第四章【26】「反撃の狼煙」
片桐裕馬は鬼だった。
過去は鬼餓島で牢獄へ閉じ込められ、抜け出した先の街で事件を起こし、更にはその事件で死者を出していた。
この手は既に血に汚れ、人の命を奪っていた。
許されざる化物だった。
今日だってそうだ。
俺は何人もの、鬼狩りの子どもたちを手にかけた。
逃げる為に、生存を勝ち取る為に。
その生きた先に、なにも見出していないというのに。
ただ死にたくないと、絶えたくないという血の本能に従って、多くの命を奪った。
なんの価値もない、死ぬことでしか世の為に尽くせない分際で。
『生』にしがみつくだけの、化物でしかないというのに。
俺の罪は明白で、自分自身ですら、俺を無価値であると見下げている。なにも持ち得ない虚ろな存在でありながら、その癖他者の生を貪るクソ野郎だと。
死ねないだけで、死んでしまった方がいいって、そんな風にすら思ってしまう程に。
――でも。
それら全ては、魁島ら鬼狩りの目線と、ただ自己評価でしかなかった。
「魁島、ァ」
オマエの言い分は、なにひとつ間違っていない。俺への評価も、その存在価値も、罪へ対する憤怒の感情も。全てが正当なモノだ。俺は連中のそれらをなに一つとして否定出来ず、返す言葉もありはしない。
だけど。
「……オマエの話には、『俺以外』が、ねェよ」
それらを俺が完全に肯定することは、出来なかった。
なによりも自分が無価値だと自覚し、生きている意味がないと自己否定しようとも――そうであるから、尚更に。
周りにいるヤツらが。
価値のある、かけがえのないヤツらがかけてくれた言葉たちを。
それらを『ないモノ』として扱うことは、出来なかった。
魁島の言い分には、昔の俺と、直近の俺と、現在の俺と、それしかない。
それだけの『俺』でしか、ない。
だからなにも、間違ってはいないけれど。
「……俺にも、希望はある」
たとえ自分に価値がなくたって、未来がなくたって。
自分ではない『誰か』に、それを見出したっていい筈だ。
「ヴァンも言ってただろうが。俺と、取り巻く環境が必要だってよ。あの時、オマエは俺がオマケじゃねぇかって言ったが、本当にその通りだ」
あの場所で、俺個人の価値なんてたかが知れている。戦力としても、人柄としても、なに一つとして突出したモノはない。
その上、魁島によって暴かれた。自分自身さえも、自分に価値を見出せない。夢も希望も、自身に対して未来の羨望がない。生き続ける価値がない、と。
俺にはなにもない。なにもないのに、阻む障害を踏み潰して生き足掻く。
我ながら本当に歪で、許されない。在り続けるに堪えない最低の人外だ。
それは間違っていない、大正解だ。
だけど。
「だけど、ここを逃げた先に、生きた先には――『ナニカ』があると、信じている」
俺にはなにもないけれど。
自分の内側から希望を作り出すことは、出来ないけれど。
他の誰かから、この先、そのナニカを得られるんじゃないかって。
そんな風には、思えているんだ。
あの日、偶然にも、アイツの転移に立ち会わせて。
それから少しずつ、変わっていくものがあったんだ。
アイツとの出会いが、もたらしてくれたモノがあったんだ。
だからッツ!
「俺はまだ、諦めねェ!!!」
誰かに頼ることしか出来ないことを、待ち続けることしか出来ない自分を、情けないとは思うけれど。それでも、それが今出来る唯一の道先だから。
俺はそれを、全力で手繰り寄せてみせる。
生存を捨てない。
可能性を捨てない。
どれだけ非難されようとも、どれだけこの手を汚そうとも、この俺自身には、なんの価値がなくたって。
命も希望も、投げ出すことはしない!
「それが俺の意志だ!」
それが、俺の選んだ未来への道だ。
いつかナニカを手に入れる為に、今、この瞬間を!
「絶対に、生き残るんだ!!!」
「それが許されねェって言ってんだろうがァ!!!」
眼光を見開き、再び、二刀を振るい襲い来る。
硬皮を穿つ、旋風纏いし右刀。瘴気を滲ませ、猛毒を振り撒く左刀。それらを繰り出す高速の剣舞を、防ぎ切ることは出来ない。
「そのクソみてェな意志諸共、テメェを終わらせるッツツツ!!!」
振り下ろされた刀剣を、両腕で防ぎ、しかしその両腕を簡単に飛ばされる。そうして開かれた胸元へと、続く刃が注がれる。
暴かれる、散らされる。
すぐさま元通りになった腕を振り被っても、瞬く間に対応され微塵に絶たれてしまう。
引き下がろうにも足を大きく斬られ膝を落とし、噛み付こうにも顎や喉を簡単に裂かれて。それら全てが瞬時に再生しようが、またすぐにダメにされる。
抗えば抗う程に、苛烈な斬撃は数を増していく。行く手も逃げ道も、その全てを剥奪される。ただこの場で崩れ落ち息絶えろと、何度も何度も殺される。
万に一つも勝機はない。
それを作れる力も足りていない。
「――それ、でもッツツツ!!!」
血反吐を散らす口を閉じ、食い縛る。
それでもと前のめりに、両手の拳を握り締める。
絶対に諦めない。絶対に折れない。絶対にここを乗り越えてみせる。
あの場所へ、サリュたちの待つ街へ帰ることさえ出来たなら。
俺は、今度こそ――ッ!
「オオオオオオ■■オオオオオオオオオ■■□■■■■!!!」
そして、もうなにも躊躇わないと号哭し。
ガチリと、自分の内側で、なにかが切り替わるのを確信した。
――その時だった。
それは、突如として。
耳をつんざく爆音が、大気を激しく震わせた。
「ッ!?」
息を呑み、目を見開く。
発生源は、遠くない上空か。爆音轟く寸前、木々の葉を抜けて、夜空がカッと瞬いたのが見えた。島の上で、なにかが起こされたのだ。
類似する、ヴァンの輝きが思い出される。しかしあの聖剣の輝きであるならば、もっと膨大な光量を以て、光の柱を形作る筈だ。一瞬の明滅は間違いなく、なにかの爆発だったような。
などと、呆気に取られている間にも、続け様に。
その爆発は、一つに収まらなかった。
間もなく、再び夜空が明滅すると同時に、大地を震わせるほどの爆発が起こされた。それも今度こそ、爆心地は地上だ。
たった今にも、カッと頭上で瞬いた光が、消えることなく徐々に強さを増し――。
「ッ!? ここだ! 退避しろォ!」
魁島が命じ叫ぶ。
それでようやく事態に気が付くが、誰も間に合わない。
成す術なく。
目前へと、青白い光の束が落とされた。
巻き起こる爆発に肌を焼き焦がされ、爆風に煽られ吹き飛ばされる。踏み止まろうにも土草を諸共に払われては、立ち続けることが出来なかった。
「ガ、ァ――!?」
二転、三転。無様に転がり回された後、地面を握り締め這いつくばる。激しい耳鳴りと頭痛は平衡感覚を奪い、とてもすぐに立ち上がることを許さなかった。この身体であるが故に無事な状態になっているが、周囲に居た連中がどうなったのかは……。
そうして重い頭を持ち上げ、見上げれば――そこには大きなクレーターが開かれ。
バチバチと火花を散らす、放電の痕が残されていた。
木々を消失し、開かれた夜空を仰ぎ見る。
すれば――尚も降り注ぐ、流星の様な光の束が。
迸る落雷が。
巨大な火槍が。
極長の光太刀が。
落下し大地を抉るそれらは、複数浮かぶ光点から――発光する、円形の陣から撃ち下ろされていた。
その総数、十数か。まるで加減もなく、容赦も躊躇もすることなく、破壊の光は次々と島へ叩き込まれ、破壊を巻き起こす。
ソレら光点は魔法陣――強いては魔法式と呼ばれるモノだ。
魔法使いと呼ばれる彼女らが扱う、別の世界の法則だ。
「クソがァァァアアア!!!」
響き渡る怒号に、視線を下ろす。
クレーターの間際。全身から煙を上げ、紫電を奔らせた魁島は、空へと喉元を晒していた。
何故だ、有り得ない。
転移封じは、確かに発動した筈だ、と。
「ふざけんじゃねェ! 雪女と同じ、予め島に入ってやがったのか!!? それとも、――クソッツツツツツ!!!」
ギロリと、その双眸が蠢き俺を見抜く。
魁島は号令を叫んだ。
「退避だ! 動けるヤツは、全員今すぐ引け! なにかしてェとほざく余裕のある馬鹿は、救助と消火に専念しろ! 攻撃に構うな!」
そして、
「あの鬼は殺す! オレ様が、今ここで!!!」
声を張り上げ、魁島は両手の刀剣を構え。
すぐさまに、土煙を上げて一気に飛び出す。
今一度、ただ一人俺だけを標的と定め、その距離を詰め襲い来る。
だが、この身へ迫る、その直線上へと。
巨大な落雷が降り注がれた。
大地を穿つ雷は、散らした土を赤く焦がす程に。僅かに居残る放電さえも、一人を容易に呑み込む範囲へ広がり、霧散した。
「ッ――!!?」
間一髪。寸前で後退した魁島は、二の足を踏む。何故ならそれは明白に、その雷が、確かな狙いを以て魁島の接近を阻害したからだ。開かれた空からの一撃が、こうもピンポイントに、意図的でない筈がない。
同時に、それは整地でもあった。
この場へ降りて来る為に、邪魔なモノを焼き払ったに過ぎない。
今こそ、空より一つの影が、この場所へと迫り来る。
上空、僅かに視認出来る距離に浮遊していた『彼女』が、ゆっくりと降りて来る。
彼女は、ほんの小さな少女であり。
「……っ」
その接近に、嫌な悪寒が背筋を震わせた。
冷たい汗が頬を伝い、気付けば拳を握る力が入る。ようやく這いから立ち上がるが、緊張に強張る身体は、思う通りに安定を保つのが精一杯だった。
友軍か、それとも第三者なのか。
どちらにしろ、鬼狩りたちへは真っ向から対立しているらしいが、安堵など出来る筈もない。
何故なら彼女は魔法使いでありながら、決して親しい間柄の人物ではないのだから。
彼女が、サリュであるならば。サリュが助けに来てくれたというのであれば、これ程の破壊を振り撒くとは思えない。初対面とは違い、今では色んな制約や、感情を抱えているのだから。
なにより、こんなにも。
息苦しい程に濃密な圧迫感を、纏わせてなどいない。
「……なん、で」
だが、その魔法は見る限り、サリュに匹敵している。どころか、数分にして火の海を作り出した破壊力は、サリュの魔法を上回っているようにすら感じられた。
そして近付く人影の、この既視感は。
「なんで、お前が……」
新たに現れた、初見の魔法使いでないならば。
思い当たるのは、ただ一人しかいなかった。
やがて、悠々と大地へ降り立つ。
呆然と立ち尽くす俺と、動きを制され歯噛みする魁島の、丁度中間の地点へ。
翻る黒衣は暗闇に紛れる、魔女の様に。
けれど俺の知る少女とは違い、頭上に特徴的な帽子はなく、フードを深被りに額へ影を落とす。
重ねてその左肩口からは、羽織られた黒のマントが、腕を覆い隠すように垂れ下がり。
間違いない。
コイツは――。
「次にあなたと会う時は、殺す時だと思っていたわ。そう決めていたし、企んでいたわ。なのに、どういう因果なのかな」
覗かせた鋭い視線は、隠し切れない不満と、強い殺意を色濃く表して。
それでも、彼女は言った。
「っは、そう怪訝そうな顔はしないでくれる? あたし、あなたを助けに来たんだから」
リリーシャ・ユークリニド。
かつて俺たちの前に立ち塞がり、藤ヶ丘の街を襲い、サリュを殺しにかかった魔法使いの彼女が。
この鬼餓島へ現れ、そして。
到底信じ難いその言葉を、再度繰り返した。
「もう一度言うよ。怪訝そうな顔で睨むのはヤメテ。助けに来たって言ってるでしょ」
と。