に、微かに意識を引き戻される。
ぼやけた視界に映るのは、ただ静かに立ち続けてくれている、少年の背中と。
「ガガガガゴギガガグガガッガ■■ガガアアアア■■■アアアア■■!!? ナニをォオオ!!? デメ、ェエ■■■エエ等ァァァァアアアアアアアアアアア!!?」
鬼は頭を掻き毟り咆哮を上げる。
文字通り本当に頭を掻き毟り、血肉を散らしてのた打ち回っている。
その鋭利な爪で頭皮を剥がして、頭蓋骨を殴り割って、奥底の脳をぐちゃぐちゃに暴いて切り裂きバラバラに壊している。
台無しにした傍から、紫電の治癒を輝かせながら。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
鮮血まみれの真っ赤な光景。何度も何度も血肉が飛び散り、人型が叫び続ける。目を背けたくなる程だが、残念ながら身動き一つの余裕もない。……多分俺だって、見てくれだけならアイツと大差がない酷さだ。
ああ、でも、そうか。
「――――――――は、は」
ああやって暴れて暴れて、血肉を散らして暴れ回って。正直、ほんとに惨いことしてるって、申し訳ない気持ちもあるけれど。
どうやらアイツには、俺の力を、どうにも出来ないらしい。
「ガアア■アアアア■■■ア!!? フザケるナ!!! ふザけるナぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
鬼は喚き、絶叫を続ける。
喉を晒し、牙を剥き、けれども成す術もなく吠え続ける。
「ナンデ!!? なンデ俺様ガ!!? 俺■がこンナ、書き換え■レテ!!? 違ウ!!! 違ウ違ウチガウ!!! 違ウのニ、何故、ナンデッツツツツヅヅヅ!!?」
「――――」
なんで、か。
「ヅヅヅヅヅ!!? オレは、俺が、オレで、ヅヅヅガガガガガガガァァァアアアアアアアアアアア■■■□■アアアアアアアア!!!」
「――――……ご、め」
ごめん。
俺は、俺の為に鬼を潰す。
悲しい話だ。
誰も、この鬼の思い通りに行くことを望んでいない。誰もがコイツの思いや欲求を否定し、力尽くに叩き伏せようとしている。
島は全ての自由を奪い、幽閉して。
姉はそんな自由のない弟を想い、殺そうとして。
恐らく味方に付くといった七尾さんでさえも、力のままに従える道を選ぶだろう。
他でもない、俺だってそうだ。
俺たちは、コイツの全てを拒絶している。
和解の道は絶たれていると、諦めている。
そして、そんな状況下では。
コイツの望みは決して叶わないと、確定してしまっている。
「…………だ」
だから、俺は。
俺は――。
――それで、いいのか?
そんなことをしたって、アイツの命運は。
俺の、結末は、なにも。
なに一つとして、好転なんて……。
「――ッ!!! それ、でもッヅヅ!!!」
叫ぶ。
喉を詰まらせるその全てを吐き出して、唸り、自分自身へと命令した。
それでも、折れるな!
違えることなく、やり遂げろ!
最期と決めたこの選択を、突き通してみせろ!!!
無意味は百も承知だ。
暴走を鎮めたところで、俺という人間の精神を植え付けることが出来たところで、コイツが別のモノへと成り代わる訳じゃない。どれだけ分厚く塗り重ねたところで、剥がれた本当の部分を、鬼であることを変えることなんて出来ない。
こんなのは、一時凌ぎもいいところ。この暴走を抑えたところで、コイツを待ち受けている処断は……。
だから。
そんなことは、どうでもいいんだよ!
救いがないなら、そのままコイツは終わらされるんだろう。
万が一にもなにかの道があるなら、それはきっと、七尾さんやオトメが手を差し伸べるんだろう。或いは立ち続けてくれている彼が、なんらかの。
でも俺には、そんな後の話なんて、どうでもいいんだ。
そんな後は、俺にはないんだ。
だから俺は、俺に出来ることを!
ただ一人の俺にしか、出来ないことを!
「――あ、ガ、ァァァアアアア!!!」
いつしか俺も、ヤツのように喉を晒していた。
コイツの為、なんかじゃない。
たったほんの少しの時間でも、それでも情を覚えてしまった、彼女らの為に。
なにも、言わなかった。
俺のこの顔に対面して、それでもありのままに接してくれた、彼女らに加担する為に。
彼女らに報いたいって、俺の為にッツツツ!!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――!!!!!」
そして、自身の叫声を最後に。
プツリ、と。
俺は――音を失い、色を失い、この身の内側へと沈み込んだ。
なにも見えない、なにも聞こえない、なにも感じられない。
果てのない、闇の中へと。
ただ、自分だけに埋め尽くされた場所へと。
その場所で、最後の詰めを。
俺は、ユウマだ――俺は、ユウマだ。
俺は、人間だ――俺は、人間だ。
人を喰らっては、ならない――人を喰らっては、ならない。
命を粗末にしては、ならない――命を粗末にしては、ならない。
狂乱に身を落としては、ならない――狂乱に身を落としては、ならない。
他者を、大切にして――他者を、大切にして。
繋がりを、重んじて――繋がりを、重んじて。
健全に、生きることを――健全に、生きることを。
……我ながら、体のいいことばかり並べているが。
――我ながら、自分の苦手なことまで押し付けてしまっているが。
そうあって欲しい――そうなってくれ。
正しくあってほしい――間違えないでくれ。
孤独な旅ではなく――多くの人に囲まれた中で。
せめて帰る場所を作って――ずっと誰かと手を繋いで。
生きて――生き続けて。
「…………生き、て」
……ああ――ああ。
生きたかった――生きたい。
死にたくなかった――死ぬのは嫌だ。
まだ――もっと。
これからも――いつまでも。
辛くてもいいから――辛いことばかりだったから。
生きて、いたかった。
「眠れ」
その命令で、本当の、終わりだ。
待ち望んでいた、その言葉は。
一切の抵抗もなく、塗り潰すなんてこともなく、ただ全身へと瞬時に行き渡って。
「――――――――」
暗闇へと、落ちて、落ちて。
いつしかそれすらもが、綺麗に解けてなくなってしまって。
俺は……――――。
◆ ◆ ◆
……それが、そんなのが、ユウマの終わりで。
そして、こんなモノが――俺の始まりだった。