第四章【24】「閉じられた道先で」
遠く離れていく金属音を背に。
僕は未だに、動けないままでいた。
完全に不意を突いた。そう確信していた、会心の一斬。伸ばされた光の刃による強襲は、この状況を僅かながらも変動させるに違いないと。
これを回避出来るのは、それこそ特級でも、未来を見抜くヒカリくらいのもの。彼女以外であるならば、例え特級であっても完全に凌ぐことは出来ない筈だ。上手く行けば、第一級のこの身で特級を打ち倒せる程に――など、と。
果たしてそれは、慢心と呼ばれる様な甘い考えだったのだろうか。
この僕の攻撃が、絶体絶命を打開できる程に、優れていると。
「――――」
結果、僕らは思い知らされることとなった。
鬼将と呼ばれる存在が、この島の頂点に立つこの男が、如何に埒外なのか。
如何に抗い難い絶望であるのか。
恐らくはヒカリでさえ、これ程の芸当は出来ない。全ての攻撃を先読みされ防がれようとも、それを徒手で止めるなど。
そんな相手を前に、活路を開くとほざき、追い縋ろうとは。
ああ――まったく、見当違いも甚だしい。
この男こそは、正真正銘の……。
そして、
「よろしいのですか?」
冷やりと背筋を凍らせるその声に、ようやく意識を引き戻され。
それでやっと、耳元で鳴り立てる彼女の声に気付いた。
『ヴァン! 下がって!』
「ッ!」
慌てて腕を引き戻し、彼の手を離れ飛び下がる。パートナーの声にただ従い、大きく退き距離を開ける。
その後退を、彼は追ってくることはなかった。
ただ佇み、見送り、空になった右手を下げるばかり。一歩も動くことなく、涼しい表情のままに小さく微笑みを浮かべる。
まるでもう決着はついたと、そう囁いているかのように。
「う……」
くらりと、彼の立ち姿が円形に歪んだ。どころか平衡感覚すらもが曖昧になり、膝を落とす衝動に駆られる。両手で強く握り締めていた筈の大剣も、どういう訳かこぼしてしまいそうだった。
無様にも、剣先を地面に突き立て、体重を預け身体を支える。あろうことか、祖国の敵を断つ騎士の刃を、杖代わりにするとは。
だが、そうしなければ立っていられなかった。
この有様が、精一杯の虚勢だった。
『ッ。今はそれでいいワ! 折れなければいい!』
そんな僕に、セーラが叫ぶ。
『無様を晒してでも、立ち続けなさい!』
それが騎士の本懐だと。
崩れ落ちないことこそが忠誠だと、この身体に鞭を打つ。
「……厳しい言葉だ」
まったく手厳しい。
厳しいことこの上ない、が。
「それが僕の選んだ道だ」
だから恥を呑もう。
潔さなど、吐き捨てよう。
呼吸の度に視界がズレ、全身に痛みが走る。身体は重さを増していくばかりで、不意に内側に溜まっていた熱が、喉の奥から競り上がり吐き出された。嘔吐した血反吐は地面ばかりか白刃までもを汚し、この上なく恥の上塗りとなったか。
いっそ全てを手放してしまえば、崩れてしまえばどれだけ楽か――。
「――ハ」
馬鹿げている。
それこそが地獄だ。
未だあの男からは傷一つ貰っていない。戦いすら始まっていない。その状態で、ただ圧倒され、先の戦闘での傷を理由に倒れるだと?
そんな敗走が許されるものか。
そんな屈辱が、許容出来るものか!
「殺された方がマシだ」
ああ、ならばこそ。
殺されてやろうではないか。
ご丁寧にも客人だと、傷一つ付けないというのであれば、それこそ覆してやろうではないか。例えこの身が敵うことはなかれど、殺される程には抗ってやろうではないか。
そうとも。
僕が噛み付き続ける限り、この男は、この場を離れることなど出来ないのだから。
「ッ!」
食いしばり、息をこぼす。
今一度、この手に大剣を握り締め、携え構えを作る。呼応する輝きを纏わせ、その切っ先を標的へと突き付ける。
もう二度と、この剣は――朽ち果てるまで下ろさぬと思え。
「殺してみろ」
対する男の返答は、決まっている。
「殺しません」
今こそ、夜闇を切り裂く光の束は。
この男との開戦を告げた。
――だが。
踏み込み斬り入った、この戦端さえも。
再び積み重ねた、この覚悟さえをも。
奪われる。
「――は」
唐突に。
僕たちは、最後の光明すらをも闇に呑まれた。
その上で、問われる。
たった一つの希望すら残さない、この状況の中。
やがて至る最悪を予見しながら、その意地を貫く意味はあるのか、と。
それは、目に映る現象ではなかった。
しかし恐らくは、僕が特異であるが故に知覚出来てしまった。その異常が引き起こされたことが感じられてしまった。
踏み出した一歩が止まる。
畏怖などを遥かに上回る驚愕によって、身体が制止を余儀なくされる。
「――え」
何故ならば、確かに有った筈のモノが奪われたから。
僕と祖国を繋いでいた筈の――『縁』と呼ばれるモノが。
『どういう、こと?』
耳元で、セーラさえも疑念を呟く。
やはりこれは間違いなく、異世界から訪れた僕らだから感知出来る――。
「チェックメイトです」
男が宣言する。
それは言葉通り、この盤面の終焉だ。
「誠に残念ですが――『転移封じ』の発動が完了したようです」
と。
◆ ◆ ◆
一対一による再戦。
襲い来る魁島の刃へ、拳を握り締め迎え撃つ。
とんでもない相手には違いない。が、それでも鴉魎に比べれば幾らもマシだ。
俺自身、先刻以上に鬼の血が強く脈打つのを感じている。治癒力も硬度も身体能力も、段違いに跳ね上がっている。超速の斬撃も、追いきれはしないが見えている。
だったら今度こそ、コイツ相手なら追随出来る筈だ。
いつか隙を捉えることが出来たなら、勝機を見出すことだって――!
しかし、撃ち出した右の拳は空を切る。
魁島は身体を微かに左へ傾け、最小限の動きでスレスレを躱す。そしてアイツと同様に、避けるだけでも終わらせない。
「ハッ! その程度の強化で威勢よくなりやがって、舐めんじゃねェ!」
二刀がブレ、繰り出される複数の剣戟。
その数、総じて三十以上。空を切った右腕を切り裂くのは当然、そのまま魁島の踏み込みに合わさり、懐へも切っ先を届かせる。心臓や骨身には届かずとも、全身の血肉を暴かれ散らされた。
「が、ヅ!」
けれど、すぐさまに。腕も胸部も紫電を奔らせ、治癒が施される。完治には一秒を必要とせず、瞬時に攻撃や防御に転じることが可能だった。
だがその動きは難なく躱され、突破され、新たな傷を開かれる。
何度も死の淵を脱しながら、その為に、何度も殺され続ける。
「クソ、がァ!」
俺のしていることは、叫びを上げ、暴れ回っているだけだった。殺し合いや戦いには、まるで及ばない体たらくで。
魁島の言う通りだった。この程度の強化で吠えたところで、多少は歯向かえるようになっただけ。絶対的な差は覆らない。僅かに埋めることすらもままならない。かすり傷の一つさえも、返すことが出来ない。
ただ斬られるままに、蹂躙されていき。
不意に、ピタリと。
またしても魁島がその手を止めることで、攻撃を脱することが出来た。
「――は」
だが気付くも、治癒に専念する身体は瞬時に動くことが叶わない。そうしている間にも、ダンと、ヤツはこの胸元を蹴り付けた。
残り血を宙に霧散させながら、後退し膝を落とす。遅れてドロリと固形染みた血反吐をこぼし、大きく咳き込み呼吸に務める。
そう跪いた俺を、魁島は追撃しない。
そのままに見上げれば、ヤツは振り抜いた右足をゆっくりと下ろし、二刀の切っ先すら地面へ向けた。
ただ、パックリと口を開き。
酷く凶悪な笑みを浮かべて。
――終わりだ、と、続けた。
「残念だったなァ。たった今、全てが決着したぜ」
「……なに、を」
「言葉遊びだの、精神的な話でもねェ。オレ様はもうテメェを執拗に追う必要も、急いでここで殺す必要もなくなっちまった。あァ、そういう意味じゃあ、僅かながらのヒリツキもなくなっちまって、興醒めだけどなァ」
「……どう、いう」
「逃げても無駄になった、とでも言えばいいかァ? ――テメェらはもう、オレ様たちを殺す以外の道は失くなった」
失くなってしまった。
逃げるという策そのものが意味を失った。
不可能になった。
何故ならば、
「この島から逃げる術は、もうない」
逃走経路は絶たれた。
この島は、完全に閉じられてしまった。
と。
「閉じる、だと……?」
「あァ。『転移封じ』って言えば、理解出来るか? そういう式だかなんだかの発動が完了したみてェだからよォ」
辺りを見ろと、魁島はそう促し視線を外した。それを追い、改めて周囲の状況を窺えば。
遅れて、致命的な見落としに気が付く。
いつの間に、だったのか。
取り囲む木々の合間には、幾つもの影が見え隠れしている。ほんの少し探るだけで、二十を越える気配がこの場へ集結している。
俺を円状に包囲し、どの道からも逃げられないと追い詰めるように。
「オレ様に必死で気付けなかったかァ? 迂闊過ぎるぜ。ここに居るのはテメェとクソ騎士と雪女以外、全員が敵なんだぜ?」
「ッツ」
「選ばれた少数が転移封じの発動を執り行い、多くの護衛がその周辺を警護する。オレ様を含む少数は待機って話だったんだがァ、ま、このタイミングでこんだけ駆け付けて来るんだ。全ては滞りなく、ってことらしいなァ」
魁島の言葉に、反論はない。すなわち誤りがないことの肯定だ。
転移封じ。
文字通りであるならば、それは――。
「この島が特殊な空間にある、ってのは知ってるよなァ?」
ああ、知っている。
洞窟を脱出する前にセーラから聞かされ、思い出している。
この鬼餓島は境界と呼ばれる、世界の内部に存在する異界だと。
「オレ様も詳しくはねぇが、磁力だかなんだかで座標がズレてるんだとよ。その上今ではズレを補強して、外とは完全に地続きじゃなくなってるらしいぜ」
よって日本国からの海の先に、この島は繋がっていない。海を渡る方法では、決して辿り着くことは出来ない。
この島へ辿り着くには、異世界転移以外に有り得ない。
そして、今。
「文字通り転移を封じたァ」
この島は、世界として孤立した。
入ることはおろか、出ることすらをも許さない牢獄となった。
それはつまり、
「逃げられねェし、助けも来ねェ」
断言する。
それらは絶対に、有り得ないと。
「だから残された道は、オレ様たち鬼狩り全員を殺すしかねェ訳だが……それも不可能だよなァ」
ああ、それこそ言われるまでもない。
俺はコイツには敵わない。恐らくヴァンも、アイツには勝ち得ない。千雪も無事だろうが、あの状態ではここへ駆け付けることも難しい。
逃げられず、助けも来ない。
これこそは――。
「詰み、だなァ」
「……………………」
「まァ、転移封じがなかったところで、この包囲は破れねェ。なによりオレ様が、囲いのヤツらへは手出しもさせねェ。元より小細工なんて必要なかったんだよなァ」
それをわざわざ時間と人員をかけ、完全に退路を断った。周到に、こちらの手段を全て制した。
辺りの光景や状態には、まるで変化がない。コイツの言っていることは全部嘘で、大掛かりなハッタリを利かせている可能性だってある。そもそも意味の分からない転移なんてものを、事実的に封じるなんて、有り得るのかどうか。
だがそれを確かめる術もなければ、それ以前にヤツの言う通り、この包囲そのものがどうにもし難いもので。
だから、もう諦めろ。
「選べ、鬼」
大人しく捕らえられ、再び牢の中へと戻るか。
光明を奪われて尚暴れ、ここで殺されるか。
選べ。
「ッつても、どの道死ぬことに変わりはねェんだろうけどな」
呟き、静かにカチリと刀を鳴らす。脱力したままにゆらりと刃を持ち上げると、気だるげに両肩へ担いでみせた。
纏わせていた戦意をも解いて、息を吐く。
全ては決着したのだと。
そして、ふと。
「――あァ、そういえば。いい機会じゃねェか」
魁島は、そう言葉を続けた。
丁度大勢が揃っているんだ、最高の機会じゃないか、と。
「例の件について、聞いてやろうじゃねェか」
「……なニ?」
例の、件。
「あァ、聞いてるぜ。テメェの向こうでの報告の中にあった。ずっと気にしてたらしいじゃねェか。そこんとこ、本当はどうなんだよ」
「……な」
コイツは、なんの話を。
なにを言い出しやがった?
なにを聞こうとしている?
「……なんでまだ生きテるんだッて話か?」
「そうだなァ。結局はそこに繋がるワケだが、コイツは結構大事な話でよォ」
全てを覚えているならば、洗いざらいに吐け。
忘れていることがあるならば、そのままには捨て置かない。
その事件の全てを、罪の全てを背負え。その上で自答しろ。
何故自分はまだ、生きているのか、と。
「当然、その件には鬼狩りが関わっているワケなんだが」
魁島は、俺に問うた。
斬り裂くわけでもなく、蹴り付けるわけでもなく。
言葉によって――あまりにも致命的な、その事件を。
「ガキどもをブン殴って血塗れにした事件ってのはァ、どういう詳細だァ?」
驚愕は、なによりも。
その事件に鬼狩りが関わっていたなどと、聞かされたことはなかった。