第四章【16】「准鬼将」
傷だらけの面貌を晒し、抜身の長刀を両手に携える。
鬼狩り、魁島鍛治は鋭い眼光で俺を離さない。
叩き付けられる殺意の渦は、身が強張る程だ。半端じゃない重圧が全身にのしかかって、たった一歩を退くことすら躊躇われてしまう。
逃げなければいけない。
だけど、背を向けたら死ぬと確信する。
「……参ったな」
今更ながら、気付く。
多分俺たちは、魁島から逃げなければいけなかったんだ。
あの男は勿論だが、コイツにも追い付かれてはいけなかったんだ。
なんて、どうしようもない程に手遅れな訳だが。
「……面の無い鬼狩り。准鬼将」
後ろで、千雪が小さく呟く。
准鬼将。
それを耳にすると、魁島は大口を開いた。
「ハッ、オイオイオイ! 失礼だなァ、雪女! 無面の鬼狩りは上級二人、オレ様がその最上位かもしれねぇじゃねぇかよォ!」
「……っ。それは、ごめんなさい」
「バーカ、謝られるようなことでもねぇ。事実、オレ様はナンバーツーだ。違いねぇよ」
豪快に笑う。
それは千雪が決して、彼を見下げた訳ではないと分かっているからだ。そんな皮肉めいたことなんて、言える筈もない。
なにしろ、二番手だの関係もなく。
「まぁ、オレ様が何番だろうが、テメェらの終わりに変わりはねぇんだよなァ」
最悪なことに、まったくもってその通りだった。
そして魁島の身体が、ゆっくりと前傾に傾き。
直後。
瞬きの間に、ヤツの姿が目前へと現れた。
「――は」
目と鼻の先、吐息すら触れる程の距離に入られた。
かち合う双眸の中には、間抜け面で立ち尽くす男が映って――。
驚く間もなく。
バツン、と。
両腕の感覚が失われ、随分と身体を軽くされてしまった。
「――ガ」
熱い飛沫が頬に触れて、ぱっと視界の内にも散らされる。それは当然、ヤツの吊り上げられた口角にも幾粒かが付着した。
恐らく現実的に、一秒弱の遅滞の後。
神経を競り上がって来る熱さが、全ての思考回路をも焼き尽くしてしまう。
が、そんなことよりも。
「アアアッ!!!」
反射的に喉を晒し、痛みを叫んだ。
それでもこの脚は地面を蹴り付け、大きく後退を遂行した。
考えるよりも早く、身体も欠損に悲鳴を上げているのに、なにを置いてもその場を離れなければいけなかった。
もっともその最善を選べたとて、行く末に変わりはない。
鉢合わせてしまった絶望は、容赦なく振り下ろされる。
「ヅ!?」
続け様。
後退する身体を、斜めにバッサリと斬り付けられた。
左の肩口から右の腰まで一閃。鬼血の硬化にも阻まれることなく、一刀は肉を断ち臓器に刃先を届かせる。噴き出す血の量は、言わずもがなだ。
「――――ご」
成す術もない。
たったの数撃で瀕死の重体。
慌てて紫電を奔らせ修復を試みてはいるが、当然治りは緩慢にも程がある。なんとか死なずに繋いでいるのが精一杯って感じで、反撃の余地などありはしない。
重ねて、追い縋る斬撃が注がれた。
「ゆーくんッ!」
響く叫びと、追随する攻撃。
背後から入り込まれた氷塊の飛礫が、その動きを抑制しにかかったが。
「邪魔にもならねぇよ」
魁島は眉を寄せることもせず、それら無数の投擲をいとも簡単に斬り払い。
最中、俺の身体をも六度斬り込んだ。
「ぐ、ボぁ……」
もうどこをどう斬られたのかも分からない。斬撃の軌道は目で追えないし、身体はもう発熱しているだけで痛覚も残っていない。全身ぐちゃぐちゃで、ボドボドと零れる重音には嫌な予感しかしない。
喉の管も血がいっぱいに詰まって、まともに叫びを上げることさえも。
「が、アアッ!!! 千雪ィイイイ!!!」
それをなんとか吐き捨て、血反吐が除かれた喉で呼号した。
「俺ごとやれ!!! 今すぐに――ォゴ!!?」
すぐさま首を裂かれ、声帯を失う。だが叫びは届いた。
俺に構えば攻撃が限られ、容易に対処される。少しでも手こずらせるには、規模や威力を縮小してはいけない。
そしてその意図は伝わり、直後には、頭部を削り巨大な氷柱が突き込まれた。合わせて腹部や再生途中の腕をも貫き、規模速度共に上昇した連射が繰り出される。
だがそれすらも、乱舞する二刀の斬線に弾かれ、斬り伏せられた。
標的へ穿たれることもなく、僅かに退けさせることすらない。
だけど、ほんの少しだけ、攻撃の手が緩む。
今はそれだけで十分だ。
『カタギリユウマ!』
頭のすぐ後ろから響いた声。
合わせて右腕に、未だ骨を薄い肉が覆っただけの成り底ないに、眩い輝きが灯される。
万全じゃなくていい、そんなの望める状況じゃない。形があれば、ソレが動きさえすればいい。
もはや躊躇いなんて、馬鹿げた観念もありもしない。
ズタズタの喉から空気をこぼして、それでも叫べ!
「キャリ、バアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
轟かせる号令に、闇を裂く光の束が放出された。
またしても身体の右半身をまとめて消し飛ばされるが、そんなモノは些事だ。今はただ、立ち塞がったヤツを退けることが出来れば――。
なのに、残酷にも。
ソイツは、必死の抵抗程度では抗えない程の、『最悪』だった。
突如として、光が、斬り開かれる。
闇を切り裂いた筈の光束が、両断され、霧散し、消失した。
たったひと振りの、刃によって。
「――なるほどなァ、今ので洞窟をぶっ壊したわけか」
右手の長刀を俺たちへかざして、ふらりと揺らし月光を折る。
君臨する無面の鬼狩りはまたしても、傷一つなく、一歩も後退することなく、すべての反撃をいなして見せた。
「……ば」
立ち尽くし、続く言葉を失った。
馬鹿げている。冗談じゃない。
こんなの、どうすることも……。
「今のがテメェらの全力か? ……なんて、聞くのは野暮だったなァ」
魁島はそう言って、携える両手の剣を肩へと担いだ。大きく息を吐き、肩まで落とす程に脱力してみせる。
なんの企みか、それとも優勢による慢心か。
その間にも、俺の身体は紫電が弾け、刻一刻と治癒が進められていく。腕も足も、開かれた胸部や喉も全部だ。
後方にいた千雪も急ぎで合流し、左隣へと連なった。両手を左右へ広げて、再び虚空へ幾つもの氷塊を作り出している。
セーラは、――見えるところには居ないが、先程のように咄嗟の時は力を貸してくれる筈だ。
それで?
それで、どうする?
「……」
『……』
千雪もセーラも、なにも言わない。
二人と同じように、俺に言えることもなかった。
この場で唯一、魁島だけが当たり前に口を開く。
「初撃必殺はお互い様ってなァ。だが残念なことに、どちらも失敗に終わっちまった。お生憎様、テメェらじゃあオレ様は止められないし、逃げることも出来ねぇ。オレ様もクソ鬼を斬り殺すには手間がかかりそうだ」
そうやって時間がかかるから、尚の事、本当は今すぐにでも細切れを再開したいが……。
言いながら、魁島は視線を千雪へ逸らした。
「面倒なことに、殺していいのは悪鬼一体のみ。雪女は客人で、妖精チビも別の客人の連れって話だ。ったくよォ、妨害して来やがる二人をそのままに、硬い上に再生力がズバ抜けて高い鬼の退治。こりゃあ難題だ、ガチで殺りにかかっても五分は必要になる」
どうしたって即殺は無理だ。
どう全力を出したって、時間がかかる。
だから、せっかくだ、と。
「テメェに聞いてみたいことがあったんだよ」
魁島は、俺を真っ直ぐに睨み付けて。
成す術もない俺たちへ、容赦なく。
「――お前さぁ、なんで生きていられるんだ?」
重ねて、
「生きてて申し訳ねぇって、そう思わねぇのか?」
そんな質問を、叩き付けてきやがった。