第四章【11】「切り開く輝き」
現在、俺が囚われているこの場所は、日本国であって日本国ではない。
名を鬼餓島。
この島は境界と呼ばれる、世界内部に存在する特異な空間だった。
『元からそういう場所だったのか、それとも誰かがそのように変えたのか。位置的には日本国本土とそう遠くない海に存在している筈なのに、誰にも見えないし、誰にも踏み入ることが出来ない』
けれど確かにその場所に在る。
恐らくは、存在の座標がズレている。すなわち境界であると、アヴァロン国は記録しているらしい。
『ワタシもヴァンもそれ以上は詳しく調べていないワ。成り立ちや現象の理屈に興味はあるけれど、今必要だったのは現在の情報だけだもの』
その重要点こそが、この島が境界であること。踏み入ると同じく外へ出ることも適わず、海へ飛び出したとしても、果てのない海水が続くだけということ。
つまりこの牢屋を脱したところで、逃げ場は狭く限られており。その上通常の方法では、この島からの脱出は不可能ということだ。
重ねて、セーラが続けた。
島への出入りには、異世界転移を用いる。もしくは、電撃系統の力によって、電磁波的な要素を搔き乱すしかない、と。
「電磁波的な要素を」
『ええ。調べてみたら、どうやら近海で落雷が発生すると、稀にこの島の姿が現れることがあったそうなの。本土の方では在る筈のない島とか、幽霊島ってオカルトになっているそうよ』
だから電撃系統が有効であると、推測されている。
それがヴァンたちの提案する、この島からの脱出策だった。
『本当は転移で連れて帰るのが手っ取り早かったのだけどね。残念ながらそっちは諦めて』
「そういう策もあったのか?」
『当初は、ね。この島の住人たちが敵対行動を取ってくれたら、それこそヴァンに襲い掛かってでもくれたら、アヴァロン国から応援を呼べたのよ。そうすれば国が大規模な転移を行ってくれるから、それにかこつけてアンタを連れ出せたのに』
生憎そうはならず、現在ヴァンは単独行動中。
彼が国から許され、かつ実行出来る転移は、自身一人に対して一度に限られているそうだ。
『当然だけれど、異世界転移って簡単じゃないのよ。今ヴァンは転移を自分の意志で行うことこそ出来るけれど、ヴァン本人に転移の力がある訳じゃないの』
転移事態はアヴァロン国側で発動され、対象となるヴァンが引き寄せられる形で帰還する。同じようにアヴァロン国から他の世界へ転移する際も、アヴァロン国で発動した転移の力が、ヴァンを外へと押し出す形になるという。
それこそ個人ではなく集団を転移するのであれば、その範囲は個人ではなく、一定の場所や持ち物を対象とすることになるらしいが。
「よく分からねぇが、とりあえず俺が異世界に転移することは出来ないってことだな」
『そういうこと。で、かいつまんで話したような様々な法則があるから、ヴァンだけ転移出来てズルいぞーって考え方はやめてね』
「……んなこと言われなくてもしねぇよ」
『ならいいのだけれど。でも、そういう疑念って払拭しておいて損はないでしょう? いざという時の為にもね』
「……まあ、そうか?」
どうやら心底信頼しろ、とまではいわないが、ある程度は疑いのない関係を望んでいるらしい。
果たしてそこまで――と、思うも、すぐに改めた。
ここは閉じた島だ。境界なんて特異な場所でもあり、藤ヶ丘の街とは地続きにない。厳密には違うようだが、異世界へ飛ばされたという考え方も外れてはいないだろう。
サリュも、姉貴も、百鬼夜行の連中も、ここには居ない。
そんな場所で俺は囚われ、現状、ヴァンとセーラ以外の味方も皆無。
そしてそれは、ヴァン達の側だって同じだ。
「……そうだな。分かった」
不可能には、それだけの理由がある。
それを把握し、セーラへと頷きを返した。
彼女もまた小さく頷き、急ぎで話を進める。
『そういう訳だから、転移ではなく、境界を歪めての正面突破を狙うワ。外界とのズレを直して、地続きになった日本国へ帰るの』
その為の準備や協力者は、既に用意している。
恐らくは、まだこの島に到着していない手筈らしいが。
「どこかのタイミングで、外から迎えが来るってことか」
『そういうこと。だから細かいことは、全部丸投げにすればいいわ』
つまり、
俺がやらなければいけないことは、一つ。
『アンタはこの洞窟を脱走して、島を抜けて海岸まで辿り着くのよ』
曰く、この洞窟は島の中心部に位置する。
そして島とはいえ、ほんの小さな浮島ではない。海岸までも深い森が広がり、多くの木々に行く手を阻まれる。整地された場所も少なくはないが、その近辺は小さな集落など生活に関わる拠点があり、囚われの身で堂々と姿を晒すのは得策ではない。
進むべきは、視界も悪い荒れた森道。迷わず一直線に走り抜けたとしても、一時間強はかかるだろう。
それがセーラたちの見解だった。
『それもあくまで、国にあった情報の、島の地図を確認しての憶測。当然だけれど、脱走や戦時における備えはある筈よ』
「そう簡単には行く筈もない、か」
『そういうこと。ここから脱しても尚、この敵地の中を走り逃げ続けなきゃいけない。そうしないと多分、アンタは殺されることになるワ』
敵地。殺される。
続けて彼女は逃走にまつわり、現在俺がこの島で置かれている状況について話した。
それこそが、この状況の本質であり。
逃れられない、俺の真実だ。
『カタギリユウマ。アンタはこの島の組織、鬼狩りたちに、討伐対象として捕縛されている』
他でもない。
それは俺が、
「俺が――鬼だから、か」
『そうみたいね』
我ながら情けない、絞り出したような擦れ声。
けれど対するセーラは特に感慨もなさそうな、あっけらかんとした返答だった。
『ごめんなさい。ワタシたち妖精は元より、種族の垣根を越えて共存してきた。同じ世界に生きる、同じ命を持つ隣人だって手を取り合ってきた。この世界の排斥的な、隣人を淘汰する様な在り方は、正直理解に苦しむワ』
「俺らには、そっちみたいに簡単に歩み寄れる方が不思議だけどな」
もっとも俺たち外側の人間は、幾分か上手くやっているつもりだが。
……少なくとも俺は、上手くやってやれていると、思い上がっていた訳だが。
「……歩み寄って、やれていた」
『なにが?』
「いや、こっちの話だ」
笑えない独り言だ。
混ざりモノだから、どちらの立場にも立てる。普通とは違う外側の中で、異なる世界の奴らを受け入れてやれる。
とんだ勘違い。
混ざりモノなんて、半分なんてレベルじゃない。
この身は紛れもない、外側の……。
『とにかく。アンタは妖怪として、命を狙われているわ』
強引に、セーラがそう話を戻した。
落ち込む前に、向き合わなければいけない事柄があると。
『説得は無意味だと思いなさい。見つかったら、もう一度捕まったら間違いなくお終い。生きるか死ぬかの逃走だと心得るのよ』
「……一応確認なんだが、逃げずにこのままここに居るってのは」
『オススメ出来ないからワタシが来た訳だけれど?』
「だよなぁ」
『なにしろ、あんな大事件まで起こしてアンタを捕らえた連中よ。正直その場で殺さなかったことが不思議だけれど、なにか理由があったのでしょうね。形式的なものなのか、それとも実験の類に使うつもりか』
旧態依然としたこの島の狙いは不鮮明だが、なんにしろ、碌なことにはならない。このままここに居たところで、終わりは決まっていると考えるべきか。
だったらせめて死を待つのではなく、セーラたちの提示する、死ぬか生きるかの戦いを。
だけど、それでも。
「……悪い、水を差すような意見なんだが。もしも逃げられたとして、連中は俺を諦めるのか?」
それこそ、あの大事件を起こした奴らが。
大量の屍を積み上げた、あの男が。
「逃げた先で、また図書館のような事件が起こされるなら――」
『なら、ここで死んでも構わない?』
「…………」
それ、は。
『即答はなし、ならいいワ。確固たる意志で死を望むのであれば、捨て置くのも視野だったけれど。とりあえず抵抗する気持ちがあるなら、行動に移しましょう』
「そんなんでいいのかよ」
『よくないわよ。だけど、この場で解決する問題でもないでしょう? 後のことは、逃げた後で考えればいいのよ』
交渉も説得も、全ては生きていてこそ。
少なくとも牢の中では、まっとうな話し合いなど出来る筈もない。
「納得した」
煮え切らない部分は少なくないが。
やっぱり俺には、逃げる以外の選択肢がないらしい。
では、そうと決まった上でどう逃げるのか。
この洞窟奥の牢屋から、どうやって脱するのか。
いよいよ本題となる訳だが、予想外にも、
『ああ。そこはあっという間に解決よ。数十秒で事足りるもの』
どうやらその部分は、まるで重要ではなかったらしい。
この話し合いの重点は、情報の確認と承認だけ。一通りを理解し呑み込めたなら、それ以上は話すことはない。
ただ洞窟を飛び出し、海岸へと逃げろ。
話の中で提示されていたように、作戦などはそれだけだった。
「いやいやいや。その大前提の、洞窟を抜け出す方法が無いって話だろ」
『それがあると言っているのよ』
宣言し、続けてセーラは、その小さな右手を前へとかざした。
間もなくして、起こされる変化。
「……っ」
その一つ目は、ずっと後ろ手を縛っていた拘束だ。プツリと小さな音を立てて、制限されていた両腕が解放される。
同じくして、一際強く脈打つ鼓動。胸の内でなにかが爆発したかのような、そんな嫌な錯覚さえも起こさせた。
でも、今はそれ以上に、
「――コレは」
もう一つ、大きな変化。
それは見下ろし確認した、右腕の部位に発生した。
光だ。
右腕の、肘から上部。握りしめた拳の、指の一つ一つの先まで。何処からか、鮮やかな黄金の光がゆっくりと纏わり付いてきた。
同時に襲い来る、皮膚を焼くような痛み。輝く大粒の粉のような光たちは、強い熱を有した力の塊。
見覚えがあった。
「……ヴァンの」
前の戦いで、それより先の森での、奇しくも俺自身が攻撃を受けた時にも。この目で見た者に酷似している。
いや、きっと似ている、じゃない。
コレはあいつの大剣が纏っていた輝き、そのものだ。
「アヴァロン国の騎士たちは、その国の隣人である妖精の力を借りている」
そういうこと、なのか。
そしてその光が俺の手に、ってのは、つまり。
『あの夜、アンタも目にした筈よ。というか、超至近距離で見てたわよね』
「俺にも出来るのか」
『かなりの劣化にはなるけれど、この程度の岩山、崩すに造作もないワ』
ただし、これほどの力の奔流。
ひとたび解き放てば、腕がどうなるかは想像に難くない。
『本来であれば、ヴァンの持つ聖剣クラスの武具専用の力。並みの剣なら砕け散るし、身体で放つなんて以ての外だけど』
「……おいおいマジかよ」
『勿論、大マジよ。アンタなら、問題ないわよね』
冗談じゃない。
腕が吹き飛んでも、鬼のこの身なら大丈夫ってか。
「他人事だと思いやがって」
果たしてセーラの発案か、それともヴァンだったりするのか。どちらにしろ、双方がそれをアリとして持って来やがった。
その上この光、眩しい位にますます強く、どんどん熱くなってきやがるんだが。
「お、おいコレ」
『さ、結構話し込んじゃったから、急ぐわよ。早く解放しないと、どの道堪え切れずに腕が粉々になっちゃうワ』
「っ、せめて断ってからやれよ」
『どの道これ以外に方法はないんだから。さ、後ろの石壁をぶち破りなさい!』
加えて、セーラは声を上げて言った。
『唱えるのよ! その光の名を、キャリバーと!!!』
「は?」
『拳を握り、振り抜きなさい! 叫び、叩き付けるのよ! 光束の名は、キャリバーよ!』
「いやいやいやいや! って、待て待て待て!」
一体全体、どうしてそんな話になる!
っていうか、それって聖剣の名前じゃなくて技の名前だったのかよ!
問い詰め謹んで断りたい事柄だが、こうしている間にも、右手の輝きが膨張していく。思わず左の手のひらで目元を覆う程に、眩しく煌々と光を放っている。もはや熱さも痛みも感じられないのは、多分感覚が潰されたからだ。
ふざけているし、馬鹿げている!
だけど慌てて後ろへ振り返り、右手を突き出しても、やはりなにも起こらない。ただただより強力に発光していくばかり。
『ちょっとちょっと! 急いで解放しなさいよ! 全方位に暴発なんてしたらワタシも生き埋めよ! 逃げるどころじゃなくなるわよ!』
「ッッッツツ~~~~~!!!」
『さあ! 真っ直ぐ一直線に、道を切り開くために放ちなさい! その名を叫び、唱えなさい!』
「ッッッ畜生! 誰が名付け親だ!!!」
『ワタシよ!』
「だろうなァ!」
観念するしかない!
羞恥なんて理由で、それこそこんな馬鹿らしい名前が原因で終わるなんて、死んでも御免だ!!!
『さあ、唱えなさい!』
「おおおおおおおおおおおキャリバァァァアアアアアーーーーーーー!!!」
だから、絶叫し、そして、
ようやく暗闇が、開かれた。