第四章【06】「弔いを」
騒音の消えた深夜の街。
わたしたちはマンションを後にし、夜空を横断して目的地へ向かう。
わたしは魔法で浮遊する形で、クロとシロは身体能力を以って、建物から建物へ飛び移っていく。そして皇子はドギーに両腕で抱えられ、ドギーはその巨躯ながら姉妹と同様、軽々とビルを跳躍していた。
そうして重なる影は街を抜けて、田畑の多い土草の地帯。通い慣れていた、南地区の森へと近付いていく。
向かう場所は、その森の更に奥。この街の最南端だ。
わたしたちは大きな音を立てることなく、そのまま足を早めた。
「…………」
道中、遠目ながら堂々と、視界に隠れ家を確認する。明かりは既に落ちて、外観だけ見れば、誰の気配も感じられない。けれどこの事態の中、誰も居ないという可能性も薄く、気付かれていないとも限らないだろう。
わざわざ場所を変えようと提案したのに、あえて本拠地を通る。それは挑発のつもりなのか、もっと他の狙いがあったのか。
正直、なにを考えているのか分からないけれど。
その理由は予想外にも、あまりに単純なものだった。
辿り着いた、目的地。
そこは、あまりに殺風景な空間だ。
森の奥とは聞いていたけれど、その実、森の端に切り開かれている。生い茂る木々に縁取られた内側には、幾つもの色濃い大きな石が並べられている。
点在する少数の明かりは、そもそも夜の訪れを想定していない。それは静寂の中の薄明りで、深い眠りに誘うかのように。
その場所は、南地区の最端にひっそりと造られていた、――こじんまりとした墓地だった。
「ドギーの頼みでね」
到着し、大きな腕から下ろされるアレックス。
その後すぐにわたしたちへ背を向けたドギーに代わって、彼がそう説明した。
日本国へ訪れるなら足を運びたいと言われたんだ、と。
「現在ドギーは、国から俺の護衛を任されている。自由行動は許されず、つまり俺の同行が必要になる。個人勝手な作戦を見て見ぬふりで済ませてやるから、その見返りに連れて行け、って感じでね」
「それで、ここに?」
「ああ。驚いたが、当然了承した。俺も弔いがまだだったし、――なによりドギーは、この事件で何人もの同胞を失っているからね」
「同胞」
それは彼と同じ、オーク族の。
言われて、思い返す。
「……っ」
まだ鮮明に覚えている。
彼と同じ肌の色をした、大きな身体を持った職員を。初めてわたしが図書館を壊した時も、気さくに許してくれた笑顔を。それからも毎日のように顔を合わせて、挨拶や世間話をしていたことを。
それから、見習いで訪れていた、小さな子どもたちを。
あの日にも、彼らやあの子たちはあの場所に居て、――誰一人として、例外なく。
わたしには、無関係の話じゃなかった。
わたしも図書館で、彼らと親しく接して来たのだから。
なのに今日この瞬間まで、わたしは、この場所に来ていなかった。この場所を知らなかったし、知ろうともしていなかった。
目立つ大きな傷跡や、奪われた彼に圧倒されてばかりで。
……だめだ。
「……全然、だめだ」
思っていた以上に、自覚していたよりもっと、わたしはだめみたいだ。
こんな大切なことにも、まるで気付くことが出来ていなかったなんて。
「……ごめんなさい」
今更だけれど、それでも。
わたしはこの国の作法に倣って、両手のひらを合わせた。
「どうだ? しっかりオーク族の墓はあったか? ……しまったな、手向けの花を用意しておくべきだったか」
語りかける皇子に、ドギーは、
静かに、首を横に振るった。
「…………いや、必要ない」
ここに同胞は眠っていないのだから、と。
わたしたちに背を向けたまま、墓地を見つめたままに応えた。
低く、重い声色で。
「すまない。言い方を間違えた、か。おれの同胞への花は要らない、という意味だ。ここで眠る方々への花は、必要だった」
「なるほど確かに、全ての墓に一輪ずつ、俺とお前の両手一杯分の花は必要だったかもな。――じゃあ、オーク族の方々はここには居ないのか」
「ああ。……ここにあるのは、石碑だけだ。故人は居ない。同胞は皆、おれの世界で埋葬された」
「なんだ、そうだったのか」
「恐らくこの国の人たちも、皆それぞれ、各々の家で弔われた筈だ。ここに眠っているのは、身寄りのなかった数十の妖怪たちだと、そう聞いている」
ドギーは言った。
それからここには、あの日の事件で亡くなった職員たちの、失われた命の名前がすべて刻まれた、慰霊の石碑がある。
用事があったのは、その石碑だと。
「身体は皆、国へと還った。おれも今回亡くなった同胞たちとは、全員と顔を合わせた。……だが、彼らの最期の意志は、ここに残っている。石碑に刻まれている」
「意志、か」
「そうだ。彼らはこの国に訪れ、この国に奉仕し、与えられた役割の中で、最期を迎えた。……道半ばであったことが、悔やまれるが」
だからその最期の瞬間に、彼らの意志はこの国にあった。彼らはこの世界で戦い、破れてしまった、この国の戦士だったのだ。
そしてこの国に居た彼らを残したモノが、名前の刻まれた石碑。
ドギーは自国で故人を弔い、最後に、この世界で生きていた彼らを、弔いに来たんだ。
「…………」
ただ静かに、墓地へと視線を送り続ける。
薄暗い中、わたしの視界には、それを確認することが出来ない。けれど眩しく照らし出すのは、きっと違う。
なにより彼には、見えているのだろう。
たとえ石碑が霞んでいようとも、その場所に刻まれた、故人たちの意志が。
それからドギーは暫し、言葉もなく、動くこともせず、ただ静かに立ち続けた。
それが彼の作法なのかは分からないけれど、彼を連れているアレックスも、後ろ立ち無言のままで待っている。
わたしや姉妹も少し後ろで、そんな彼らをただ見ていた。
けれど、不意に。
「事件の真実なんて、知らない人の方が多い」
クロが、そんなことを呟いた。
見れば彼女の瞳は墓地を映して、それから哀しげな色で、わたしを捉えた。
私たちは恵まれている方だ――そんなことを言って。
「先日の事件で、沢山の人が死んだ。図書館の人も、東地区の人も。だけどその事件の真相を知っているのは、私たちのような外れた立場の者だけ。多くの人たちは、知人たちは、彼ら彼女らがどうして奪われてしまったのか、一生知らずに生きていく」
時に詳細不明の、謎の失踪とされて。
時に隠蔽の為の、嘘の情報を渡されて。
――不幸にも、と、処理されてしまう。
「殊更私たちのような実働部隊は、事件に飛び込んで、犯人を捕まえて、それだけ。事後処理や情報操作には一切関わっていない。文句を言う筋合いはないけれど、それでも、酷い話だとは思う」
もっともだからといって、被害者家族や知り合いたちに触れ回るようなことはしない。それが一層傷付けることになって、どころか、次の問題や危険に繋がってしまうから。
だからただ、同情する。
なにも知らされないままに、当人の喪失を埋めて生きていく。そのあまりに哀しい在り方に、ただ胸を痛める。
自分たち異なる存在や事件を隠すとは、そういうことだって。
ここはそういうルールによって、隠し事によって成り立った世界なんだって。
「随分昔に、そう言われた。――奇しくも、貴女が殺したあの男からね」
言って、クロは眉を寄せた。
それから今一度、わたしを正面から見据えて言う。
「貴女が今日、彼ら二人に同行しているのは、片桐裕馬の件でしょう?」
「……ええ」
「貴女がなんの力も持っていなかったら、ただ片桐裕馬の知人であったなら、きっとなにも知り得ていない。あの人はただ忽然と居なくなって、消息不明。それで終わってる」
そんなもしもは有り得ない。
それでも、彼女はわたしに言った。
「貴女は恵まれているわ」
正しく悲しみや憤りを覚えられることも、こうして正しく弔うことが出来るオークも。
それから、
「……勿論、私もだけどね」
それは彼女なりの忠告だったのかもしれない。
突き付けられたその事実を、わたしは、重く呑み込んだ。