第四章【20】「壮苦」
聖剣の輝きを、僅かに自らの身体へ防御として変換する。
それにより硬度を増した我が身が、急所を狙った斬撃の全てを弾いた。
そして生まれた僅かな隙へと、踏み入り。
「――ハア、ッ!!!」
僕はこの剣を、彼の身体へと叩き付けた。
確かな手応えは、やはり人間の身体にしては頑丈で。
けれど剣身の輝きは、左の肩から右の腹部へと一直線に斬り入った。
「ッヅヅヅ!!?」
歯噛みするも、口元を伝う血流。だがそれとは比べ物にならない程の出血が、捌かれた上半身から噴き出し散らされる。
かなり深く入った。人間であれば、いや、並の生物であるならば即死に相応する深手だ。そうでなくとも、最低、戦闘の継続は困難極まるだろう。
だが、カイジマタンジは。
「ヅヅヅヅヅ!!!」
その状態から身を引いた。
大きく後方へと飛び下がったのだ。
「む、ッ!」
咄嗟の動きに、二の手が遅れ空を切る。あるとしても決死の一撃だと考え、防御に集中してしまっていた。
まさかここから態勢を立て直すなどとは。
しかし、それこそが彼らの異形の特色だ。
後退した彼の身体を、紫電の光が迸る。
見覚えのある光景であり、間違いなくユウマと同じ鬼の血による治癒が働いている。もっともその速度は幾分か遅く緩慢なようだが。
距離を開いたカイジマタンジは、眉を寄せて言った。
「……ご、バ。……ヂ、チッ。やっぱオレ様も鬼って訳だ。アイツに釣られて、いつもより活発に治りやがる」
「ほう、それは残念だ」
「あァ、運が悪かったなァ。悔しいが、いつものオレ様なら今のでくたばってたぜ。オレ様の鬼血じゃあ精々、なんとか死なずに繋ぐので一杯一杯だ」
だが、今は違っている。
カタギリユウマの影響により、鬼血が活性化しているのだという。
「思えばこうしてオレ様一人で飛び出して来たのも、感情を抑え切れてなかったのかもなァ。理由を付けて雪女を殺しにかかったり、今もお客様の騎士様を本気で殺してやるつもりだったり、――コイツぁ相当厄介だぜ」
「では物理的に血の気も引いて、落ち着いたというところかな。どうだろう? 改めて手を引いて貰うというのは?」
「そりゃあ出来ねぇなァ。なによりオレ様は別段、落ち着いてやるつもりもねェ」
カイジマタンジは続けた。
自らは鬼を従えている、と。
「溢れる怒気も、壊し尽くしてやりたいって凶暴性も、いつも以上に加速しやがる。いいぜ、止めねぇよ! もっと来いよ、もっと暴れてやろうぜ!」
許せない。
殺したい。
それら悪感情の昂りに、なんの違和感がある?
「感情の暴走だァ? 鬼の血の影響だァ? あるだろうなァ、そういう混ざりモノなんだ、ない訳がねェ! でもンなモン関係なく、オレ様は許せねェし殺してェんだよォ!!!」
叩き付けられる殺気に、大剣を構え直す。
今まで以上の抵抗があるだろう。激戦は必至。その上どうやら大きく斬り入れても止まらず、心臓や脳を潰すか、首を断つ以外になさそうだ。
否、それでも果たして終わらせられるかどうか。
それに、
「っ」
不意に、口内に広がる鉄の味。
気付けば口の端からも、一筋の赤い線が落ちていた。
『駄目だワ。中和しきれない』
「……毒、か」
セーラの言葉に、頷き呟く。
治癒や痛み止め、体内を洗浄する力を常時発動しているが、どうやら追い付かないらしい。
「外側からだけでなく、内側からも蝕むか」
恐らくはこれが、その禍々しい左手の武器の特性。短期での決着は望み難く、長期に渡るも不利を背負わされるとは。
まったくもって、強敵だ。
「……ふぅ」
呼吸を正し、身を引き締める。
やはり、ユウマを助けに行くのは難しいらしい。
だからどうか、
「なんとかしてくれよ……」
この迫り来る、禍々しい重圧と寒気を前に。
どうか、折られないでくれ。
◆ ◆ ◆
ガリガリと、頭の中が削られ、掘り起こされていく。
合わせて、ザザザとノイズ混じりに浮かび上がる映像と音声。
もう、知らないでは通らない。
思い出されるそれは、間違いなく、過去の記憶だ。
今よりずっと幼い頃。
俺が藤ヶ丘の街へ来る前。この鬼餓島で、牢に閉じ込められていた日々の記憶。
そのほとんどは薄暗い洞窟の岩肌が占め、遠くで揺らぐ松明の火を眺めていた。陰鬱とした、なにもない意味のない光景だ。
けれど、『あの日』へ近付くにつれて。
何人かの来客が、牢の前へと訪れていた。
「――私とこの子の待遇の差は歴然だ。そしてその理由が、私が偶然、人の血を多く持って生まれ、弟が偶然、鬼の血を多く持って生まれてしまった。納得せざるを得ない理不尽だけれど、尽きないくらいの文句があるよ」
「ッ、――ハ! コイツは驚いた! 正真正銘、活きのいい鬼サね!」
「――ちなみに私は、そういう望まない契りには反対派。愛のない行為は気乗りしないし、子どもまで作って無責任に放り出すのは、なんか嫌じゃない」
「――生意気言いやがッテ。実力じャア幾らか劣るが、一応オレの方が年上だゼ。それなりの態度ッテモンを見せろヨ」
そいつらはみんな、今より若かったり、ずっと幼かったり。
それから――、
「――初めまして。俺は、『ユウマ』ってんだ。ここよりずっと遠くの、異世界ってところから来た。……漂流したって言った方が正しいか?」
思い出すべきではなかったんだろう。
ずっとしまい込んだままで、枷をかけておくべきだったんだろう。
だけど思い出してしまえば、止めることは出来ない。
なにより。
その記憶は俺にとって、決して、悪いものばかりではなかったから……。
轟く断続的な剣戟と、打ち付ける止まない衝撃。
それらに背を押され、煽られながらも前進を続ける。がむしゃらに、その発生源から離れ距離を開いていく。
出来るだけ遠くへ、もっともっと先へ。
あの場所から、この島から逃げていく。
「――――」
今更になって、頭を過ぎり支配する。まぶたの裏側にこびりついて拭えない、先の戦いの光景が。
魁島に追い詰められた絶望――それ以上に。
俺がこの手にかけた、奪い去った命の残骸が。
彼らの成れの果てが、脳裏に浮かんで消えてくれない。
「――っ、クソ」
足がもつれて倒れそうになる。土埃を上げて地面を踏み締め、崩れた平衡感覚を取り戻して再度前進を。
振り返るな、今はただ進め、逃げろ。
――でも。
殺した。
自分と同じか、それ以下の子どもたちを。
薙ぎ払って、叩き潰して、千切り絶って、ギリギリで醜い姿になってまで生き残った奴らまで、殴り飛ばして蹴り飛ばして両断して、――終わらせてしまった。
なんの感慨も抱くことなく、
あんなにも呆気なく、
「拍子抜けする程に簡単だった」
そんな考え方をするな。
「考え過ぎなんだよ。もっと気楽に単純にすればいい。もっと早くに、やってしまっていればよかった。それだけで、あれだけ嫌がっていたソレも、有効な手段の一つになった」
違う。
それは絶対に許されない。
「確かに許されはしないことだろうが、必要なことではあっただろう? お得意の考えで思い返してみろよ。そういなければいけなかったし、今までだって、そうしていればスムーズなことが多かった」
やめろ。
「たった一つの枷を外すだけで、どれだけの選択が増えたか。そうすれば無駄に傷付くことも、大切なヤツらが傷付く姿を見ることも、ずっと少なかっただろうに」
……違う。
……それは、絶対に。
「なにより忘れているだけで、そうでなくとも、直接手を出していないというだけで」
それでも、
「俺は俺に関わる事象で、多くの命を奪って来ただろう?」
それでも、だ。
「それは、選びたくなかった。選ぶべきじゃなかった!」
分かっている。
この夜だけで、この先で、果たして何度他者の命に手を掛けるだろうか。追い詰められた状況で、何回その選択を迫られ、選んでしまうだろうか。
避けられないと、どうしようもないと、分かっている。
それでも、俺は。
少なくとも、『この俺』だけは。
「許されないと、自戒だけは止める気はねぇぞ」
我ながら、なんて身勝手で。
なんて、わがままなんだ。
荒れ果て開かれた更地を抜けて、まだ木々が残る森の中へ。
駆け込めばすぐに、大きな木にもたれ倒れ込む千雪を見つけた。
「……ゆー、くん。無事、だったんだ。……大丈夫?」
「……ああ、ヴァンのお陰でな」
真っ先にこっちの心配とは、相変わらずだが。
その様相は満身創痍。投げ出された身体は両腕が失われて、左脚部も膝より先が付いていない。鮮やかだった白の着物も黒ずみだらけで、破れた布地から覗く素肌は、半透明な氷で出来ていた。
息も絶え絶え、肩を大きく上下させて。弱々しく微笑する顔さえも、頬や額の肌色が剥がれ、氷の面が見えてしまっていた。
なんとかギリギリ、だ。
「……ヴァン、さんが。来てくれ、たんだ」
「今も魁島を引き付けてくれてる。その内に逃げるぞ」
傍に寄り、手を伸ばす。
触れた肌は着物越しにも冷たすぎて、正真正銘、氷塊に触ったようだった。
「……なん、で? こんな、私なんて、足手まとい、に」
「言いたいことは分かるけどな。ヴァンに連れて行けって釘を刺されてんだよ。瀕死でも構うな、全ての要素を使えってな。酷い言い分だろ」
「はは、ほんとに。……無茶言うなぁ」
「まあそういう訳だ。しんどいだろうが連れていくぞ」
もっともそうでなくとも、恐らく駆け付けてしまっただろうが。もしかするとそうすると分かった上での、アイツなりの気遣いだったのかもしれない。
……いや、そうでもないか。多分、言葉通りだ。
俺一人ではこの状況を脱しきれない。だからそこに一つでも戦力の要素が残っているなら、取りこぼしてはいけないと。
「っ、と」
両手で恐る恐る抱えた千雪は、決して脆くなっている訳ではなかった。これならしっかり持っていても大丈夫だろうし、走りを抑える必要もないだろう。
ただ、不意に。
千雪の氷面に反射して、視界に映ってしまった。
今この時の、自分自身の姿が。
「――――」
闇に見紛う、黒い肌に。
深く赤みを帯びた眼光と、額から突き出した異形の二角が。
これまでと比べ物にならない程に、人間ではなくなってしまって――。
「――行くぞ」
構うな。
そんなの、腕や足を見ただけで明らかだっただろうが。治癒力の向上や逃げ足の速さだって、こうして千雪を抱えてなんの支障も感じないのだって、もう普段の自分とはかけ離れている。
そうじゃなきゃいけない。
人間が多いままじゃ、生き残ることなんて……。
「ごめんね」
抱き上げた千雪が、胸の内でそうこぼす。
あまりに軽く、ひんやりと冷たい成りそこないの身体で。哀しく潤んだ瞳で、俺の表情を覗き込みながら。
それは一体、どういう「ごめん」なんだ。
……ふざけやがって。
「なんの謝罪だよ。余計なことに気を遣ってんじゃねぇ。そんなだからお前は、いつまでたってもチビ雪なんだろうが」
「え?」
「絶対にまた力を借りることになる。構わず回復に集中しやがれ」
言い切り、走り出す。
残念ながら、その辺りをくどくどと話している時間もない。
なにせ、この加速していく鼓動や鋭敏になっていく感覚は、鬼血が活性化されていることだけが要員じゃない。
最悪への警鐘だ。
魁島との対面により明白になった。アイツらには鉢合わせてはいけない。殊更あの男に補足されたなら、今度こそ終わりだ。
だからこの瞬間こそが、生きるか死ぬかの決定的なライン。
ここで全力を出さずして、他に抗う時なんて――。
だが、
俺たちはもう少し、認識を改めるべきだった。
この島に居る時点で、俺はもう、どうしようもなく詰んでいる。
一縷の望みもない中で、足掻いているに過ぎないのだと。
「っ」
ゾクリと、背筋を奔る怖気。
寒さとはまるで別種の、濃密な死の感触。
全身を噴き出す嫌な汗も、一瞬にして訪れた喘ぐ程の喉の渇きも、膝を折り倒れそうになるこの重圧も。
積み上げて来たもの全てが瓦解していく、絶望の終着点。
あの時と、図書館と同じだ。
そして、響く声は正面から。
「この状況下で傷付いた仲間を抱えて逃げる。実に人間らしいですね」
走り目指すその先、突如として木々の向こうから現れ、立ち塞がった影。
なんの気配も感じさせることなく、果たしていつの間に回り込まれていたのか――など、島の構造を知り得ない俺には、分かるべくもなく。
すぐさま大地を踏み締め、その場に足を止めた。
「ッッッツツ!!?」
驚愕に目を見開く。
だけど向こうは大した反応もなく、ふらりと事もなさげに、まるで偶然通りかかっただけみたいに、なんの構えも感情も見せずに両手を下ろしている。
けれど腰元には欠かすことなく、鞘に納めた凶器を携えていた。
万全にして、満を期して。
俺たちはソイツと、鉢合わせてしまった。
変わらない黒衣の和装は、その所属を明らかにし。
額を覆う面はなく、晒された微笑に、伸びた長髪を目元へ重ねて。
「――鬼将」
胸元で、抱えた千雪が擦れ声で呟く。
ああ、そうだ。そういえばこの島の鬼狩りには、そういう階級制があるって聞かされていた。戦闘要員、その上位二人に与えられる名称。
准鬼将。それが、魁島鍛治だというなら。
この男こそは、アイツを遥かに上回る、この島の最上位。
鬼将。
「お二人ともに、久し振りですね。とは言っても、片桐裕馬とは二週間程度しか空いていませんし、涼山千雪とは貴女が幼少の頃に一方的に見知っただけですが」
なので、改めましょうか。
飄々と切り出して、男は――自らを名乗った。
「はじめまして。俺の名前は、『鴉魎』といいます」
アリョウ、と。