第四章【03】「未だ渦中に」
今より二週前の、九月末週。
突如現れた転移者の一団によって、藤ヶ丘の東地区は壊滅的なダメージを受けた。
白い装束に、額を仮面で隠した集団。異世界間での外交を目的と語っていたらしいが、本質はまったく異なる。連中の真の目的は、完全な上下関係によるこの国の支配だった。
そしてその力関係を明確にする為、容赦のない破壊行動が振るわれた。
結果、連中が転移し現れた東地区は全壊。多くの死傷者を出すこととなり。
――当然、それは隠すことなど出来ない、公な大事件として取り上げられることとなった。
例に違わず、根本的な部分は隠されている。
謎の組織による大規模な爆撃テロ。先日のビルを占拠した集団との関係性が考えられ、目下政府は念密な捜査を行っている。
そんな、当たらずとも遠からずの概要。
サリーユが訪れた際の西地区の崩壊も含めれば、流石にみんなも気付いてしまう。
なにかがおかしい、普通じゃない、と。
多くの報道の通り、テロ組織による破壊活動なのか。それとも最早国家間レベルの、戦争レベルの戦端となっているのか。日々取り上げられ煽らせる惨状を前に、この街から離れていく人たちも少なくないらしい。
だけど、加えてそれと同日に、東地区の破壊と並行に。
もう一つの事件が引き起こされていたことは、周知されていない。
それが、南地区大図書館の惨殺事件。
私や真白が死に残った、最悪の襲撃事件だ。
今でも鮮明に思い出せる。
頭に刃を斬り入れられる、あの冷たい死の感触も。
それから後に目を覚ました時の、図書館の、全てが終わってしまっていた惨状も。
おびただしい数の死体に加えて、辿り着いた大広間は壁や床が割れ砕け、幾つもの足場が落とされ瓦礫を築いている。
――まるで巨大な猛獣が暴れ回った後のような、荒れ果てた光景だった。
けれど倒れた人たちの喉元は、あまりに綺麗に一線を開かれていて。とても爪や牙で抉られたようではない、寸分狂わない技による死を与えられていた。
まだ息が残っていた人たちも、手足を断たれていたり、五体満足な形はほとんど見られなくて。だけど離された部位も、余り物みたいにそのまま転がっていて。
被害者である私たちでなくとも、一目瞭然に。
事態は猛獣の仕業ではなく、恐らくその牙や爪は、襲撃者にこそ向けられたのだろう。
そしてその結末は……。
「東地区だけでも千人単位の死傷者数に、図書館職員は当日の非番を除き全員が、少なくとも生活に支障が出るレベルの傷を負わされた。顔見知りだって居ただろうにサ。その上でゆー坊まで生死不明の行方知れずサね。サリュじゃなくたって、少しはおかしくなるって話」
九里さんは言って、大きく肩を落とした。
私も、当然乙女さんも言葉を失う。真白でさえも、変わらず澄ました表情をしているものの、余計な茶々を挟むことはなかった。
現状は、極めて最悪だ。
隠れ家の静寂はそのまま組織の、百鬼夜行の状態を表している。元々職員が多かったことに加えて、当日図書館の増援に向かった人員さえもが、現在戦闘不能に陥っている。同じ頃に東地区の救援に向かっていた面々だけが、残された戦力と呼べる人員らしいが。
公にだけでなく、私たち関係者が受ける影響やダメージも、まったく少なくない。九里さんの言う通り、あの子だけでなく、誰だって……。
そして、
「ま、そんな状況だからサ。双子もサリュも十分な戦力。派手にやり過ぎるのは悩みどころだけどサ、頼りにさせてもらってるからね」
「ハッ。派手過ぎるが悩みだなんて、七尾がそれを言うかな」
「コラコラ! 状況的には自分を棚に上げた注意も必要サね!」
「……出来れば棚に上げずに顧みて欲しいけど」
なんて、二人は軽く言い合うが。
それもまた、最悪な現状を明らかにしている。
サリーユはさておき、私たち神守姉妹は本来、戦力として数えられるべきではない筈だ。私は敵対組織に所属し、大きな被害を出した事件の主導者。真白に至っては、その事件で百鬼夜行を裏切ってさえいる。
にも関わらず、私たちは今、最前線の手戦力として任務をこなしている。こうして隠れ家にすら、堂々と姿を見せ通わされている。
それ程の状況。それ程までの、人員不足。
重ねてそれは、百鬼夜行だけの話でもない。
「あ、そう言えば七尾さんっ!」
「はいはーい。元気に挙手してなんの質問サね、神守妹」
「八代子さんはどうでしたか? それから喫茶店もっ! 昨日東地区に行って八ツ茶屋の状況も見て来るって言ってましたけどっ!」
「あー、その話サね。そういえばまだ乙女にも言ってなかったし、まとめて話すか」
そう前置きされた後に続いたのは、当たり前に、好転的な情報ではない。
より厳しい状況であることの、詳細な確認だ。
「まー大体予想は付いてるだろうけど、向こうの状況もウチと同じサね。なんたら茶屋だっけ建物事態の修復は進んでたけど、人員は不足も不足。流石に拠点が破壊の爆心地だけあって、被害的にはこっち以上か。――組織としての機能も、大凡削がれてるサね」
「です、よね」
小さく頷く。
だから私たちは今夜、東地区で暗躍する勢力に対して行動を起こした。そこが東雲さんの領域とはいえ、とても手に余る状況だったから。
「一応、東雲の婆さんとも話してきたサ。っても半分以上は、煽り合い腹の探り合いだったけどね」
それでも重要な情報は交換され、短期的な歩み寄りは継続されたという。
互いに悪環境下。協定とまではいかずとも、手を取り合う必要には迫られている、と。
「南地区の不穏な動きは、婆さんの東地区に比べれば少ない。というよりは、東地区の復興に合わせて色々と隙を狙っている輩が多いサね。だからアタシら百鬼夜行の少ない人員からも、手を貸してやることにした」
こちらの状況など構わず、どころかこちらが手薄なのを好機とし、よくない行動を起こす一団は少なくない。そしてそいつらがこの機に力を付けてしまったなら、いつか自分たちの脅威として立ち塞がる可能性がある。
管轄が違うと跳ね除けるのではなく、無関係ではないと問題に当たる。それが長い目で見た自分たちの益だと、九里さんは言った。
「情けは人の為ならず、ってね。おまけに色々と恩を売ったり貰ったり、いいこと尽くめサね!」
なんて、歯を見せるくらいだった。
もっともその人員を調整しているであろう参謀は、カウンターの向こうで物凄く眉を寄せているけれど。
「ああ、それから。婆さんも元気そうには見えたサね」
それから九里さんは、真白のもう一つの質問に答えた。
「まー元気っても、今日会った婆さんが、って話だけどサ」
と。
結局、隠れ家でのお説教は一時間も経たずに終わった。
これ以上開けていても電気代と人件費が無駄だという九里さんの強硬だったけれど、果たしてその真意は分からない。その場の流れとテンションで生きているようにも思うし、なにかこの後予定があったのかもと邪推も出来る。
ともあれ、私たちは店から追い出され、真白と二人帰路に着いた。
隠れ家から、間借りしている中居ハウスへ。遠くに見える住宅街までの道のりは、どこまでも続く森林と田畑が広がる。街灯の少ない薄暗い田舎道、踏み締める土の感触や湿っぽい草の臭いは、まだ不慣れで気に掛かってしまう。
「……」
ずっと、『あの人』を避けていた。
だから南地区そのものに極力近付かない様にしていたし、八ツ茶屋に働き始めてからも変わらず、距離を置いて東地区のマンションを借りていた。だから藤ヶ丘でも比較的田舎染みたこの区画には、あまり馴染みがない。
そしてこの地区との遠縁は、これからも続く筈だと、そう考えていた。
乙女さんに拾われたとはいえ、私たちと百鬼夜行との溝は大きい。私も真白も、これから組織と深く関わることはないだろう。彼女らが主としているこの南地区にも、自然と踏み入れる機会は減るだろう。
と、そう思っていたのに。
それが件の襲撃で借宿も失って、結局、乙女さんから中居ハウスを宛がわれている。私たちは南地区に住居を持ち、活動拠点を置くよう指示され、従わざるを得ない状況下にある。
今更、なんの因果で。
それとも、今更、だからなのか。
そう沈む私に反して、妹はご機嫌だ。
「~♪」
鼻歌交じりに先導し、今にもスキップを始めそうな軽快な足取り。つい先程まで自身が原因で叱責されていたことなんて、なにも覚えていないかのように。
いや、恐らく覚えてはいるけれど、『まるで堪えていない』が正しいか。
我が妹は本当に、手が付けられないな。
「……いえ」
きっとそれも違う。
手が付けられないんじゃなくて、どう手を付ければいいか分からない、だ。
そしてそれは、もう一人。
「ん! お姉ちゃん! アレっ!」
「……え?」
突然呼ばれ、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
すると目前、真白は遠く向こうの空へと、右手を伸ばして人差し指を立てていた。
その先には夜空が、月明かりに紛れた星々があるだけで。
「――あ」
けれど遅れて、気が付く。
夜空の中、微かに動く小さな影がある。きっと普通では見えないけれど、人でなくなった私たちだから、視認に加えて正確に感じ取った。
向かう先、住宅街の上空を、人が飛んでいる。
常人以上の生命力を持った、この身に覚えのある人間が。
「サリーユ、さん?」
私たちは足を早めた。