第四章【23】「止進一退」
問答の終わりは、二人の乱入によって。
距離を開いた俺と鴉魎の合間へと、互いの同士が表れた。
一方、魁島鍛治は膝を着き、両手の双刀に並べて睨みをギラつかせる。その全身は多くの血に塗れていたが、それらは紫電の光と共に失われていった。
そしてもう一方、俺の前へと君臨する、金髪白鎧の騎士は。
「ヴァン、っ」
呼びかければ、大きく息を吐き。
ヴァンはこちらを肩越しに窺い、眉を寄せた。
「は、――っ。すまないユウマ。受け持つなどと大口を叩いておきながら、またしても彼を君の前に連れてしまった。……もう少し遠くまで逃げていてほしかったがね」
などと、後ろに軽口を交えてはいるが。
着込んだ鎧は幾つもの傷跡が刻まれ、口元には赤い汚れの痕が残っている。苦笑いにも疲労が表れているし、呼吸も速く落ち着いていない。
満身創痍ではないが、相当消耗している。
これでは、とても。
「参ったな。鬼将の彼が、君の足止めに回るとは。これなら先程の時点で君と協力し、二人でカイジマタンジを手早く打つべきだったか?」
「……どうだろうナ。どの道上手いこと魁島を殺シていたところで、アイツには追イ付かれていたと思うゼ」
「違いない。まったく、易々と僕を解放してくれたから、てっきり傍観者かと勘違いしていた。よもやそういう作戦だったのかな?」
闘気は衰えさせることなく、構えを解かないままに。輝く剣先をかざして、ヴァンは相対した鴉魎へと尋ねた。
その口振りからするに、どうやら合流以前に面識があったようだが。
鴉魎は切っ先を地面へ下ろしたまま、柔らかな微笑みを浮かべる。
「作戦、ですか。さて、どうでしょう? ――などと思わせ振りに言ってみましたが、そんなモノではありませんよ。あの時に貴方を見逃したのは、他になすべきことがあっただけのこと。そんな所用にお客様を付き合わせるのも申し訳ないという、ただの気遣いですよ」
そして用事が終わればこちらの問題に干渉する。
それは至極当然の流れだと、ヤツは答えた。
「は。この状況より優先する他があったとはね。そちらも気になるところだが」
しかしその問いかけは、届くことなく。
大きく乱暴な言葉が、二人のやり取りを遮った。
「ゴタゴタうるせぇなァ、あァ?」
吐き捨て、膝を着いていた魁島が立ち上がる。
俺たちへ右手の切っ先を突き付け、より濃密な闘気と殺意を発散させながら。
「騒ぎ立てるなよ。鬼将と准鬼将が揃ったんだ、諦めて口を閉じなァ。それとも、喋ってねぇと正気を保てねぇのか?」
「耳障りですまないね。いやなに、状況確認と整理だよ」
「必要ねェだろ。テメェら全員、ここで死ぬんだからよォ」
思考も、足掻きも、全てが無駄。
だから潔く、黙って首を差し出せ。
魁島はそう続け――だが、
「いけませんよ、鍛治」
後ろ立つ鴉魎が、それを制した。
歩みを進め、魁島の隣へ立ち並びながら。
「お客様を殺してはいけません。どころか、傷を付けることも許していない筈です。それに、待機命令も破っているようですが?」
「……オイオイ鬼将様よォ、この状況で説教かァ?」
「耳障りで申し訳ない。単なる、状況確認と整理ですよ」
あえての口振りに、眉を寄せ歯噛みする魁島。
鴉魎は構わず、追及を続けた。
「いけませんね。准鬼将が命令に背き、あまつさえお客人に血を流させている。久々の実戦で気が逸りましたか? それとも片桐裕馬に影響を受け、血の昂りを制御出来ていないのですか? どちらにしろ、聴取は避けられませんが」
「……ハッ。命令はむしろ、愚鈍すぎる上が悪い。有害な鬼の即時討伐は、鬼狩りの本懐だ。それからお客様に関しては自己防衛だ。向こうが先に手を出して来た、オレ様は被害者様だぜ」
「なるほど。では鍛治の未熟が原因ということで、許して貰うよう掛け合いましょう」
「あァ?」
「当然でしょう。命令の裏側を読み取れなかった思考の不足。そしてお客様を無傷に制することの出来なかった、実力の不足です」
「……言ってくれるぜ、鬼将様よォ」
大きく息を吐き、肩を落とす。
魁島のそれは、諦めにも似た脱力だった。
「面倒くせェ。それで反論したら、今度は事実を認められない、精神性の未熟だとか言い出すんだろうが」
「それで、なにか他に言い分はありますか?」
「ねェよ。好きに言って好きに裁いてくれ」
「では一つ提案を――いえ、命令を」
すると鴉魎は、その右手に携えた赤黒い刃を、ゆっくりと持ち上げ。
正面、立ち会う相手へと――ヴァンへとかざした。
突き付けられた切っ先は、紛れもない。
宣戦布告だ。
「お客様は俺が相手取りましょう。手出し無用でお願いします」
「へェ……。ソイツはまた、面白ェ命令だ」
息を呑む俺たちに反し、魁島はニチャリと頬を吊り上げた。
何故なら鴉魎がヴァンを相手にするというのであれば、残る魁島の相手は、必然限られる。
「譲ってくれるのかよ」
「適材適所です。それに鍛治も知っての通り、鬼狩りは結果主義。元より、それが狙いでは?」
「ハッ、お優しいねェ! 流石は鬼将様々だァ!!!」
声を上げ、同時にこの身へ打ち付けられる殺意。
もはや魁島の目に、立ち塞がるヴァンの姿は映っていない。ただ真っ直ぐに俺だけへと、その尖れた闘気が突き立てられている。
今度こそ逃がさない、終わらせてやる、と。
「……畜生ガ」
対面する相手が変わったところで、状況は同じだ。
いや、むしろ。互角以上に競えていたヴァンの相手が鴉魎に変わるというのは、俺たちにとってあまりに致命的な……。
「ユウマ」
ヴァンが呟き、カチリと剣を構え直す。
その横顔にはもはや、一片の猶予も残っていない。
「すまないが今度こそ、君への援護は不可能だろう。彼の相手で精一杯、いいや、その相手すらも務まるかどうか」
「どうだろうナ。わざわざお客様扱いシてくれるみテぇだぜ」
「それが本当なら一縷の望みは残っている――と、思いたいが」
「弱音なんテらしくねぇし、気持ち悪ィぞ」
「は、言ってくれる」
笑い飛ばされる。我ながら見え透いた、下手くそな挑発だ。
それでもそんな軽口をこぼさずにはいられなかった。
「頼むゼ。精々全力で抑えてクれよ」
「ユウマこそ、まんまと逃げ切ってくれよ。それで全てが終わりになるのだからな」
それだけ言い合って、小さく頷きを交わす。
そして、
「――隙を作る。行け」
示唆したヴァンは、静かに構えていた大剣の切っ先を、僅かに下げ。
次の瞬間。
一閃の光が、闇を斬り裂いた。
騎士は輝く大剣を、極小のモーションで身体の左方へと振り被り、右方向へと薙ぎ払ってみせたのだ。
それはまさしく、コンマの秒数を突いた一斬。回避も防御の隙をも許さない、刹那の不意打ちだった。
距離を詰めることも不要。横薙ぎを放つ間際、その刀身は纏いし輝きを放出し、巨大な光の刃を長大に生み出していたのだから。
元より妖精によってもたらされた輝きは、全てを押し潰す力の奔流。それ程の威力、放射状に撃ち放つ以外にも使い方はある。形を成し、尖れた刃を造り出すことも容易だ。
光刃は直線上、立ち並んでいた木々を断ち、振り抜かれた道行の障害をも全て穿つ。
暗闇を横断する光束は、勢いのままに標的へと迫り――。
恐らくは、それでも連中を完全に無力化することは出来ないだろう。けれど多少は手傷を負わせ、ほんの僅かにも猶予を作り出す筈だ。
それを最大限に活用しろ。他でもない、逃走という目的を達成する為に。
だからその光が振り抜かれると同時に、すぐさま走り出そうとして、
だが、俺は足を踏み出すことが出来なかった。
その場に留まり、後の光景に呆然と立ち尽くしてしまった。
「――――――――」
なぜならば、その光の刃が、あろうことか。
なにを成すこともなく、受け止められてしまったからだ。
視えなかった。
本当にいつの間にか、気付くことすら出来ない一瞬にして――ヴァンの懐へと、鴉魎の身体が入り込み。
その右手で、なにも持たない五本の指を以て。
鴉魎は輝く大剣の、大元であるヴァンの腕を受け止め制したのだった。
柄を握り締め並んだ、その両手を。
「な――」
たったそれだけで、お終いだ。
どれだけ長い刃も内側へは届かない。加えて剣を扱う腕を止められれば、振り切ることすら叶わない。
輝きの大剣は幾つかの木々を薙ぎ倒したのみで、対象へと届くことなく、制止した。
「――あ」
有り得ない。
けれども、尚、それだけでも終わりはしない。
右手でヴァンの腕を止めた鴉魎。
残る左手には、持ち替えられた刀剣がぶらりと下げられて。
直後、ダン、と。
轟音と衝撃が、彼らを中心に響き渡り――ヴァンの前面に突如として、無数の影が散りばめられた。
それらは斬撃による血の飛沫や、切り離された部位や臓器の類ではなかったが。
やがてバラバラと大地に伏せ、小さな金属音を鳴らす欠片たち。
それらは紛れもなく、かの騎士を覆い守っていた筈の、堅牢なる鎧の破片だった。
「――ば、かな」
こぼれる擦れた同様の声に、表情を窺うまでもない。
ヴァンは暫し動きを止め、遅れて伸ばされていた光の刃すらも、ゆっくりとその剣身を解かれ失っていった。
目にも止まらぬ強襲に、埒外を突く長身の斬撃。それはこの追い詰められた状況の中で、僅かな光明を作り出す切札に成り得た筈なのに。
あろうことか。
敵はそれをも上回る速度で接近し、素手にて攻撃を制し、その上並行して騎士の鎧をも砕いてみせた。
「……冗談」
冗談じゃない。
驚愕は必至に、決定的ななにかを落としそうになる。
こんなの、俺たちはただ、遊ばれているだけで。
なにもかも、コイツがその気になったら、一人で。
どう足掻いたって、結末を覆すことは。
「鍛治」
鴉魎は誇ることも、表情を変えることすらしない。
ただ淡々と、鬼将は准鬼将の名を呼び命令を飛ばす。
「行きなさい」
と。
そして、間もなくして。
「――あァ、任されたぜ」
同じく、一足。
目にも止まらぬ速度で距離を詰め、目前へと現れた魁島が。
「ッ!?」
「ハッハァア!!!」
この身体へと、両手の刀剣を振り下ろした。
二刀の斬撃が、肩口から一閃。白刃は澱みなく、鬼血の硬化をまたしても突破し、肉を断ち鮮血を暴き散らせる。
「ヅ、――ガ」
刻まれるのは、斬撃だけじゃない。
合わせて旋風が巻き起こされ、更に斬り入り傷口を広げ、身体を後方へと押し出し退けさせる。
大きく後退すれば、それだけヴァンらとも距離を開かされ――なにより、逃げて来た道筋を戻されていく。
ああ、でも、そんな心配は不要か。
距離なんて今更、この二人を乗り越えるかどうかだけだ。
鬼将と准鬼将。
この最悪さえ、突破出来たなら。
「グ、ヅ!」
斬痛を呑み込み、地面を踏み締めその場に留まる。
遠く鳴り出した金属の残響は、向こうの戦闘の始まりだろう。視線を送る先、もうすでにヴァンたちの姿は残っていないが。
それを掻き消して、喜声がこだまする。
耳をつんざき、闇を震わせる声が、他に構う余裕など有りはしないと!
「とっとと死にやがれ、クソ鬼がァアアア!」
「魁島ッツツ!!!」
今一度、魁島鍛治との殺し合いだ。