第零章【02】「前日譚Ⅱ」
異世界を渡る冒険者。
なんて風に、分かりやすくかつ聞こえよく。目を輝かせる彼女らへ自己紹介をしたのだけれど、それは正確ではなかった。
俺の目的とするところは、冒険そのものではないのだから。
色んな世界を歩き回りたい、見て回りたいって関心は素晴らしいものだとは思うが、生憎と俺はそんな旅行気分で異世界へ転移したりはしない。そもそも転移にはめちゃくちゃ力を使うし、毎回力尽きて行き倒れになるし。
更に最近は、心なしか身体が重く感じたり、いつまで経っても疲れが取れなかったり。単純な疲労の蓄積というか、身体そのものにガタがきているような感覚。
それはまさしく老化にも似て、――恐らく俺は、寿命ってヤツを擦り減らしているんだろう。言葉通り、命を削った命懸けの旅ってヤツだ。そんな条件で冒険だとか、命知らずにも程がある。是非ともお断りだ。
それでも転移を続け、幾多の世界を渡り歩いて来たのは。
――我ながら、恥ずかしいかな。
永住したい『幸せな世界』ってモノを求めているからだ。
俺の元居た世界――故郷と呼べる場所は、もう恐らく失われている。形としては在ったとしても、荒廃した焼け野原が広がっているだろう。極小の確率でなんとか復旧し、立て直している線もあるかもだが。
どの道、戻って確認しようとは思わない。
争いの果てに自滅していったあの国を、俺は等に見限っている。
滅びゆく日々の中、偶然にも転移の術に巡り合えていなかったら。
今頃俺も、泥と硝煙に塗れてくたばっていた筈だ。
そんな場所に自ら戻ろうなんて、とても思えない。
それから、三年と少しくらい経ったのか。
我ながら浅ましくも、なんだかんだと難癖を付けては転移を続けている。どんな世界にも光があれば、それ故に裏の影もある。当たり前のことだってのに。
この島だってそうだ。
例外なく、キナ臭くなってきやがった。
「よ、っと」
中腰に、木々の合間を抜けていく。
深夜の静寂の中、耳に響くのは、自分が掻き分ける土草の騒めきだけ。人の気配がまるでなく、どうやら乙女の言っていた通り、サイレンを合図に何処かへこぞって集まっているらしい。
それでその隙にと、小屋を飛び出しこうして一人でコソコソと動いている。
「……ふぅ」
緊急の招集であるが故に、なんらかの大事が起こるかもしれない。だから大人しくしておいた方がいいと、二人に釘を刺されはしたが。
こちとらこの世界の全容を知りたい。なにか事が起こるというのであれば、それこそ見届けたい。ここではなにが引き起こされ、それがどのように対応されるのか。
その上で、判断を下したい。
今のところは、及第点といったところだが。
などと木の影に隠れ考えながら、息を潜めてゆっくりと進む。
聞けばこの島を牛耳るのは、鬼狩りと呼ばれる戦闘に特化した組織。人間と妖怪、この世界に存在する二つの種族を混ぜ合わせた、半妖がその構成員らしい。武力もさることながら、感覚も鋭く動きも素早いんだとか。
迂闊に目立てば、当然すぐさまに。こうして隠れているつもりでも、簡単に気付かれるかもしれない。……いっそ見つかったらどうなるのかを計るのも、と、少しだけ考えたが、それで痛い目に会ったことを思い出した。
という訳で、静かに隠密を続ける。
なあに、俺にだって考えはあるし、用意だってある。
「……」
じわりと、右手の中指に感じる熱。焦げ付く程ではないが、皮膚を赤くする熱さが、その用意の発動を主張していた。
ソレは銀色の指輪だ。
『気配隠しの指輪』と呼ばれる代物だが、名付けが安直過ぎる。
効果はまったくそのままに、使用者の気配を、存在感を薄めてくれる。姿形が消えるという訳ではないが、ちらりと相手の視界の端に映る程度なら、気付かずに素通りさせることが出来る。
と、聞こえよく言えば万能ではなくとも便利ではありそうだが、正直のところ中々に中途半端で使い辛い。使いどころも限定されている上に、感覚の鋭い相手には通用しない。これまで何度もまんまと見つけられ、危機に陥った。
勿論お陰でやり過ごせたことも少なくないが、戦績としては五分五分か、六対四で敗績の方が多いくらいか。こうして今も頼ってはいるが、頼りないアイテムだ。
果たしてこの世界の、この島の鬼狩りたちには通用するかどうか。……恐らくは、ないよりはマシ程度の効果だと思うが。
などと考えていると、案の定。
「ちょっとちょっとー。一体どこの誰サね? そんな適当な誤魔化し程度で、隠れたつもりでいるオマヌケな子は」
「……あー」
後ろより声を掛けられ、肩を落とす。
重ねてすぐさま両手を上げて、降参の意を。残念ながらコソコソ潜むのは終了だ。
悪いことや企みってのは、バレなきゃ問題ない主義だ。だがバレてしまったら即諦めて、大人しく謝るのがベターだと思っている。
そんな訳で、抵抗する気はサラサラない。
「……さて」
こうなっては素直に捕まり、その後の対応に身を委ねる方向でいくか――それとも早々に区切りを付けて別の世界へ逃げてしまうか。
なのだが、予想外にも。
「おっと、変に暴れたり捨て身の抵抗はやめるサ。別に取っちめてやろうってつもりじゃないから」
「……と、言うと?」
「アタシは別に、この島の島民や警備じゃないってこと」
むしろ、その逆。
島の外から来た、同じく隠れ潜むお仲間だ。
背後から響く女の声は、そう言った。
「お仲間」
なるほど、どうりで。
まったくもって気配を感じないのは、そういう訳か。
いや、本当に、後方になにも感じない。多分それ程遠くない場所から声が聞こえている筈なのに、まるで声だけが虚空からこぼれているように思えてしまう。
これは中々におぞましく、嫌な汗が頬を伝った。
構わず、声は続ける。
「そそ。アンタもそうでしょ? だったらご一緒しない?」
「ご一緒、って」
「そんな半端な隠れ身なんだし、悪事を働こうってワケじゃあないサね。もしもそうなら、お粗末過ぎるから辞めた方がいいね」
「……ウッス」
「それでまー、コソコソするだけってならアタシと同じサね。どうだい? ……えっと、青年?」
尋ねられ、俺はゆっくりと彼女へ振り向いた。自分の姿を相手に晒すと同時に、その声の主の姿を視認する為に。一切の気配を感じさせず、本当に彼女は存在しているのか、どうなのか。
この目に映した、彼女は――。
「――――」
思わず、言葉を失った。
艶やかに広がり揺れる、眩い金色の髪。
目を惹く頭の大きな二つ耳は、人ではない獣のもの。
色深い真っ赤な着物も含め、彼女を形作る全ての要素が、尋常ではない華やかさと美麗を振りまく。まさしくそれは、常識外の領域へ逸脱していなければ誕生し得なかっただろう。
にも関わらず、見合わない程に薄過ぎる存在感は、そこに居るのに決して触れられないようで。まるで幻覚の類に魅せられているかのようだ。
本来であれば、きっと彼女は見紛うことのない強烈な存在を確立し、その立ち姿だけであらゆる視線を虜に心を奪っただろう。
ああ、なんて――恐ろしい。
「――――」
しばし見惚れ、言葉を失い。
やがて彼女は、鋭い三白眼でこの身を見定め。
俺へ、名乗った。
「九尾の狐、九里七尾サね」
九尾の狐。初めて聞くが、例に違わず知識にはある。妖怪と呼ばれる存在たちの数ある中で、最高位
に位置する大妖怪の一角であり。
そんな彼女――九里七尾にしてみれば。
「よろしくサね――異国の訪問者クン」
その程度は、見抜かれて当然だった。