第四章【09】「閉じられた再会」
その子は、一際目付きが悪い男の子だった。
男の子――とはいっても、当時の自分も幼く同年代。おまけに目付きが悪いって指摘も、俺にだって強く当てはまっていただろう。
「よう。今日の当番はオレ様だぜ」
彼のことは、強く印象に残っていた。
何故なら彼は数少ない、声を掛けてくれる人間だったから。
「月に一度の退屈な役回りだ。ま、っても他のヤツらはもっとペースが速いし、週に二回も待ちぼうけなんて役立たずもいるらしい。可哀想だが、全てソイツの実力。才能も無ぇ、努力もしねぇヤツらにはお似合いだぜ」
鉄格子の向こうから、こちらを覗き込む。
恐れどころか嫌悪もなく、ただ、当たり前のような表情で。
「与えられた課題を熟す。それ以上を自分で積み重ねる。規律を厳守し任務を達成する。たったそれだけで美味い飯が食えて、特別扱いでちやほやされて、退屈な見張りも少なく済む。簡単なことにしか思えないんだけどなァ」
彼の言葉は気丈で、強過ぎるものばかり。元々そういう性質だったのか、それとも傷付けるように意図されていたものだったのか。ただ、この場所でだけの態度ではないと察せられた。
彼は何処に居ても強く、真っ直ぐだったんだろう。
「いや、悪ィ。お前に言っても分からねぇよな。でもいいだろ? 月に一度くらい、べらべら勝手に喋る奴が居たってよ」
応えないのを判った上で、そう断りを入れて、
「……ハッ。ま、可哀想っていうならアイツらより――お前こそ、心底可哀想だよな」
才能も努力も関係なく、なんの主張もする間もなく、生まれてすぐに牢屋入り。
そんなの、どうしようもない。
――生まれが不幸だったとしか思えない。
彼は、そう言っていた。
黒の色濃い和装。腰に携えられた、鞘入りの日本刀。
逆立った髪も、ギロリと睨み開かれた鋭い瞳も。右目と口元に刻まれた、大きく目立つ傷の痕も。
知らない筈なのに、覚えている。
「魁島、鍛治」
カイジマタンジ。
自然と、そんな名前がこぼれ出した。
すると男は、ニッと口の端を吊り上げて。
「へぇ、物覚えが悪いって聞いてたが。ンだよ、オレ様のこと、分かってるじゃねェか」
薄ら暗い笑みを浮かべたまま、更に距離を詰めて来た。
一歩、一歩。近付くに連れて、増していく。両肩にのしかかる重厚な圧迫感と、喉を涸らす程の緊張感が。
やがて、鉄格子を挟んで向かい合う。
男は――魁島は続けた。
かれこれ、二週間も眠り続けていた――と。
「――二週間」
あの日から、あの事件から、それだけも?
意識が落ちて、今起きるまでに?
「ハッ。ま、時間感覚が無いのは当然だろうな。随分深く眠ってたんだろ?」
なにしろ、
「その様子じゃあ、三度暴れ回ったことも覚えてないようだしなァ」
「――――――――」
息を呑み、言葉を失う。
今度こそ、魁島の言ったそれに、なに一つとして覚えがなかった。
構わず、男は続ける。
ぱっくりと笑みを開き、両手を広げて、楽しげな様子で。
「いやあ大変だったんだぜ? 妖怪を抑え込む陣まで張ってあるにも関わらず、鬼化して暴れやがって。この鉄の格子も、その度ひしゃげて造り直しだ。牢の中もよォ、元はもっと狭っ苦しいモンだったのに。自分で派手に快適にしやがるとは」
「…………」
「ま、大変ってのも、ほとんどはアイツが鎮めて、オレ様は補佐も補佐だったが。始末を付けろって話なら早ぇんだが、まだ、ってんだからなァ」
アイツ。
そう揶揄されたのは、恐らく、あの男だろう。
魁島の話が本当なら、意識の無かった二週間の内に、俺は三度も暴れ回って――またしてもあの男に敗れたのか。
その結果、俺はこの牢の中で。
すると、不意に、
「オイ」
ガンと、十字の格子が拳に叩かれた。
魁島が、睨みを強めている。
なにを黙っているんだ、と。
「おいおい、オレ様ばかり話させるんじゃねェよ。この鉄格子がしっかりお前を守ってくれてるだろ? もっと気楽にしろって、お話しようぜ」
「……本気で言ってんのか?」
気楽に、なんて。冗談じゃない。
こんな濃密な殺気を叩き付けながら、よくそんな気の利いた言葉が浮かぶもんだ。
それを指摘すれば、魁島は笑みを強めた。
「ッハ! そいつは悪ィな! なにしろテメェを殺すことが出来たなら、オレ様は最高の鬼狩りってことになるだろうからな! そんな自分を示せる最高級の獲物を目の前に、涎が出るのも仕方ねェだろォ?」
「……っ」
「まーでも安心しろよ。現状殺しの許可は下りてねぇ。だから惨殺してやりたい衝動も、恨みも辛みも、介錯してやりたい哀れみも、全部呑み込んでやるよ」
当然、その時が来たなら、遠慮なく。
魁島はそう宣言し、それから少し笑みを緩めて後退した。
そして、
「……ハッ。タイミングがいいなァ」
そうやって彼が静かに引き下がったことで、気付く。
暗闇の向こうから、もう一人、誰かの足音が近付いていることに。
カツリ、カツリ、と。
この普通じゃない異空間の中でありながら、落ち着き気品を持った一定間隔の歩調。
そこに、来訪した男の声が重なる。
「――失礼」
ああ。
今度のソイツの声には、覚えがあった。
だけど生憎、安堵とは程遠い相手だ。
「聞き覚えのある絶叫が耳に入ったのでね。もしもがあってはならないと、立ち寄らせて貰った」
魁島と同じく、松明の近くへと姿を晒す。
薄明りの中でも煌めく金色の髪と、清廉潔白さを表すかのような白の装束。荒れた岩肌のこの空間には、どう考えたって不釣り合いなのに――堂々と君臨し、己の存在を主張してくる。
現れた異国の騎士は――、
「――ヴァン」
ヴァン・レオンハート。
異世界を管理する大国の騎士が、この場へと立ち会わせた。
「久し振りだな、ユウマ」
「……なんで、お前が」
このタイミングで、どうして。
……そんなの、この事態に無関係な筈がない。
そう思ったのだが、
「さて、どういう因果だろうな」
なんで、など。そう尋ねたいのはこちらだと、首を横に振るった。
特別な任務を与えられて動いてみれば、まさか現地で知人が囚われているなんて。悪い冗談が過ぎると苦笑して。
そんな軽快な様子のヴァンへ、魁島が喰ってかかる。
気に入らない、と。
「本当に凄ぇタイミングだよなァ。異国との交流を断固として拒む上の連中が、こんな時だけ受け入れるなんてよォ。手練手管で、随分必死だったらしいじゃねェか」
「カイジマタンジ。生憎、僕も君に近い立場だ。任務を与えられただけでね。果たしてどういった取引があったのかは知り得ていない」
「じゃあその任務ってのはなんだよ。わざわざコイツの目覚めに足を運んだのも、その任務の一環ってかァ?」
「はて、僕の滞在理由は通達されている筈だが? 単なる状況捜査だよ。どういう情勢で、どういう世界なのか、ね」
存在を補足してしまった以上、異世界の管理を自称するアヴァロン国は、放っておくことが出来ない。例え正式な同盟関係を結んでいなくとも、こうして所属の騎士が足を運び、査定することは避けられない。
そうでなければ歩み寄る為に、頭を挿げ替えられることになる。
ヴァンは変わらない飄々とした声で、そう返した。
「手を結ぶことは叶わないようだが、お互い荒事は御免ということ。だから僕が足を運んだ。――そうして敵意を剥き出しにされると、査定に響くとは思わないかな?」
「ハッ。この程度の挑発で一触即発だってんなら、戦争確定だ。残念だが、ウチは血の気の多い奴が沢山でな」
「そうらしい」
「大体お前、媚びたところで評価を変える気ねぇだろうが。そういう面してらァ」
「そうでもないさ。真面目一辺倒とはよく言われるが、豪勢に持て成されては気も揺らぐというもの。……同じように、君がここで涙ながらに懇願でもすれば、慈しみを以って忖度してあげなくもないが」
「ハ、上等だぜ! そういう任務が出た時には、這いつくばって靴でも舐めてやるよ!」
言い合う二人は、互いの挑発を難なく躱す。
けれどいつからか、ジリジリと闘気のようなものを滲ませていた。見れば魁島が左手を、腰元の鞘へ添えている程だ。
一言でも誤れば。
言葉遊びを過ぎれば、途端に、双方共に牙を剥くだろう。
「まあ、言い争いは程々に」
それからヴァンは、改めて俺を見た。
いつかと変わらない、真っ直ぐ曇りのない瞳で。
「そういう訳だから、変な期待はしないでくれよ。僕には僕の任務がある」
「……そうかよ」
「そうとも」
恐らく本当に、なにかのついでに立ち寄っただけなんだろう。
それだけ言うと、ヴァンはすぐに踵を返し、俺たちに背を向けて元来た道を戻っていく。
「だからくれぐれも――」
最後に、
「次に会う時に首を断たなければ――という流れにならないよう、精一杯努めたまえ」
そう言い残して、この場を後にした。
「ハッ。残念ながら、お仲間じゃあなかったらしいな」
ヴァンの足音が完全に消えた後。
魁島は再度格子に手を掛け、ニヤリと口元を吊り上げた。
「まー当然か。アイツの目的は言葉通り、ぶらぶら歩いて見て回るだけだろうからな。この島でただ一人の孤立無援。お前を助けようなんて馬鹿な発想は、起きねぇだろうさ」
「……この、島」
「なんだよ、その辺りまだしっかり把握出来てねェのか? 悪ィが残業して説明は御免だぜ」
言うに合わせて、また遠くから音が響く。
けれど今度は、足音が近付いて来る様子はなかった。
「残念ながら交代の時間だ。続きは次の奴に聞いてくれ。……っても、昔からオレ様以外の臆病者は、全員外から入って来ねェらしいがな」
「……それでいいのかよ」
「あァ、勿論。出口は一つしかねェんだ、そこを見張ればいい。それに、万が一代わりをブチ殺したところで、この島から逃げ出す術は無ェ。また暴走してもすぐに駆け付けて――」
言って、一層笑みを深め、
「――今度こそオレ様が殺してやるよ」
魁島もまた、それだけを残して去って行った。
そうして一人、洞窟の奥へと取り残される。
先程までの緊張や騒がしさが嘘のように、静まり返った薄暗闇。視界に動くのは松明の灯火だけで、耳に響くのもまた、崩れる火種と風音だけ。
二週間という信じ難い空白や、事態の顛末。魁島や例の男の正体についても、島と言っていたこの場所についても。
なにも分からず、応えてくれる相手も居ない。
「……くそっ」
何度か声も上げてみたが、入口に居るらしき代わりって奴も、なんの反応も示さない。重ねて気を引こうと鉄格子を蹴っても岩肌にぶつかっても、鈍い衝突音が響くばかり。その見張りを行動させる程の事態を、今の俺では起こすことが出来なかった。
そして今以上の抵抗を巻き起こす引き金も、俺はまだ知り得ていない。
「俺では」
俺では、現状を打破する手段がない。
暴れて鉄格子をぶち壊すことなんて出来ないし、岩を削って檻を広げることも不可能だ。ここから出ることは絶対に叶わない。
この場所を知ることだってそうだ。把握出来てないのか、なんて、そんなの無理に決まっている。だってそれを知っているのも、俺ではないのだから。
洞窟のことも、魁島の名前も、島ってヤツについてだって。
俺の知識には、記憶には、なに一つないんだから。
「……っ」
なんなんだ。
なにが起こって、どうして俺は、こんなところに。
それよりも、――あいつらは。
姉貴やアッドたち図書館の奴らは。
サリュは、どうなって……。
「……どうすれば」
それともどうしようもないままに、なにも出来ないままに、このまま――。
いつの間にか、視線は地面へ落ちていた。やがては立っていることも出来なくなり、ゆっくりとその場へ腰を下ろす。
堂々巡りだと、どの道出来ることはないと、
思考を閉じる。
「…………」
それから不意に、緊張や焦燥を解いていく中で、押し寄せて来た微睡に。
意識すら、手放しそうになって。
――けれど、
――諦めかけた俺を、一喝する声が聞こえた。
『――まったく。ようやく落ち着いたみたいだワ』
それは自分の内側から、などではなく。
確かな外側から、鼓膜を震わせる音だ。
『あ、オーバーなリアクションはダメよ。外から随分離れているけれど、ここの連中、聴力も含めて身体能力が結構高めだから。静かに、冷静に、話をしましょう』
高い、女の声。
聞き取りやすい安定した抑揚と、言い聞かせるような物言いから、目上を相手にしているように感じた。自分より歳が上で、背の高い女性のような。
だが、そんな人物の姿は見当たらない。音を立てないように周囲を見回したが、俺以外には誰も居ない。ここには俺一人の筈だ。
少なくとも、人間は。
『アラ、ごめんなさい。身体を透過させていたのを忘れていたワ』
「……あ」
そして遅れて、気付く。
人間ではないナニかが、目の前に居たことに。
『これで見えるでしょう? 再三繰り返すけれど、びっくりして声を上げないでね』
淡い黄色の光に包まれた、金色髪の少女。
だけどその様相は、普通の人間ではない。両耳が、いわゆるエルフ族の様に長く、背中には蝶のような翼を広げて。
なにより彼女の身体は、手のひらに収まってしまう程に、小さかったのだ。
『そんなにジロジロ熱を込めて見ないでもらえる?』
人ではなく、この世界にも存在していない。
彼女こそは、異世界に居るとされている。
『ワタシたちに服という概念は存在しないけれど、照れや恥じらいは持ち合わせているのよ。文化的違いからセンシティブに感じてしまうのは仕方がないけれど、努めて自重してほしいワ』
紛れもない。
妖精と、そう呼ばれる種族だった。




