しゃぼん玉怪獣
とある星。
とある時。
とある地。
ストローの尻尾をいつまでも引きずる、泣き虫しゃぼん玉怪獣がいました。
彼の名前はショボシャボン。しょんぼりしゃぼん玉で、ショボシャボンです。
ふわふわといつも浮かんでいるのですが、緑のストローの尻尾が重くていつも、もっと高くには飛べないようです。
ショボシャボンは今日もとちとちと地面の上を歩いて行きます。でも彼はしゃぼん玉、彼以外のしゃぼん玉怪獣は皆んな、ずーっと高い空を飛んでいます。
いつも見上げているしかない悲しい怪獣です。
ショボシャボンはしょんぼりした目で、他のしゃぼん玉怪獣が飛んでいくのを見上げています。
透明な体に、七色のまだら模様。
どこか悲しい瞳はビー玉のよう。
寂しそうに見上げています。
「どこに行くのー」
ショボシャボンは大きな声で聞いてみました。すると、何人かのしゃぼん玉怪獣が振り向いてくれたようです。
「わたしはどこか遠くだよー」
「あたしはもっと高いとこー」
だよー、とこー。
コダマが置いてきぼりにされて、仲間のしゃぼん玉怪獣は見えなくなってしまいました。
ショボシャボンは「なるほど」と考えたようです。皆んなは、どこかずっと遠い場所に行ったようですね。
ショボシャボンは、ストローの尻尾を引きずりながら歩き続けました。歩き続ければそのうち、追いつけるでしょう、そんな考えがあったからです。
でもすぐに疲れてしまったようです。ストローの尻尾が重いからです。
「忌まわしい尻尾!」
この!この!この!
ストローを剥がしてしまおうと、叩いて、蹴って、噛みついて、でもどうしても外すことができませんでした。
大嫌いなストローの尻尾めっ!
彼はこの緑色の、生まれたときからついてくるストローの尻尾が嫌いでした。
空を飛べなくて歩くのも。
皆んなと違って一緒にいられないのも。
みんな、みんな、このストローの尻尾のせいだからです。
「ふー、ふー」
疲れて体を投げてしまうショボシャボン。彼はしゃぼん玉ですから、こんなことをすればどこまでも飛んでいってしまうことでしょう。でも、彼は普通のしゃぼん玉と違って、ストローの尻尾があります。それは重く、土の上に抱きついていました。
ずーっと地面の上です。
本当はもっと高く飛びたいのに!
ショボシャボンは何とか、この尻尾のストローを外そうと考えて閃きます。
そうだ!
誰かにストローを吹いてもらおう!
ショボシャボンは人間の子を見つけてきて、説得しました。とても切実です。
「もし、お手間を貸してはくれないか。この尻尾のストローに、ふーっと息を込んでくれ」
人間の子は笑顔で吹いてくれました。
しかし、この人間の子がストローに口をつけ、顔が茹でたエビのように真っ赤になるまで息を吹きかけても、ぴくりともしゃぼん玉怪獣を動かすことができないではありませんか。
ショボシャボンは首を傾げました。
人間の子も首を傾げました。
どうしてしゃぼん玉を吹けないのでしょうか。
人間の子は、もしかしたらストローが詰まっているのかもと考えて、中をのぞいてみます。でも見えたのは、ショボシャボンの透明な体だけでした。
七色に光っていて、揺らめいていて、太陽の光がカーテンのように降り注いでいる、どこまでも透き通っている、とても美しいしゃぼん玉でした。
「ちょっと!」
ショボシャボンは怒っています。お腹の中を見られたわけですから。
人間の子は今見たものを興奮とともに話しました。
「凄い凄い!とっても綺麗!」
今度は、ショボシャボンだけが首を傾げました。綺麗なんて初めて言われたからです。
生きているのだから、綺麗なのはあたりまえなのではないでしょうか。ショボシャボンはそんな風に思いました。
もう一度、ストローをとってしまおうとショボシャボンはストローを引っぱりました。ですが今度は、人間の子が慌てて止めに入ってしまいます。
ストローがとれた日には、ショボシャボンは普通のしゃぼん玉として消えてしまうからです。
「人間の子さん、しゃぼん玉というのは、いつまでも残っていては駄目なのだ。弾けて消えるまでが、しゃぼん玉の生き方なのだ」
ショボシャボンは、ちょっと長生きの、しゃぼん玉の怪獣です。
しゃぼん玉というのは、いつまでも残っているべきものではありません。
つまりショボシャボンがストローの尻尾をとることにこだわるのは、自分が消えてしまうためでした。
人間の子は目を丸くしています。
「死ぬてことじゃない!怖くないの?」
ショボシャボンは首を傾げます。
人間の子は首を傾げます。
「どうして怖がるんだい」
ショボシャボンはしゃぼん玉怪獣です。その姿はちょっぴり怖いでしょう。怪獣ですから。
しかし、ショボシャボンの言葉の色は、心の底からの疑問を口にしているものではありません。とても優しさに満ちた、子供に不思議を尋ねるお父さんのような口調でした。
「だって、いなくなっちゃう」
「そうだね。いなくなっちゃうのは寂しい」
「死ぬていなくなることだ。だから、死んじゃうのはとっても悲しいこと」
ショボシャボンは、人間の子にもう一度、ストローの端をもたせました。そして言います。
「死は怖い。でも、このストローからはまた、新しいしゃぼん玉怪獣が生まれるんだよ。今は、ショボシャボンの尻尾になってるせいで、塞いじゃってる。塞いじゃってると、新しいしゃぼん玉怪獣が生まれない。“あたりまえ”の輪が止まってしまっているのは、死ぬよりもとっても悪いことだよ」
「嘘だ。だってお母さんが言ってるもの。お前は野菜を残さず食べる“あたりまえ”のこともできないのか、て。でもちゃんと生きてる。“あたりまえ”てのはいらないものなんだ」
人間の子は手強そうです。
「大切な目だ。でも、だからこそよく考えてみて。人間の子が産まれないのと、このストローだよ」
「……いない?」
「居て、初めて考えられる。元からいないなんてことはあってはいけない。可能性を潰してはいけない」
人間の子は悩んでいました。
いなくなるのは怖いです。
でもそれは、いないというものです。
人間の子は、駄々をこねるといないものを作ることに気がつきました。
「どうすれば良い?」
「ストローをもう一度吹いて」
人間の子は頷き、ストローを吹きました。
外れたストローの尻尾。
緑の尻尾をなくして、ショボシャボンは軽くなって空高く浮かびあがっていきます。
どこまでも。
どこまでも。
どこまでも。
やがてショボシャボンは、見えなくなってしまいました。ショボシャボンの望みどおりにです。
残された人間の子は、ストローに新しい石鹸水を浸し、吹いています。
人間の子が吹くストローからは、たくさんのしゃぼん玉怪獣が浮かび上がり、たくさんのしゃぼん玉怪獣がいられるようになりました。