第三章【30】「魔法使い/使い手」
頭上の空に、紅蓮の焔が灯される。
それを見上げて、この事態の収束を確信した。
サリュが決めてくれる、終わらせてくれるって、他人事みたいに。
そして今更、耳元の通信機が通知音を鳴らした。すぐさま応答すれば、相手は予想の通りだ。
『無事か裕馬!』
「姉貴。……ああ、一応無事だ」
『遅くなってすまない。事が起きてすぐに通信した際は、混線で弾かれてしまっていたんだ。誰か別の相手から連絡が入っていたのか?』
「あ、ああ。東雲さんが使ってた。神守から俺の番号を聞いて、変わってなかったからって」
『やってくれる。しかも神守真白ではなく、東雲八代子だったとは。――それで、状況は?』
「状況。……酷い有様だ、けど」
戦いは、間もなく終わりを迎える。
周囲に転がる膨大な瓦礫の山や、力なく横たわる少なくない人々。決して簡単には済まされない破壊の傷跡は、この後にも多くの課題や悲しさを残すだろう。
それでも、これ以上はない。これより先は起こりえない。
サリュや、駆け付けた特級たちが、全部終わりにしてくれるから。
それらを伝えれば姉貴は、ただ『そうか』と言って、向こうで頷いたのが分かった。
『こちらでも今、アッドや百鬼夜行の面々が向かっている。とは言っても少数で、人命救助や事態収束が主な行動になるだろうがね。サリュが先行していること、なにより七尾が遅れて加わることも、七尾本人から連絡は受けていた。戦力増強は必要ないだろう』
「だろうな」
『裕馬にもその手伝いを頼みたいが、……いや、今は一旦距離を離すべきか。戦線を離脱して待機し、戦いが終わってから合流して――』
「待ってくれ姉貴、その前に」
まだ伝えなきゃいけないことがある。
「姉貴はまだ家か? それとも隠れ家か? 件の東雲さんが、図書館に逃げ込む算段らしい。連絡が来たら姉貴に伝えてくれって」
『――なに?』
「地下道を使って向かうとかなんとか言ってたが、そんなもんあったのかよ」
『……どういうつもりだ?』
「え?」
『……どういう、つもり』
姉貴は暫し押し黙った後、思案するように呟いた。
『……限られた数人にしか知らされていない、地下通路。私も立場上知らされてはいるが、使ったことはない。当然、東雲八代子も知っている――どころか、建設に関わってすら居たと聞いているが。出来る限り公にならないよう、使用は控える原則の筈』
「姉貴?」
『サリュが居て、七尾も居て、他の特級たちも事態に気付き対応している筈。それでも尚、極秘レベルの地下道を使用しなければいけなかったのか? それも隠れるだけではなく、図書館まで……』
その呟きが零す疑念は、俺にはよく分からないものだった。
それから再び、少しの沈黙。
果てに姉貴は、低く、分かったと言葉にした。
『意図は不明だが、状況は把握した。幸か不幸か面倒ながら、私も今、図書館に居る。東雲八代子の件はこちらで対応しよう』
「ああ、任せた」
『そして裕馬。お前も地下道を使って図書館に来い』
「俺も?」
『丁度あの人の喫茶店から繋がっている。店の奥へ進めば、地下へ通じる道がある筈だ。それで降りてこっちへ向かってほしい』
そうやって東雲八代子を後追いすれば、なにかあの人の意図が掴めるかもしれない。そうでなくとも、図書館へ至ればもしもの時の人員に成り得る。
『頼めるか、裕馬』
「勿論だ」
二つ返事で応える。
ここに俺の役目は残っていない。空にも地上にも、俺よりずっと強くて、この状況を打破出来る力の持ち主たちがいる。きっとその後だって、俺よりずっとスムーズに動ける仲間たちが到着する。
だから、ここを離れることに反対なんて、ある訳がない。
「地下道を使って、すぐに図書館へ向かう」
『ああ、それで頼む』
通話を終え、街を駆けていく。
残る全てに背を向けて、俺は指示された目的地へと向かった。
◆ ◆ ◆
魔法。
わたしたち魔法使いが扱う、わたしたちの世界の特異な力。
それは確かに優れたもので、同時に脅威的で、特別危険視されて然るべき存在だろう。この身で、この目で既に知り得ていた事実を、今日改めて突き付けられた。
誰かに魔法式を与えられただけ。器用に扱うことなど出来ず、ただ光線を撃ち放ち武具を変形させる。極めて限定的な用途で、けれどたったのそれだけに用いられても十二分に、いとも簡単に街を一つ崩壊してみせた。
魔法使いの、そのほんの一端を振るうだけで、彼らは大きすぎる力を誇示している。
そして今、相対するのは、更なる力を解放させた個体。全身に深い傷を開き、光を放射する土色の人型。
大気を震わせる程の奔流は、単純な力の総量において、もはやわたしやリリに匹敵する領域へと到達していた。今の彼であるなら、単騎でこの街を蹂躙してみせるだろう。
特級。そう呼ばれるヒカリたちであれば、手こずりながらも或いは圧倒し。恐らくヴァンら第一級より下になると、前線出来るかどうか。
じゃあ、わたしは?
「――焔を」
呟き、焔を纏いて宙を前進する。
わたしは――決まっている。
たとえその力の総量が、破壊力が互角であったとしても。
魔法使いであるわたしが、ただの擬似的な使い手を相手に、後れを取る筈がない!
『――我、破壊を』
先手は相手が。
宣言と同時に、全身の魔法式が一際輝きを発した。
直後、全身から撃ち放たれた無数の青白い閃光。ひと息にして八十強、百に匹敵する光の束が、わたしを目掛けて直進し襲い来る。
その一閃は、人の身体なんて触れた瞬間に蒸発してしまうだろう。裕馬の強化された鬼の皮膚だって、抵抗なく呑み込んで消し飛ばしてしまう。抵抗困難な、強力無慈悲の光の連撃。
けれど、成す術がないわけじゃない。
それこそヒカリの目や、がしゃどくろの黒腕とは違うのだから。
それは魔法で、しかもただの閃光。
力尽くで圧し潰すだけの単純明快な攻撃。
ただ相手の攻撃力を、防御力を上回り、圧倒することでしか勝ち得ないモノなのだから。
「は――あッ!」
右手を突き出し、その手のひらに輝きを灯す。
そうして魔法式を発動させ、周囲を滞留していた焔を目前へと集中。揺らめく大火を発生させ広げ、真正面から迎え撃つ盾を造り出した。
それだけで十分だ。それ以上は必要ない。
遅れて接触した光の束を、焔の盾は、一閃たりとも逃すことなく受け止めた。逸らしたわけでも、弾いたわけでもなく、百に近い全ての閃光を止めてみせた。
今尚続く放射もブレることなく防ぎ続け、その上で更に、
「――行くわ」
わたしは右手をかざしたままに、ゆっくりと前進を開始する。
光の束を押し返しながら、彼との距離を詰めていく。
『馬鹿な』
焔の向こう、光の更に向こう側から響く声。
すると即座に、前面を覆っていた光の弾幕が打ち切られた。
代わりに続いて息着く間もなく、視界が瞬きに明滅し、
――放たれた巨大な雷腕を、咄嗟の炎腕によって相殺――どころか撃ち破った。
「……ふ、ぅ」
小さく一息。
未だに目がチカチカして視界良好とは言い難いが、放電して散り散りになっていく魔力の残滓を確認した。形を真似て造ったのはいいが、あまりに咄嗟だったから勢い余って完全に上回ってしまった。
見れば拳先の焔が、彼の頭部を軽く削ってしまっている程だ。
『……同じ拳を、更に高威力で、一瞬で』
「そんな大袈裟に魔法式を発動させてたら、なにをやろうとしてるかなんて一目瞭然よ。それで次は街に散弾を一斉放火して、守る隙を突いて攻撃って作戦? 気を逸らす囮にそんな溜めと式の構築、必要ないわよ」
大体そもそもにおいて、光線の束も雷の拳もナンセンスだ。手のひらサイズの光弾一つで十分に身体を撃ち抜ける破壊力、それをわざわざ束ねて的を大きくする必要がない。
それならもっと様々な種類の魔法を織り交ぜ、雨の様に散らせて撃ち放った方が随分有効だ。もっともその程度では簡単に防がれるから、わたしたちは数百規模の散弾を多用はしないが。
「大体、大きく派手な一撃で勝負ってんなら、もっと全力を尽くしなさい。半端な強撃なんて簡単に上回られるか、精々避けられるのが末路よ」
そう、やるなら、必殺の一撃だ。
わたしの大剣のように、全てを込めた最強の魔法だ。
「諦めなさい」
『――言った筈だ。我々に撤退はない、と』
「ええ。言われた上で、わたしも言っているのよ」
彼へと右手をかざし続け、そして、再度魔法式を発動させる。
瞬間、わたしの背後に、焔の渦が数十巻き起こされ、
それら全てが、燃え盛る火矢へと変容した。
「じゃあもう一度、はっきり言うわ」
魔法使いには到底及ばない。
ただ破壊を起こすだけの、――兵器でしかない。
それではわたしには、絶対に勝てない。
「――諦めて、ここで潰えなさい」
続けて、火矢の飛礫を撃ち放った。