第四章【25】「自業自得/因果応報」
「テメェが起こした事件。中学生の頃、だったか? 同学年の生徒をブン殴ったって事件だ」
言われ、ゾクリと背筋が凍る。嫌な汗が吹き出して、身体が一層重みを増した。
それを分かった上で、だろう。魁島は頬を吊り上げ、続けた。
「聞いた時はまァ、痛快だったぜ。結局この島の外でも問題を起こしちまったって部分もだがァ、その上被害者が虐めっ子って、傑作だろ。どっちも因果応報だ。テメェは鬼であることから逃げられず、虐めなんて下らねぇ馬鹿やってた連中も裁かれた。大笑いしちまうくらいに最高だぜェ!」
「ッ。――テメェ!」
「だけど、よォ」
続く。
魁島は笑みを浮かべたまま、けれど。
――ギラギラと目を見開いて、眉を寄せて。
「その件で鬼狩りの仲間が一人死んだってのは、許せねぇよなぁ?」
そんなことを、言った。
そんな、到底、冗談では済まされない、悪い■■を。
「――――――――は」
そんなのは、知らない。
そんな筈はない。
あの事件に、死者は居ないと聞いている。どいつもこいつも病院送りで、後遺症に苦しむヤツも居ただろうし、忘れられないトラウマを刻まれたヤツだって居ただろうが。
許されないことに、違いはない。
だけど、それでも、そんな筈は。
「――――違、う」
俺は、知らない。
俺自身も、今も思い出されていく過去の記憶たちの中にも、ソレはない。正真正銘に、覚えていない、のに。
魁島が嘘をついている。なにかの出任せを口走っている。
そういう風にも、思えなくて。
「――……なん、なんだよ」
「オイオイ、知らなかったのかよ。知らされてもねぇし、覚えてもねぇってかァ? それともまさか――記憶に留まる価値もなかったとか、言うんじゃねぇだろうなァ」
魁島は言った。
「あの日テメェの暴走を止めに入った、勇気ある鬼狩りが一人、死んでんだよ」
「――――――――」
言葉を、失う。
それは本当に、欠片も知らなかったことで。
それはつまり、決して許される筈のないあの事件が。
今まで認識していた以上に、凄惨で、残酷な事件だったってことに……。
「別になァ、ソイツはオレ様の友達でもなんでもなかった」
魁島はゆっくりと、語りを始めた。
周りを取り囲む鬼狩りたちを見回し、彼ら一人一人の反応に、目を配りながら。
「ハッ、テメェのことを言える立場でもねェかもなァ。正直、当時ソイツを島で埋葬する際に、その死に顔を見てやったが――オレ様もまったく覚えがなかった。ま、落ちこぼれってヤツだろうさ。オレ様程の実力もなければ、大した努力をしていた訳でもなかったんだろう」
だから視界に映っていたとしても、記憶に留めていなかった。覚える程の価値がないヤツだと、傲慢にも見限っていた。
「だが、今は覚えている」
生きたソイツを覚えてはいないが、死に顔だけは覚えている。
魁島はそう言った。
「下っ端だったソイツは、下っ端に相応しい、テメェの監視という役割が与えられていた。島を出たテメェを追い回し監視し報告する。確かテメェの一つ下の学年だったかァ? 同じ学校に通い、登校から下校まで自由時間の全てを捨てて付きまとう、ストーカーまがいの底辺の任務だよ。ま、落ちこぼれの薄影野郎だからこそ出来た、適材適所な任務には違いねぇがな」
片桐の鬼のその後を見張り、定期連絡にて状況を伝える。ただそれだけの任務。なにかあっても手を出す必要もなく、その異常事態を報告することだけが求められていた。
安全で、退屈な、やりがいなんてなにもない。
そんな任務だった。
――なのに。
「だがソイツは暴走の瞬間、それを止めに入りやがった」
血塗れの教室へ。
暴れ回る鬼へ。
その身を呈して、――命を捨てて。
「馬鹿な男だぜ! 暴走を止めろ、なんて役割は与えられてなかったのによォ! ただ監視して報告するだけだった任務を逸脱して、どころか任務の放棄だ!」
それなのに、男は事態へ介入してしまった。
暴力を振り撒き血を滴らせる鬼に、立ち塞がり対峙してしまった。
「凄惨な死に顔だったぜェ! 顔面は原型がない程に腫れ上がって、頭は割れて散々。腕は潰れて足もぐっちゃぐちゃでよォ! 多分十秒も抵抗出来なかっただろうなァ! 弱ェヤツがしゃしゃり出るから、そうなるんだ!」
だが、その行為がどれ程の勇気を必要としたのか。或いは性根からの善人で、迷いなく事態へ飛び込んで行けたのか。
どちらにしろ、彼は、なんて――。
そして、その彼は、もう……。
「あァ、言ってやるぜ。悔しいが、ソイツの顔は忘れられなくなっちまった。その馬鹿を、オレ様は認めちまったァ!」
魁島は今一度、俺を睨んだ。
再び強い怒りを纏い、殺意を振り撒きながら。
両手に握り締めた刀剣を、カチリと鳴らしながら。
「馬鹿げた事件の、馬鹿な加害者に馬鹿な被害者。飛び込んだソイツも馬鹿には違いねぇがァ、――異形の横行を見過ごせねェって在り方は、正しい鬼狩りだ。雑魚の癖によォ、誇り高いじゃねぇか」
「……っ」
「どうだァ、聞いた感想は? 思い出したかァ、それとも初めて知ったかァ? どちらにしろテメェは――オイオイオイオイ、どうしたどうしたァ? なんでその爪で自分の首を絶ち切らない? なんで自分の心臓をわしづかみに潰してみせない? なんでうずくまったまま固まってんだよ、なにショック受けてるようなフリしてんだよ」
そして、魁島は。
声を張り上げ、叫んだ。
「最悪だと思うなら、死ねよ!!!」
今すぐ消えて失くなれよ、と。
「後悔とかァ、反省とかァ、失望とかァ、ふざけんな! ンなことより先に死ねよ! 生きてることが申し訳なくて即死ねよ! それが完璧正解のたった一つの弔いだろうがァ! だから死ねよ!」
そうしないなら。
否、そうしないのは。
「それでも死なねェってンなら、悪いと思ってねェんだろうが! この人でなしの鬼畜生がァ!!!」
絶叫。
そして魁島は、一瞬にして俺との距離を詰め。
その刃を振り上げ、跪く俺の喉元を斬り上げた。
「――ゴ」
同時に旋風が剣閃を追い、上昇気流を巻き起こす。振り上げられた身体はまんまと立ち起こされ、俺は五体を曝け出した。
すぐさまに、横一線、続く上下の斬撃。
それらの連撃を、咄嗟に両腕を胸部に交差させ防ぐ。当然、完全に弾くことは敵わない。その外皮を剥がされ、派手に鬼血と肉を散らされていく。
尚も続く攻撃。迫り来る斬刃の束をも、俺はその都度、再生したこの身で受け続けた。
失敗するも回避を試み、無駄であっても迎え撃ち、なんとか凌ごうと手足を突き出す。
抵抗を、止めない。
まだ、抗いをやめない。
「ふざけんじゃねェ! 抵抗するってのは、そういうことだろうがァアア!!!」
「ッ、チガ、う!」
「違わねェだろ! 悪いと思ってんなら死ねよ! それともなんだァ? 死ななきゃいけない程に悪い事ではない、ッてかァ? あァ!!?」
「それは――ッ!」
「じゃあアレか、死ぬのが怖くて反射的にってかァ? 本当は死にたくて仕方がないけど、本能的に死ねないってかァ? だったらそう言えよ、喜んで殺してやるからよォ!!!」
違う。
それは、違う!
「違うッツてんだろうガァアアア!」
「なにも違わねェんだよクソがァアアア!!!」
「そんナこと、俺はシてない! 俺じャ、ない!!!」
だってそんなこと、望んでなかった!
覚えてすらいない!
なのに、なんで!
「じゃあ尚更だろうがァ! 望んでない、覚えてない、なのにテメェの身体は人を傷付け、殺したんだよ! テメェじゃその身体を、止められなかったんだよ!!!」
「ッ!!?」
「言ってんだろうが! 同情する、可哀想だってなァ! でも仕方ねェだろ? お前の身体は人殺しで、意思に関わらず人間を潰しちまうんだからよォオオオ!!!」
人を手にかけておきながら。
命を奪っておきながら。
それが自分の意志ではないと。それを抑えられなかった自分は、悪くないと。殺されるのは、間違っていると。
「そんなふざけた道理は通さねェだろうがァアアア!!!」
「それ、は――ッ」
「大体さっきから言ってんだろ! なんで自死しねェ! そんな自分の思い通りにならない身体、罪悪感の前に、気持ち悪ィだろうが! どう考えたって死に得だろうが!」
「ふ、ザけ――」
「それでもまだ死にたくねェ、死なねェってかァ!!? ふざけやがってよォ!!!」
だったら。
魁島は刃と共に、俺へと斬り入った。
「だったらテメェは、なんの為に生きるってんだ!!? あァ!!?」
「な」
「死にたくねェってんなら、その先になにを見てんだァ!!? テメェみたいな鬼畜生が、なにを望んでやがるってんだァ!!?」
「ゾ、れハ」
それ、は――。
「ねェんだろうが!!!」
魁島は断言した。
ある筈がないと。
だから俺はここに居るんだ、と。
「未来もねェ! 夢もねェ! 希望もねェ! だからテメェはずっと理不尽を嘆いてやがる! 理由だの理屈だのを付けようと思ってやがる! そんなモンは、なんの関係もねェってのによォ!」
剣戟の中、こだまする。
真っ直ぐに叩き付けられる怒号が、決定的な掛け違いを暴き出す。
「追い縋る先がねェから元の場所に、ここに追いやられた! なにもしねェで聞き入れ受け入れてばかりだったから、要らないモノばかりを投げ付けられてきた! 全部無視していればよかったのによォ!」
もしも。
もしも片桐裕馬が、道先になにかを抱くことが出来ていたなら。
夢や希望を渇望し、なにかを目指すことが出来ていたなら。
「テメェが必死で前を向いて生きてたならよォ、妖怪も、戦いも、暴走も、鬼狩りなんて連中とも、全部無縁でいられたんだろうなァ! 今頃正真正銘、人間に寄った半妖と認められて生きていられたんだろうなァ!」
「――それ、ハ」
「それともなんだァ? 周囲がテメェに力を求めたってかァ? 妖怪としての部分を必要として、鬼の血を使えって命令したってかァ? ンな訳がねェよなァ! ソッチの情報は入ってんだよクソがァ!!!」
そんな都合のいい言い訳は許さない。
問題を起こしたのも、それが原因で普通の生活から遠ざかったのも、百鬼夜行という組織に依存し、図書館や隠れ家と呼ばれる拠点に入り浸ったのも。巻き起こる事件の最前線へと赴いたのも、全て――。
「全てはテメェの意志だ!!!」
例えそう促すような流れがあったとしても、出来れば力を貸して欲しいなんて、甘言で誘われても。
もしも核となる芯が、ナニカがあったなら、戦いを拒絶出来ていた筈だ。
そのナニカの為に懸命になって、自らの置き場所を変えられていた筈だ。例え戦いや事件を見過ごすことが出来なくたって、生きることを、人間であることを優先出来ていた筈だ。
そして俺がその道を望んだなら、それを断固として拒否する様な環境でも、なかった筈だ。後方支援でも、最初に与えられた第五級という階級に見合った、協力者という立ち位置の範疇で。
生きることが、出来ていたのに。
「そうしなかったのはテメェだ!」
――いいや。
魁島は、叫んだ。
「そう出来なかったのは、テメェが人間じゃねェからだ!!!」
「――――」
「結局テメェは血の本能に呑まれていただけだ! 争いを、暴れることを望んでいただけだ! そして追い込まれた今も、テメェは生存以外を考えちゃいねェ!」
血の存続に従い、生き残ればそれでいい。その先になにもない。
だからただ逃げ続け、その為に阻む障害を振り払うことさえも、眉を寄せて苦悩する。なんの為になんて、馬鹿げた思考が脳裏を過ぎる。
余計なことに悩んでいる――どころじゃない。
なにもないから、余計なことを考える以外にないんだ。
「殺してでも生きたいってんなら、そうしやがれ! それでも殺してやるから、歯向かってきやがれ! それが嫌だの哀しいだの間違っているだの、立場も言い分もコロコロコロコロ転がしやがって! その癖、殺されることだけは断固として拒絶する! ムカつくんだよ! とっとと死ねよ!!!」
「ッ、ツツツ」
苛烈さを増す斬撃と言葉に、反撃の糸口はない。
積み上げてきたモノが、自分を守るモノが全て、解かれていく。
「テメェに価値はねェ! 他でもないテメェ自身さえも、自分の命に、命以上の価値を見出せてねェんだからなァ!」
ああ、それは。
たったひとつしかない『命』というモノを、絶対的な価値としているだけで。
ただそれだけを、こぼさないように必死になっているだけで。
「今のテメェは『命』だけを守ろうとする無価値な鬼――人間の成り損ないでしかねェんだよォオオオ!!!」
「――――」
そして、ザンと。
叫びを上書きする裂音が、左の耳元で大きく響く。
いいや、違う。それはもう、頭の内側で鳴らされている。合わせて失われた左目の視力も諸共に、頭の半分を削られてしまったようだ。
同時に胸元をもパックリと斬り開かれ、奥で厳重に守っていた心臓も、四つ切に細切れだ。殺す殺すと言われてはいたが、ここまで徹底的に何度も何度もってのは、殺し過ぎにも程がある。
だけど、ぼんやりとした意識の中で、それら身に降りかかる刃たちを知覚出来ているのは。
そうまでやっても、死ぬことが出来ないからだ。
「ふ、――ヅ」
深く斬り込まれた剣戟の反動で、大きく後ろへ退かされる。
しかし地面を踏み締めその場へ立ち直す頃には、またしても、与えられた全ての致命傷が完全に塞がっている。この身体は未だに五体満足で、ヤツらの前に立ち続けている。
「テメェ、まだッ……クソ、がァ」
周囲の動揺は必至に、魁島さえも苦虫を噛み潰したように。数分で殺せる、他愛ない容易いとは、とんだ見当違いだったみたいだ。
だって魁島、オマエの言う通り、仕方が無いんだ。
どれだけ痛めつけられても、どれだけの致命傷を叩き込まれても、この身体は死を拒絶するんだ。たった一つの命に縋りついて、生存を続けるんだ。
こんなにも苦しいだけなら、なにもないなら、いっそのことって。
そう思ったところで、俺の諦めなんて、関係もなく。
本当に、オマエの言う通り。
――だけど。
「……魁、島」
だけど、なぁ。
「魁島、ァ」
「……あァ?」
オマエの言い分は、なにひとつ間違っていない。
でも、一つだけ。
こっちにだって、言い分があった。
「……オマエの話には、『俺以外』が、ねェよ」