第一章【14】「妖怪と魔法使い」
日本国では、古くから『妖怪』という存在が人間と共存している。
人間が大多数を占め主となるこの世界においては、常識から外れ幻のように不確かなモノ。
同じ時代の流れで進化しながら、決して表に姿を見せなかったもう一つの社会形態。
オカルトや怪奇現象と呼ばれる、常ならざるモノ。
それが、妖怪だ。
現代も独自の生活圏を貫く種類や、人間と結ばれることで人の血を取り入れる者たち。様々な派閥がそれぞれの方法で姿を潜ませている。
この図書館に居る妖怪たちは、人間と手を取り合った者たちだ。互いに恩恵を与えあいながら、異世界からの『転移者』という同じ立場の。
『常から外れた来訪者』を受け入れる職に就いている。
「片桐の家は、元々は人間なんだけどな」
人間として妖怪と関りを持ち、その過程で鬼と契りを交わした。彼らの力を受け入れる道を選んだ。それが片桐家だ。
先祖代々鬼の血を受け継いでおり、自分も例外なくその血を身に流している。
半分人間で、半分妖怪。それが片桐裕馬の正体だ。
「日本国、妖怪、鬼。昨日遠目から見ていたけれど、生身で剣と打ち合ってたわ。あれが鬼の力なのね」
「正確には生身っつーか、鬼の血で硬化させてるんだけどな」
自分自身、おぞましく畏怖される力だと思っている。事実、鬼という存在は人間の天敵と伝えられることが多い。……だから、話してもいい顔をされないと思っていた。
しかし、サリュは平然と頷いた。むしろ好奇心を掻き立てられているような、キラキラした瞳だ。
興味津々。騒ぎ立てはしないが、うずうずしているのがよく分かる。
もしや彼女にとっては、鬼もラーメンと同列なのだろうか。複雑な気分だが。
「道理で戦えるわけね。凄かったもの」
「……凄くなんかねぇよ」
戦いは敵の手のひらの上だった。
最後も姉貴の助けがなければ死んでいただろう。
……サリュが来てくれなかったら、最初の段階で殺されていたに違いない。
俺はなにも出来ていなかった。
だってのに、サリュは――。
「見直したわ」
そう言ってくれた。
俺にはその言葉が、自分を図られた気がして落ち着かなかった。
本当に認めてくれているのか、……底が知られてしまったのか。
まるで敵わないな。
こんなにも小さな女の子を相手に。
「……ったく」
「どうしたの?」
「別に」
「どうせまたわたしの胸見てたんでしょ。スケベ」
「違う」
「嘘だぁ。って言っても、そんなに大きいかしら。普通くらいじゃない?」
「結構結構だと思うぞ」
「……やっぱり気になってるでしょ」
「なってねぇよ」
なんて下らない言い合いをしながらも、募る悔しさが拭えない。
世界の違いもあれば、実際サリュの方が年上だというのも分かった。敵わないのも仕方がない。納得出来る材料は揃っている。
……それでも、悔しい。
「でも、だったら」
「ユーマ?」
「いや、ちょっとな」
口にはしない。
俺でもこれだけの劣等感だ。
きっと昨夜のあの男は、もっと苛烈なこの感情に晒されていたんだろう。より鍛錬を積んできた、『あの騎士』は。
もっとも、こちらはあの男にもメラメラ来るものが沢山だが。
「じゃあ俺もいいか?」
今度は逆に、サリュについて聞いてみる。
彼女たち魔法使いというのは、どういう存在なのか。俺の知らない世界で、まったく異なる法則に生きる者たち。
サリュは少し悩むように天井を見上げたが、言い淀んでいるようではなかった。
どういう風に伝えればいいのかと、言葉を選んでいるみたいだ。
「そう、ね。まず魔法には、魔力ってエネルギーを使うの」
ゆっくりと、分かりやすいように説明してくれる。
魔法とは体内の魔力エネルギーを使い、魔力を目に見える形に変化させるもの。
魔力エネルギーとは身体中の血管を沿う、目には見えないもう一つの流動。
その循環を感じ取り、扱うことで、魔法使いたちは魔法を行使する。
その際に必要となるのが、魔法式だという。
「エネルギーを使う道筋というか、導いてあげるというか。結果へ繋がる過程みたいな?」
たとえば身体を動かす際、それは肉体に対して命令を発して実現させている。
魔法使いたちはその命令系統に関して、生まれつき肉体とは異なる方式を持ち得ている。
重ねてその方式を、理解しているのだという。
「体内の魔力を体外に放出したり、身体の一部分に集めたり。なんなら自分以外のなにかに与えたり。魔力という存在を、わたしたちは知覚し操ることができる。それが魔法使い」
しかし魔力とは形を持たないエネルギーでしかない。
だから独自の式を作り出すことで、魔法を発現させるのだ。
「イメージ式、で伝わるかしら。なにかを掴むように、なにかを食べるように。わたしたちはごく当たり前な行動として、魔法を使った自分をイメージして実現させるの」
炎を出そうと思うことで、炎を。
雷を撃ち出そうとすることで、雷を。
その結果へ辿り着くための公式は、念ずるだけ。
つまり彼女たちにとって魔法は、手足を動かすのに等しい。
だがそう例えても、それほどまでに簡単なことではない。使えるものが増えるということは、それだけ考える必要があるということだ。
「選択の数だけ選択肢が増える。同様に悩みも時間も必要とされ、時としてそれは邪魔なものとなるわ」
身体をどう動かすかだけでなく、魔法をどう使うか。炎を、雷を、いかにして有効活用するか。
無限のごとき広がりを見せる取捨選択。
日常生活ならいざ知らず、戦闘では試行錯誤が致命的な遅延を作りかねない。駆け引きが高速で過激な程、即座な対応と絶え間ないイメージ切り替えが必要だ。
その思考を簡略化するため、彼女らは魔法式を固定化するのだという。
「ボタンを作っておくの。押せば炎が出るボタンよ。それさえ用意しておけば、わたしたちは必要に合わせてボタンを押すだけでよくなる」
サリュは右手をかざした。
昨日何度も向けられ、光を帯びて魔法を放っているように見えた。
サリュが訂正する。光を発していたのは、爪であると。
「炎、雷、風、光、闇。わたしの右手の爪には、五本それぞれ別の魔法式を埋め込んである。それによりわたしは、特定の爪先に魔力を込めるだけでそれを発動出来る」
もう一方、左手には付属の魔法を。
治癒阻害、追跡、熱感知、魔力感知、簡易障壁。
それらを瞬時に発動するだけでなく、複数を同時に組み合わせることも可能だという。
風を纏って空を飛び、雷と闇で黒雷を放ち、炎と光で光線を撃つ。
それらに付与される治癒阻害で相手に傷を治させず、追跡魔法で決して逃がさない。
本来複雑で困難な筈の魔法を、状況に応じて一瞬で。
あまりに次元の違う力と規則理論。
サリュの強さが、未だ不明瞭でありながら少しずつ形を帯びていく。
どうりで圧倒的な筈だ。聞けば聞く程、まるで敵う気がしない。よく彼女を相手に逃げられた。
加えて恐ろしいのは、サリュには彼女を越える師匠がいるって話だ。
「わたしに魔法を教えてくれた人。わたしより遥かに強くて、恐ろしい人よ」
「サリュより強いとか、想像出来ないな」
「わたしたち弟子はみんな爪に魔法陣を刻んで簡略化しているけれど、レイナはその場その場で組み上げるわ。しかも一瞬で、膨大な数を。とてもじゃないけれど、敵わない」
話すサリュの表情に陰りが見える。
レイナ。
多分その師匠の名前なんだろうけど、いい人ではなかったのだろうか。
こうして異世界に来ているわけだし、なにか事情があったのかもしれない。
と、気付く。
そういえば俺は、サリュがどうしてこの世界へ来たのかを知らない。プロポーズやらでごたごたになっていた所為で、元々の目的を聞いていない。
「……んー」
果たして、簡単に踏み込んでいいものかどうか。
すぐに飄々とした表情に戻ったが、さっきの顔色はあまり思わしくない。
聞くべきか、流すべきか。
「魔法についてはそんなところかしら。上手く伝えられたらよかったのだけれど」
「お、おう。大体分かった」
「あら、なにか気になる部分でもあった?」
悩んでいることを気付かれてしまったようで、サリュが首を傾げる。
思わず咄嗟に尋ねそうになったが、しかし。
「いや、なんでもないよ」
思い留まった。
そういう話は、本人の口から出るのを待った方がいいだろう。
なにせ俺だって、まだ全てを話したわけではない。
話したくないことだって、当然向こうにもあるだろうから。
◇ ◇ ◇
などと、思った以上に話し込んでしまい、一旦息を吐く。
片付けながら話していた筈が、気付けば集中して手も止まっていた。
時間帯としても、そろそろ昼になる。
朝からなにも食べて居ないし、考えてしまうとどうにも心地よい空腹感が襲ってきた。
丁度良い区切りだから昼食にするかと、――そう、提案しようとした時だった。
「ごめんくださーい。ゆーくん?」
軽いノックの音と、聞き覚えのある高い声。
ゆっくりと扉へ振り向く俺とは対照的に、サリュは物凄い勢いで首を回した。
「ゆーくん、居る? 乙女さんからここって聞いたんだけどー」
「千雪か。どうした?」
「昨日の書類の件でねー」
わざわざ図書館に来るなんて珍しいと思ったが、そういう用事か。
と、そういえばまだサリュに紹介していなかったと気付く。
せっかくの機会だし、ここで顔を合わせて貰おうか。
そう思ったのだが。
「ゆ、ゆゆゆゆーくんってなに!? べべべ別の女!? ふふふ不倫で二股!?」
「は?」
「待って待って待って! 後から来たのはわたしだし、ってことはわたしが不倫相手!? それって恋人が居るのにわたしに惚れてプロポーズしたってこと!?」
「お、おいおい」
「つまりわたしの方が魅力的ってことなんだろうけど、それはだめよだめじゃない! 許されないわ! いけないことだわ!」
等々叫び右往左往し、慌てふためき血相を変えるサリュ。
……これは早急な説明が必要そうだ。




