第21話 奇妙なふたり
この展開は、薄々予想していた。
まず精霊と乖離するまで僕は砂漠全土の様子を知覚していたけれど、それがなくなったこと。
ユリハとの交信で僕の意識の残滓だと思い込んでいた精霊が、実は独立した別の意識を持っているのではないか、と思えるようになったこと。
何よりも、僕が「砂を生み出す、ワームホールとは似て非なる青白い球体」程度にしか思っていなかったアルターホールを、甘田花太郎の本体だと精霊が知覚していたことが大きい。
今、精霊と呼ばれていた僕の意識の残滓だと思い込んでいた無数の僕の意識は一つに集約して、有機体で出来た肉体に宿っているのがわかる。僕だけを除け者にして。
「ハナタロウ!」
カイドたちが走りよってくる。離れたところにサイアとシドがいて、サイアは目を伏せている。花太郎が全裸だからだ。
アズラがそっと鼻を花太郎の頭にこすりつける。ユリハは持っていた砂よけマントを肩からかけてくれた。
かけてくれた……。
僕と目の前にいる甘田花太郎の意識ははっきりと乖離している。それでも身体を持つ彼に対して、羨望や僻み、恨みの感情がほとんど沸かないのはなぜだろうか。
むしろ、何か微笑ましく思えてしまう。こんな感情は僕ではない! 僕のアイデンティティが瓦解した! もっと恨みを! 憎しみを! 僕が僕であるために!!
自分は思っているより楽観的な人間かもしれない。多分いろんなことが起きすぎて、ドツボにハマる前に気持ちを切り替えるようになったのだろうか。
”よかった”
僕の中で今一番大きい気持ちはこれだった。カイド達の命がけの冒険に成果があってよかったと思っている。彼らの喜んでいる顔が見れてうれしい。僕のほうが本体だと思っていたけれど、僕の方が本体から切り離された”残滓”だった、それだけのことだ。
花太郎が涙ぐみながらカイド達と会話している。ユリハのマントはこいつにとっては小さいけれど、一応隠すべきものは見えなくなったので花太郎が立ちあがる。サイアとシドも近寄ってきた。カイドが二人を紹介する。
「シドとサイアだ」
「甘田花太郎です。先ほどはお見苦しい姿をお見せしました、申し訳ありません」
「サイア……です。よろしく」
「シドだ。積もる話は酒の席でな!」
サイアが頬を赤らめながら会釈をし、シドとは握手をした。妙に日本っぽいやりとりだけどユリハの影響だろうか。
「いまいち事情は把握していないんだけど助けてくれたみたいで、どうもありがとうございました」
花太郎はカイド達に深々と頭を下げた。
「なんだいハナタロウ、妙に堅苦しいじゃないのさ」
アズラが茶化す。
「前からこんなもんだよ?」
「そうかぁ? 随分昔だったから忘れちまったぜ」
「カイド、僕に最後に会ったのはいつなの?」
「十六年前だ」
「一年は三六五日。花太郎の知っている地球と同じ、太陽暦よ」
リハが補足した。
「僕は二九歳の記憶があるけれど、今、ユリハは僕より年上ってこと?」
「暦の上では花太郎の方が桁違いに年上だけど、君が二九歳と言い張るならそうね、私の方が年上ね。出世もしたし、一児の母よ」
言いながらユリハはサイアを後ろから抱きしめた。背丈がそれほど変わらないので二つの顔が並ぶ。目の色、髪の色こそシドのそれだけれど、サイアにはやはり母の面影があった。サイアは未だに見るものを見てしまったせいか頬を赤らめ、花太郎を直視出来ずにいる。
「さぁ、ここにはもう用はねぇ。とっとと帰るぞ」
「詳しい事情は帰りながら話すわ」
パーティーは帰り支度を始めた。カイド達が乗る籠は損傷している部分もあるけれど、概ね補修はされていて、問題なく使えそうだ。今まで巨大化していたアズラは籠に見合う大きさに身体を縮めている。
「あの、実はさ」
花太郎が唐突に口を開いた。みんなの視線が再び花太郎に向けられる。
「実は。多分……あの辺りだと思うんだ」
花太郎が僕に向かって指を指した。
「あの辺りに僕がもう一人いる」
これは予想外だった。
彼が受肉した時点で、そういった空間を知覚する能力は失っているものだと思っていた。
「どういうことだ?」
カイドが訪ねた。
「いや今は見えてないし、ただ、なんとなく感じる程度なんだけどさ。僕の意識、もう一つあったんだ。意識は云千云万とあったんだけどなんていうの? 塊みたいのが」
「どういうことだよ?」
カイドが再度尋ねた。
「いや、これ以上はわからないよ」
「何が言いたいんだ?」
カイドが追撃する。
「そこにもう一人僕がいるよってだけ。別にどうのこうのというのはない!」
花太郎が開き直った。
「……君の能力かもしれないわね」
ユリハが意味深な発言をした。
「兎にも角にも帰ってからにしようぜ! 酒がなくちゃ話にならん!」
カイドは一刻も早く帰りたいんだね。
「アズラぁ……顔が寒い……」
花太郎が鼻を啜っている。ユリハが「帰りながら話すわ」などと言っていたけれど、籠の中は荷物と小柄な乗客4人で定員オーバーだ。無理矢理入る事もできるけど損傷もひどいしどうなのよ? みたいな流れになって結局余っている布地をハンモック代わりにしてアズラの両肩に掛けて前にぶら下がるような形で同行する事になった花太郎。
着る服がないから花太郎は赤子のように布にくるまっていて、アズラの両腕に抱き抱えられている様はまるでそういうプレイが好きな偏った大人のようだ。
「だったら顔をあたしの方に向けてな」
「うう~ アズラが温い~」
アズラに顔を埋める花太郎、まるで乳飲み子のポーズをとっている花太郎、誰もつっこまないぞ花太郎。籠からは死角だしアズラの跳躍移動の向かい風が強くて籠には声も届かない。今、花太郎の話し相手はアズラだけだ。
僕は未だに彼ら(おそらく花太郎)の後を金魚のフンのようについて回っている。ユリハの言っていた”能力”というのが気になるけど。当分その話は聞けそうにないか。
「あ、アズラちょっとさ、この辺で寄り道したいんだけど」
「何処へ行くんだい?」
「何処というか……あっちかな」
花太郎は漠然と右斜め前方を指さした。
花太郎が砂漠のど真ん中でシドの短槍を見つけ、シドは喜んでいた。「どうしてわかったのか?」とちょっぴり興奮気味に問いかけるシドに対して「この姿になる前に、ここに落ちたのを知覚した」と返答してた。
この砂漠は庭というか、身体の一部の様なものだから、花太郎が言ってることは理解できる。……あの事はいつ話すのかな。
「それにしても暑いね。アズラの風を切るようなジャンプがなかったらほんとに昼間は地獄だねここは。アズラは暑くないの?」
「あたしはあんた等より適応力が高いのさ」
「アズラはね、身体の大きさも変えられるし、体温調整もできるのよ」
ユリハがさらりと補足する。花太郎はややびっくりした表情を作りながらアズラを見た。
「万能ですね先生。なんでも有りじゃないですか」
「なんだい先生って」
花太郎ずいぶん楽しそうだな。……よし、ちょっと”僻み”が出たぞぉ。アイデンティティを取り戻せ!
「サイアさん、すいません。お水を分けてもらえますか」
「サイアでいい」
「わかったよサイア」
「……やっぱダメ」
「…奥さん、奥さん。娘さんはなかなか難しいお年頃ですかな?」
「そうねぇ……普段は人見知りしない子なんだけど」
「もう私は大人だよ!」
言いながらサイアは花太郎に水筒を渡す。花太郎は「ありがとう」と受け取るとそれを直接口をつけて飲み始めた。
「存分に飲めよハナタロウ!」
シドはやけに上機嫌だ。
「うちの娘は今年で十四になってな。ドワーフでは成人として扱われるんだ、法律上はな。結婚もできるぞ、ハナタロウがよければ……」
「と、と、父さん! 何言ってるの?!」
僕は赤面するサイアを見て、花太郎に対して”憎悪”の感情が湧いた。
花太郎は一瞬水筒の水を吹き出しそうになったが、「砂漠で貴重な水を失うわけには!」と何とか堪えて喉を潤した。
「奥さん、奥さん。お宅の旦那さん、熱にやられてご乱心ですよ」
「そうみたいねぇ。お気に入りの切っ先が見つかって、頭の温度が急激に上昇しちゃったのかしら。だけど甘田さん、あなただって大概言えたものじゃありませんよ。うちの娘に生まれたままの姿を見せつけて……どうしてくださるの?」
「……この度は娘さんの前で醜態を晒してしまい、申し訳ありませんでした。こ、この責任は甘田花太郎、身を持って、い、命に代えましても-」
「取らなくていいよ!」
「なんでぇサイア、満更悪くなさそうじゃねぇか」
「これからが見せ場だね?」
カイドとアズラが寸劇の観客のようにサイアを囃しだした。
「満更だよ!」
サイアは茹で蛸のごとく顔を真っ赤にして反論する。
「サイアさん」
「サイアでいい!」
「サイア」
「やっぱイヤ」
「……サイアちゃん?」
「イヤ」
「……サイ……サ、サイア嬢?」
「……もう何でもいいよ。何?」
「お水ありがとう」
花太郎が水筒を渡す。
「あ、うん。ほしい時はいつでも言って。我慢されると後々大変だし……」
サイアは視線を逸らしながらも花太郎から水筒を受け取った。少しはクールダウンしたみたいだ。
「それとサイア嬢」
「何?」
「満更っていうのは”必ずしも”って意味だから”満更だよ”って言い回しは、会話の流れで意味は伝わっても、使い方としては不適切かな」
「うるっさいなぁ! もぉ!」」
水分補給をして一連の小芝居に適当なオチをつけた花太郎は、早速汗をかき始めていた。
「本当に暑いねぇ。自分がこんなとこに滞在していたなんて考えられないよ。ふっ、これが”発汗”って奴か」
「何言ってんだよ」
カイドは始終ニカニカと笑っていた。先ほどの寸劇でタガが緩んだみたいで、今の彼はくだらないことでも笑ってくれる”優しい観客”になっていた。
花太郎は随分と汗をかいているようだ。このままアズラに運んでもらったら、さぞかし冷たい思いするんだろうな、ざまあみろ。
「・・・・・・え?」
[ん?]
花太郎と目が合っている。
「ユリハ、これは一体なんなの?」
花太郎が僕のいる方角を指している。
「何? 何かあったの?」
「あれだよ、あれ」
僕の後ろには特に何もないようだけど。
「ほら、今後ろ向いた」
[……僕を指してる?]
「話せるのか?」
[聞こえてるの?]
「うん、聞こえてる」
「花太郎、状況を教えて」
何かを察したユリハが花太郎に説明を求めた。
「半裸の僕が見えてる。半裸というか、下半身はよく見えなくて宙に浮いてて。あと話せる」
視線を落とすと裸の上半身と腕が見えた。何となく感覚もある。……動かせた。腰をひねったり、グーパーしたり、ぶんぶん振り回してみたり……。
ユリハが顎に手を当てて思索している。パーティーは先ほどの雰囲気とは打って変わって、皆、真剣な面もちをしていた。
「……試してみましょう」
ユリハは首飾りの赤い宝石を取り出した。
「これは”共鳴石”といって、マナの揺らぎに敏感に反応する石なの。君はこれで会話できたでしょ?」
「ああ、うん。何となく覚えてる」
「私には見えないけれど、君に見えている半裸の甘田花太郎に交信できるか伝えてみて」
[ユリハの言葉は伝わってるよ]
「ユリハの言葉はわかるって」
「話が早くて助かるわ、早速やってみて頂戴」
[試したことはあるけどうまくいかなくて。やり方がわからないんだ]
「とりあえず近くに来て、石に触りながら念じてみたら?」
[やってみる]
自分の足は見えないけれど感覚だけはあって、動かすと移動できた。ユリハの手のひらに置かれた赤石を両手で包み込むように触れる。僕の両手はユリハの手のひらを透過した。赤石の方は若干だけれど触れている感触がある。
「今、半裸の僕がユリハの目の前にいるよ」
「あ、そ、そう」
ユリハはなんか苦笑してる。シドはムズガユそうな表情になっている。赤石にみんなの視線が集まる。
「キョロキョロしてないで早くやってみなよ」
[あ、うん]
僕は念じる。とりあえず「こんにちわ」でいこう。……コンニチワ……コンニチワ……コンニチワ…………。
「…………………………ち~ん」
しばしの間。沈黙を破ったのは花太郎だ。
「もう少しがんばれよ」
[うん、ごめん]
「もう一回やるから」
「わかったわ」
[よし! コンニチワ……コンニチワ……コンニチワ……コンニチワ!!]
「…………………………ち~ん…………ち~ん」
「ねぇ、モールス信号みたいにできないかしら? 試しに”トン、ツー、トン、ツー”ってやってみて」
[わかった]
「やるって」
「…………………………ち~ん…………ち~ん」
[今はこれが、精一杯]
ユリハからは「考えをまとめる時間を頂戴」とのコメントを頂き、カイド達からは失笑をもらいました。
陽射しはこれから強くなるので、陽が傾いて気温が落ち着いて来るまで移動を続けてその後に昼食をとろう、という話になった。僕と花太郎に関する話題はそれまでお預けだ。
「なんて呼び合うかね?」
アズラに抱えられて移動している最中に、花太郎がお互いの呼び名について疑問を投げかけてきた。
[まあねぇ、二人とも甘田花太郎じゃ紛らわしいのは確か]
「……僕が名前変えようか?」
[なんで?]
「いや、身体持ってるし、悪いかなって」
[みんなお前の事を花太郎って呼んでるんだから、混乱させちゃうよ。僕の方が変える]
「いいのか?」
[愛称決めるだけなんだから別になんともないよ。但し、僕は正式名として”甘田花太郎マークⅡ”を名乗らせてもらうよ。お前”マークⅢ”な]
花太郎は鼻で笑った。
「やっぱり初号機は、永久欠番?」
[記憶は?]
「あるよ。僕たちのオリジナルはもう消えた」
[そうだね]
「……ふぅ。なんて呼ぶ?」
[そうだねぇ……]
愛称は割とすぐに思いついた。
[”甘田エア太郎”にしよう。空気みたいだからさ]
悲愴にならないためにも、自分で自分をせせら笑えるような下らない名前の方が良い。
同一人物の記憶を持ったまま自我を確立した二人の奇妙な関係が、ここから始まった。
キャラクターソング ”ヤジ馬叙情歌” 歌:甘田エア太郎
『甘田花太郎のポエム・あ~んど・ソング集』にて投稿しました。




