出逢い
私が高校生の頃、物理と倫理の授業を受けて、宇宙はどこに広がっていて、その中の地球は一体どこにあるのか? という疑問が湧きました。そしてその地球の上で生活している人間は、どういう存在なのか? 考えれば考える程矛盾ばかりでした。でも更にその疑問を突き詰めていくと、人間は何故生きるのか? という疑問に辿り着きました。そこに全ての答えが隠れているように思えたのです。
五十歳になった今思えば、人生のほとんどがその疑問との格闘でした。究極の貧乏、借金、挫折に、裏切りなど数々の試練、経験と問いかけが常につきまといました。死にたいと思った事も何度もあります。でも逃げませんでした。前だけを見ていたなんて格好の良いことはいえませんが、死の意識を払いのけとにかくがむしゃらにこなしたのです。なぜそれが出来たのかというと、多くの出逢いがあったからです。
以前の職業は映像作家をしていました。インタビューをする機会が非常に多い作品ばかりをやっていたので、そこで出逢う人々がみな新たな疑問と断片的なヒントを与えてくれたからに他なりません。(現在の職業においても同じです)
そんな中でも一番印象深いのは、東京都福祉局の仕事で、介護のビデオを製作するために出演者候補の障害者とその家族に一人で会いに行った時の事です。私はまだ二十七歳でADをしていました。その日はお母さんと本人が話しを聞かせてくれる事になっていて自宅にお邪魔しました。しかし、十二歳の障害者は一口も口がきけませんでした、そればかりか体も動かせず車椅子の上で空を見つめているだけだったのです。(ただし自立呼吸ができ、内臓系も健康ということでした)
付き添いのお母さんは言いました。お腹の中で水頭症にかかり脳がダメージを受けて考える事も体を動かす事も何も一人じゃできません。でも産まれてきて奇跡的に生きています。この頃ようやく流動食を飲み込めるようになったので自宅に連れ帰ってきたんです。
私は大きなショックを受けました。生まれてから今まで、考える事も自ら体を動かす事もできないのに生きている、本当に生きているのか、どうして、なぜ、「生きるとは何か? 」頭の中でその疑問が駆け巡り真っ白になりました。
それでもなんとか自分を立て直し、そして三十分ほどだったでしょうか、お母さんにその子の生い立ちや介護について、そしてお母さんの子どもに向けた大きな愛を聞いて帰る事になりました。帰りがけにお母さんは言いました。
「この子はあなたに会えて大変喜んでいます。こんな事ははじめてです、近くに来たら是非たち寄ってあげて下さい」
私は再び大ショックでした。
その子にはお母さんだけが感じとれる「感情」つまり「心」がある。脳がダメージを受けて全く思考ができないのに、体を全く動かせないのに心をお母さんに伝えている──心と、脳を含めた肉体の動きは全く別なものであると教えてくれたのです。
心と肉体が別ならば、肉体がどうなろうと──朽ちて無くなろうと心は残る筈です、それこそが生命エネルギーの源、魂ではないでしょうか?
そこから更に二十数年、数々の経験から「生きる」とはどういう事か一つの青図が見えてきました。
私はスピリチュアリストでも宗教家でも、その構成員でも全くありません。肉体をもつただの一般人です。だからその視点でしか物事は語れません。
教えの書物や宗教観を現した書物、哲学書などは巷に溢れていますが、そんな内容にするつもりは毛頭なく、書くならばエンターテイメントの作品としか思っていなかったので、永澤剛という主人公の人生と、永澤剛がトンネル崩落事故で生き埋めとなり、全く身動きの出来ない状況から何故生還出来たのかという物語に「生きる意味」を落とし込みました。
骨子となる内容を初めて考えたのが一九九六年におきた北海道の豊浜トンネル崩落事故のニュースを見たときです。そして今、ようやく物語として完結しました。
全てが妄想という訳でもありません。色々な書物や多くの出逢いから学んだものです。その経験を消化してにじみ出てきた物を作品にしましたが、どれかに特化して陶酔したという事でもありません。でも経験は嘘をつきません。そこから見えてくる辻褄の合わない事は真実ではありません。
偉大な宗教家が語っている事のみが真実であるという事ではないはずです。有名であるかどうかは全く関係なく、同じ命を、魂を持ち合わせている以上、日々を必死に生きている多くの無名の人々の中にこそ「なぜ生きるのか? 」に対する「答え」が隠れているはずです。その一人として書いた物語です。おそらく二十七歳の時に出逢った障害を持つあの子も、私がここまで行き着く事になるだろうと思い「出逢いを喜んでくれた」のではないかと思えてなりません。
全ての出逢いは必然です。
何しろほんの三十分程の出逢いが人生の節々で私の心を揺り動かし続けているのです。だからこそ人生は多くの出逢いによって紡がれ、お互いに魂を高め合っているのに違いないのです。
世界中で起きている異変は歯止めが利かず、このままでは地球は確実に破滅への道のりを進むでしょう、そのしわ寄せが無垢なる子どもたちに向かっている現代。
一人一人が「なぜ生きるか? 」を本気で考えないといけない時だと思います。