第四章【12】「こじ開けた道先で」
放出された光の束に、目が焼かれ視界が潰れた。
生憎感覚すらも失われているから、本当に眼球が蒸発したのか定かじゃない。そしてそれは目だけに留まらず、振り抜いた右腕も、どころか全身からなにも感じられない状態に陥っている。
まさか身体ごと消し飛んだ、なんて考えたくはないが。有り得なくはないと、恐ろしくなる程の眩い光量が放たれている。
これが妖精の力。あの日目前で夜空を裂いた、一閃の光柱。
それがよりにもよって、この身体から撃ち出されるなんて。とんだ冗談だ。
「――――」
光に覆われた中、恐らく数秒程度を終えて。
ゆっくりと暗さを取り戻した視界には、閉ざされた岩肌が失われていた。
「――っ」
造られた巨大な空洞は、未だ削面を茜色に熱されて。立ち昇る煙たちは間もなく、向こうから入り込んだ風に煽られて細く千切れた。
目が慣れてしまえば、暗落した色に変わりはない。それでも確かに、空洞の向こう側は、薄っすらと月の灯りが届いている。
行く道の先を、この目は捉えている。
「……よし」
不意にこぼれてしまった呟きを、けれど。
『よしじゃない! これからが本番でしょう!』
そう即座に、セーラに叱責されてしまった。
まったくもってその通りだよ、畜生が。
「分かってる」
圧倒されている場合じゃない。呆けて緩んだ気持ちを、改めて引き締め切り替える。
と、直後。
耳元で、遅れてズブリと生々しい音が聞こえた。見ればなんてことはない、右腕がいつもの形をしていて、小さな放電が名残を走らせているだけだ。
その上で、どういう訳か。
極めて自然な一連の流れで、その右腕が、赤黒い流体に包まれ硬化されたが。
「…………」
重ねて左腕も、脚部も、気付けば頭部を除く身体の全てが、鬼血に包まれていた。
意識的な硬化じゃない。……思えば心臓の鼓動も、拘束を解かれてから落ち着くことなく加速を続けるばかりで。
『カタギリユウマ!』
「……行く」
再三、頷く。
今はそれどころじゃない。これ程の破壊が気付かれない筈もないのだから。今すぐにでも、鬼狩りって連中が押し寄せて来る。逃げ切らなければ元の木阿弥だ。
どころか話していた通り、最悪捕まればその時点で――。
『全力疾走よ! 追随するから気にせず突っ走りなさい!』
「ああ」
大きく踏み出し、走り出す。
もう後戻りなど出来ないのだから。
飛び出した空洞の先は、幾重も並ぶ木々が阻んでいた。
太く色濃い木々たちは背高く君臨し、更には大葉の傘で月明かりを遮る。その所為で踏み入る一歩目こそギリギリ視認できるが、一寸先は闇という状態だ。
加えて足に纏わり付く長い草も、踏めば沈む柔らかな土も。この場所そのものが、逃がさないと移動を害する。
きっと、偶然なんかじゃない。
この島が俺を、決して逃がすまいとしている。
「クソっ!」
それでも走り出す。
それらを強引に振り切って、木々を躱し、倒れ込むように駆け続ける。
尚更、急き立てられた。
セーラと話していた通りだ。ここに居てはいけない。この島における俺は、ただの害敵でしかない。
正しいか間違っているか、そんな混迷は今じゃない。異変も違和感も、全てを立ち止まって考えるべきではない。ここを脱することが最優先だ。
そうじゃなきゃきっと、なにも解決しない。
「……ッ!」
ひたすらに進む。
進み続けろと言い聞かせ、走り続ける。
ここじゃなければ、図書館や隠れ家に帰ることが出来たら。あの場所なら俺が妖怪だって、きっと対等に。
それに今度こそみんなで、サリュと一緒に戦うことが出来たなら。
帰りさえすれば、もう二度と、こんなことには。
「……だか、ラ」
だから逃げろ。
走る速さが、並みの強化の範疇を越えていたとしても。
時折吐血しているにも関わらず、なんの問題もなく更に加速していても。
今は、関係、ナい。
左右に流れていく木々ばかりの風景に、既視感があるだとか。
やっぱりあの洞窟には、同じような光景が思い浮かぶ程に覚えがあるだとか。
魁島鍛治や例の男らが俺を逃がす筈がないと、まるで奴らを知っている様な、確信にも似た予感があるだとか。
ソンなコトは、気ニすルナ。
たダ、逃■ロ。
『カタギリユウマ?』
頭の後ろから、不安げにうかがうような声が聞こえる。
気にする必要は無い。なにも心配されることなんてない。誰とも接敵していないこの状況に、問題などありはしない。
たとえ訝しむような事柄があったとしたって、全部些事だ。関係のないことに囚われている余裕なんて、ない。
今はただ、この場所から遠くに――。
ああ、でも。
そうまで全身全霊で、たった一つに集中しなければいけないのは。
ただ逃げるだけという、――単純な行動が。
とても苦悩の片手間では済まされない、決して――簡単なことではないからだ。
「――ツヅ!」
不意に、遠くない距離にナニカの気配を感じた。
そしてそのナニカがただの人間ではないことも、即座に確信する。
違うモノが、混ざっていると。
「……鬼狩りカ」
その確信を、呟く。
アイツらはそう造られている。大きな力を有するが為に、そう産み落とされている。鬼狩りとは、そういう連中だ。
知っている。忘れていただけだ。
だったら、この知識も、取り立てて不思議なことじゃない。
今問題なのは、少しずつ近付いて来るその気配だ。
『ッ。さっそく来たわよ!』
傍に控えるセーラも、遅れてそう忠告した。
こちらも相当の速度で走っているつもりだが、向こうの方が幾分も速い。このままでは逃げ切れず、どころか直ぐに追い付かれるだろう。
驚くべきは、恐らく気配の動き方からして、ソイツは木々より上空を移動している。まるでサリュたち魔法使いが浮遊しているような、そんな感じだ。
そういう類の妖怪の血か? それとも異世界人――確かヴァンも浮遊する術を持っていたように記憶しているが、合流しに来たのだろうか?
いや、違う。この感じは間違いなく妖怪だ。気配に独特の澱みがある。別世界の似たような化物である可能性も否定出来ないが、どの道ヴァンではない。それに人間外の存在を嫌うこの島に、そんな化物が生かされているとも思えない。
やはり人間と妖怪の――でも、コレは鬼とも違うような。
なにしろ、
「臭いが、しない」
そう、それだ。
気配だけで感じるなら半妖だが、臭いだけならただの人間だった。鬼の血を有する生物独特の、強い辛みと熱が入った臭いがしない。
そこまで考え、ようやく。
「――まさか」
一つの可能性に行き当たった。
直後、それを証明する現象が引き起こされる。
後方から、木々の合間を縫って、俺の隣へ並走するように。
宙をパキパキと凝固させ、造り出される『彼女』の足場が。
――半透明な氷の橋が、架けられた。
やがて木々の上空から、そのスロープを滑走し降りて来る。
ただ氷に足を下ろす。それだけで風を切り、追随して来やがった。
ああ、なんだってこんなところに。
でもそれだって、思い出してしまえば大して不思議じゃない。
だってソイツと俺は、あの街で出会うより、ずっと前にこの島で――。
「まったくもー。大胆不敵っていうか、無謀っていうか」
相変わらず、呆れたように溜息を吐いて。
氷の橋を辿り、俺の隣へ姿を現した。
普段は青い髪色を、力を発現する銀色へと変化させて。同じく分厚い着物の装束も、喫茶店の物ではなく、透き通るような純白の色合いを。
白雪のような、白銀を纏う。
彼女こそは、
「相変わらずだね、ゆーくんはさ」
人間と雪女の混血。
俺と同じ百鬼夜行に所属する――数少ない、友人と呼べる仲間。
「なんだってお前が居るんだよ、千雪」
涼山千雪。
どういう訳か、この島で。
彼女と合流を果たしてしまった。