第四章【29】「絶対の宣告」
停戦。
他でもない、鬼狩りの筆頭たる鬼将がそれを宣言した。
重ねて、現れた予想外の人物が再度加えて発令する――全ての戦闘行為を停止せよ、と。
シュタイン・オヴェイロン。
数多に存在する異世界の管理管轄を行う、アヴァロン国。その国の第一皇子なる男が、今宵の戦いの終わりを告げた。
逆らえば国そのものを敵に回すという、あまりに強過ぎる強制力を以ってして。
燃え盛る木々を背後に、長大な蒼白剣を抜見に右手へ携え。
もう一度、男は低い声で念を押す。
「さあ、今すぐに戦闘態勢を解け。なにかの隠し玉も、氷の拘束もである。武器を捨てて丸腰になれとまでは言わぬが、凡そ近い状態を示すのだ」
眉を寄せてはいるが、急かしている訳ではないだろう。恐らく深い眉間のしわは、失礼ながら俺と同じように、そういう人相だ。
とはいえ、逆らうつもりなど起きる筈もない。
いや、そもそも。
「……なン、なんだよ」
あまりに突然の出来事に、正直のところ頭が回っていない。そう強制されずとも、気を逸らされ自ずと戦意が擦れていた。
前方のリリーシャや歩み寄る千雪たちも、暫し無言に立ち尽くす。この場に居るほとんどは、彼の登場そのものによって毒気を抜かれた状態だった。
そして静まった思考に、遅れて彼の言葉が理解される。戦闘を停止しなければ、国という規模による制裁があると。
「……っ」
俺はそのまま両手を下ろし、構えることもしない。ただ立つ姿だけを見せ、戦闘の意志がないことを示した。……生憎、全身を包む硬化を解くことは、現状出来ないらしいが。
合わせてリリーシャも、突き出していた右手をゆるりと下げる。それによって彼女を覆っていた障壁が霧散し、背後や上空に展開されていた魔法陣たちも消え失せた。その後も男の姿を静観するだけで、戦闘停止の物言いにも、今のところ言葉を返そうとはしていない。
ただ、千雪だけが、その氷を解こうとはしなかった。
何故ならば。
「……えっと、第一皇子様。よろしいでしょうか」
「ウム、貴女は雪女に違いないか。言葉を許そう。何故、氷を解かない?」
「それはその、見ての通りでして。……逆に、解いても大丈夫でしょうか?」
千雪が伺いを立てるのも、当然だ。
何故ならば、彼女の氷によって動きを制されたヤツが――魁島鍛治が目を剥き、背後から現れた皇子らを睨み付けているから。
現状ただ一人、その殺意を収めることもなく、むしろ一層色濃く怒りを散らしているから。
「フム、我輩への気遣いであったか。ありがたい。我輩は見ての通り抜剣しており、傍には騎士も控えているが――厚意というのであれば、引き続きお願いしよう」
言って、男は小さく頭を下げ。
続けて目前の、尚も戦意を纏う鬼狩りへと向き直った。
変わらず薄暗い表情で、逆らう魁島へ平静を揺るがされることもなく、そのままに。
「では、ただ一人爪を隠さぬ貴殿よ。我輩の言葉を正しく理解して尚、矛を収める気はないか。それとも言葉の意味を理解出来ぬ獣であったか?」
「ハッ。テメェが好き勝手口走ってるってのは、よォく理解してるぜ。何様だクソがァ」
「我輩は皇子様である。自ら口にするのは些か高慢であるが、なかなかに高位であるぞ」
「だったらしっかり道理は通して欲しいなァ。それとも礼節は習ってねェってかァ? 島への訪問についても、聞いてねェぞ」
「……やれやれ」
皇子は小さく息を吐き、首を左右に振るう。
魁島はその言に衣を着せることもなく、傍らに立つ鴉魎も、それを止めようとはしなかった。
「確かに我輩は正規の方法で訪れてはいない。謝辞を。突然の訪問、失礼した。こちらの勝手な事情故に、礼節を欠いたことを認めよう」
よって。
男は続けて、言った。
「よって、正式に客人であった我が国の騎士、ヴァン・レオンハートの流血を不問としよう。互いに手打ち――寛大な措置であろう?」
その物言いに、今度こそ。
「フッッヅざけンじゃねェエエ!!!」
魁島は喉を開き、吼えた。
ふざけるな、どこまで勝手なんだ、と。
「なにが皇子だァ!!? 他所から来やがった軟弱野郎が、好き勝手言いやがってッツツ!!!」
「フッフ。軟弱野郎とは、返す言葉もない。だが別段、今の返答は的を射ているであろう? 我輩の行動は礼節を欠いた程度であるが、貴殿らのヴァンへの仕打ちは明らかな逸脱行為だ。それを不問とする我輩が、寛大以外のなんだというのか」
皇子の言い分は、確かに間違ってはいない。だが第三者の立場から聞いても、大きくズレてしまっている。
その寛大は見るからに、上の立場から叩き付けられたモノだ。
魁島には、その勝手が気に入らない。
「冗談じゃねェ! なにが許す許さねェだ、なにが制裁だ! コッチはコッチの都合で戦ってんだ! 他所様が勝手に停戦だの、口を挟むんじゃねェ! あの鬼は今、これから、殺すんだよォ!!!」
「……それを止めよと言っている。都合予定段取り、それら全てを白紙にせよと命じている。勿論こちらの都合であるが――その辺りを話し合う時間が欲しい、というのが本心の狙いである」
「話し合う必要なんかねェ! 決定事項だ!」
「フム。もしやこの島の長は貴殿であったのか? 今宵の戦いやそれに繋がる動きの全ても、貴殿が画策したものであったか? もしくは後ろで手を引いていた、いわゆる黒幕という立場に――」
「ごちゃごちゃと意味の分からねェことを――!!!」
遂に、魁島が声を上げると同時に、両腕の再生が果たされた。
手のひらから爪先まで全てが、リリーシャに吹き飛ばされる前の状態へと戻される。
「大体よォ、なんなんだテメェらは! 勝手に他所から来やがって、管理だの協定だの、制裁だの上からモノ言いやがって! なにが異世界特区だ、ふざけんじゃねェ!!!」
「それは今更我々が話したところで仕方なかろう。偶然か必然か、この世界と我々は繋がってしまった。関係性の構築は避けられず、既に異世界への知識を持った我輩たちが、優位性を得るのは必然だ」
「だったらなんで妖怪と手を組みやがった!!? この世界を統治する人間と手を結ばなかった!!? なんで、オレ様たちじゃなかったんだよォ!!!」
「フム、諸説あるが。この世界の流れを乱したくなかった、というのが通説であるな。我輩たち異なる世界の存在は、この国の規則に乗っ取り、常識から外れたままに存在するべきという」
「だったら干渉してくんじゃねェよ!!! 見つけても放っておけよ!!! 妖怪とも人間とも関わらず、気になるってんなら隠れて見てればよかっただろうがァ!!!」
その怒声に意味はなかったのだろう。皇子の言った通り、今更で、仕方のない現実で。
それでもヤツは、叫ばずにはいられなかったんだろう。この現状へ対して、この状況へと運ばせた、異世界という要因へ対して。
「テメェらさえ居なければ、あのクソ鬼ォ! 騎士も、魔法使いも、皇子も、全部■部全部邪魔邪魔■魔邪■ばかり■□がッてクソが、クソクソ■ソ■■クソッッ■ツツツ!!!」
そして魁島はその両腕を、俺と同様に、爪先から溢れ出た赤黒い泥で浸食し始め――。
「お待ちなさい、鍛治」
それを、鴉魎が制した。
再び魁島の両腕を共に、肘から上を斬り飛ばすことによって。
目にも止まらぬ一瞬の踏み入りと、抜刀。魁島と皇子の間へ割り入った鴉魎は、怒り狂う同胞を穿った。
怒りも呆れも感じられない、無表情のままに。
「ッ、ガ!?」
「――再びの抜刀、及び准鬼将の無礼をお許し下さい」
どころか、鴉魎は魁島へ目もくれることなく、すぐさま振り向き直り小さく頭を下げる。つい先刻まで並び立っていた相手に手を下しておきながら、なんの感慨も抱いていない。
あまりにも、冷酷に。
「我々鬼狩りは、鬼という獣の血を流す故に。皇子のご厚意には感謝致しますが、こうなっては、意思疎通を図るだけ無駄であります」
つきましては――この男を殺すか、生かすか。
それだけをお考え下さい、と。
そんなことまで、言ってのけるのだった。
「……フッフッフ。なにもそこまでは言うまい。酷く感情的ではあるが、その男の言い分も間違ってはいない。殺さぬとも」
男もまた、飄々と笑みをこぼし答える。暗くくたびれた笑みは、ただ口の端を持ち上げただけとも見えたが。
「ああはなりたくないね」
不意に、リリーシャが小さく呟いた。
それは果たしてどちらを指していたのか、それともどちらをもなのか。
今一度。
皇子は未だ唸り声をこぼす魁島や、俺たちを一瞥し。
――今宵の戦いは終わりだと、再度宣言した。
「疑念も不満も尽きぬことは承知している。しかしこの場は我輩が閉めよう。なにしろどうにも、厄介な思惑がそこいら中へ張り巡らされているようなのでね」
曰く、この戦いも仕組まれている可能性がある。
この島の鬼狩りたちや、俺たちではなく、完全に戦いの外に位置する『誰か』が、なにかを画策し手引きをしていると。
しかもこの場やこの日本国に留まらず、彼らのアヴァロン国にまで、異世界の範囲で影響を及ぼす可能性があると。
それ故に、この戦いを中断させる。
皇子は短く、そう説明してみせた。
「そういう訳なので、さっそくこの島の代表と話を合わせたい。それまでは、全ての戦闘行為を禁じる。よいな」
誰がなにを画策しているか分からない以上、全ての流血が何者かの狙いであり、全ての死が我が国の損失である。
ならばこそ、それらを示唆する行動を起こす輩は、総じて敵とみなす。
そう判断せざるを得ない状況であると、皇子は断言した。
「なに、転移を阻害するなにかを展開しているのであろう? 誰一人として島から出ることは出来ぬし、そうした者もまた敵対行為とみなそう。もっともこの鳥籠そのものが企てである可能性が高いが……そこは利用させてもらうとしよう」
それで終わりだ。
俺たち全員は戦うことを許されず、けれども、この島を立ち去ることをも許されない。全ては話し合いの後に。関わる全ての裏側に、隠されたなにかが暴かれた果てに。
画策を、暗躍を、速やかに詳らかに。
「よかろう。その裏さえ取り終わったならば、戦闘行為を再び許そう」
それが皇子の定めた、全てを上書きする絶対的なルールとなった。