第32話 再会
「エア太郎も行けるか?」
[うん、まぁ何が出来るかわからないけど、行ってみる]
固定された身体が自由になって、顔にぐるぐる巻きにされた布を外しながら、花太郎が尋ねてきた。
魔導集石はアルターホールに当たったけれど、香夜さんは再構築されなかった。
アルターホールは消滅せずに、同じ場所に浮かび続けている。ユリハとカイドが調査を行う為に籠から降りた。ほかのメンバーはこの場に止まり、二人には命綱をつけて、手綱をアズラが握る。有事の際は多少荒っぽいがこのまま跳躍し、シドと花太郎で綱を手繰り寄せるように打ち合わせた。
僕は折角召還されたので、カイドとユリハの調査に同伴することにした。地形に関係なく移動できるので伝令役を担う。この位置なら叫んだ方が早いとは思うけど。
「共鳴石を持っていくわ、一回はYES、二回はNOね」
「……ち~ん」
「試しに二回鳴らしてみて」
「……ち~ん。……ち~ん」
「……緊急時に花太郎に伝えてくれればいいから、石は念の為だから、ね?」
「……ち~ん」
「よし、行きましょう」
僕はユリハに気を遣われたのだろうか。カイドは苦笑していた。
カイドがランプを二つ持って先行する、ユリハがザックを背負ってそれに続いた。大した距離ではないけど人為的に岩塊を掘り起こして出来た傾斜だから(アズラが掘ったから竜為的か)角度が結構急だ。
僕に足場の状態は関係ないので、足はないけど一足早くついた。
アルターホールの手前には矢が落ちていた。矢じり部分の魔導集石はなくなっている、これは対消滅したってことなのかな? 後ろに回ると、アルターホールの淡い光に照らされてもう一つの矢を見つけた。これはサイアが昨日放った奴だ。
到着したカイドがマナを注いで二つのランプを灯す。
ユリハが足下の矢を拾うと、アルターホールに向かって投げ入れた。
昨日サイアが放った矢は後ろに突き抜けて壁に当たったけれど、今日の矢は穴に呑み込まれたままで、突き抜けることはなかった。
「……ただのワームホールになった?」
ユリハはつぶやくとザックから奇妙な器具と、伸縮する教鞭のようなアンテナを取り出した。ケーブルで二つをつなぐ。
アンテナは伸ばすと一・二メートル程の長さだ。そしてアルターホールにその先端を突き刺して、なにやら計測をはじめた。
「……大気はある。気圧、温度、……成分も此処と一致してるわね」
「砂漠のどっかに出口があるってことか?」
「可能性は高いけど、確証がないわ。有線カメラはこの間の調査で壊れちゃったし……」
あれだけ激しい冒険したらカメラの一つや二つ壊れますよね、申し訳ありませんでした。
良心の呵責に囚われた僕は花太郎に意識を走らせて言伝を頼んだ。
花太郎が叫ぶ。
「ユリハ! エア太郎が”中見て来ようか?”だって!」
通訳の花太郎が腰に縄を巻いてアルターホールのそばまで来ると、カイドの命綱に自分の縄を括りつけた。
「エア太郎はどこまでわかるの?」
ユリハが尋ねてきた。
[目と音。触感は皆無なんだけど、空気の感触だけは例外で、結構わかる。風とか温度かな]
花太郎を仲介して告げると、「それで十分よ」とユリハが微笑んだ。
「何が起きるかわからないから、入り口で辺りの様子を見渡すだけでいいわ」
「……ち~ん」
「ハハハハハ、頼もしいぜ」
カイド、それ皮肉だろう?
「よろしくね、エア太郎」
[行ってきます]
そして突入した。どうでもいいけどアルターホールから変質したワームホールってなんて呼ぶんだろ?
一瞬で出口だった。白かった。
正直動揺している。ユリハの話から、僕がよく見知った砂漠のどこかに出るとばかり思っていたのが正直な所だ。
「エア太郎どうした?」
驚いて反射的に戻って来てしまった。
[……よかった、戻って来れた]
「入ったら戻れなさそうな場所なのか?」
花太郎が尋ねてくる。カイドとユリハが緊張した面もちで花太郎を見る。
[いや、驚いただけ。もう一回見てくる。少なくとも砂漠じゃない]
「もう一回見てくるって」
「わかったわ、気をつけて」
エア太郎、二度目の突入! と自分を奮い立たせてみる。
ワームホールを抜けると、見渡す限り真っ白な世界だった。
全照明というのだろうか、光源の所在がわからない光が四方八方を照らしている。
唯一物質として認識できたのは地面だ。傷一つないし、全照明で質感を見極めるだけでも難儀ではあったけど、ゴム材質の薄いグレーの床はリノリウムだ。継ぎ目のないリノリウムの床が無限に広がっているように見える。
やや前方に矢が落ちていた、ユリハが投げ入れたものだな。
さらに前を見ると、目算はできないけれどそう遠くない距離に物体があった。
ユリハの忠告に従って接近こそしなかったけど遠目から見るに物体は二つあって、一つは青い岩のような塊。その塊のそばにもう一つ有るけど、これは形容し難い。白い空間の中に点々と黒い汚れがついているように見える。
後は地平線までリノリウムが続いているだけだ。僕が永いこと見てきた砂漠の地平線とは何か違う。
……あの地平線から”地球の丸さ”を感じない。
……今の表現はちょっとカッコよかったな。
後はユリハたちの判断にまかせよう。僕はワームホールをくぐって引き返した。
花太郎経由で報告を行った。
「まぁ、成るようにしか成らないわね」
ユリハの一声でカイドが残りメンバーを呼び寄せて、それぞれに役割を振った。
アズラが共鳴石を預かって入り口前で待機、残りのメンバーでワームホールに突入する。命綱をつけたカイドが先行、カイドに繋がっている縄を四人が一列縦隊で握り、縄の端にサイアの糸巻きを接続してアズラが持つ。
アズラに送るサインは二つ、緊急脱出と応援要請だ。緊急脱出はサイアの強化魔法で糸が緑に輝いたら、アズラが糸を引っ張る。応援要請では僕が共鳴石を鳴らすと、アズラがワームホールに突入する。
以上の手筈で調査を再開した。
「ハナタさん、これ」
サイアが花太郎に目隠しを渡す。
「え、するの?」
「当たり前でしょ」
「いや花太郎、目隠しはしないでいい。何が起こるかわからん」
シドに間接的にたしなめられたサイアが、少し膨れて言った。
「だったら目は閉じていてよね、変態」
「えぇ……」
目を閉じたら意味がない。
「支度が整ったら行くぜ」
カイドが号令をかける。
「足場が安全とは限らねぇ、縄から手ぇ離すなよ。アズ、よろしくな」
「あいよ」
腰に縄を巻き付けたカイドを先頭に、ユリハ、花太郎、サイア、シドの順番で突入した。
事前に出口の様子を伝えてはいたけど、やはり皆驚きの色を隠せずにいる。
「距離間が全くつかめない場所ね。……あれか」
遠くの物体を見つけたユリハが双眼鏡を合わせる。
「……青い岩のモニュメント、レリーフかしら? もう一つのは……人?」
「香夜か?」
カイドが尋ねる。
「違うわ、つま先立ちのあんな姿勢で人が静止できるわけない。あれはオブジェだと思う。白衣を着て、走っている人? 背中を向いてるからよくわからないわ」
ユリハが双眼鏡から目を離すと側面の値を見た。
「距離は一キロ強ってとこね」
「とにかく接近するぜ。サイア、糸は持ちそうか?」
「大丈夫だよ」
「嬢ちゃんが生命線だ、いつでも合図を送れるようにな」
「わかった」
パーティーが前進を始める。
足下を警戒しながらのゆっくりな進行ではあったけど、一キロというのは大した距離ではない。目標はぐんぐん大きくなっていく。
「君なら背が高いから、歩きながらでも見れるんじゃない?」
道程の中間に差し掛かった頃だろうか、ユリハが花太郎に双眼鏡を手渡した。
「ありがとう、ユリハ」
「真ん中にいる君が一番暇そうだから」
「悪かったね」
花太郎は早速、片手で縄を掴んだまま双眼鏡をのぞき込んだ。二人の頭越しに目標を眺めた。
花太郎が立ち止まる。
「歩きながらじゃ目が回るでしょ?」
ユリハがいたずらっぽく微笑みながら、上目遣いで花太郎の顔をのぞき込んだ。
「……ハナタさん?」
ユリハの表情が変わるより先に、花太郎の背中にいたサイアが異変に気付いた。
突然花太郎が縄から手を離し、双眼鏡を投げ捨てて走り出した。
「ハナタさん!!」
駆け出そうとするサイアの肩をシドが掴んで引き留める。
「サイアは離れるな。カイド、俺が行く」
シドが全速力で花太郎の後を追う。
花太郎のスピードが尋常じゃない。これもマナコンドリアの恩恵か、僕の意識はやっとのことで花太郎に追いついたけど、シドは距離を縮められずにいる。
[止まれ、何が見えた?!]
花太郎は答えない。
[落ち着けよ。汗を拭え。僕は見えなくなってもいいからさ。とにかく止まれよ]
花太郎はさらに加速する。肩を並べるのがやっとだ、目標との距離は百メートルもない。
青いモニュメントの傍、真っ白な景色から白衣を着た人間が浮かび上がる。こっちに背を向けていて、右腕を伸ばしてモニュメントに駆け寄っているように見える。地面に接触しているのは左のつま先だけだ。ユリハは人型のオブジェと言っていたけど、これは生身の人間だ。躍動感のあるその態勢とは裏腹に、まるで時間が止まっているかのようにピクリとも動かない。
僕は花太郎が駆け出した理由がわかってしまった。昨日、花太郎と共有した資料の、消失者の記述がよぎった。
消失したトーカーは、例外なく、マイナシウムを利用した装置の傍にいた。
NOSAではマイナシウムの実験施設にいた五人が、JOXAでは宇宙エレベーターにいた香夜さんと、近くの施設にいた僕と篝さんが消失した。訓練などでマイナシウムの傍にいなかったトーカーは皆無事だった。
”―― もうすぐ会社に、無重力空間ができるんや。今、講習受けとるんよ”
”―― 何トンチキな事言ってんだ、この酔っぱらいが!”
消失したトーカーの調査はJOXAとNOSAの管轄組織内でしか行っていないのか? そんなことはないだろう。マイナシウムを利用している民間企業なんて世界に数えるほどだし、簡単に追跡できるはずだ。社内にトーカーがいてあの日に衣服を残して消失したなら、国家機関のJOXAが見逃すはずがない、記録に残らない訳がないんだ。
僕と花太郎は白衣を着た男の背中を越えた。彼が伸ばす右腕の、右手の指先の、ほんちょっと先には花太郎の右肩があった。
激しく息を切らす花太郎から強く胸を打ちつける心拍音が微かに聞こえてきた。
青いモニュメントに浮かぶ女性を見たとき、後ろにいる男が誰なのか確信した。きっと花太郎にもわかってしまった。だから振り向けない。
彼女とは面識がない。だけど、僕は入籍前のこの人の写真をさんざっぱら見せつけられ、ノロけ話を聞かされたから知っている。「これ以上話すな、酒が不味くなる」と言って、僕はあいつを祝福したんだ。
……未次飼千恵美さん。あいつの嫁さんだ。
千恵美さんは、青く透明なガラス体の中に白衣を着て立っていて、微動だにしなかった。無表情で半目をあけていて、セミロングの毛髪が水の浮力がかかったような状態で静止している。
「一体どうしたんだ、ハナタロウ!?」
背後に声が聞こえて、シドがすぐ後ろまで駆け寄って来たのがわかった。息切れの音はない。
「これは……」
そして何かを察したシドは、きわめて落ち着いた低い声で花太郎に尋ねた。
「……この男も知っているのか?」
花太郎が必死に呼吸を整えているのがわかる。心拍音がよけいに大きく聞こえた。
花太郎の身体が振り返ったのと、僕の視線が振り向いたのは同時だった。男が伸ばした右手の指先が、花太郎の左頬に今にも触れそうだった。
そして男の顔を見た。
花太郎の息が小刻みになる。口を開けては閉じを馬鹿みたいに何度も繰り返した。そしてようやく、
「アキラ!」
と、滲むような声で発語した。




