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第189話 二人。ごく希に半分。


「はい。今、目の前にいます。ありがとうございました」


 ちゃぶ台の上には、エアッちボールが置かれていて、僕はその真上に瞬間移動していた。


 咲良がベッドを背もたれにしてちゃぶ台の前に座り、僕を上目遣いで眺めてた。


 三白眼の鋭い眼光で僕を見あげながら悠里と通話していたけれど、僕と目が合うと、ビクッと少し面食らって、目を逸らした。


 可愛かった。ほしいものがあったらなんでも買ってあげちゃいたいような気分になった。


 咲良が左の手のひらを見せて腕を前後に振った。

 近すぎね。ごめんね。咲良の視界に入りにくい場所まで移動し、あたりを見渡した。


 鹿児島県と熊本県の県境にある伊佐市は、今はどうだか知らないけれど、僕が住んでいた頃に国の調査か何かで”九州で一番住みやすい町”として認定された場所だった。


 月二、三万円程度で一軒家を賃貸できる上、地価も安く、田畑も豊富で食料品が安価で手に入る町。


 物価で言ったら、東京の半分以下ではないだろうか。……給料も安いけど。


 そんな所で生まれ育った咲良の部屋は、やっぱり広かった。


 だけど、女の子の部屋という感じがまるでなく、寒色を基調とした、男の子っぽい趣味が垣間みえる部屋だった。


 透明なアクリル天板のちゃぶ台、飛行機の置物、天体望遠鏡。宇宙エレベーターの模型……。


窓の向こう側の景色を見るに、咲良の部屋は、二階にあるのだと思う。


 勉強机が無いな。咲良は中学からJOXAの国立校に通うために上京していたというから、小学校で使っていたやつは処分したのだろうか。

 

 そうでなければ、勉強机ってものは小学校にあがる時に、アニメキャラクターのイラストがプリントされた可愛らしい机なんぞを購入しているだろうから、親戚の誰かにお下がりとしてあげたんだろうな、などと真剣に考えてほくそ笑んでいる自分は、咲良から見ればきっと気持ち悪いんだろうなぁと思った。


 ……三段の棚になっているカラーボックスが、壁際で後ろを向いているのはなぜだろう?


「な、なにやってんだよ!?」


 悠里との通話が終わって僕の方を振りむいたのと、僕がカラーボックスをすり抜けて棚の上に置かれたものたちをのぞき込んだのは同時だった。


 あわてて首を引っ込めて咲良の方に向き直ってみる。


「な、なんにもねえよ、そこは」


 …………


 ……しまった。僕のリアクションが不自然すぎた。


 間違いなくカラーボックスの向こう側にある猫ちゃんのぬいぐるみとか、世界征服を果たしたネズミ関連のグッズがギュウギュウに詰め込まれているのが見えちまったのが、バレた。

 

「……人の部屋をジロジロ見るなよ」


 ”ごめんなさい”のポーズをとった(ハンドシグナルにこのサインはない)。


 ほんとにごめんよ。咲良の成長の軌跡を追いたいという衝動から犯行に及んでしまったのだ。


 などという発言はデリカシーに欠けるから、黙ってみる。


 ……だけど、一つだけ、伝えたいことがあった。いや、できた。


 僕はメモ帳を取り出した。



 なるべく(僕にとっては)丁寧な字で文字を綴った。


 咲良は、僕が文章を書き終えるのをじっと待ってくれていた。


 半透明のメモ帳に綴った文を咲良に見せる。


【ありがとう】


「……なんだよ?」


 一ページ目が【ありがとう】だけで、二ページ目以降に本題を少しずつ書き綴っていくスタンス、僕もなかなかクセー野郎だなぁ、などと照れながらページをめくって見せた。


【カラーボックスの中にウサギさんのぬいぐるみがあったのを見たよ】


 咲良が舌打ちする。


 三ページ目。


【ごめん】


 咲良、行動の先を読まれたせいか、ちょっとバツが悪そう。ごめん、可愛い!


 二ページ目での反応は想定内だったから、三ページ目で謝罪文を入れておいたのだよ。僕がどれだけ普段から君のことを考えていると思ってるんだい?


 思わず表情に出してしまったから、また舌打ちされたよチキショウ。


 そして僕は、四ページ目をめくった。


【あのぬいぐるみは、僕と咲良が一緒に遊んでたやつなんだ。君のお気に入りだった】


「え?」


 咲良が目を見開く。

 五ページ目。


【僕が、君の頬っぺたにウサちゃんのお口をあてがって「チュウ」をしてよく遊んだよ。ウサちゃんの肌触りにハマった君は、しばらくの間、ウサちゃんを自分で持って”チュウ”させてたね?】


「し、し、知らねえよ! 覚えてねぇよそんなこと!!」


 六ページ目

【ごめん。とにかくうれしかった】


「……そ、そうか」


 これから元妻と咲良の養父に会うというのに、悠里が”ロッキーのテーマ”で不意打ちしたおかげで、変な緊張感がなくなっている自分がいる。


 咲良も、僕のせいで一瞬、これから面談があることを忘れたみたいに大きな声を出してた。


 喜びや憎しみの連鎖も、こうやって続いていくんだろうなぁ、うん。


 ……僕はやっぱり緊張しているのだろうか。こんな下らねえ悟りを開いたかのような事を考えてるのは、なんかいつもと違う。いや、咲良の前では日常茶飯事な気がしないでもない。


 緊張してるのか、咲良に反応しているかどうかは自分でも判断できないけど、気持ちが高ぶっていることは確かだ。ちょっと頭冷やした方がいい。……身体ないけど。


 落ち着け、エア太郎。喜びや憎しみだって、永遠と連鎖することはない。僕は悠里に”腰砕こしくだけ行為”をやって緊張をほぐしてもらったから、僕も緊張している咲良についついやっちまったけど、咲良が面談の時に母と養父に”腰砕け行為”をやるとは到底思えない。


 そう。いつまでも同じ状態が続くわけではないのだ。

 

 良いことも、悪いことも、ずっと続く訳じゃない。

 ……ずっと続く訳じゃないんだ。


 ……だからこそケジメをつけなきゃ。僕はそのために来た。



 養育費を払い終える前に消失したことへの謝罪。養父に感謝のことばを送る。


 僕にはこんな地味なことしかほかにやれることはないけれど、これがケジメだ。


「一階の居間にいるから。二人とも」


 咲良がドアを開けると、右側にドアが二つある、広い廊下が見えた。


 廊下の先には、人間二人が横に並んでも余裕を持って下れそうな幅広の階段があり、僕は、咲良に追随して、フヨフヨと浮遊しながら、階段を降りた。


 階段の下は、二階に並んでいた部屋と、二階の壁を全部ぶち抜いたような、広々としたリビングが広がっていた。


「ヒッ!」


 息を呑むような、甲高く短い悲鳴が聞こえた。


「オフクロ、オヤジ、連れてきたよ」


 これまた高そうな居間の三人掛けのソファの上には、中年の男女が二人腰掛けていて、悲鳴を上げた声の主は女性のようだけれど、品のある男性も、威厳を保とうとしているのか険しい表情をしているものの、僕の姿に少し怯えている様に感じた。


 僕の体感では二年にも満たない期間離れていただなのに、どんな顔だったか忘れてしまってた元妻の老いた姿を眺めて、昔の彼女を思い出すことができた。


 やはり、面影はある。だけど。……なんの感慨もわかなかった。


[お久しぶりです。……どうも、初めまして]

 僕はそれぞれにお辞儀をした。もちろん、言葉なんぞ届いていないが、二人は、ソファに腰掛けたまま、無言で会釈を返してきた。


[座ってもいいですか?]

 言いながら、ソファを指さした。僕が見下ろしているという構図も、あまりよろしくない。


「ど、どうぞ、どうぞ」

 険しい表情のままドモり、ソファに座るよう促した養父にちょっと好感が持てた。


 僕と咲良が、テーブル越しに二人に対面する位置に腰掛けてから、僕はメモ帳を取り出し、あらかじめ書いておいた、挨拶の一文を二人に見せた。


【はじめまして、甘田花太郎と申します】


「……どうも、池宮トオルです」


 養父は少し顔を引きつらせながら名を名乗った。


 美音は怯えながらも、軽く頷いて咲良の方を見、そして下を向いて目を逸らした。


 ……メモ帳に新たな文章を書き足した。みんな黙って、僕が書き終えるのを待ってくれている。

 美音に対して、何の感慨もわかなった……わけではないようだ。

 得も言われぬ、名状しがたい何か。強いて例えるなら、自分が”醜い”と認識している感情がない交ぜになったような。

 憎しみととても似ているが、明らかにそれとは違う。何怒っているのかもわからない、やるかたない気持ちが、こみ上げてくる。


 落ち着くんだ。落ち着くんだ。 僕は彼女に何をした? 何をされた?


 全て、終わったことだ。最後の最後に残っている”何か”も、ここで終わらせるんだ。

 ……僕の存在は、もしかしたら、今日、この時の為にあったのかもしれない。


[花太郎、聞こえるか?]

『……どうした?』


[今、美音と旦那に会っている]

『……そうか』


[少し、愚痴を聞いてくれ]

『どうした?』


 血液通信ブラッド・テレパスで花太郎と会話しながらも、僕はメモ帳になるべく丁寧な字で、文字を書き綴った。


[甘田花太郎という男の人格が半分に、二つに分かれて良かったと、初めて思ったよ]

『……僕とお前は、別人だろ?』


[今は……今だけは半分ってことにしておきたくてな]

『…………わかった』


 今、美音に対して僕が抱いているわけのわからない感情を吐きださなければ、冷静になれそうもない自分がいる。


『……醜いな、僕たちは』

 花太郎も、僕の心持ちを察したのだろうか。やっぱりわかってしまうのか、お前は。

[……スマン]


 この感情がバレないように、文字を書き連ねた。ゆっくりと、丁寧な字で。


 隣にいる咲良がメモ帳をのぞき込んで、文章を読んでいた。


 咲良は気付いてしまうだろうか。この文章に込められた皮肉を。


 悠里が読んだら、確実に気付くだろうな。僕と花太郎は、別の人間なんだ。それを認めてくれる人達ならば、きっと。


 大した長文でもないが、えらく時間が掛かってしまった。

  

 咲良に、こんな醜い感情は見せたくなかった。だけど、この感情もひっくるめて僕なんだ。ここでケジメを付けるんだ。正直に感情をぶつける必要もないが、ウソはつきたくない。


 ごめん、咲良。ここから僕は、冷静クールになれると思うから。


 書き終えた文章を二人に……美音に読ませた。


【もう一人いる甘田花太郎と区別をつけるため、便宜上、僕は”エア太郎”と名乗っています。が、ここにはもう一人の花太郎がいないので、”エア太郎”ではなく、本名である”甘田花太郎”を名乗らせて貰います】


 こんなこと、わざわざ書かなくたって、美音も旦那も僕が名乗ったとおりの”花太郎”でよぶのだろうし、全くの蛇足だ。


 だけど、美音に皮肉を込めるために、あえて書き出した。伝わらない皮肉を。


 あんたと話すのは甘田花太郎一人じゃ多すぎる。半分いれば、十分だ。

 


 

 

次回は12月27日 投稿予定です。

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