第四章【21】「鴉魎」
黒衣の和装に、鞘入りの刀剣を携えて。
立ち塞がった男は、飄々と自らを名乗った。
「はじめまして。俺の名前は、『鴉魎』といいます」
アリョウ。
「鴉に魑魅魍魎の魎と書きます。鬼狩りの正装が鴉のようだから、という類の意味があるそうです。ちなみに姓はありません。生まれつき島の所有物として育てられた俺には、家系などないのです。いうならばこの島を親に持つので、『鬼餓島鴉魎』でしょうか」
奇しくも同じようで、真逆ですね。
鴉魎は、そう続けた。
「本来、君には名がありませんでした。片桐家から生まれ落ちた『鬼』の君に、個人などというモノは与えらない。俺が鬼餓島鴉魎であるなら、君は『片桐の鬼』でしかなかったのです」
名だけを与えられた者と、姓だけを受け継いだ者。
その差は歴然に、立場も正反対だ。
「そこまで変貌しているのですから、ある程度は思い出して来たでしょう? 本来の君が、どういう存在であるのか」
尋ね、歩き出す。
一歩、また一歩、近付いて来る。
俺は全身を鬼血で硬化させ、気付けば千雪も抱えたままに、再生した左手を突き出す。その外皮は未だに氷面で覆われているが、力を行使出来る程には回復しているらしい。
だが、そんな俺たちに、鴉魎は剣を抜かない。
ただゆっくりと、そのままに歩み寄って来る。
「どうなのですか? 片桐裕馬」
「……思い出す、ね」
答えた声は、酷く震えていた。
たったそれっぽっちの発声に、大きく息を吸い込む。
そんな俺に、鴉魎は優しい笑みを浮かべるのだった。
「安心して下さい。言葉を選ぶ必要はありませんよ。君の言葉で応えてくれれば、それが乱暴なものであっても構いません」
話がしたいのです。
鴉魎はそう言って、むしろ、
「むしろ考え込んで、なにも言えなくなってはいけません。会話が続かないのであれば、それこそ話す必要などなくなるのですから。この意味、解りますよね?」
「……死ぬも生きるも、話す自由さえも強制ってか?」
「そう捉えて頂いて構いません。牢を抜け出したところで変わらない、君は、この島に囚われているのですから」
だから、鬼狩りからの指示は絶対であり。
それが嫌だというのであれば、一つしかない。
「俺と話すのが嫌だ、生殺与奪を握られているのも嫌だ。と、するのでしたら、この島から逃げ出すことです。俺の前から、なんとしても逃げることです」
「っ」
「もっとも」
ああ、分かっているとも。
言われなくたって、それがどれだけ困難なことなのかくらい。
それでも俺には、抗う以外に他がない。
他がない、から。
「――果たして今の君で、どれだけ健闘出来るでしょうか?」
首を傾げる鴉魎へ対して、睨みを利かせて。
気付けば、ゴトリと。
俺は両手で抱えていた千雪を、地面へ落としてしまっていた。
「――あ」
肘から上を、丸ごと綺麗に切り離されて。
繋がっていなければ、支えられる筈もない。
「――え?」
落とされた千雪がこぼすのも、痛みによる呻きではなく、疑問。
一体なにが、どうなって。
「ではまずは、お客様を手放していただきまして」
同じく、気付けば。
目の前に、音もなく接近した鴉魎が立ちはだかり。
「可哀想ですが、少し戻っていただきましょうか」
そして、
「――!!?」
果たしてソイツは、腰元の刀に指一本でも触れていたのだろうか?
俺の目にはなにも映らず、ただ、鴉魎はだらりと両手を下ろしたままに。
だけどこの身体は、大きく後方へと吹き飛ばされた。
「――カ」
全身を無数に叩く衝撃と、爪先から内臓の奥までもを支配する熱。もう熱いってだけで、痛みだのなんだのって感覚は失くなってしまっていた。
遅れて、宙を舞う視界に並走して、撒き散らされた血の塊やグロテスクな管を見送って、ようやく事態を把握する。
「――ご、バ!?」
気付けば腕を千切られて、対処しきれない程の連撃を叩き込まれて――どころの話じゃない。手も足も出ない、なんてレベルじゃない。
思えば図書館で対峙した時も、今更振り返っても――なにもない。なにをされてなにがどうなってどういう経緯で敗北して島送りにあったのか、まったく記憶にない。
今と変わらず、その男の『立ち姿』以上を、見ていない。
「――――こ」
こんなの、俺にはどうしようも。
どうしろって、いうんだよ。
「――――■」
――そんな、ノ。
「――――■■■、■」
どうニかするしカ、ネェだロ。
やがて、大きな浮遊の後、地面へと落ちた時。
どういう訳なのか、更に散らされる肉塊はなく。
「――――――――」
僅かな血の一滴も、こぼれることなく。
この身体は大の字に、全てが元通りのままに、転がされていた。
開かれていた筈の傷口も、落とされていた両腕も、全部そのまま繋がって赤黒いままだ。
「……ハ」
即座に飛び起き、目前を見定める。
すれば、またしても。
「残念ですが、逃がしはしませんよ」
「……チッ」
並走でもしていやがったのか。
そこには、鴉魎の姿が立ち塞がっている。
が、今度こそ。
――ガギリ、と。
斬り裂かれた身体が、静寂に異音を響かせた。
鈍い衝突音が、辺りへとこだましたのだ。
それは、つまり。
「――ヒ、ヒ」
噴き出す血飛沫や痛烈な深手は避けられないが、それでも。
この身は僅かに、ヤツへと抵抗を見せたのだ。
その証拠に、
「……ほう」
鴉魎は右手に握り締めたままの刀剣を振り上げ、その状態で僅かに静止を見せていた。
刃を晒した状態で、動きを止めたんだ。
ようやく『作り出せた』その隙で、即座に引き下がり距離を開く。
その、後退の間際に。
バチバチと紫電が明滅し、深く裂かれた胸元が修復されていく。
果たして先刻のように、治癒の阻害は掛けられていなかったのか。いいや、僅かながらだが、治癒に抵抗があった。恐らくは、同様の一撃だった筈だ。
にも関わらず、小粒程度の違和感しかなく無事治癒は施された。それも元通りとなるまでに、一秒もかからない。
そしてその肌の上を、表皮から溢れ出した泥が包み込んでいく。
より濃密に、深く色落ちた赤黒い鬼血が。
「ハ、ハハ」
なぞって上塗りする程度じゃ駄目だ。そんなのはなにも変わらない。ただ色を上書きしただけで、見え方が違うだけだ。もっと重ねろ、分厚く堅牢なモノへと仕上げろ。
外見だけを繕うな。内側を怠るから、簡単に千切られる。筋肉も脂肪も、内臓も骨も血管に至るまでも、全てを強化し変容させろ。
人間の部分なんて、一つも残していられない。
そんな猶予なんて、欠片もありはしないだろう?
まるで鬼のような、じゃない。
正真正銘の鬼に、成り果てろ。
「■■□■■■■!!!」
これ以上なにを考える必要がある?
このままでは殺される。
既に何人もの命を奪っている。
もうなにもかも、どうしようもないくらいに手遅れだ。
だから、この期に及んで。
取リ繕ッテイル余裕ナンテ、欠片モナイダロ。
「殺■!!!」
サア、暴れロ。
最期ノ灯火を、心ユクまで燃やシ尽くセ。
それがこの身体に出来る、最大限の抵抗であり。
避けようのない脅威への、最善だと信じて!
だけど、
「――やれやれ」
それでも、コイツには。
「その程度では図書館と、同じ、ですよ」
まるで、足りていない。
声を上げ、踏み込み、振りかざした右腕。
鬼血によって過剰に強化された剛腕は、振り下ろせば大地にヒビを入れ、人体などは叩けば一撃で粉砕する威力だろう。
分厚く重ねた硬皮だって、今尚硬度を増し続けている。恐らくは先程までの魁島の斬撃にも拮抗が出来、コイツにだって、一斬で落とされることはない筈だ。
だけど――その程度など、抵抗にしか成り得ない。
「フ」
小さな吐息と共に、鴉魎の身体が動いた。
右の拳を振り抜く俺へ対して、ヤツは右手に携えた抜身の『白刃』を揺らし。
次の瞬間。
殴り掛かった一撃が、衝突する間際。
この右腕は内側から破裂するように、バンと音を立てて粉々に飛び散った。
「――ギ」
今度こそ見えた、見えてしまったのは。
鴉魎が右から左へ薙いだ、たったひと振りに思える斬線の間に。
ヤツは二十に匹敵する複数の斬撃を、振り払い刻み込んでいた。
目にも止まらない。
加えて、目に捉えたところで、どうすることも出来ないままに。
「――ハッ」
一斬で落とされることはない。
だが一斬の間に、数十の斬撃を叩き込まれてしまえば、呆気なく。
尋常ならざる硬度さえも、まったく敵いはしない。
圧倒される。
「やはり、ただ殺してしまうには容易いですね」
「ッ」
続く攻撃はなく、鴉魎は呟き腕を下ろす。
今一度後退して距離を開くが、それを追ってくることもなかった。
そしてまたしても、十数メートルの移動の間に、右腕が完全に再生される。間違いなく、これまでにない程に鬼血が活性化しているが。
これでも容易いと、そう言われてしまったら。
そもそもコイツに打ち勝つなんて、どれ程の力を持っていれば出来るのか。
きっとヴァンでは難しく、或いはサリュや七尾さんたち特級でさえも……。
それデも抗エ。
どウにか、生きテ、この状況ヲ打破シろ。