第四章【17】「薄氷の勝算」
どうして生きていられるのか?
生きていて申し訳ないと、そうは思わないのか?
「…………」
鋭い殺意を振り撒く鬼狩りは、そう俺に問うた。
二剣を肩で担ぎ、脱力を見せながら。それでも恐らくほんの数瞬の切り替えで、この身は再び斬り捨てられる。隙なんてものは、欠片も存在していない。
この問いかけも、ほんの僅かな猶予にしか過ぎない。
「どうなんだ? あァ?」
応えない俺に、魁島は眉を寄せる。
それからあろうことか、俺から視線を外して、辺りを見回し始めた。
ヤツが視線を送る左右や背後にあるのは、ズタズタに壊され開かれた、月の光を落とす荒廃した森と。
――そこに転がる、少なくない死だ。
他でもない、それは俺たちが……。
「酷ぇ有様だ」
一瞥し、こぼす。
「若い連中って話どころか、十歳にも満たないガキどもまで。容赦ねぇよなァ、テメェらも、ウチのお偉いさん方も」
その表情は感傷的でありながら、けれども微塵も殺意を絶やさない。今尚全身に圧し掛かる重苦しい緊張は、むしろ増していくばかりだ。
濃密な死が、纏わり続けている。
「才能ナシで望み薄な連中を、雁首揃えて捨て身の時間稼ぎに放り投げる。食い扶持減らしの特攻なんだろうなァ。可哀想ったら仕方ねぇよ」
「……」
「おっと、勘違いすんなよ。ウチの組織にも落ち度はあるって話で、――全部テメェの所為ってことに変わりはねぇからよ」
魁島は並べ立てる。
テメェらが殺した。
テメェらが奪った。
私利私欲の為に、生きたいというただ一人の、自分勝手を通す為に。
「別によォ、そう思うこと自体はごくごく自然だと思うぜ。オレ様も死にたくねェ。殺しに来るヤツがいたら、逆にブチ殺してやりたくなるモンだ」
思ってしまうことは、仕方がない。
だけど魁島は、その先を否定した。
「でもよォ、自分が殺されることが世の為人の為になるってんなら、殺されるしかないんじゃねぇか?」
「――――」
「可哀想だけどよォ、やっぱり殺されてやるしかねぇだろ。生きたいけど、生きてて申し訳ないってなるだろ」
死にたくなくても、死ぬしかない。
涙を流して嗚咽をこぼしながら、全身を震わせ運命を恨みながら、それでも自分の喉元に手を掛けるのが道理なんじゃないか。
そんなことを、言いやがった。
俺とは、そういう類の存在だと。
「――は」
そんな話が、あるかよ。
そんな理不尽が、許されるかよ。
だがその反論すらも、言葉を発する前に制される。
「ハッ。そのふざけんなって顔は、なにも知らねぇからだろ?」
「……知ら、ない?」
「テメェがなにをやって来たのか、テメェの正体がなんなのか、それらが如何に疎ましく嫌悪されるモノなのか」
知らないから生きたいなどと思える。
自分には他人の命を踏みにじる程の価値があると、勘違いをしている。
「テメェって個の命は、テメェ一人が大事に抱えているだけだ。なんの価値もない」
「――ふざ、け」
「いや悪い、間違えた。――死に絶えることこそが、テメェに求められる唯一の価値だ」
「ッ! ふざけ――!」
今度こそ、声を上げた。
けれど、それよりも早く。
「そんなこと言わないでよ!!!」
千雪が、叫びを上げた。
そしてヤツへと目がけ、氷の飛礫を撃ち放つ!
「勝手な価値を、押し付けないでよッ!!!」
千雪の叫びに呼応され、直進していく鋭利な氷塊の群。その総数は倍以上で、質量も威力も、先程の戦闘を遥かに上回っている。
放った彼女の横顔は、その攻撃と比例するように冷たい激昂を尖らせ。
だがそれらを、魁島はただ、右手の長刀を前方へと突き立てて。
「無駄だ」
刃先を構える、それだけで。
迫り来る全ての氷塊が、一瞬にして砕け散った。
遅れて巻き起こる暴風が、辺り一帯を激しく掻き乱す。荒れ果てた森は土ごと掘り起こされ、叩き付ける衝撃は身体を後退させる程だ。
気付く。それは、ただの風や衝撃波の類じゃない。
れっきとした、力の奔流だ。
『ワタシの光と同じだワ! アレは旋風という形で放たれている、力の束よ!』
咄嗟に叫んだセーラに、遅れて先刻の戦いを理解する。
だからキャリバーが斬り伏せられた。ヤツは俺たちが放った光束を、それを上回る力によって強引に押し切ったんだ。
同じ道理で、俺の鬼血による硬化をも突破して。
「ッ」
ヤツの刀は、そういう類が出来る代物ってことか。
「オイオイ。せっかく生かしてやってんだ、もっと大事にお話しようぜ」
そして暴風によって退かされた、その大きすぎる僅かな隙が。
再びの開戦を告げる。
「まァでも、知らないままに死なせてやりたいって気持ちも分かるがなァ!」
一歩、踏み込む。それでまた距離を詰められる――かと思われたが、違った。
魁島はその場で右の刃を振り下ろし、刹那。
左の半身が、バッサリと斬り開かれる。
「――ゴ」
左の肩口から太腿の辺りまで、肉も骨も内臓も一直線に両断された。背中の皮だけがギリギリ残る程に斬り入れられ、多すぎる鮮血がバッと噴き出す。
なにより致命的なのは、心臓を潰されたことだ。
「……が、ぼガ」
崩れ落ち、膝を着き右の手のひらで地面を叩く。
指先から手の甲へと顕わになっていく肌の色は、巡りを断たれたことによる鬼血の消失だ。及ばずながらもこの身を守っていた泥が、纏わり付いていた暴力性と共に剥がされていく。
だが、
「ヅ、……ヅァ」
これ程までに深く斬り込まれて尚、即死には至らない。身体は放電を散らしながら、出血を鎮め傷口を癒していく。
我ながら化物に違いないが、それよりも。
またしても、完全に動きを制された。
「さァ、どうする雪女。悪いがオレ様は、この距離からでもその鬼を殺せる。テメェのテリトリーには入ってやらねぇが」
そう宣言し、ヤツは再び右手の刀を振り被り。
けれど、再び斬撃が放たれるより、早く。
「っ!」
千雪が飛び出した。
俺の隣を通り過ぎ、一気に魁島へと距離を詰める。
その行く際に、一言。
逃げて、なんて、馬鹿げたことを残して。
「ヅ! ぢゆ――」
呼ぶが、間に合わない。
霞んだ視界で、その後ろ姿を見ていることしか出来なかった。
両手を広げ、淡い薄青の着物をはためかせる。
その傍ら、次々と作り出される氷塊たちが、一斉に射出された。
重ねて、正面からだけじゃない。千雪が用意していた上空の飛礫までもが、合わせて鬼狩りへと降り注ぐ。
一矢ごとに、人体程度は易々と貫く必殺。数も百を遥かに上回り、放たれた速度もまばらだ。初撃の弾幕を暴風で払おうとも、続く二撃三撃がすかさず挟み込まれる。
これだけの威力と物量。本来であれば一溜りもなく、例え相手が特級に匹敵しようとも、簡単には捌けない筈だ。
その上で、更に千雪は右手に青白い光を集めている。先程前面一帯を凍らせた、氷点下の冷気を放つ用意か。飛礫に合わせて撃ち出し、丸ごと呑み込むつもりだ。
連なる氷塊は避け目なく迫り、その場に留まり刀で弾けば、続く冷気に凍結される。
ヤツに残された逃げ道は、ただ一つ。
後退だけだ。
退き追い縋る攻撃に対応し、なんとか冷気の範囲から逃れるしかない。
そして千雪が追い続ければ、不本意だが確かに、俺だけは逃げられる隙が――。
――現状が打開される、筈なのに。
「ハッ、まだ成人してねェ雪女がここまで出来ることはなァ」
確かに、魁島は大きく一歩後退した。
だがその程度にとどまる。
なによりその後退の意味は、攻撃からの逃走ではなかった。
退く最中、左の刀を腰元の鞘に納め――代わりにそこに転がっていた、一本の長刀をその手に取る。
恐らくは、近くに横たわった持ち主の得物。
「だが残念だったなァ。テメェは忍び込む訳でもなく、正式にこの島に訪ねている。この島との協定を利用して、客人として招かれている」
その刀剣は、間違いない。
俺たちを相手取っていた、俺たちへの対抗策を持つモノで。
「なんの縛りも与えずに泳がせてやったのは、他でもねぇ。正体と弱点の知れたテメェが敵対しようが、用意さえすりゃあ――なんの脅威にもならねェからだ!!!」
持ち替えられた、左の刃が振るわれる。
直前、その刀身が色濃い赤に染まり、『円形の紋様』を浮かべ。
「千ゆ――――」
次の瞬間。
視界全域を、真っ赤な爆炎が包み込んだ。
熱風は優にこの身へ届き、肌を焦がす。ようやく動くようになった身体で両手を突き出すが、その生身の肌は肘の辺りまで真っ赤に焼け付いてしまった。
例え鬼血が間に合っていたとしても、内側だけが蒸し焼きにされていただろう。
この身では、到底防ぎ切れない。
じゃあ千雪は。
雪女という、高熱を弱点に持つアイツの身体は――。
振り乱された強過ぎる熱波は、軽い上昇気流すらも巻き起こして。
やがて炎が消え去り、開かれたその場所に――立ち向かっていた筈の後ろ姿はなかった。
「あ――」
「悪いな。イイことを思い付いちまってよォ」
煌々と炎の残る森の跡地を、張本人である鬼狩りが歩みを進める。
左手の長刀にも未だに炎が灯り続け、加えて。
――またもや刀身に浮かび上がる、半透明の円形が。
「先遣して戦ったガキどもは、客人への手出しを禁じられてねぇんだよなァ。土台敵わないという判断なのか、だからこそ全力で殺しに行かせなければいけなかったのか」
魁島は続けた。
つまりコイツらの武具で殺す分には、言い逃れが出来るんじゃないか、と。
「思えば、なんの成果も挙げられなかったってのも可哀想だ。必死の健闘により、雪女を討伐してしまった。オレ様が辿り着いた頃には、標的の鬼が残るばかりだった。いい案だろ?」
「…………」
「十分に戦火を挙げた尊い戦死。我ながら、いい花を持たせてやれるじゃねぇか。上の連中は命令失敗で大目玉を喰らうだろうが、それもまた、囮にされた連中からの想定外の仕返しってことでよォ」
痛快で堪らない、とまで。
魁島は大口を開いて、笑う。
一歩一歩、ゆっくりと、俺との距離を縮めながら。
「つーワケで、お仲間は先に退場したが」
再度、切っ先を突き付けられ。
その刃を挟んだ向こうから、魁島が言う。
「どうだ? 諦めはついたか? 大人しく殺されてくれるか?」
と。
「…………」
……そんなの、決まっている。
決まっている。
だけど、
「……ッ」
間もなく、ふらりと揺れた刃先を目前に、どうしようもなくなる。空を滑る剣戟を、防ぐ術が浮かばない。
鬼血の硬化は易々と突破され、なんらかの治癒阻害で再生も間に合わず。ギリギリのところで踏み止まって、相手が手を止めてようやく、元の形に戻れる。
今度こそ、魁島が手を緩めることがなかったなら。
このままその一刀目を、受け入れてしまったなら。
いや、そもそも俺には、逃げる以外に選択肢がなくて。
追い付かれてしまった時点で、俺には、コイツに敵うモノなんて――。
「――――」
右手が振り被られ、下ろされる刃。
それを俺は、なんの意味もないと分かっていながら、両手を突き出して。
だが、直後だった。
「……あァ?」
ピタリ、と。
魁島が、刃を止めた。
攻撃を中断させ、どころか、連なる身体の動きまでもが制止した。表情すら一転し、怒りはそのままに、訝しげに眉を寄せている。
半端な介入であれば、そうはなり得ない。ヤツは気にせず斬撃を繰り出し、合わせてそのなんらかの事態にも対応してみせるだろう。
だけど、それを中断させた。
「……オイオイ冗談だろ」
続けてそのまま、魁島は立ち直り、後ろを窺い首を傾ける。
それで俺も、遅れて気が付いた。
目の前の鬼狩りに集中して、感じ取られずにいた。
またしてもこの場所へ、一つの気配が近付いている。
合わせて。
「……千雪っ」
少し離れたところに、消え入りそうな命が在る。紛れもない千雪のモノで、相当消耗しているようだがまだ十分に助けられるだろう。
それに、この接近する気配は。
活き活きと溢れる力を発散し、強者であることを隠そうともしない。身を潜めるつもりもある筈なく、堂々と森の中を直進してくる。
ああ、この真正面から塞がるような立ち振る舞いは間違いない。
腹立たしくも、悔しいが頼りになり過ぎる。
ソイツは。
「ハッ。連れを貸し出す程度の干渉は想定内だったが、……どう考えたって、テメェ本人の介入はナシだろ」
魁島がこぼし、ギリと強く噛み合わせる。更には両手の刀を構え直し、今までとは明らかに違う闘気を発し始めた。
そしてこの場へと、一人の騎士が踏み入る。
彼の到着を一番に讃えたのは、当然、パートナーである妖精だ。
『待っていたワ。――待ちくたびれたくらいよっ!』
セーラが飛び出し、彼の傍らへと向かった。
白銀の鎧を身に纏い、月夜の中で金色の髪を揺らす。
両手で構えた大きな白刃もまた、妖精との合流によって輝きを灯した。
ああ、確かにアイツが仲間だとは聞いていたが。
だけどまさか、ここまでしてくれるなんてな。
「……助かる」
思わず、一人呟く。
果たしてその声は、聞こえてしまっていたのだろうか。
かの騎士は、俺に笑みを返し、
「カタギリユウマの逃走を援護しに来た」
今一度、ここに宣言するのだった。
「残念だが我々は、この島との平和的交渉を結べないと判断した」
ヴァン・レオンハート。
アヴァロン国が誇る第一級戦力が、状況へと介入した。