第四章【22】「血の本能」
未だ、木々の生い茂る森の中。
一度は空を覆う傘を切り開き、地面へ明かりを届かせた。現れた騎士の輝きによって、眩く照らされることもあった。
だが、再び踏み出した入り組んだ闇の中は、深い暗色に支配され。
自身すら黒く塗り潰されながら、いつまでも足掻き続けている。
果たして今の俺は、どれだけ人間から逸脱しているだろうか。
元より純粋な人間ではなく、妖怪との混じりモノ。基礎的な身体能力も大きく違い、鬼血による治癒や硬化の異能までもを持つ。到底、人間の範疇ではなかった。
完全に常識の外側。
公にはされない組織に属する、隠されなければいけない存在。
その上、ヤツらの言い分を鵜呑みにするなら。
俺は外側どころか、非常識そのものに類するらしいが。
そんな、普通では生きていけない枷を生まれ持たされながら、見返りとして与えられたモノ。それこそが、『力』だと思っていたのに。
恐らくそれ故に、生きることすら容認されず。
その力を十全に振るったところで、まるで敵わない障壁が行く手を遮る。
「――は、ァ」
深く息を吐く。
幾度斬り刻まれようとも、元通りに治るこの身体。更には並の攻撃を無効化し、銃弾すら弾いてみせる硬皮。全身はその硬皮を作り出す鬼血によって赤黒く塗り潰され、額には大きな二角が夜空を突いている。
胸中を渦巻く暴力性や、立ちはだかる全てを殺し尽くしてやりたい狂気も、収まることを知らない。内側も外側も、今の俺は紛れもない、鬼そのものに酷似しているだろう。
そうまで、成り果てているのに。
こんなにも陥って、堕ちてしまっているのに。
「どうシて、なんだよ」
ずっと続く木々の迷路を背に、黒衣の鬼狩りが立ち塞がる。
アリョウ――鴉魎。
「お前、ガ」
お前が、居るから。
お前さえ、居なければッ。
「やはり、ただ殺してしまうには容易いですね」
斬撃の後、続く攻撃はなかった。
後退した俺を見送り、鴉魎は呟き右手を脱力させる。赤黒く染められた刀剣を、ゆっくりと下ろし構えを解く。
それは油断でも、慢心でもない。
呟いた通りに、容易いから。
こうまで抗って尚、未だ傷一つすら付けられず、その算段すら見つけられないから。
「ッ」
押し黙る俺へ、鴉魎は眉を寄せ、苦笑してみせた。
そして、一つの質問を口にする。
「考えたことはありますか? どうしてこうなったのか、と」
「……あァ?」
「ふむ、言い方を変えましょうか。この状況に疑問を覚えたことはありませんか?」
「……ンだよ、そりゃア」
この状況に、だって?
そいつはどういうことだ。
「意味が分からねェな。聞いてどうスる」
「少しは考えて下さい。それとも、よろしいのですか? 先程も忠告しましたが、君の話を聞くと言っているのですよ?」
「命令に従え、でなければ殺ス。正しくそう言エよ」
「ではそのように。俺の質問に答えなさい、考えなさい。でなければ今すぐにその命を絶ちます。……万が一の閃きや仲間の助けを信じるなら、ここは話を引き伸ばすのが定石では?」
言葉を選ぶ必要はない。応えるのであれば、それが乱暴なものであっても構わない。むしろ考え込んでなにも言えなくなれば、会話が続かなくなれば、それこそ話す必要が失われる。だからあるがままに、考え、話せ。
それらは、先程も提示されたものだ。
「ちッ」
まったく理解出来ない。
そんな命令を強いて、コイツになんの得があるのか。
「一体、なにを考えてやがるンだ」
「さて、それも考えてみては? さあ、その為にも時間を稼ぎなさい。俺の質問に答えなさい」
鴉魎は続けて、俺に問うた。
何故、このような状況に陥ってしまったのか。
「どうしてこの島に拉致監禁され、死を待つようになってしまったのでしょう?」
「ハッ。ンなモン、テメェらが俺をここに連れて来たかラだろうが」
「その理由は?」
「理由、ダと」
そんなのは、決まっている。
「俺が、鬼だかラだ」
「それは違いありませんね。では次に、その鬼とはなんですか?」
「あァ?」
「俺たち鬼狩りが専門的に獲物とする鬼。討伐対象でありながら、俺たちの血にも流れる鬼。それともう一つ」
加えて、たった一人を捕らえる為に、凄惨な強硬手段に及んだ。図書館を丸ごと血の海にしなければならなかった。
それ程の、片桐裕馬という鬼。
「君は、なんなのでしょうか?」
「――――」
「おっと、押し黙ってはいけませんよ。思考放棄で立ち止まることは許しません」
「――ふざケ」
「では、鍛治はなにかを言ってはいませんでしたか?」
反論を遮り、鴉魎は言った。
魁島鍛治がなんらかの情報をこぼしてはいなかったか、と。
「君を斬り付け追い詰めながら。恨み言は当然、君という存在に対しても、なにか」
「……殺さレることが世の為に、人の為に、だったカ?」
そんなことを、好き勝手に吐き捨てられた覚えがある。
言えば鴉魎は小さく笑った。
「それはそれは、実に鍛治らしい。鬼の死は世の為、人の為になる。なるほど核心的です。鬼とは古くよりすべからく、そういう妖怪です」
では、何故。
「何故、君はまだ生きているのでしょう?」
鬼狩りの領地に囚われながら、今日まで二週間という時間を昏睡し、無力化され牢獄に閉じられながら。
何故、生かされているのか。
「テメェらの都合だろウが」
「もっともですね。では、どういう都合だと考えますか?」
鴉魎は続けて、並べ立てた。
本当に討伐すべきかを考えていた?
なんらかの有効利用を思索していた?
それら意見の相反により、組織内での決定が出来なかった?
ならば逃げ出すことをしなくても、生きていられるようなパターンもあったのか?
あるいは今、この状況にあっても、降伏すれば――。
「などと、考えられますか?」
「いいヤ」
考えられない。
あれ程の事件を起こして拉致しておきながら、未だに処遇を決めかねているなどと。
そんな馬鹿な話が、ある筈がない。
「だッたら」
今日まで生かされていたのは、最初から決まっていたことで。
まさか今に至る、この状況までもが……?
「……テメェ、なにを」
なにを考えている?
なにを知っている?
「なにを、企ンで」
尋ねる言葉に、鴉魎は。
「ようやく話をする気になってきましたか?」
そう、ぱっくりと開いた笑みを浮かべた。
今までの寂然とした冷たい表情とはまるで違う。明らかに、頬を吊り上げる程の嬉々とした情動を表している。
面白くなってきたと、そう言わんばかりにッ。
「ッツツ」
コイツは。
コイツは、なにを。
鴉魎は口元を歪めたままに顎を上げる。
そして木々に覆われた頭上の闇を見上げ、高らかに続けた。
「そもそもおかしい話なんですよ。片桐の鬼たる君は、極めて優れた鬼ではありません。訓練した子どもの鬼狩りでも互角に戦える程度の、取るに足らない戦力評価なのです」
すなわち、魁島鍛治が立ちはだかる直前。幼少の鬼狩りたちが襲い来たのは、討伐任務に申し分ない戦力だった。
記録上、作戦上では、それで十分に捕らえることが出来るだろう、と。
「涼山千雪に関しても、弱点は明白でした。対して手こずることもなく、鍛治や俺が出る幕なども有り得ず、事は鎮静化される目論見だったのです」
少なくとも、その作戦を立案し、実行した鬼狩りたちにとっては。
「ですが予想は大きく外れてしまいました。同時に事態は、俺たち一部が想定していた悪い方向へと変化したのです」
それこそが、片桐の鬼の抵抗。
暴走状態における力の高まりが、想定を遥かに上回っていること。
「しっかりと報告していたのですがね。鬼将や准鬼将では容易くとも、並の鬼狩りでは命を落とす危険性がある、と」
鴉魎は言った。
今この瞬間の俺は、上級妖怪に匹敵する。
鬼の中でも極めて突出した存在だ、と。
「もっとも今の状態でなくとも、飛び抜けて発現していた要素もありました。どちらにしろ、子どもたちでは簡単ではなかったでしょう」
「……なンのことだよ」
「治癒力ですよ」
もはや再生能力とさえ言っても過言ではない。
大きな傷や四肢の欠損は勿論、心臓を破裂しても、頭部を失っても再生する。それは他の妖怪と比べても、鬼という種族の中でも、突出し過ぎている。
明らかな特異だと、鴉魎は断言した。
「君程の治癒力を持った鬼は、古く過去の記録にも多くありません。否、それら少数の鬼たちを凌駕している可能性すらある」
「ハッ、じゃあなンだ。まッたく似合わネぇが、俺は治癒の鬼、ってところカ?」
「いいえ、違います」
それもまた、断言する。
特異な治癒能力を持ちながら、それでも決して。
「片桐の鬼は、治癒を得意としている訳ではない」
ではこの治癒力は、なんなのか。
鴉魎は、
「それは――生存本能ですよ」
そう、続けた。
「生存、本能」
「ええ、そうです。生き物であれば誰しもが持ち得るもの。君の飛び抜けた治癒力とは、その生存本能によって飛躍的に向上しているに過ぎません」
そして殊更、鬼という種族は。
その生存本能に重ねて、遺伝子的な『種の存続』という衝動に駆られている。
つまり、
「つまり君の治癒力とは、個体としての死滅と、種が絶えることへの拒絶反応なのです。君に流れる鬼の血が、その血を絶やさぬように一層活性化しているのです」
だからこの身には、どんな欠損も致命傷も容認されない。
だからこの身は、弱いままではいてくれない。
だから、いつまでも終われない。
「そして皆は勘違いをしています。君らも、鬼狩りの多くも」
「勘違い、だァ?」
「君も目にしたでしょう。鬼狩りの子どもたちが暴走する様を。俺もここへ来る道中、彼らの成れの果てを確認しました。酷く惨たらしい有様を、ね」
子どもらの暴走は、片桐の鬼への共鳴反応である。色濃い鬼の血の活性化に影響を与えられ、人間の血が圧倒され喰われた結果である。
そのような通説があると、鴉魎は語った。事実俺は魁島の口からも、それを示唆する様な発言を耳にしている。
「それ故に、君を殺す必要がある。君を殺せば共鳴は収まる。そう主張する勢力が少なくありません。どころか、ほとんどです」
だがそれは大きく間違っている。
真逆なのだ。
「君や鬼狩りの子たちが暴走しているのは、先に述べた血の絶滅を危惧してのこと。すなわち君を傷付け殺すなどという選択は、自らの首を絞める行為なのですよ」
片桐の鬼を殺してしまったなら、それこそ。
鬼狩りたちの鬼血は、更に数を失った種を残す為、一層躍起になるだろう。是が非でも絶滅すまいと、血の力は増すことになる。
果たしてそれに、鬼狩りたちは耐えられるのか。
それは子どもたちの、成れの果てを見るに明らかで。
「君も同じです。君がこの島から逃げ延びる為に鬼狩りを殺せば、その度、君の鬼の血は強く脈打つ。血族が失われる程に、生存への欲求は上昇していく。加速度的な種の減少を前に、変貌を止めることは出来ない」
それでも、鬼を殺すのが鬼狩りの使命である。
鬼狩りを殺さなければ、俺の命運はここに尽きる。
「さて、今宵の戦いの後、俺たちはどうなるのでしょうね」
鴉魎は、笑う。
互いに深みへ落ちていくこの状況を、愉しんでいるかのように。
――そんなモノの、なにが。
コイツは、なにが面白おかしいと。
「テメェだって、その鬼狩りだろウが」
「ええ、言ったではありませんか。俺たち、と。この俺とて、鬼の血をこの身に宿しています。例外なく、影響に晒されることとなるでしょう」
「だッたら――!」
「もっとも、俺は鬼将です。他の鬼狩りたちとは一線を画して、自身の鬼へ対しても強く出られます。准鬼将の鍛治も当然ながら、この事実を知る上層の熟練者たちも、身を滅ぼすことはないでしょう」
聞くまでもない、簡単な話だった。
だからコイツは俺の前へと立ち塞がり、俺を斬り付ける。一筋縄ではいかないと言いながらも、こうして殺す方向へと動いている。
それら代償を加味した上で、鬼狩りとしての責務を果たそうとしている。
「多少の変化は受け入れざるを得ません。犠牲に関しても、この事実が周知でないことも、残酷ではありますがそういう方針です」
自分さえ無事であればという訳ではないが、組織さえ存続するのであれば構わない。その為ならば、何人の鬼狩りが鬼に呑まれようとも仕方がない。
鬼狩りとして、その全ての鬼を討伐する。
少なくとも鴉魎は、その意志の下で動いていた。
そして、
「……少し、話に興が乗り過ぎましたか」
呟き、不意に鴉魎が笑みを消す。再び元の通りの、落ち着きを感じさせる冷たい表情へと戻された。
未だその右手の刀剣は、地面へ向けて下ろされたままに。
間もなくして、俺たちの問答は強制的に打ち切られることとなった。
立ち会う俺たちの、この場所へと。
二つの影が、転がり出て来たからだ。
「ッ、チィィイイイ!!!」
土煙を上げて滑り込み、鴉魎の前へと膝を落とす。
両手の刀剣を地面に突き立て、大きく肩を上下させて。全身から紫電の稲妻を発し、現れた鬼狩り。
准鬼将、魁島鍛治だ。
もう一方、同じく土煙を上げて俺の目前へ。
鬼狩りらの前に立ち塞がったのは、黄金の輝きを纏う影。
「く、っ。簡単にはいかない、か」
ヴァン・レオンハート。
大剣を携えし聖騎士が、今一度姿を現した。