第23話 甘田花太郎が消えた日の、佐貫野香夜さんと交わした最後の会話。
マークⅡの僕とマークⅢが共有している初代花太郎の最後の記憶では、彼はつくばにいた。
検査のためにJOXA宇宙センターを訪れた花太郎は、見上げても天辺が見えない宇宙エレベーターの眼前で待っていたユリハとカイドに再会し、検査後にテニスをする約束をした。
「検査の前にJOXAを見学したい」という要望を事前に出していたので、二人が案内役を担い、JOXAの内部を観て回った。ワームホールの模型の展示や映像を観て童心に帰ったようで、始終興奮気味だった。
花太郎の中でこの時一番興奮した出来事は、”ファーストコンタクター”に挨拶したことだ。
篝 悠里さんは、最初にワームホール”さくら”を通った調査メンバーの一人で、後にトーカーと呼ばれる能力を持っていた。AEWの住人と最初から良好な関係が築けたのは当時未確認だった彼女の能力なくしてはあり得なかっただろう。
持って生まれた美しさも相まって雑誌のインタビューやテレビ番組に頻繁に出演し、普段テレビを見ない花太郎もその名と顔はよく知っていた。
JOXAの看板を背負いながら任務に講演会にと多忙な人だけど、この日の講演会はJOXA宇宙センターの会場で行われることになっていて、開会前に会う事ができた。
握手を交わした篝さんの手がとても力強かった事をよく覚えている。少しの歓談の中で花太郎は篝さんが自分と同い年であることを知った。確かに見た目はとても若いのだけど、花太郎よりも背が高くて雰囲気に余裕があったから年上だと思い込んでいた。「同い年だからって、何でそんな驚いてるの?」と問いただされた。
その後は宇宙エレベーターの管制室に案内してもらった。ちょうど休憩に入った香夜さんとカメラ越しに再会した。
彼女は宇宙エレベーターの最上部にある宇宙ステーションの中にいた。カメラは最初に、無重力空間を堪能しながら犬とも猫ともネズミにもとれる二足歩行謎生物の巨大携帯ストラップと戯れる、濃紺のスカイジャケットに身を包んだ香夜さんの姿を大画面のモニターに俯瞰で映した。
香夜さんが謎生物人形をフニフニしながら「これからも、ずっと一緒だよね?」「当然じゃないか、ハハ(ウラ声)」と一人二役で会話しながら遊んでいる所をひとしきり眺めた後、ユリハがマイクで香夜さんに呼びかけた。
「あれ? まだ時間じゃ……ハッ!」
ユリハがマイクで香夜さんに呼びかけた後、香夜さんがストラップを隠しながら言い放った第一声がコレだった。
次の瞬間に”デキる女”モードに切り替わった香夜さんを見て、管制室の人達は肩を震わせながら必死に笑いを堪えている人や、耐えきれずニヤけてしまっている人で溢れた。彼女の趣味と性格は外界交流課だけでなくJOXA中に知れ渡っているのは明かだった。
香夜さんがカメラに近付くと僕はユリハとマイクを代わって再会の挨拶と世間話を始めた。
カメラから見えなかったけどストラップを手に握っているのがわかっていたのと、スマートフォンが見あたらなかったから
「ストラップ”に”ついていた携帯はドコにあるんですか?」
と、スマホがオマケであるかのように尋ねてみた。
「地上に置いて来ました。このストラップはお守りのようなものなので」
”デキる女”でキリッと返された。皮肉にならなかった、彼女にとってはスマホの方が付属品だった。
……いつの間にか僕が記憶の当事者になっている。オリジナルの花太郎の肉体はもうない。僕には肉体すらなく、自分の正体すらわからないのに。
結論が出なさそうだから考えるのやめとこう。
もう一回当事者として記憶を整理しよう、これが結論。
宇宙ステーションは遠心力を利用して地上と変わらず地に足を付けて活動できるエリアと、無重力下で実験するためのエリアがあるそうだ。
香夜さんが無重力エリアにいるのは、これから行う篝さんの講演会で宇宙ステーションから通信して聴衆の質問に答えるコーナーに出演するためだと言っていた。
最後は二人とも笑っていた、かな。
「花太郎さん、そろそろ気付きませんか?」
「何がです?」
「タイムラグ、です」
香夜さんがキリっと右手で伊達眼鏡を正した。
「花太郎さん、さっきから私と時間差もなく随分スムーズに話が出来ていますよね? どうしてだと思いますか?」
「ああ、そういえば。……どうしてですか?」
「当ててください」
香夜さんがやや上目遣いで不敵に微笑んでいる。最初に僕が言った皮肉、ちゃんと皮肉として捉えてくれてたのかな。これはその仕返しだろうか、そんな意地悪な目つきをしているように思えた。
香夜さんの初めて見る表情にちょっと緊張している自分がいた。そして次の瞬間、ユリハやカイド、管制室の職員の皆さんの視線が僕に集まっている事に気が付いた。この状態で考えて僕に答えろと?
「ええと……JOXAの最新通信技術を使っている?」
「それはなんですか?」
「え、……りょ、量子、テレポーテーションとか?」
「よくご存じですねぇ。でも違います」
「ワ、ワームホール超次元通信!」
「それってなんですか?」
「今、僕が考えました」
管制室一同、笑う。僕、笑われる。
「ふふっ。どういう技術かわかりませんが、いつか実現出来るといいですね。違います」
「……降参します」
「もう一度言ってください」
「降参します」
「違う言い回しでお願いします」
「参りました」
「英語では?」
「ギブアップ」
「対義語では?」
「え? え?」
「ネバーギブアップですね。復唱してください」
「ネ、ネバーギブアップ」
「続けるんですか?」
「い、いえ、降参します。教えてください」
「……はい。それではお答え致します」
香夜さんは僕をひとしきりいじり倒した後、ズレてもいない伊達眼鏡を正して、「ふぅ」と一息付いた。
「正解は、ですね。……タイムラグを体感するほど距離が離れていないから、です」
「……? 仰る意味がいまいち理解できないんですけど」
「大した距離じゃないんです、宇宙ステーションから管制室まで。フルマラソンで三回分ですよ?」
「香夜ちゃんまたわかりにくい比喩を……」
ユリハが傍らで呟きながらクスクスと笑っていた。
「ああ、あのつまり僕と香夜さんとの通信距離が、120キロ程度しか離れていないと? ……考えてみればそうですね」
「はい。この回線は一般にも普及しているごく普通の通信回線です。宇宙って結構近いんですよ」
「そうですね、以外と近いんですね。この答えも距離の事を考えればすぐにわかったのに、香夜さんの意味深な言い回しと周りの空気に呑まれちゃいました」
「これはストラップ”に”、のお返しです」
「気付いてました?」
「はい。気付かない振りをしてずっと反撃の機会を伺ってました」
「見事にしてやられましたよ。知能犯ですね、香夜さんは」
「デキる女、ですから」
香夜さんは伊達眼鏡のフレームを手で摘んで、わざとらしくポーズをとった。
「香夜さん……みんな見てますよ」
香夜さんは「ハッ!」と短く息を吐くと、スイッチを入れ直してクールビューティーオーラを滲ませながら宇宙ステーション側のモニターでこっちの様子を確認していた。
こっちのモニターではワイプで向こうに僕たちがどう映っているかが確認できるのだけど、それに映っている職員の方々は自分のデスクのモニターとにらめっこしていて、こっちの会話には無関心なように見える。笑っている顔がはっきりと確認できるのはユリハとカイドだけだ。
僕の視点からだと職員の方々の背中が見えていて、一人残らず肩を震わせながら笑いを堪えているのがわかった。カメラの死角にいる人の中には、うずくまって撃沈している人もいた。みんなに愛されてるんだなぁ、香夜さんは。
「来月、シンベエが来るそうです。きっとアズラも一緒に」
クールビューティーオーラを出しながら香夜さんが言った。
「いよいよですね」
「またご自宅にお邪魔してもよろしいですか?」
「勿論ですよ」
「その時は俺も行くぞ!」
カイドがニカニカ笑いながら会話に乗った。
「またシドを置いてく気? しばらく忙しいんでしょ?」
ユリハがやや呆れたように言う。
「シドも連れてくぞ。仕事なんて俺がすぐに片づけてやる!」
「ハハハ、騒がしくなりそうだね。うちは壁が薄いから夜中まで騒ぐと苦情来るかも」
「朝っぱらから飲めばいいだろ?」
「なに言ってるのよ飲んだくれ!」
「カイドって、ナチュラルにとんちの利いたコメントを返すからすごいと思う」
「何のことだ?」
「何でもないよ」
モニターを見ると、クールビューティーオーラを解除して綻んだ表情を”魅せる”香夜さんがいた。
カメラ越しに香夜さんと目が合う。
「アズラ、シンベエ、カイド、シドさんにユリハ……香夜さん。僕を入れて七人。竜のお二人に小っちゃくなってもらえば何とかなりますね」
「大丈夫ですか?」
「ええ、是非来てください。床が抜けない程度に大いに騒ぎましょう」
「はい! その時はどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それでは、私はそろそろ講演の時間なので」
「あ、僕随分長居してしまいましたね。管制室の皆さん、どうもありがとうございました。香夜さん、また来月お会いしましょう。それではまた」
「はい、花太郎さん。それではま-」
カメラ越しに香夜さんのいる宇宙ステーションが青白い光に包まれるのを見た。
次の瞬間には僕の視界全体に青白い光が広がっていた。
この時にきっと、佐貫野香夜と甘田花太郎が消えた。




