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第184話 甘田花太郎の価値

 僕の妻であった女性、池宮いけみや美音みおんに対して、情とか未練があるかというと……正直言って、全くない。


 彼女も含め、鹿児島に住む池宮の親戚一同揃って、ロクに金も稼げない僕の事を「甲斐性なし」と呼び、シングルマザーとして手当をもらった方がおトクと判断して、彼女の方から「別れてくれ」と言ってきたんだ。


 ……最初に彼女とおなかの中にいた咲良を捨てたのは僕だ。彼女の要求に反対する権利はない。だけど僕は、調停を行うことを望んだ。第三者に、ことのあらましを聞いてほしいと思った。単なるエゴで。


 彼女は調停を起こし、調停日当日に彼女は二歳の咲良と僕の車に同乗して、家庭裁判所へ向かった。

 別々の部屋に案内され、彼女から先に調停員と面談を行った。


 僕の手番になって面談室へゆくと、初老の調停員の男女二人が待っていた。

 面談に入った直後に、二人はこう言った。


「一緒の車に乗って来られたので、驚きました」と。


 離婚を希望する調停前の夫婦というのは「顔も見たくない」と言って、時間を大きくずらすなどして面談を行うのが常だが、僕たちのように、一つの車に同乗して面談に来る人など、めったにいない、と。


 僕はことのあらましを、調停員に話した。


 ・一人で生むと言った彼女を見捨て、咲良出産後に、覚悟を決めて、籍を入れたこと。

 ・東京で行っていた仕事をやめて鹿児島に移住し、収入が三分の一まで減ったこと。

 ・池宮の一族から「ロクに稼げない甲斐性なし」と言われたこと。

 ・稼いだお金を全額渡していたが、それでも足りなかったようで、僕の知らない間に、東京で稼いで貯金していた分の個人資産を美音が引き出していたこと。


 そして、それでも僕は、別れたくないという意志を伝えた。


 離婚理由が”金”だったからだ。

 金はその気になればいくらでも稼げると思ってた。今でも思っている。


 当時は嘱託社員だが、根気よく働けば、正社員になる制度が整備されている企業だった。

 食事は、朝と昼は自分で用意した。白米と味噌汁で。正社員になれたらちょっと贅沢しようと思って。


 美音とその家族は外食をしていたが、何も言わなかった。お金はなくとも咲良の学費だけは、東京で貯めた分で補っていこうと考えて。


 ……知らぬ間にその資産は引き出されていた。定期預金だったから、借金になるレベルで、美音”たち”が僕の口座から引き出していた。


 金を稼ぐ事よりも、家族と一緒にいられることの方がよっぽど難しい。当時の僕はそう考えていた。

 金は何とかなる、だから、家族と一緒にいられる努力をしよう、と。定時で終わる仕事を選び、食事は朝と昼、塩をかけた白米と、増えるワカメだけの味噌汁で過ごしてきた。


 どうしてもお金が必要になったとき、ずっと見ていなかった自分の東京で使っていた口座を調べたら、定期預金がマイナスになっていたことに気がついた。


 美音が引き出していた。


 咲良の養育のために貯金すると二人で取り決めた児童手当も全て使っていた。僕には一言も相談せずに。


 全部僕の稼ぎが悪いからだと思った。美音が「酒を飲まなくてもいい」という、知り合いのスナックで働いて得たお金と、僕の収入はほとんど変わらず、それでも彼女の労働時間は、僕の半分だった。


 美音は僕の個人口座からお金を引き出したことは謝罪したが、児童手当のことは、自分の手元に通帳があることでごまかせると思ったのか、未記帳の通帳を見せてウソをついた。本来なら三〇万以上貯まっているはずの、児童手当専用通帳の中身を「少しだけ使ってしまった」と言って。「これからまたお金が必要になったときは、必ず相談する」と言って。


 ネットバンキングで残高を調べたら、314円しか残ってなかった。笑った。


 その日のうちに美音には黙ったままで、”預金はできるが口座からお金を引き出せない”ように手続きをすませた。お金が必要なら相談してくれるはずだから、問題ない。


 ……このときからすでに、美音のことは完全に疑っていたし、確信していた。”また、黙って出金するだろう”と。


 児童手当の三ヶ月分である六万円が振り込まれた当日。昼休みに美音からLINEがきた。「口座に何かした?」と。


 僕は「簡単にお金を引き出せないようにした」と返した。


 そしたら、「帰ったら話がある」と返信してきた。


 美音の話というのは、お金の相談ではなく、離婚の相談だった。わざわざ離婚届まで用意していた。


「あんたの稼ぎより、シングルマザーでもらう手当の方が多い」と言って。


 なるべく短くまとめようと話したけれど、面談時間を少しオーバーしてしまった。調停員の人は、最後まで話を聞いてくれた。僕がそれでも子供の事が大好きで、別れたくないという意思にも納得してくれた。


 そしてこう言った。

「奥さんが、子供っぽい」


 立場上、美音がどんな話をしたのかは明かしてはくれないが、それ故にたった一言のこの言葉が、とても記憶に残っていた。僕もそう思ったから、彼女の実家である鹿児島に移住したのだ。


 子供を育てるなら、僕の実家ではなく、彼女の実家で、心許せる母や親類に支えられながら育てるべきだと、僕も思った。


 最初に家族ではなく仕事を選んだ僕に、選択する権利なんてないけれど、美音が実家に帰るよりももっと早く覚悟を決めて、籍を入れたとしても、同じ選択をしていたと思う。


 僕は見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれていても生きていける。だけど、美音がそれをやるのは難しいだろう、と。

 心許せる一族が住む田舎で、まわりに助けられながら咲良を育てられる環境の中で、僕も子育てに積極的に参加したが、彼女にとって僕は、金を運ぶ以上の存在ではなかった。


 だから、児童手当のたかだか六万円が出金できなかったという理由で、僕との離婚を決意したのだ。


 僕の価値は六万円以下。


 咲良の父の価値は六万円以下。


 美音に対して僕は自分でも驚くほどに、情も、未練も、何も残っていなかった。今現在、美音がどうしてるかなんて、どうでもいい。ただ、咲良と三人で過ごした思い出だけがたっといものだった。


 離婚には同意したが、調停で、「強制力は伴わないが、尽力してほしい事柄ある」という希望をだして、僕は離婚届に押印した。


 ”なるべく早く、咲良の父親になってくれる人間を探してほしい。”


 離婚して半年足らず、”静かな爆発”で僕が消滅してから約二年後に、美音は再婚したらしい。

 養父となった人物は、咲良が慕っているのだから、いい男に違いないだろう。少なくとも僕よりも、シングルマザーで得られる手当よりも稼いでいるだろうし、美音にとってもイイ人だったに違いない。


 ああ。こうやってひがんでいる僕はとてもみにくい。所詮は六万円の男なんだなコンチキショウ、ってかぁ!



 ただ、美音には謝罪しなければならないことがある。


 養育費を全額払いきる前に行方不明になっちまったことだ。


 これは前々から花太郎と相談して、金が貯まった一括で払おう! と随分前に取り決めてたりする。


 旧地球の甘田花太郎は、行方不明後に一定期間を過ぎたから”死亡”扱いになってて、AEWで再構築した僕たちは、建前上は”甘田花太郎のそっくりさん”で、別の人間ってことになってるから、払わなくてもなんら問題ない。


 だけど養育費って、美音に払うんじゃなくて、美音を後見人として、僕の愛娘である咲良に払うものなので、しっかり払いたい! という確固たる意志を、僕も花太郎も持っていたのだ。


 まぁ、結果的に美音にも咲良にも大変な思いをさせてしまったのは、事実だから、その件で謝りにいくのはやぶさかではないし。さしでがましいが……咲良の養父に会って、お礼をいいたいのだ。僕は。


 咲良を育ててくれて、ありがとう。と。


 僕ができなかった事をなし遂げてくれて、ありがとう。と。


 美音よりも僕は、見ず知らずの、咲良の養父に会いたい。そう、思った。


 …………悔しい。だけど、ここで彼を憎んでしまうことは、咲良の人生を否定し、調停の際に「父を見つけてほしい」と希望をだした、僕の覚悟を裏切ることになる。


 どんな人間であれ、咲良の傍にいて、彼女の成長を見届け、寄り添ってくれた事実は変わらない。僕は養育費を支払い続けるという、彼女の成長に唯一協力できる行為すらも果たすことができなかった。


 美音にも、養父にも、お礼を言わなければならない。いつかは、必ず。



「今回じゃなくていいんだ。いつか、で……いいんだけど」

「アタシはちょっち横になるかな」

「いえ! その……カガリさんからも、許可をもらいたいんです」


 気を利かせて狭いエレベーター内で離席しようとする悠里を、咲良がとめた。


「空気のオッサンの……こ、こ、恋人、ですから」

「まじめだネ、咲リンは」


 咲良の提案を、僕と花太郎は受けることにした。 


 咲良を育て上げた夫婦にいつかお礼を言わなければならない”いつか”というのが”今回”だ。それだけなのだ。


「部外者のアタシが言うのもなんだけどさ。……ハナザブロウは今度にしない? サイっちゃんもハナザブロウの実家にいくし、両親には連絡しちゃってるんでしょ?」


 悠里の両親は、もうこの世にはいない。だからこその、花太郎を想っての提案なのだというのがわかった。


【こんな身体だけど、それでイイというなら、ぜひ会いたい】

「わかってる。オレから話をつけるから」


 咲良には、花太郎が持ち込んだエアっちボールを預けて、実家に帰ってもらうことになった。

 咲良が鹿児島の実家に着いて話をつけてもらったら、僕と共に行動している悠里に連絡をとって、瞬間移動テレポートで僕が向かう。帰るときは、AEWから旧地球にエアっちボールをもう一つ持ち込んでもらって、そこに瞬間移動することにした。


 花太郎の方は、今回の鹿児島行きは見送り、かわりに、手紙を送るか、向こうの都合によっては電話での会話をするかもしれない。とにかく、サイアとの伊豆大島行きは、変更なしだ。


「差し支えなければ、一つ、尋ねてもいい?」


 花太郎は、僕も抱いた疑問を咲良に投げかけた。


”なぜ、美音と、甘田花太郎を引き合わせようと提案してくれたのか”と。 


次回は12月12日投稿予定です。

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