第三章【34】「プロローグⅡ」
「君は正真正銘、――鬼という妖怪なのですから」
叩き付けられる宣告が鼓膜を震わせ、確かな情報として伝えられる。
正真正銘、鬼。
俺が、妖怪。
それは今この瞬間の俺の姿を言っているのか。紛れもない妖怪の、鬼そのものの様相をしていると。とても人間の血を含んだ混血とは思えないって、そんな、皮肉めいた。……いや、きっと、そうじゃない。
コイツが今言ったのは、もっと本質的な、根本的な。
だけど、今はそんなこと以上に、
「――あ、が」
痛い。
「――が、ア、ああアアア」
痛くて、熱い。
思考が、呑まれる。
「アアアアアアアアアアアアあああああああああああ!!?」
腕が熱い!
熱い熱い熱い熱イ熱イ!!!
斬られた! 肘から先の腕を、いとも簡単に斬り飛ばされた! なにも見えずに、なにをされたかも分からないままに!
足元には赤黒い両手のひらがぱっくり開いて転がされて、今更確認したって間違いなく硬化しているのに、生身より遥かに頑丈で鋼鉄以上の硬さを持っている筈なのに!
それも、落とされたばかりか、
「なんで、なんでだァアア!!!」
なんで、斬り開かれた断面が、
「――腕が、治らねェ!!?」
傷口を振り回し、喉を晒し叫ぶ。
治らない。綺麗に断たれた斬り口が、塞がってくれない。いつものような放電の兆しもまるで起こらず、どころか流血すら止まらない。
だから痛いだけじゃ熱いだけじゃなくて、もっとその先の、寒さが。
悶える程の熱さえも、失われていく。
「あああ、あああああああ! あああああああアアアアアアアア!!?」
無様にも、絶叫を留めることは出来なかった。
だってこぼれていく。熱くて熱くて目がチカチカして気を失いそうな熱が、今度は体外へとどんどん流れてしまう。過剰なものばかりでなく、必要不可欠な熱量までもが溶け出していってしまう。熱いのに寒い。これじゃああべこべで、そんなことを叫ぶ間にも、一層寒くなり今度は凍えるくらいに――。
死ぬ。
こんなの、死ぬに決まってる。
「おやおや、予想外の驚き様ですね。大量出血の経験は初めてですか?」
そんな混乱を前にしても、男は飄々と楽しげに言葉を紡ぐ。
「叫んでばかりではいけませんね。まずは止血を考えましょう。跪いて傷口を床に押し付けるのがベターと言えるでしょうか? もっとも、それにしたって微小な時間稼ぎ。助けてくれる他者が居なければ、応急処置にも届きませんが」
「あ、ががが、ガガガガガァ!」
「そこまで頭が回らないのも仕方がありませんか。傷が塞がらない、だから痛みも消え去らない、だから流血も止まらない。取り返しの付かない四肢の欠損、人間を偽る君には、得難い体験となりましたね」
「て、デメェ、……ヅヅ!!!」
「ほう、まだ睨みます、か。流石は近くに、幾つもの戦いを潜り抜けて来ただけのことはある。大きな欠損致命傷なんて、それこそ慣れたもの。頑丈で気丈、良いことです」
ですが、と。
微かに、額へ突き立てられた切っ先が揺れる。
異様な赤黒い刀身を持った、背長い日本刀。見る間もなく両腕を刎ねたであろうその刃が、再び動き出す予兆を微動させた。
「あ……――ああ」
不味い。
けれど直後に押し寄せてきたのは、死の確信だ。
両腕を奪われ、その瞬間を見ることも適わず、鬼血の硬度もまったく通用しない。なんらかの絡繰りがあったとしたって、糸口すらつかめない。
どう足掻いても死ぬ。
どうしようもない終着を、突き付けられている。
でも、だからって、そんなの、
受け入れられるワケが、ねェダロうガ!!!
「――ッ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
吠え猛り、この身を震わせる。
更に鼓動を加速させろ! 流失に構うな、血を巡らせろ! 待ち受ける終わりを、ただ諦めのままに享受するな!
死んでたまるか、終わってたまるか、許してたまるか!
こんなところでくたばってやらねェ! 最期まで足掻き続けろ!
グチャグチャニ潰セ! バラバラニ壊セ!
殺ス!
殺セバ、全部解決スルダロ!!!
「オオオ■オアア□■■アアアアアガガガ■ガガアア■■アアアアアア!!!」
ゾブリ、と。
耳元で発せられる鈍い異音。続くゴキリゴキリという屈折音も、不快ながら自分自身の身体から響くものだ。
この身を組み替える、造り直す。
我ながらおぞましいが、仕方のないことだ。
こうするしか、ないんだカラヨォ!
「ア■■アアアア■アア■■□アアア□アアアア!!!」
「傷口が再生しない。ならば肩から腕を生やして代用します、か。なるほど合理的ではあります。発狂して叫びを上げたと思えば、存外冷静ですね」
「舐めンジャねェエエ!!!」
代わりの腕を造り出す。ただそれだけの命令によって生まれた両腕は、姿形をそのままに、内部の骨肉や神経までをも完全に模倣した。
慣れ親しんだままに、その赤黒く肉々しい拳へと再度命ずる。
潰セ、殺セと!
即座に先んじて左腕を振り抜き、右腕を大きく後ろへ振り被る。
咄嗟に生み出された双腕だが、共に先刻以上に色濃く鬼血を含んでいる。なにしろ外皮を覆うだけでなく、ゼロから鬼の血によって造り出したのだから。その硬度も腕力も、通常の強化とは比べ物にならない。
だから、――――なのに。
またして、も。
「まだ、足りません」
繰り出した左拳、その握り締めた指の甲から手首へ、更に肘へ、肩部へ。駆け上がって来る無数の旋風と、飛沫を上げる血肉の端くれたち。
この目に映ったのは、事後の、ゆっくりと解けていく成れの果てばかりで。
「まだ、足下にも及びません」
その声の、後に、
「――ズ、――ッ!!?」
その視界すら、真横に一閃を刻まれた。
そうして、上半分がズレた、血塗れの景色を最後に、
「鬼血の急激な活性化を引き起こすトリガーは、主に二つ。感情の暴走、生命の危機。今の君は、紛れもなく前者だけれど」
そんな、頼んでもいない小難しい解説を最期に、
「――さて、お手並み拝見といきましょうか」
俺の意識は、完全に途切れた。
いつかの様に、自分の内側へ。
バシャリと音を立てて、底深い水中へと、暗闇へと重く沈む。
這い上がろうと藻掻いても、指先はぬるりと滑るばかり。それでもと懸命に手を伸ばしても、誰かが引き上げてくれる訳もない。
より深く、闇の奥へと落とされていく。
「…………」
ただ、不思議と以前のような息苦しさはなく。
むしろ、ソレへと身を委ねることこそが、生きる為には必要不可欠だったと思う程に。
纏わり付く黒が、この身に馴染んでいる。
「…………ああ」
俺は一体、なにを足掻いていたんだろう。
どれだけ見当違いな方向に、必死で歯を食いしばっていたんだろう。
傷付き歯噛みし嗚咽し叫び跪いた、それら全ての瞬間に。
最初から、こうで『在った』なら。
結末は一緒だったとしたって、もっと、今より苦しむことはなかっただろうに。
「――なんで、もっと早くに気付けなかった」
何故。
その疑問への答えが、水中に響き渡る。
――枷を解こう。
――妾の蜘蛛の糸を、その封を間引こう。
「……東雲、八代子」
そう、彼女の声が聞こえた。
それを合図に、沈みゆく水底から、上昇して消え去っていく、無数の白糸が。
閉ざされていたのは、記憶の扉。
雁字搦めに巻き付けられていた蜘蛛糸が、彼女との邂逅により、解かれた。
「――――――――」
同じく、水底から浮き上がって来る、解放された幾つもの気泡たち。そこにはどういう訳か、ありとあらゆる様々な情景が張り付き映し出されていて。
それはまさしく、記憶の泡か。
その一端に手を伸ばす。
今度こそ、指先が触れた感触。
そうして触れ合わさり、覗き込んだ情景に。
俺は――。
「……………………ごめん」
ごめん、ユウマ――と。
そんなことを呟いて、より深く沈み落ちていった。
読了ありがとうございました。
第三章は今回で終了となります。
引き続き第四章を鋭意製作中です。
第四章【01】は4月からの投稿を予定しています。
引き続き、どうぞよろしくお願い致します。