第30話 重ねてしまった子守歌
空調魔法がガンガンに効いている部屋のベットの一つにサイアを横たえると、花太郎はその上に毛布を掛けてやった。
「まだ、寝ないよ」
「そうだね」
シラフの時の気丈な性格は何処へぶっ飛んだのか、サイアはすっかり甘え上戸だ。
「なんかお話しして」
寝る前の子供のようにサイアが呟く。
花太郎がしばし考えると。
「……今は昔、竹取りの翁というもの有りけり、野山に混じりて竹を取りつつ―」
花太郎は”竹取物語”を朗読し始めた。
花太郎と共有している記憶では、中学校の頃に竹取物語の序文を丸暗記させられた事はあるけど、かぐや姫が出てきたあたりから先の展開はうろ覚え、……というか序文しか知らない。アッチ界の住人であるサイアからのツッコミは絶望的だ。酔いは醒めてるように見えたけど、やはり出とちり三杯のダメージは大きかったか?
「竹取物語はいいや。最後月に帰っちゃうんでしょ? じーさんばーさんのことなんかきれいさっぱり忘れて」
サイアは博識だな。
「え? 知ってた? そしてかぐや姫って爺さん婆さんのこと忘れちゃうの?」
「忘れちゃうよ、天の羽衣を着たらきれいさっぱり、忘れちゃうの」
「ユリハが教えてくれた?」
「うん。サイアね、あっちのね、JOXAの幼稚園に通ってたの。先生が、かぐや姫の絵本を読んでくれたの」
「へぇ、そうなんだ」
となるとサイアは日本語も話せるのだろうか。
「そのことをね、母さんにお話したら、”こっちのほうがおもしろいよ”って言って、竹取物語の原文をね、読んで聞かせてくれたの。寝る前はいつも竹取物語の原文だったの。まだ寝ないよ?」
「うん、そうだね」
サイアの話しによると、ユリハは幼稚園児サイアに竹取物語の原文を数ヶ月かけて読み聞かせしたらしい。その後は「ハチジューバイソクガクシュー」という装置(おそらく八十倍速の再生プレーヤーの類)でユリハが読んで聞かせた数十時間分の録音データを倍速編集して、数時間(一晩分)程度に縮めたものを毎晩サイアに聞かせたらしい。だから竹取物語はもうおなか一杯なのだと。
「ユリハは何を考えていたんだろうね」
僕もそう思う。
「う~ん。わかんないけど、うれしかったんじゃないかな。サイア、幼稚園のお話し、あんまりしてなかったから。かぐや姫のお話しがはじめてだったかも」
「……うん。うん、わからない、かな」
「サイアもわかんない」
サイアの瞼が落ちてきている、今にも眠ってしまいそうだ。
「ハナタさん知ってる?」
「何?」
「コッチのお月様はね、女神様なんだよ」
「へぇ、ドワーフの神話では、月は女神様なの?」
「ドワーフだけじゃないよ。どの種族のお話しでも、お月様は女神様。女神様が、サイア達を創ったの」
「なかなか興味深いね。どうしてだろう?」
「わかんない」
しばしの間。
窓越しに聞こえてくる広場の歓声が一際大きくなって、「カイド! カイド!」と観衆がコールしている。どうやら決着がついて、カイドに軍配が挙がったようだ。
やがて楽士が陽気な音楽を奏ではじめた。意識を走らせて窓の外を覗くと、人々が手に手を取って踊っている。
「……ハナタさん」
サイアしぶといな。
「何?」
「ハナタさんのお嫁さんって、どんな人?」
「……僕にお嫁さんはいないよ」
「でも、子どもはいるんでしょ?」
「サイア嬢はなんでも知ってるね」
「ううん。お昼にお母さんとお話してるとこ、聞いちゃった」
「……ああ、ずっと表で待っててくれてたもんね。早くに気づけなくてごめん」
「ううん。最初は一階で待ってたよ。そろそろいいかなぁって思って二階に上がったら、お話聞こえちゃったの」
「そうなんだ」
「どうして? 別れちゃったの?」
「もう、おやすみ」
「まだ寝ないよ?」
「おやすみ」
「寝ないよ?」
「……うん、そうだね」
「別れちゃったの?」
「うん。別れちゃった」
「捨てたの?」
「捨てられちゃったの」
「どうして?」
「う~んとね。”僕が稼ぐお金より、僕と別れた後に国からもらえる手当の方が高いから”、らしいよ」
「なにそれ?」
「アッチの政の話」
「それだけなの?」
「……わかんないな。もし他に理由があって、僕が直せるようなことで、すぐにそれを正せていたなら別れなくて済んだのかもね」
「ふ~ん……」
瞼が落ちかかけていたサイアの瞳が、突然何かひらめいたようにパッと開いて花太郎を見た。
「サイアがなろうか?」
「ん?」
「お嫁さん」
「んん!? んん……んん?」
花太郎、サイアから目を反らし返答に苦戦しております。サイア嬢、花太郎を見つめながら目を潤ませはじめております。薄暗いので顔色がイマイチわからないのが残念です。
「サイアじゃ、ダメ?」
冷や汗かけよ花太郎、冷やかしてやるよ花太郎ぅ!
以外や以外の花太郎、キリッとした目つきでサイア嬢を見つめ返した。
「ハナタ……さん?」
「サイア嬢」
「……はい」
……サイア、酔いが醒めてないか?
「サイア嬢の言葉、とてもうれしい。だから、僕の心の奥に止めて置いて、明日からは今日の出来事を忘れたように振る舞うね。僕と貴女はまだ出会ったばかりだから、このお話は、これからみんなで一緒に冒険をして、一緒の時間をもう少し長く過ごしてから、改めて話をしてほしいな。いいかな?」
花太郎、綺麗に言葉をあげつらえて逃げの姿勢に入りました。酔っぱらいの妄言であれば適当にあしらうところですが、今のサイア嬢の表情は酔っているのかシラフなのか判断に困ります。
「それはぁ……どゆこと?」
サイア嬢、どうやら酔っているようです。
花太郎は、ホッと胸を撫で下ろす。
「とりあえずあれだ。一辺寝て、起きたらもう一回告ってくれ」
「うん! わかった!」
酔っぱらいにはとことん投げやりな行動をとる花太郎。しかし花太郎よ、実年齢15歳下の娘に「もう一回告ってくれ」ってすごい言いようだな。サイアもノリノリで「うん! わかった!」とか言ってるからまぁ…いいのか?
「さぁ、そうと決まったら善は急げだ」
「急げ、急げ」
「さあ、さあ、どうぞおやすみ。おやすみなさい、サイア嬢」
「うん! おやすみハナタさん!」
サイアが目を閉じて、眠りに就こうとする。
「おやすみなさい」
「うん……」
「……」
「……」
「……」
「……ハナタさん」
「ん?」
「チュウして」
「……うん」
花太郎はサイアの前髪をかき上げて、彼女の額にキスをした。
「ハナタさん、そこじゃない」
「ここでいいんだよ。……目を閉じて。朝になるまで開けたらだめだよ」
サイアが再び瞼を閉じると、花太郎はもう一度彼女の額にキスをした。そして、サイアの髪を撫でながら、小さく問いかけた。
「ここでいいでしょ?」
「……うん、いいかも」
サイアのはにかんだ笑顔が、この時初めて花太郎に向けられた。
花太郎はサイアの頭に手を置いて、もう一方の手で彼女の腹部を毛布の上からゆっくりポン、ポンと優しく規則的に叩き始めた。
そして花太郎はサイアのお腹を叩くそのリズムに合わせて、小さな声で歌を口ずさむ。
「サイア嬢は~、がんばったねぇ」
「がんばったよぉ」
サイアが目を閉じたまま、弱々しくやわらかな表情で返答する。
花太郎は歌い続ける。
「今日もたくさん~、冒険しぃたねぇ」
「冒険したよぉ」
「サイア嬢は~、おやすみぃだねぇ」
「まだ寝ないよぉ」
言いながらサイアはうつらうつらとなっている。
花太郎はサイアの髪を優しく撫でながら歌い続ける。
「明日もたくさん~、冒険しようねぇ」
「ぼう、けん……するよぉ」
「サイア嬢は~ おやすみぃだねぇ」
「まだ……ね、ないよ……」
サイアは意識がはっきりしている間、必死に花太郎の歌に食ってかかって返答した。
やがて静かに花太郎の歌を聞くようになり、それを確認した花太郎は徐々に声のボリュームを落としていった。
そしてサイアが寝息をたて始めると歌をやめ、お腹をポン、ポンとゆっくりと叩き続け、それも次第に力を弱めていく。
花太郎がそっとサイアのお腹から手を離す。
最後に彼女の頭を一撫ですると、前髪をかきあげて、もう一度額にキスをした。
「おやすみなさい、サイア」
上品と下品が一緒くたになった笑い声や、楽士の演奏が広場から流れてきて部屋中に響いていたけれど、それが静けさに拍車をかけているように思えた。
[花太郎、”嬢”が抜けてるぞ]
花太郎が振り向いた。
「なんだ、出てきてたのかよ」
[今しがたな、お前の涙で]
「泣いてないよ。涙目にちょっとなってるだけで、エア太郎が出てくるほどの量ではないはずだろう?」
[涙は老廃物の中でも、とりわけ高尚なものなんだよ、きっと]
「へぇ~。…まぁそういうことにしておこう」
[しかしあの歌はちょっとノスタルジックだったなぁ、え?]
「サイア見てるとね、なんか咲良思い出しちゃって]
[見た目も大きさもぜんぜん似てないけど、なんでだろうね?]
「咲良も寝付き悪かったよな」
「まだ”イヤ”しか言えなかったのにさ。なんか必死に主張してたよね、"まだだ、まだ動ける! 私は寝ない!"って]
「だね」
[で、”咲良ちゃんは~”と”サイア嬢は~”で音が一致したから、あの親バカ子守歌を流用して涙が出てきた、と]
「まあね。笑えよ」
[笑わないよ。逆の立場だったら、僕も涙腺崩壊してたかもしれない展開だ]
「ああそう。別にぜんぜんうれしくないや」
[……咲良、会えるかな]
「うん。まぁJOXAは事情知ってるわけだし、良きに計らってくれるんじゃない?」
[そうだよね。後は本人が面会を拒否しないかだよね]
「随分ネガティブな発想だけど、そこは考えちゃうよ。物心ついた頃には育てのパパさんがいた訳だし」
[ああそうだ。パパさんと言えばさ。ぼちぼち戻った方がいいかもよ]
「なんで?」
[シドがさ、サイアが夜這いかけられるんじゃないかって心配してるかも。撃拳も随分前に終わったみたいだし、二人がいないって事、そろそろ気づくんじゃない?]
「それは真か!?」
[真ナリ、真ナリ]
「ご忠告感謝する。では、では、いざ行かん」
花太郎はサイアを起こさぬよう、そ~と扉の方へ進む。
扉を開けるとシドがいた。ただ無言で笑ってた、びっくりした。笑っていたから、逆にそれが怖かった。
シドが部屋の奥をのぞき込む。花太郎が
「今、サイア嬢が寝たとこです」
と言うとシドが
「サイアと寝たとこ?」
と聞き返す。
「接続詞が違います」
花太郎がツッコミを入れる。
「冗談だ、冗談。手間をかけたな。まあ来いよ」
シドはそう言うと頭一つ分背の高い花太郎に飛びかかるようにして肩を組み、階下に降りていった。
その後、ドワーフ基準で”程々”量の火酒をきこし召し、深い眠りについた花太郎は、翌日の正午を過ぎても動くことが叶わなかった。




