第四章【33】「盤外Ⅲ」
日本国はかつて飢餓に見舞われ、その時世に鬼と呼ばれる妖怪が誕生した。
鬼とは食人を行った人々が、変貌し至った、人間をベースとした妖怪。すなわち人を遥かに上回る存在でありながらも、起源に人を持つ者であり、ならば。
その力を、人に取り入れることが出来る筈だ。
その血を、人に混ぜることは可能な筈だ。
その毒を、人が扱うことで別の害毒を制する筈だ。
そうして生み出されたのが、混血や半妖と呼ばれる混じり合った存在。
ユーマやオトメたちを作り出した、人の手による法則だった。
「だけど、それは万事が上手くいった訳ではなかった」
オトメは言って、首を振るった。近くカウンターに肘を着くナナオも、苦笑いに歯を見せる。神森姉妹はなにも言わず、わたしもまた、頷くだけだった。
そんなわたしたちへ、オトメは続ける。
「とはいえ及第点ながら、異能を操る人間を生み出せていた。だから成功はしていたのだろう。その観点は、十分に的を射ていたと言ってもいい」
でも決して、望んだほどの力を得られることはなく。
一部、――殊更鬼という種族に関しては、困難を極めたのだという。
「鬼と人間は、相性が悪かった。そもそも折り合わせも悪かったしね」
「折り、合わせ」
「鬼の血は人間を喰おうとし、人間の血は鬼を拒絶した。混ぜ合わさった血はそれぞれの言い分で、相手方の血を消滅させようと躍起になっていた」
それは比喩などではなく、本当に互いが互いの細胞を許すことなく、時には宿主を死に至らしめる程に体内を暴れ回ったのだという。
科学的という常識の範疇では明らかにはならなかった、非常識な変化によって。
「当然だ。鬼とは人間を喰らう為に変化し、人間はそれを畏怖し拒絶し、『自分たちとは違う化物』として鬼と名付けたのだから」
だから生まれにして、人間の血と鬼の血の共存は不可能だった。
「でも、オトメやユーマは」
「混血自体は成功したよ。幾つもの実験と失敗の果てにね」
けれど。
混血と言いながら、私に流れる血は大半が――七割方が人の血である。
その辺りが分水嶺なんだと、オトメはそう言った。
「七割が、人」
「そう、鬼は残りの三割。実は私のコレは、かなり珍しくてね」
ほとんどの鬼狩りは人間の血が九割、鬼の血が一割。七対三のオトメは、長い鬼狩りの歴史の中でも指折りの少数らしい。
「……そんなの」
そんなの均等な混血ではなく。
「人間に鬼の血が混ざっているだけ、かな?」
「っ」
「まったくその通りだよ。見ての通り、私たちはなにもしていなければ、ただの人と同じようだ」
大半を占める人間の血が、普段の様相を形作る。薄まった鬼の血の効果は精々、身体能力と治癒力を多少向上させる程度。
だから異能を扱うには、自ら鬼の側面を呼び起こさなければならない。
血を活性化させる必要がある。
「もっとも血の活性化は意識の切り替え一つだ。考え方としては、妖怪たちが普段は人間を装っているが、私たちはその逆。私たちは普段は人間であり、戦闘時に妖怪を装い成り代わる」
便利という言い方をすれば、そうかもしれない。けれどそれは混血としては明らかに失敗であり、妥協の産物でしかない。
なにしろ中途半端に作られた故に、本来の鬼には遠く及んでいないのだという。
「それでも致命傷から回復したり、圧倒的な腕力を発揮出来る。十分に人の外側へは逸脱出来ているが――代償もそれなりに、だ」
鬼の血を使い過ぎれば、感情が昂る。暴力性や食欲を刺激され、やがては思考や心すらも、全てが鬼の血に呑まれてしまう。……時には肉体までもが変貌し、おぞましく凶悪なモノへ成り果てることすらも。
僅か一割の鬼の血でも、優に人間性を喰い尽くされる危険性。
いわゆる、暴走と呼ばれる状況へと陥ってしまう。
「トリガーとなるのは極端な感情の起伏や、生命の危機。私たち鬼との混血は生まれながらに、その暴走と隣り合わせにある」
勝手に妥協の半端物を押し付けられながら、代償だけはキッチリ付き纏ってくる。本当にたまったものではないと、オトメは目を伏せ小さく笑った。
それがせめて、十全な力の見返りであったなら、と。
「……じゃあ、ユーマのアレは」
「リリーシャとの戦闘時、それからテロ事件の際に見せたモノ。それがその暴走だ。もっとも愚弟のそれは、私たちとは比べ物にならないが」
オトメは、眉を寄せて。
――アレは正真正銘、鬼の狂乱だ。
そう、称した。
「半端な私たちの暴走とは違う。十全に近い、鬼の力の解放だ」
「鬼の、力」
「……愚弟は私とは正反対に――生まれながらに、鬼の血を七割有している」
鬼の血を七割、人間の血を三割。
それが、ユーマの混血の比率。
それこそが、ユーマの正体。
「――そん、なの」
「そうだ。割合的に言えば裕馬は、『鬼に人間の血が混ざっている』に等しい」
それでは、人間が鬼の力を扱うのではなく。
オトメたちが、妥協の産物であるならば。
ユーマは混血としては、失敗作も失敗作。
「私と同じ親を持ちながら、果たしてなんの因果か――それともなにかの策略があったのか」
どちらにしろ、なにを掘り下げても現実は変わらない。
ユーマは、生まれながらに。
「あの子は十分に、鬼という種族に分類される生き物だよ」
「そして今、裕馬は件の鬼狩りによって拉致監禁されている。前述した、彼らが追いやられた島――鬼餓島にね」
その島こそが、境界と呼ばれる世界の内側に存在する異界。
墓地で皇子が話していた、ヴァンが転移したとされる特異の地点。
襲撃者や、そもそもユーマを狙う時点で、十中八九違いはない。
「鬼餓島、鬼狩り」
「そうだ。裕馬は過去、彼らの手から逃れ、しかし今一度討伐の対象となった。他でもない裕馬の血の暴走によって再び目を付けられ、放置出来ないと強硬手段に出られたんだ」
それこそが、あの図書館の惨事であり、ユーマが姿を消すこととなった真実。全ては鬼狩りという組織が引き起こした、ユーマを狙いとした襲撃事件。
ユーマの暴走が、その要因で。
「……それって」
今一度、対象となった。
目を付けられたというのなら、それは。
それは、あの夜の……?
「そうだ。リリーシャがこの街を襲ったあの夜に、ユーマは暴走し、再び危険因子として目を付けられることとなった」
「っ」
「それより前にも事件を起こしてはいたが、その折は見逃された。問題ではあるが、コレを学びに二度目がなければいいと許された。そしてその二度目が、あの夜であり」
その時点で、連中は動きを始めていた。
ユーマという失敗作の鬼の因子が、いつか自分たちに牙を剥く脅威に成り得ると。
「重ねて連中の立場を更に危ぶませるとなっては、動かずにもいられなかった」
「……どういう、こと」
「彼ら鬼狩りに属する者たちは、その全員が鬼の血を流す混血だ。鬼狩りだけでなく、鬼餓島に生きる非戦闘員の島民たちでさえ、限りなく薄くも因子を持っている」
彼らにとって鬼の血が事件を起こすということは、首を絞められることに他ならない。所属を別にする失敗作の仕出かした悪事であっても、自分たちを追い込む要因となる。
暴走とは、鬼の血を宿した全員が抱える代償なのだから。
「だから連中は、裕馬を間引くことを決定した」
あの夜、リリーシャへの暴走は敵対勢力への攻撃であり。
後の神守姉妹が引き起こしたテロでの暴走も、内輪とはいえ敵との交戦時に発現したもので。
どちらも正当な理由を付けられ、やむを得なかったと言い訳が通った故に。
今の内に収めるしかないと、そう判断が下されたのだ。
「もっとも過ぎる理由だ。早計だとも理不尽だとも言うことは出来るが、筋は通っている」
「……危険は、先んじて潰す」
ああ、知っている。
わたしもこの世界へ来てすぐに、そういった要因で命を狙われたから。
「……そんなの」
そんなの認められない。
反発する感情を、抑えることは出来ない。
だけど、
「……っ」
だけどわたしには、否定も出来ない。踏みにじることも、許されはしない。――力尽くを以って、解決してはならない。
何故ならそうなるには、れっきとした理由があることを知ってしまったから。鬼がどういうモノであるか。鬼狩りと呼ばれる彼らが、どういう存在で、どういう立場であるか。
ただ感情に任せて、個人的な要素だけで全てを押し潰すことは、出来ない。
それを許しては、いけない。
――でも。
「その為に、図書館が襲われたの?」
わたしはオトメに踏み込み、尋ねた。
事情は分かった。全てを理解していなくとも、凡その状況を把握することは出来ているつもりだ。それぞれに立場があることも、呑み込んでいる。
だからわたしは、オトメに言った。
「話して、教えて」
きっと、これからが本題だ。
この事態の後ろにあるものこそが、わたしたちの戦うべき対象だ。
だって、そうじゃなきゃおかしい。
図書館のことも、オトメの動きも、ヴァンが動いているということも。
リリーシャの力を借りていることも、なにも噛み合っていない。
「力尽くを以って解決してはならない。――ならどうして、リリを動かしたの。わたしにも、力を貸して欲しいの」
一体、なにが見えているの?
オトメは。
「――あの日、私もあの場所に居た」
ゆっくりと、冷たい表情のままに続ける。
鬼将と准鬼将。そう名付けられた、鬼狩り組織のトップ二人による図書館の強襲。その発端に、気付くことは出来ず。
業務室へ訪れた鬼将は、すでにその装束を血に染め、即座にオトメへ斬りかかったのだという。
「なんの交渉も、警告もなかった。気付いた時には両手両足を奪われ、その場に転がされていた。何故このタイミングでと言葉を失い、あらゆる準備を怠ったことを深く悔やんだ。……なによりその時、私は裕馬へ図書館に来いと命じていた」
最悪の失敗を犯してしまったと、絶望的な観測に落とされて。
でもだからこそ、その時ようやく、分かったのだという。
「あの日の出来事はすべて、私たちに都合が悪すぎる」
オトメは言った。
突如現れた転移者による、東地区への攻撃も。
鬼将准鬼将による、図書館への襲撃も。
それに乗じて、ユーマが鬼狩りの島へと連れ去られたことも、全て。
「そのどれもが誘導などではなく、真実を隠す為のブラフでもなく、本質的な狙いだったんだ」
転移者たちは、この国との交渉を目的とし、破壊活動を行い。
鬼狩りの二人は、ユーマの奪取を目的とし、図書館を壊滅させた。
それぞれが目的の為に強硬手段に及び、けれどもそれらが過剰な程に、わたしたちへと甚大な被害を与えている。
彼らは個々の目的を達成する為に――けれど、恐らくそれ以上に。
「なんらかの狙いの為に、必要以上の攻撃を行った」
それは、つまり。
「あの日の別々の事件は、大枠に『同時攻撃』という作戦の下、それぞれ指示を受けていたに違いない」
一部では、あの日行われていた特級会議を狙った攻撃、アヴァロン国の皇子を標的とした、宣戦布告であるとも考えているらしいが。
そうではないと、オトメは断言した。
「攻撃箇所がセンタービルであったなら或いはだが、転移者も鬼狩りもそうではなく――連中は私たち、妖怪組織の心臓部を穿った」
東地区とは、女郎蜘蛛の管轄する地域であり。
南地区に在る図書館は、もはや言うまでもない。
「……わたしたち、百鬼夜行の」
「そうだ」
そうならば、辻褄が合ってしまう。
街を壊滅させられ、多くの命を奪われた。図書館という拠点を斬り刻まれ、多くの仲間たちを失い、未だ無視出来ない彼が捕らわれている。
こんなの、間違いない。
「連中の狙いは、この街そのものだ」
重ねて、オトメは言った。
「街を狙う何者かが、事態の後ろに潜んでいる」
だから、と。
オトメはようやく、表情をくしゃりと歪めて。
一体、いつからだろう。テーブルの下に隠れた両手のひらが、固く閉じられていたのは。更にはその手の甲が、赤黒く変貌を露わにしていたのは。
それでも強く口元を結びながら、キツく細めた視線の奥に燃え盛る熱を垣間見せ。
「だから――助けに行かせてあげられなかったんだよ、サリュ」
君をこの街から、離れさせる訳にはいかなかったんだよ。
そう、打ち明けた。