第四章【04】「入り組んだ迷路」
零時はとっくに回っている。
日付を跨いで尚、わたしは一人、なにをしているんだろう。
「…………」
生暖かった夜風も涼しくなって、気付けばここ数日は寒気を覚える程に変わってしまった。夜空を駆けるにも浮遊だけでなく、温度操作の魔法を発動させている。そうしなければとても冷たくて、探索どころではなくなってしまう。
そうなってしまえればよかったのに、なんて思うのは、とても筋違いだろうか。傘を持っているのに、差さずに雨の中へ駆け出す。なんて、そんな馬鹿げた自暴自棄が出来たなら。
きっとそれが出来ないから、わたしは今日も、意味もなく空を飛び回った。
「……ふ、ぅ」
丁度、南地区へと戻って来た。
一先ず身体を降下させ、近くのマンションへと足を着ける。
ユーマやオトメが使っている、中居ハウスの屋上だ。当然この場にわたし以外の人影なんてなくて、部屋の明かりも二つ三つ灯る程度。端に立って見下ろした街並みにも、家屋の明かりは多くなかった。
煌々と強い光は、道路を照らす青白い街灯ばかり。それらに切り取られた空間にも、人の姿はまるで見当たらない。
遠くの街道にも、近くこのマンションへ続く道にも、
この場所へ帰って来る影は、一つもない。
「……ユーマ」
今日もユーマは帰って来なかった。
図書館にも来なかったし、探しても、街の何処にも居ない。寝る間を惜しんでも、怪しい人を捕まえても、なんの手掛かりも手に入らない。今夜だってオトメからの任務以外で、十数人の一団や二人の怪しい個人を捕らえたけれど、彼らは総じてなにも知らなかった。ただ私利私欲で悪い行いをしている人を捕まえただけだ。
義賊。ふと、そんな言葉が頭を過ぎる。この世界で読んだ本の中にあった。夜な夜なお金持ちから金品を盗み、困っている人に配る。そんな、決して褒められたことではないけれど、正義を尽くす人たち。
任務外で勝手に悪党を成敗するわたしは、まったく褒められたことではなく、そんな義賊と似たような立ち位置なのかもしれない。
もっともわたしは正義の為ではなく、寝る間を惜しんでなんて言って、ただ眠れないから暴れているだけなのだけれど。
なにもしないってことが、わたしには、堪えられないから。
ただ待つだけだなんて、それが役割だなんて、
――そんな強いことは、とても出来ないから。
「……何処にいるの?」
呟く声に応えはない。
誰も、なにも、教えてはくれない。
わたしがどれだけ尋ねても、なにをしても、酷く暴れたって、そんな現状は変わらない。
「……っ」
分かってる。
きっとオトメには、なにか目星があるんだって。多分ナナオや一部の百鬼夜行の人たちにも、なにかが見えているんだって。わたしには分からない、この国に根付いた人たちにしか分からない、なにかが。
その上でなにも言ってくれないのは、まだその時じゃないからだ。タイミングが重要なのかもしれないし、そもそも確証を得ていないのかもしれない。どちらにしろ、わたしに話せない事情がある。
今はただ、堪える時。
どれだけ悩んでも、行動を逸っても、得られる答えも意味もない。
――分かってる。
けど、
「……どうに、か」
どうにかしたくなる。
何処にも辿り着けないとしても、駆け出すことをやめられない。入り組んだ迷路の中で無様に藻掻いて、より深みに迷い込んでしまう。
今はまだ。分かっているのに、分からなくなる。
――もしも、その『今』が、最後のチャンスだったら、なんて。
「わたしは」
だってわたしは、唯一、この状況を打開出来たかもしれないあの瞬間に、
あの日に、図書館へ駆け付けることが出来なかったのだから。
この世界へ来て、幾つもの戦いを乗り越えて来た。
図書館へ転移してすぐにユーマを追い掛けて、それから騎士たちを迎撃した。夜はユーマを狙ったヴァンと戦い退けて、翌日には親友だと思っていた相手と決裂し、辛くも討ち果たした。
テロ事件では一度倒れてしまったけれど、続く特級の大妖怪との戦いでは、なんとか無事に倒すことが出来た。
先日の白装束の転移者一団との戦いも、甚大な被害を防ぐことは出来なかったけれど、彼らを制圧することには成功して。
それでその事件も終わりだって、そう思っていたのに。
敵対する彼らを打ち倒し、空から地上へ降りて。
未だ残り火や硝煙が立ち昇る、瓦礫にまみれた凄惨な街の中で。
相対した、機械の身体を持つ彼が――グァーラが。
『ガララ、あァ、口が滑ッたなァ』
口が滑ったと、そう言って、突如。
所属を同じくするわたしへと、その力を振るったのだった。
『悪い』
鉄と配線の入り乱れた、老人を模した人型が、姿を消失する。
いいえ、そうではなく。
彼の身体を上書きし、わたしの視界を覆い尽くすほどの奔流が、一瞬にしてその場に展開されたのだ。
それらは、街の地表を破って波のように放出する。
鉄板や鉄骨を主に、細かなネジやスパナや金鎚、放電する配線ケーブル。わたしを軽々と呑み込む程に背高い物量が、前面を覆い、頭上から降り注いでくる。
その向こう側から、ギシギシと異音を含んだ声を響かせて。
『やッぱ、せこせこと会話で時間稼ぎは、儂の性に合わねェ』
「グァーラ!」
『ズカズカ聞き過ぎだぜェ。いや、違うかァ。――聞く相手を間違えたなァ、嬢ちャん』
迫り来る攻撃を前に、――わたしは。
「ッ――焔よ!」
右手を突き出し、叫び命ずる。
開かれた手のひらに光が灯り、刹那。
流し込んだ魔力を糧に、わたしは巨大な焔渦を撃ち放った。
それは迫り来る鉄屑の奔流へと、真正面から直進し、その物量を悉く燃やし溶かす。分厚く重なり造られていた機械の壁は、いとも簡単に貫き穴を開かれた。
そして当然、隠されていた男の身体へも、焔の渦は火の手を伸ばし――、
『――甘ェなァ』
直後、忽然と、
焔の魔法が、見る影もなく消失した。
「――ッ!?」
驚きに、目を見張る。
魔法攻撃の消失。引き起こされたその現象はまるで、先刻のヒカリとの立ち合いや、がしゃどくろとの戦闘を思い起こさせる。わたしの魔法はまたしても、標的へ届くことなく無力化されてしまった。
けれど、それ以上に。
驚愕したのは、またしても異なるその方法だ。
「――今のは、っ」
グァーラの身体へ届く、その直前。
わたしは自ら放出した焔の操作を、手放されてしまっていた。
正確には、操作がまるで効かない状態。それはまるで、
「わたしの焔が、奪われた――ッ!」
『オウ、察しがいい。大正解だなァ』
言って、老爺は右手の大鎚を両手で握り締めた。そうして大きく振り上げ、勢いのままに地面へと叩き付ける。
――瞬間。
わたしの目前に、今度は――わたしを目掛けて、茜色の炎幕が広げられた!
「――な」
なにが、と、言葉にする間もない。
わたしには分かる。
それが他でもない、先程わたしが放った焔であることも。同時に、驚愕し反応に遅れた今、完全に切り返す術がないことも。
せめて咄嗟の盾を展開して、直撃を防ぐ程度の抵抗しか出来ない。無傷どころか、軽傷では済まされない。
わたしでは、間に合わなかった。
けれど、
予想外にも、彼女が。
「失礼、っと」
――ヒカリが、わたしの正面に割り込んだ。
そして、一斬。
横一線に引かれた斬閃が、迫り来る炎幕を切り開いた。
「なになにどうしたの? 一難去って、今度は深刻な仲違い?」
変わらない、白の衣服に簡易な鎧を身に着けて、右手に白刃を携える。
金色の髪を振り乱す彼女は、他でもない、わたしの前へと立ち塞がってくれた。
「……ヒカリ」
「なにがあったの? 爺様に煽られてサリュがカッとなったとか? それとも余程気に入らなかった爺様の実力行使? 耄碌?」
ちらりとわたしを窺って、けれどすぐに視線を彼へと戻す。その携えた刃先すらも、ヒカリは彼へと向けてくれた。
同じく大槌を両手で構えた、機械人間へと。
彼は、低く笑う。
『……ギギシ。随分と魔女の嬢ちャん寄りじャねェかァ。一緒に戦ッて若い友情でも芽生えたッてかァ?』
「残念ながらその通り。羨ましい? なら、状況を説明して大人しくしてくれると、入れてあげなくもないけど? 少なくともボクは、年の差関係なく大歓迎だ」
『生憎だがァ、仲良しこよしはご遠慮願う。まだまだ若いテメェらには分かりにくいだろうがァ、年の差ッてのはよォ、壁だぜ壁』
冗談みたいな言葉を交わし合い、だけど互いに武装を解くことはしない。
そんな軽口も、長くは続かない。
間もなくして、ヒカリがゆっくりと身体を低く落とし。
「残念。――じゃあ、大人しくも」
『しねェなァ』
そう言い合った、直後だった。
ヒカリが身体を前のめりに傾け、踏み出す。わたしも二人の接敵に合わさるよう、すぐさま援護の魔法式を構築し、右手を構えて光を灯す。
――寸前。
わたしたちが動き出す、そのコンマ単位の秒数の間に。
突如として、わたしたちの視界は完全に奪われてしまった。
カッと炸裂した、あまりに強すぎる光によって。
「な――」
「しまっ――」
致命的な遅れ、どころの騒ぎじゃない。
すぐさま対応を。攻撃に回していた魔力を流用して、潰された視界の代用、探知の魔法を発動させる。――けれどその効力がまるで発揮されない。
先の戦いの名残か、周囲に満ちた魔力の残滓が状況の把握を阻害してくる。重ねて、機械や電気を探知しようにも、街中に満ち溢れて判別が出来ない。
残された音や臭いで把握できるような能力も、わたしは持ち合わせていない。
そしてそれは、目に力を持つヒカリも同じだ。
たった一瞬、たった一手、それだけで。
わたしたちは、完全に無力化されてしまった。
『駄目だなァ、ヒカリ嬢ちャん。ただの小競り合いにしたッて、儂も小娘も特級レベル。止めるッてんならァ、それなりに本気で臨まねェとよォ』
「……くっそ! グァーラ、ここまでッ!」
『あァ、見誤ッたなァ』
それで終わりだった。
前兆を感知することも出来ず、防御も受け身も許されないままに。
背後からの衝撃によって、痛みを感じる間もなく意識を手放した。
それからどうしてか、わたしは生きたまま、大した怪我もなく病院で目を覚まして。
だけどその時には、全てが終わってしまっていた。
沢山の知り合いを失って、
帰る場所を滅茶苦茶にされて、
――大切な人も、居なくなってしまっていた。