第零章【04】「前日譚Ⅳ」
鬼狩り。
人間と妖怪――鬼の血を混ぜた、混血の者たちが集い作られた対妖怪組織。
その血故に、彼らは常人を遥かに上回る身体能力を発揮し、常識外の事態へ身を投げる。戦闘行動を手段とし、国に仇名す悪妖怪を討伐する。
しかし、その力は代償なしには振るわれない。血に刻まれた暴走という危険と、彼らは常に隣り合わせにある。
そしてその暴走が問題となり、彼女らはこうして島に訪れた。
話し合わなければならない状況へまで、至ってしまった。
「アタシのとこも、蜘蛛女のとこも、被害が出ちゃってサ」
場所は変わり、もう一度森の中へ。
結局、俺たちは最後まで盗み聞きに徹することなく、やはりこの隙にと行動を再開した。……本当は色々と聞いて情報を集めたかったのだが、その辺りは代わりに七尾さんが話してくれている。
より深く、闇夜の森奥へと踏み進めながら。
「特に蜘蛛女のところがねー。残念ながら死者が出ちゃって、おまけに重傷者も複数人。ただでさえ少数精鋭だってのに、大痛手でお冠って訳サね」
曰く、現在鬼狩りという組織は傭兵組織なのだという。足りないところへ人員を送り、戦闘行為に活用させる。または任務の下請けを行い、それを達成する。
七尾さんは古くからの縁故に数人を雇い、もう一方は前述した少数精鋭から。妖怪と対妖怪組織ということで、当然良好とはいえない関係ではあったらしいが、互いに旨く使い使われていたそうだ。
けれど、その均衡は崩れ去った。
その借り受けた鬼狩りたちが、暴走したのだ。
「まったく。ある程度のリスクは考えてたんだけどサ。今までは精々、感情任せの命令無視や、ちょっと過剰な破壊行為くらいだったサね」
「七尾さんの方は大丈夫だったのか?」
「まーまーサね。運良くアタシの目の前だったこともあって、暴走した本人を殺すに終わり。他は負傷者が二、三人ってところサ」
「お、おう」
あまりにもさらっと言ったが、死人は出たのか。しかも暴走した本人が、ときた。
重ねて、恐ろしいのは。
「蜘蛛女の方も同じサね。暴走した鬼狩りは処分された。お互い、そうする以外になかった」
「そう、なのか」
七尾さんやあの少女を以てしても、殺す以外になかった。
未だに底の見えない二人だが、大抵の相手であれば生かすも殺すも自由だろう。それ程の領域にはあると、そう感じさせられている。
その筈、なのに……。
彼女は続けた。
問題の本人を殺してしまい、事の詳細が分からなくなってしまった。情報や調査によりある程度の推測は立っているが、それが確かだとも言い切れない。
だから自分たちは、この島へ直談判をしに来たのだと。
七尾さんと、それから。
「東雲、八代子」
大妖怪、女郎蜘蛛。
幼い見た目に驚かされたが、それ故に、あの場に立つにはあまりにも異質だった。遠目には分かり得なかったが、話を聞く限りでは、七尾さんに匹敵する程であり。
その証拠に先程、あの子は俺たちを……。
「あーあ。やっぱり八代子には気付かれてたサね」
先導しながらそう言って、七尾さんは振り向き苦笑した。やっぱりとの言葉通り、大して驚いた様子もなく、失敗したと落ち込むようでもない。
それもまた仕方のなかったことだと、豪快に言い捨てた。
「元々こういう隠れ身は専門外、化かす術を応用しただけサね。思惑を巡らせ、巣を作り、罠を張り獲物を捕らえる。そんな策謀が専売特許の相手には、通用しなくて当然サ」
「……はは」
この隠れ身が専門外、か。
未だ目の前で顔を合わせているのに、時折見失いそうになる程の矛盾した存在感の薄さ。こんなの絶対遠目にも、知らなかったら近くでも違和感なく見逃すだろう。
だったら専門だっていう東雲八代子は、一体どんな方法を使うってんだよ。
「それで、話を戻すけど。アタシらは実は、原因にある程度の目星を付けてるサね。でもそれが不確定、不明瞭だからサ」
「推測は出来てるけど、それだけって言ってたか」
「そうそう。だからいわば、答え合わせに来てる訳サ」
東雲八代子は直接的に、対話という正当な方法で。それで下手に誤魔化されても言い返せるように、七尾さんは裏方で動く。
なにより、彼女らは堂々と海を渡り、船で海岸へ踏み入ったらしい。当然、二人で訪れたことは気付かれているはず。
……にも関わらず、一方の姿が見当たらないというのは。
「島の中でコソコソしていることは明白で、だけどバレない。いわゆる牽制、ってね。隠したところで、探りは入れているサね」
「なるほど、な」
下手に適当な返答は許さない、ってことか。
七尾さんは続けた。
本当は、そこまで念を入れなくてもいいのかもしれない。別段責任の所在を明らかにしたり、この島を追い詰めてやろうといった、後ろ暗い考えもない。
ただ、この問題を隠されたくはない。
引き延ばされることなく、ここで表沙汰にし、解決しておきたい。
それが、二人の総意。
「さて、と。なんだかんだ話してたら、今度こそ到着サ」
言って、小さく跳ねるように前進する。
見れば先程会合へ行き会ったように、連なる木々に終わりがあった。またどこか、開けた空間へと抜け出すようだ。
ただ、まったくもって違っていたのは。
行き着いたそこが、多くの人が集まるような、広々と開放的な場所ではなくて。
そこには大きく開かれた、陰鬱とした『洞窟』があった。
光の届かない森の中、なんて暗さじゃない。
――奥底のまるで見えない、深い深い闇が、待ち受けていた。
「……」
それに、暗闇だけじゃない。
胸焼けにも似た嫌な感覚が、重く胸中を渦巻いている。気付かず止めていた呼吸を再開すれば、口元が乾きに張り付いた。
七尾さんと立ち会った時の様に、圧倒される程ではない。だけど確かに感じる重圧に、緊張で身体が強張りすらしていた。
もしかすると、七尾さんらがなにも講じずに立っていたなら、同じような感覚に襲われていたのかもしれない。
――ナニかが居る、と。
「近年、それから古くにも。鬼狩りの一人が精神的不安定に陥った際、他の鬼狩りたちがそれに影響を受けることがあったサね」
目の前でも起こり、文献等の記録でも確認したと、七尾さんは続ける。
独立した個人の不調を皮切りに、同じように複数人が荒々しくなったり、攻撃性を増したり。或いは、そうならない為にと自制する姿が見られた。
それは同じ血を持つ者たちに稀に起こる、『共鳴反応』というらしい。
そしてその共鳴反応こそが、引き起こされた暴走事件の真相であり、
「その共鳴を引き起こした原因が、この島に――この場所に在る」
今辿り着いた、この洞窟の最奥に隠されている。
そう、断言した。
この禍々しさこそは、恐らくソレによるものだろう、と。
「……」
見れば洞窟の入り口には、見張りが待ち受けている。
木造りの椅子に腰掛けた一人だが、集まっていた連中と同じように、黒の和装で腰元に刀剣を備えている。額もまた赤い天狗の面で隠されているが、大きな体躯から男性のように思える。
さて、あそこに入って調べるとなれば、彼との接近は避けられないが……それとも七尾さんの隠蔽があれば、気付かれずに抜けられるのか?
そんな風に考えていたのだが……。
『ようやく来たか。コソコソ寄り道して覗き見しおって、女狐め』
不意に、その鬼狩りが声を上げた。
低い声色でありながら、上擦った物言いで。
『あ、あ、ああーあ~。……ふむ、やはり男の身体を介するのはちと融通が利かぬな。いつもの調子で話しにくいのう』
言いながら、すっと椅子から立ち上がった鬼狩りは。
天狗面に隠れたその瞳を、確かに俺たちの方へと向けていた。
これは――と、驚きに立ち尽くしていた、その時だった。
「ッだァ!!?」
激痛が。
首の後ろに、なにか鋭い針が突き刺されたような痛みが走った。
慌てて振り返って背後を確認するが、不意を打った誰かが立っているわけでもなく、虫の類が飛び回っている様子もない。
ただ、薄暗い森の中で。
木の葉から漏れる月明かりによって、キラリと光を浴びたナニかが宙を漂っていた。
「……糸?」
『やれやれ、その男にも通じぬとは。この島はどうにも、妾との相性が悪いらしい』
男の言葉に再度、洞窟の方へと向き直る。変わらず俺たちと視線を合わせ、確かに気付き捉えているその男へと。
更に発言からするに、今の痛みも間違いなく……。
などと警戒していると、七尾さんは一切構うことなく、木々を飛び出し男の前へと歩み寄った。躊躇いもなにもない、当たり前のような気軽さで。
「あー……」
つまり、状況的に考えると――にわかに信じ難いが、そういうことらしい。
「ハハッ。随分と苦労してるみたいサ」
『まったくじゃ。暴走に有効でなかった時点で考えてはおったが、鬼狩りは精神的な干渉に抵抗を持っておるらしい。不安定故に手出しが出来ぬ、というのが正しいが』
「それじゃあ話し合いは難航中サね?」
『逆じゃな。連中は妾たちに全てを話す気らしい。じゃが、すぐに終わってはお主の動きが悪くなる故、今は話の引き延ばし中といったところじゃ。そもそもの鬼狩りの成り立ちなどを説明させておる』
「なるほどサね」
『面倒臭くて仕方がない。集団の中、糸を通せたのは五人程度。あとはこの身体だけじゃ。これが全員を掌握出来ていたなら、意識を奪ってそれでお終いだったんじゃがな。……それで』
男は――いや、男の様相を使った『彼女』であろう人物は。
未だ木々の中で立ち尽くす俺へと、言った。
『何処で、なんの為に拾ったのじゃ、女狐。こやつにも、妾の糸が通らぬのだが』
「まー偶然ばったり行き会ったサね。運の悪いことに、はたまた運が良かったことに、この夜この島へ訪れた、異世界からの転移者サ」
『……胡散臭い因果もあったものじゃな。ま、見たところ大した力もなさそう故、妾とお主を以ってすれば問題もない、か』
「そういうこと」
『では構わぬことにしよう。それよりも少し急くのじゃ。あまり時間は稼げぬと思え』
そう前述してから、男の口は言葉を続けた。
では、真相を確かめよう。
『推測通り、この洞窟の最奥に『原因』が待っておるぞ』
だけど。
この場所は、この世界は。
彼女らを以てしても、全てが滞りなく進むことは、なかった。
「――洞窟になんの用事?」
「あ……」
響いた声は、聞き覚えのある少女のもので。
続けて洞窟の側面、木々の向こうから、あの子が姿を現す。
奇しくも額を、狐の面で覆った鬼狩りの少女は。
右手に抜身の短刀を握り締め、居合わせた俺たちへ――。
「それとも――私の弟に、用事があるの?」
片桐乙女は、そう言った。