第零章【03】「前日譚Ⅲ」
九尾の狐、九里七尾。
金髪に赤塗りの着物を纏った、絶景の美貌を持つ大妖怪。
思わず言葉を失い見惚れてしまう俺へ、けれど彼女は歯を見せ、人懐っこい笑顔で一つの提案をするのだった。
共謀し、この島の内情を覗き見てやろう、と。
「是非お願いしたいサね。一人で隠れてコソコソってのは、存外に退屈でね」
「……は、はあ」
呆けた頭をなんとか振り戻すも、ようやくこぼれたのは腑の抜けた返答だ。
そんな曖昧な返事だから、彼女は重ねて言った。
「それにサ、アンタが一人下手打って連中に見つかっちゃうのも、ちょーっと面倒なのよね。警戒されると、どうにも動きにくくなる」
それくらい、俺の隠密はザルらしく。それならいっそ、自分の高度な隠れ身に匿ってやろう。そういう観点からの共謀だった。
「なる、ほど」
いかんとも拒み難い。
おちゃらけた言い分で笑ってはいるが、つまるところ、俺は迷惑な存在らしい。俺個人の失敗は俺にだけでなく、彼女の立場をも悪くしてしまうと。
そう言われてしまっては、彼女の誘いを受ける以外になくなる。でなければ自重するべきだろうし、……そうでないなら、自重させられることになるだろう。
気配を消すことだけじゃない。多分俺は、この人になに一つとして及ばない。
次元の違う別格の相手だと、立ち会うだけで分からされた。
「……分かった」
身を引くのが正道だろう。が、生憎それは今じゃなくていい。ここを引き際にしてしまうのは、あまりに勿体ない。
彼女という大妖怪在ってのこの世界だ。
まとめて味わう以外に、他はないだろう。
「共謀なんて、むしろ助かるよ。未熟故に力を借りたい」
「いいサね! そう来なくっちゃ!」
「でもいいのか? こんな得体の知れない男を引き入れて」
「いいに決まってるサね。こうして見たところ、悪い感じはしないし。なにより、なにかされたってアタシの方が強いサ」
「……はは」
まったくもってその通りだ。返す言葉もない。
そんな訳で、彼女の高度な隠密の仲間に加えて貰えるらしいが。
「えっと、九里さん」
「七尾でいいサね」
「じゃあ七尾さん。――俺が異国の訪問者ってのは」
異国の訪問者クン。
そう俺を呼んだ、そう見抜いたのは、一体……?
少々警戒しながら尋ねたのだが、七尾さんは。
「そんなの匂いと雰囲気で分かるサね。あと、その中途半端な気配の消し方。どうにもこの世界にある方法とは、違っていたからサ」
故に、異世界人。でなくとも、遠くの国から来たには違いない。
だから異国の訪問者、って訳か。
「ま、その辺り色々聞くとして。とりあえず動くサね。どこぞで集会を開いてる、今がチャンスだからサ」
「ああ」
頷き、俺は先導する彼女へ続いた。
再び森の中を練り歩く。
けれど先程までとは打って変わり、腰を落とすこともなく堂々と歩みを進めていた。
曰く、姿形を消すだけでなく、音すらも響かせない妖術を使っている。強力な術故に、気付かれる相手には目立ち過ぎる方法らしいが、気付かない相手には強く有効。視界に入ろうが目の前で話そうが、通用する相手には絶対に察されない。
そんな、法外な隠密にこの身を預ける中。
代わりの駄賃と、俺は自分の身分を彼女へ明かした。
基本的な内容は乙女や千雪に話したものと同じだ。
名前はユウマ。ここではない遠くの、異世界からこの島へ訪れた。これまで多くの世界を渡り歩いて来た冒険家であり、この世界のことも知りたい。
取り立てるような能力もなく、半端ながら気配を抑えていたのも、異国で手に入れた指輪のお陰。大妖怪様にはまるで敵わない、弱々しい旅人だ。
「フーン。取り立てるような能力は持ってない、サね。それから弱いとは自称するも、無力とは言わない、と」
なんて、一部分を復唱されはしたが、特に掘り下げられることはなかった。
それから自己紹介の後に、この島に流れ着き、二人の少女に出会い匿われたことを話す。……黙っておくことも考えたが、下手にでっち上げても誤魔化し切れず、見抜かれるのがオチだろう。変に隠して怪しまれるなら、と、そういう判断だった。
「なるほどねぇ。じゃあユウマは、別段どこかの組織に所属してるって訳じゃないサね?」
すれば七尾さんは、二人についても気にかけることなく、代わりにそう尋ねた。
組織、所属。
「と、いうと?」
「異世界を管轄する異世界組織、みたいなのにサ」
「へぇ、そういうのが」
それは初耳だった。
聞いてみると、ここ数年、あらゆる世界を渡り管理するその『異世界組織』なる連中に、この世界は目を付けられているらしい。
乙女たちも言っていた、異世界と繋がりやすい状況――転移現象の多発。
その一環で組織らの異国と繋がり、交渉することになったとか。
「残念ながら、とても対等な関係とは言えないけどサ。そこはまあ、向こうの方がプロフェッショナルな訳だし、知識や手を貸して貰えるだけ有難い話サね」
「なかなか難しそうだ」
果たして俺は運が良かったのか、それとも悪かったのか。かれこれ今日まで、そういった連中と鉢合わせることはなかった。俺が交流した人たちは、誰しもが彼らの生まれたその世界、その土地の組織に所属していた。
偶にごく少数、三人程だったか。異世界という存在を知っていた人も居たが、自分と同じく単身だった。組織や任務なんて話もなかったと思うが……もしかすると一人くらいは、所属こそしていなくとも、そういう組織に見識があったかもしれないな。
或いは互いに名乗ることなく衝突した、いわゆる敵対者がそうであった可能性も。
ともあれ、意識したことのない無縁な話だった。
尋ねられておきながらアレだが、むしろ教えて貰えて助かったな。
「そういう訳で、俺は完全なフリーだよ。だから別に、なにかの任務で調査に来たんじゃあない」
「そ。ま、別に聞いてみただけで、そうだったとしても気に留める程度なんだけどサ。なにかを狙っていたところで、他所の国の考えなんて分からないサね」
それから次に、七尾さんが俺に話を聞かせてくれた。
個人的な知的欲求であるなら、別段隠す必要はないだろう、と。
この世界は日本国と呼ばれる場所であり、しかしこの島は、日本国内部でも特殊な場所。境界と呼ばれる、世界の内側の異界地点らしい。
どうやら俺は、おかしな場所へ落とされたようだ。
続けて聞けば、彼女が拠点とする場所こそがこの世界の正式な地点であり。
その藤ヶ丘と呼ばれる街は、ここより遥かに発展した大都市だという。
つまり、この世界についての知識や体験を深めたいのであれば、この島を出ることこそが最善となるだろう。
七尾さんは、そうとまで言ってしまった。
「……それはそれは我ながら、なんて運が悪い」
「ま、なんだったらアタシが帰る時に一緒に連れて行ってやるサね。望むなら衣食住の保証も付ける。どうだい?」
「助かる、願ったり叶ったりだ。でもいいのか? なにからなにまで世話になって」
「心配せずともタダって訳じゃないサ。手っ取り早く帰る為にも、今からユウマの力を存分に貸して貰う。異世界人特有の見識とか意見ってヤツをね」
「そんな大層な考えは持ってないぞ」
「結構結構。アタシ以外の視点があるだけで十分サね。それも役に立たないようなら、いざって時の盾にするサ」
「そういう事態は出来れば遠慮したいな」
しかし冗談はさておき――冗談ではないかもしれないが。
七尾さんの提案は有難いものだった。
この国を味わいたいとは思っているが、別段すべてに自分一人で取り組み、艱難辛苦を舐め尽くしたい訳ではない。援助が受けられるなら喜んで、悠々自適にさせて貰いたい。
条件の力を貸すこと、島での七尾さんに同行するのも、正直助かる。
この島が世界の基準ではなくとも、むしろ、スポットが当たらない特別な場所だからこそ、見えてくるものだってあるから。
……もっとも、そういったものの大半は、悪いことの方が多いと相場が決まっているが。
そんな訳で、俺たちは互いの利益の為に話を付け。
丁度のタイミングで、とある場所へと行き着いた。
「ん? 森を抜ける、のか?」
「おっと慎重にね。出過ぎると気付かれるサ」
「気付かれる?」
「大人数の気配サね」
行き着く先は、木々の終わり。
恐る恐るもう少し前進してようやく、向こう側に複数人の人影が見えた。どうやら開かれた場所に、大勢が集合しているらしい。
どうやらこれが乙女の言っていた、召集の現場って訳か。
「急いで離れるか」
「いいや、せっかくサね。少し覗いていこう」
「……本気か?」
「お互い色々と知ってやろうってのが目的サ。だったら絶好のチャンス、逃す手はないよ。もう少し近付くくらいならバレないだろうし、盗み見てやろうサね」
「……それはそうだが」
「本来の目的はもう少し先なんだけどね。ま、行きずりの駄賃ってことで」
言って、七尾さんはゆっくりと歩み先行する。
音もなく草木を掻き分け、それでも黄金色の髪が後に続いて。煌びやかな輝きは、どう考えたって目立ち過ぎる筈なのに、あまりに堂々とし過ぎている。
それに比べれば俺の存在感など、大したものではないだろう。なにを怖がっているんだと、馬鹿らしくなってしまうくらいだ。
「行くか」
俺自身、自分の身体になんの変化も感じられないのが、どうしても不安になってしまうが。
それ程の術を使われているのだと疑念を呑み込み、彼女の後に歩みを進めた。
そして、その場所に立ち会わせることとなる。
木々らの影に身を潜めながら、遠目に視認する広々とした空間。真暗な森の中とは違い月の光に照らし出されてはいるが、後ろ姿故に詳細な情報までは掴めない。けれど誰もが和装を纏い、腰元や背中に武具を備えているのは見て取れた。
その数ざっと、三十程か。背高く屈強な影が多くを占めているようだが、年頃の青年や小柄な少女、恐らく乙女を含めた小さな子どもたちまで。背格好に見る年齢層はバラバラなようだ。
彼らこそが鬼狩り。
この島の住人にして、組織の構成員か。
やがて俺たちは彼らの背中を眺めているだけでなく、七尾さんに先導され森の中を動き、ゆっくりと集会の側面へと移動して。
彼ら鬼狩りの前に立つ――語りを説く『人物ら』を、この目に捉えた。
一人は、茶深い和装に身を包む小柄な老人。
一人は、十代半ば頃に見える長髪の少年。
残るもう一人は――。
「島民勢揃い――という訳には当然いかぬが、この深夜によくぞこれだけ集まった。出迎えに感謝しよう、鬼狩りらよ」
――少女は、集まる誰よりも小さく、幼い様相だった。
彼らと同じ黒の和装でありながら、動くことには不向きな分厚く高級感のある着物を纏っている。下ろされた長い髪も深い黒色で、けれど反面、真逆の白い肌が際立っている。
色白く、清廉な幼き少女。
彼女は立ち並ぶ皆へと、語りを続ける。
果たして、偶然なのか。
周囲を見渡すその瞳を、確かに、俺たちの潜むこの場所へも向けながら。
「安心するサ」
思わず息を呑めば、七尾さんが言った。
あの少女はこの島の鬼狩りではなく、島の外から来た――、
「アタシと同じ、大妖怪。……で、一応は一緒に来たお仲間サね」
名前を――東雲八代子。
曰く、九尾の狐に引けを取らない大妖怪――女郎蜘蛛を正体とし。
彼女は続けて、鬼狩りらへ言った。
「では時間も時間故、取り急ぎ本題へ入るが」
それが彼女と、それから七尾さんの目的だ。
「近日多発しておる、お主ら鬼狩りの暴走についてじゃ」
この島の者たちは今、よくない状況に立たされている、と。