第四章【28】「圧倒/警告」
一閃。
少女の背後より放たれた光線により、魁島は両腕を吹き飛ばされた。
肘を撃ち抜き、武具を諸共に千切り飛ばす一撃。寸前、魁島は迫る閃光へと刃を振るい、対応すべく動いていた筈だが。
恐らくは、試みていた反撃を予測し――刀剣が魔法を扱うが故に、完全に制された。閃光が僅かに屈折し、展開した迎え撃つ刃の旋風を回避した。針の穴程の合間を縫って、腕へと直撃せしめたのだ。
それは視認や感知などといったレベルではなく、全ての流れを掌握し切った正確無比の攻撃。使い手の名を関する彼女らにしか踏み入ることの出来ない、遥か高みの領域。
魔法使いに魔法で敵うはずがないだろうと、覆しようのない事実。
「ッ、――ガ」
成す術もなく両腕を奪われ、後方へと倒れ込む魁島は。
しかし、左足を一歩後退させ、踏み止まり。
喉を晒し、叫んだ。
「行けッツ!!!」
その命令を合図に。
瞬間――ザン、と。
『――――!』
取り囲み、燃え盛る木々の影より。
一瞬にして現れた仮面の鬼狩りたちが、一斉にリリーシャへと飛び掛かった。
左右側面と背後。魁島へ攻撃を集中させていた彼女にとっては、完全な意識外からの複数人による強襲。タイミングも、一撃が通った直後という思考の隙を突いた不意打ち。
刹那に入り込まれる刃たちは、総勢五名が連なる。決して多くはないが、それでも剣閃を届かせたならば、十分な必殺に成り得るだろう。
が、それは。
あくまで強襲に成功した話であり、目論見が的を射ていた場合であり。
誤った認識では、対抗し得ない。
バキリ、と。
響き渡る鈍い轟きは、人体を穿った刺突音ではない。
突き立てた刃らの方が、折れ砕けた破壊音だ。
『――――!?』
面に覆われた彼らの表情は計り知れないが、取り囲む誰もが制止し、振るった刀剣の生末を呆然と見送る。真ん中で綺麗に断たれ、または根元まで砕かれ、失われた刀身を。
刃は目的を達成することなく、道半ばにして阻まれ折られた。その切っ先では到底敵うことない、強固な障壁によって。
そうだとも。知っていた。忘れる筈もない。
リリーシャには、指一本たりとも触れることを許さない、盾があるのだ。
「なあに、コレ」
心底つまらなさそうに。
リリーシャは半透明の防壁を展開したままに、その外側で立ち尽くす鬼狩りたちを見回し、大きく息を吐いた。
この無様な体たらくは、何事だと。
「猪突猛進、って言うんだっけ? それとも捨て身の特攻ってヤツ? ……まさか今のが好機を狙った一撃、って訳じゃないよね?」
答える声はなく。
ただ立ち往生する、鬼狩りらへ。
「あの人に攻撃してる隙を突いた、とか? 一撃喰らわせて、達成感とかそういうのに慢心してる、とか? あたしが盲目的になってるって推測? ……あのさぁ」
リリーシャは、ただ冷淡に言い捨て。
そしてゆっくりと、気だるげに右手を持ち上げ――。
「あなたたち相手になんの集中も必要ないし、なあんの感慨もないんだけど」
その手を振り下ろし、瞬間。
一帯が光に包まれ、大きく弾け飛んだ。
発散された衝撃波が連中の身体を浮かせ、直後には迸る雷撃が叩き込まれる。鬼狩りたちは頭部や胸を撃たれ、防御や回避が間に合ったヤツも、手足を千切られた。
五体無事になど済まされない。一人残らず、致命の深手を与えられる。
一片の容赦も躊躇いも、言葉通りの感慨もない。
「……ッ」
あの夜と同じだ。
この身が何度喪失を繰り返したか。どれだけ街が破壊されたか。どれ程多くの死傷者が血を流したか。
気を許すな、などと、余計なお世話だ。許せる筈もないだろうが。
だが今この時、その力は俺の側で振るわれている。この身を逃がす目的で、またしても多くの血を流させている。
じゃあそれを許せないのか?
「はッ」
それこそ、馬鹿な。
許さないなどと、言えるわけがない。
この俺の手だって、自分の為に、十分に汚れているじゃねぇか。それを棚に上げるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
今だってそうだ。リリーシャだけじゃない。
本来、彼女へ強襲したのは五人ではなく、七人であり――。
彼女へ背後から迫った二人は――俺が仕留めた。
すれ違い様に、走り抜けようとした二人の頭部と腹部を、それぞれこの爪で抉り取ってやったのだから。
「オイオイ、普通に考エろよ」
右手で脳を叩き潰したヤツは、当然即死した。左手で脇腹をぶち抜いてやった天狗面の鬼狩りは、まだ近くでのたうち回っている。
コレはソイツへの叱責だ。
「一斉攻撃って作戦だったンだろうが、俺を無視するのはダメだろ。ンなモン、近くを通られたらそりゃあ、手が出ルに決まってらァ」
返事はない。
ソイツはとめどない流血を抑えようと、必死に両手を腹部に当てて、呼吸し喘いでいるだけ。傷口には一応、紫電の光が見て取れるが――俺や魁島のようにはいかないらしい。
可哀想に、転がり回るばかりだ。
『――ッ!? ――ガ、ギ』
「半端にも至らネぇ出来損ないか。諦めるんだな」
それだけ言って、視線を戻し立ち直る。
すれば振り向くリリーシャが、口元を歪めていた。冷たい笑顔のままに、ただ無言で俺のやり取りを見ていた。
連中に向けた軽蔑や、退屈そうな視線とは違う。
もっと、嫌な感情を纏わせたモノだ。
「……ンだよ」
「いいえ、なんでも。案外、そういう顔も出来るのねって思っただけ」
「なんでもあるじゃネぇか」
「大したことではないじゃん」
「ハッ」
それは、どうだろうな。
「助ける気が失せたか?」
「そんなの元から失せてる。でもまあ、ここにきて手を汚さないとか綺麗ごとを言ってたら、それこそ見捨てて放り投げるか、あたしがあなたを殺してたわ」
「そうかヨ。ご期待に添えてナによりだ」
そんな軽口を言い合うが。
続く言葉は、再度の絶叫によって掻き消された。
「ッッッツツツ! ごちゃごちゃと喋ってんじゃねェ!!!」
肩口から紫電を奔らせ、目を見開き歯を剥く。更にはその傍らに、別の面有りの鬼狩りたちが六人立ち並んで。
だけど追撃はない。誰もが手に刀剣を握り構えながら、腰を落とし臨戦態勢でありながら、一歩たりとも動き出すことが出来ない。
たった一人の少女に、絶対的な魔法使いを相手に、踏み入ることが出来ない。
その上、重ねて。
パキリ、と。燃え盛る光景を裏返すように、彼らの足場が氷塊に埋め尽くされた。
「ッ!? チィィィイイ!」
困惑の後に声を張り上げるが、両腕を失い、足を囚われては成す術がない。魁島同様に、他の連中もただ動揺しその場へ張り付けられていた。お生憎様、先刻の炎のような対抗手段は誰も持ち合わせていなかったらしい。
それから遅れて、側面から歩み寄る着物姿の少女が。
「……ゆーくん。無事で、よかった。大丈夫?」
「チビ――千雪」
引き離されていたが、なんとか合流か。相変わらず自分を差し置いて、こっちの安否の確認から入りやがって。
見れば白の着物は焦げ落ちボロボロで、本人の顔色もまるで良くない。額にも腕や足にも、肌色が剥がれ半透明な氷面が覗いたままだ。お前こそ、ギリギリ大丈夫って感じじゃねぇか。
それでも五体無事に、ふらふらながらもゆっくり歩みを進めるのは、両手で抱え持った大きな氷塊のお陰だろうか。
窺えば予想通り、不服そうに眉を寄せながらも、千雪が言った。
「……助かったわ、リリーシャ・ユークリニド」
「だろうね。あたしがあなたに気付いて氷塊を落としてやらなかったら、今頃森の火で溶けてなくなってたんじゃない?」
「……やっぱり嫌な人。森に火を付けたのは誰なんだか」
「今だってキツイなら大人しくしてていいんだよ。あなたが足止めしなくたって、あたし一人で十分過ぎるんだから」
見るからに複雑そうな千雪に対し、リリーシャは飄々とした表情を変えない。魁島たちと同様に、大して気に掛ける程の相手ではないという感じだ。言う通り、この戦況は彼女一人で十分過ぎている。居ても居なくとも、ってか。
「どちらにしろ、これで一旦、か?」
戦力としても上回り、千雪によって動きすらをも制した。このまま氷がヤツらを覆うか、俺かリリーシャが手を下せば、それでこの場はお終いだ。
ふと、大きく息を吐く。
当然、それは終わったという安堵から来るものではない。次の局面へと繋がる、ほんの些細な息継ぎだ。
なにしろまだ――と、ヤツが頭を過ぎったところで。
間もなく。
背筋が凍り付く感覚に、全身が強張った。
当たり前に、雪女がどうこうではない。
千雪もリリーシャも、すぐさま表情を尖らせ警戒態勢に入る。
ああ。
ついに、お出ましだ。
「リリーシャ」
「……聞いてる、ヤバいのが居るんだって。なんならそれっぽい奴にさっき、上から何発かお見舞いしてやった筈なんだけど」
案の定、簡単には片付かなかったようだ。
やがて、両腕を再生していく魁島の、立ち並び動きを制された鬼狩りたちの、その向こう側。燃え盛る木々の奥に、人の影が表れる。それはゆっくりと歩み寄り、俺たちの前へと姿を晒した。
黒衣の鬼狩り。鬼将、鴉魎。
しかし、現れるや否や、鴉魎は。
「――停戦、と、行きましょうか」
そんなことを、口にするのだった。
見たところ、その両手には刀剣が握られていない。再び腰元の鞘へと戻され、戦意の欠片すらも感じられない。
にわかに信じ難いが、ヤツはブラフでもなんでもなく。
「今宵の戦いはこれまで。……残念ながら根負け、と言うべきですか。どうやら運命の女神は、我々の狙いとは違った結末をお望みのようで」
と、そう続けるのだった。
運命の女神。その言い草に、真っ先に行き当たったのはリリーシャの登場だったが――果たして鴉魎が俺たちを映す瞳は、降参のような敗色を帯びてはいない。俺や彼女へ対して、脅威を感じているようには思えない。
口元を固く結びながらも、それはむしろ、懸命に笑みを堪えているかのような。
そして、遅れ気付く。
鴉魎に続き、彼の後ろから姿を現す――二人。
一方は、鴉魎と同じく大剣を鞘に納め、戦意を削いだ聖騎士。鎧を失い、口元には血を拭った痕を残しながら、それでもヴァンの瞳は強く開かれている。いや、今は一層、気を引き締めているのか。
それもその筈だ。
何故なら、もう一人。
ヴァンが先導し連れた、その人物は――。
「フッフッフ、女神とは。このようなくたびれた男を形容する言葉ではありませぬな」
呟く男は、見るからに豪勢華美。
白を基調とした礼服は、彼の所属を明らかに。けれども見知ったヴァンの正装とは大きく異なり、複数の大きな金飾りをあしらい、その身を眩く輝かせている。
衣装と同様に、手に携えた抜身の蒼白剣もまた、この暗闇の中で目を引く程に純白を発する。間違いなく、ヴァンの持つ大剣に相当する代物だろう。
だが、そんな身なりとは一転して。
腰に届く程の金髪は、どこかくすんで色落ちし、手入れが及ばずか左右に乱れている。長く下がった前髪もまるで揃えられておらず、その向こう側、ギロリと除く眼も混濁して。白剣に照らし出された目元には、色濃く隈までもが浮かんでいた。
くたびれ、陰鬱な風貌ながら――それでも尚、金光を発する。
「――全員、直ちに武器を納めよ。異能の類を解除せよ」
彼こそは、
「アヴァロン国第一皇子、シュタイン・オヴェイロンの名の下に命じる」
第一皇子。
すなわちアヴァロン国の現国王の嫡子。次の王を確約された男。
それ程の人間が、宣言した。
「全ての戦闘行為を停止せよ。でなければその者は我輩を敵に回し――すなわち我が国による制裁を覚悟せよ」
と。