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第181話 水入らずの過ごし方

 新年祭、迎祭を終えて数日が経った。


 怒濤の日々を終えたJOXA支部の職員は残務を処理しつつも、リッケンブロウムの住人は、まだ冷めやらぬ熱気にほだされながらも、平穏な日常を過ごしていた。


 再び世界各地に荷車を走らせる行商人を見送る傍らで、滞在を続ける行商人との酒飲み会食や余興を楽しむ連中。……いつもながらのバカ騒ぎで街が活気づいてはいたけれど、どこか憂いを漂わせる風情があった。


 行商を営むカイド家の次男、デューク君ご夫婦と、行商人の卵であるブライス君は、まだ街に滞在していた。


 この間にナタリィさんは、ブライス君が購入したサイアのブロマイドを、旅先で汚れないにと、ラミネートフィルムっぽいもので加工して、ブライス君に持たせた。


 夜な夜なブライス君のお部屋のベッドから、泣き咽ぶ声が聞こえてくるらしくて、カイド家の兄弟や、ナタリィさんが、「止めるべきか、早いとこ出発させた方がいいのか」みたいな協議をしていた。一家の長たるカイドは「好きにさせとけ」と、シドと酒をあおっているだけだったらしいけど。


 久方ぶりの休暇を前日に控えたある日。せっかく家族がそろったんだから、水を差すのも気が引けるって言うことで、花太郎は「自宅で夕メシすまそうかな」みたいなことを言ってたから、「そうすれば?」と僕も賛成してみた。


 ”花太郎、自宅で一人ご飯”の初日。

 迎祭の残務を終えてナタリィさん宅を訪ね、カイドたちはまだ帰ってきてなかったけれど、自分の意図を悟らせないために「しばらく自炊する」との軽い挨拶をしてから、自宅に戻って夕食の準備を始めた花太郎。


 僕が悠里の部屋に戻って来たところで、隣の部屋(花太郎の部屋)から「なにやってんだよ!」とカイドの声がして、花太郎を家から引きずり出す音が聞こえた。一人メシは初日からおじゃんになった。


[ちょっと行ってくるね]

「うむ」

 おもしろそうだったから、テレビできのこドキュメンタリーを堪能している、きのこフレンズの三人を横目に部屋を出て追ってみた。


 カイド宅の玄関では、花太郎から詳しく事情を聞いたナタリィさんが「気を使わせちまって悪いねぇ」と言うと、何かを思いついたかのように、ぱっと表情が明るくなり、「サイアちゃん、店や家のことを手伝ってもらってばっかりで、いつもありがとうね」などと、家事をこなしているサイアに感謝の言葉をのべると……


「迎祭も終わったし、店もうちも大丈夫だよ」

 と言って、サイアが持つ料理のお皿を取り上げ、前掛け(エプロン)をほどいてあげた。


「え? どうしたの? おばさん?」

 と困惑しているサイアに向かって、

「あたしらはハナちゃんの言葉に甘えて”水入らず”で過ごすから、サイアも水入らずで過ごしなさいな。……ハナちゃんとね」

 赤面するサイアの背中を押し出して、花太郎共々お外へ追いやるナタリィさん。


「お、俺も出たほうがいいな」

 と、リビングで酒を煽ってたシドが言うと、「アンタはここにいるんだよ」と、振り返りながら凄みのある声音でナタリィさんが制止する。


「お、おう」

 シドがちょっとビビってる横でカイドが酒を煽りながらニカニカ笑ってて、さらにその隣のブライス君の目からは一筋の涙がこぼれてた。


「しばらくは二人で過ごすといい。うちにはこないでいいよ」

「え? え? ちょっと、ナタリィおばさん!?」

「ユリハちゃんにもよく言っておくし、あんたの父ちゃんと母ちゃんのご飯はこっちで用意するから大丈夫だよ。サイアは、ハナちゃんのご飯をつくっておやり。じゃあね」


 言いながらドアを閉めるナタリィおば様。

 サイアが扉を開けようとするも、「あんたは邪魔するんじゃないよ!」と、おそらくはシドに当てられた、ナタリィおば様の凄みのある怒声と「お、おう。わかっている。わかっているつもりだ」という微かに聞こえるシドの返答、カイドの大笑い、そしてブライス君が声を上げて泣き出す音が聞こえていたせいか、戸惑う様子が見受けられた。


「……ほっといた方がよさそうだね」

「……うん。そうだね」

 花太郎の呟きにサイアが同意する。


[僕もおじゃまですね。ハナタロウ殿。退散しましょうか?]


「好きにしろよ」

「え?」

「あ、いや。エア太郎に言ったんだ」

「そ、そう」


 ”もう行くね”と、サイアに手を振ると、軽く振り返してくれた。


「……行こっか?」

「……うん」


 二人がシド宅ではなく市場に向かって歩き出す姿を見送った。


「晩ご飯の材料買わないと」

「もう時間も遅いし、屋台とか外食でいいよ」

「だめだよ、高いし……それに、お家でゆっくりしたいし」

「じゃぁ、屋台の飯持ち帰ったら?」

「ハナタさん。私のご飯食べたくないの?」

「いや、食べたいよ。いつもおいしいし」

「そ、そう」

「いつもありがとうね」

「べ、別に当たり前のことやってるだけだから……」

「それがとてもうれしいんだよ、僕は」

「……そ、そう」

「ありがとう」

「どういたし……まして」

「僕も、一緒に夕食つくってもいい?」

「……うん!」


 悶えそうな会話をしてくれるなぁ! コンチキショウ! と思いながら、僕は一人で、悠里の部屋に戻った。


「ち~ん」

 ベニテングタケ型共鳴石インターホンをならす。


「おかぁえりぃ~」

 悠里の返事を聞いて入室する。


 タンクトップにスウェットの短パン姿の悠里が、あぐらでベッドの上に座って、カップアイスを食べていた。


「目つきがエロいぞ?」

[すんません]

「うむ」


 最近、この手のやりとりが多い。ペティやリズがいるときは二人ものってくるし、結構楽しんでいる部分がある。


 いつ頃からかな……ムーン・グラードで、僕が香夜さんを見ている目つきがヤラしいってんで悠里が嫉妬やきもちしたあたりかな。僕には流れる血も、心臓も、男性ホルモンとかもきっとないから、性欲が遥かに薄くなってるんだけどね。


[リズたちは?]

「帰ったよ」

[まぁ、めずらしい]

「そんな日もあるザマス。ハナザブロウはどんな感じだった?」

[ナタリィさんの小粋な計らいで、シドの家で二人っきりの晩餐を催しそうだよ]

「なぬ!さしずめ、夫婦水入らず……”体験”ってとこだネ」

[玄関を出た後、ブライス君の号泣している声が聞こえたよ]

「笑っちゃいけないけど、笑うしかないネ」

[悠里ってば残酷]


「……エアっちも残酷だよ?」


[……どゆこと?]


「まぁ、すは()まえよ」

 アイスを頬張りながら呼びかける悠里に応じて、ベッドの横に腰掛けた……つもりになる。


 今日悠里が食べてるカップアイスはバニラ味だ。ムーン・グラードにいたときはリズの魔法で作った氷に適当な調味料をかけて、かき氷っぽいものをたまに食べてたけど、メンバー全員分作ると一苦労だったからあんまり献立にあがることはなかったな。



「エアっち……。二人っきりでゆっくり過ごすの……久しぶりだよね?」

[そうだね。ムーン・グラードの時はみんなと一緒だったし、帰ってきてからは、降臨祭、そのあとは新年祭の準備から迎祭。……てんてこ舞いで、心休まる暇はなかったね]

「ダネダネ」


[悠里はいつもペティとリズといるしさ]

「さびしかった?」


[べ、べっつにぃ?]

[ふ~ん。そかそか]


 カップアイスを持ったまま、悠里が腕を絡めてきた。

 

 腕を引っ張って僕を引き寄せようとする悠里に「べっつにぃ?」を装っている僕が反発してこらえてみせる。……まぁ本気のやりとりだったら肉体強化マナコンドリアの恩恵を受けている悠里に競り勝つことなんてできないのは目に見えてるんだけど。


「ふっ。強情なヤツめ」


 言いながら悠里が、ぴょん、と軽くはねて、あぐらを組んでいた両足をベッドの外へと投げ出して僕に密着してきた。


 悠里の臀部から胸、肩までが僕の体に完全密着し、悠里の頬が僕の肩で支えられ、少し乱れた髪の毛が、僕の鼻をくすぐった。


「……帰ってもらったんだ。ペティとリズ」


 おもむろに悠里が呟いた。


「今日はさ。エアっちと二人きりになりたくてさ」


 悠里が上目遣いで僕の表情を眺めた。僕の声は届かないから、唇を読むためだ。


[どうして? 今日はまた?]


 ……気の利いたセリフが思い浮かばなかった。

 悠里は”ニマァ~”と笑って「なんとなくだよ~」といいながら僕の腕をグイグイ揺らした。


 カップアイスを一匙ひとさじすくって口に含み「ん~」とわざとらしく声を漏らす悠里。


「君も食べるかね?」


 これに応じれば必然的に、悠里とキスすることになる。


 そして僕は、[食べたい]と返答した。


「うむ」


 悠里がちょっと大きくアイスのかけらを掬って、僕の口の中に入れた。


 …………アイスが溶けても、悠里の唇は離れなかった。


 溶けたアイスが悠里の”透過”能力の発動距離である、体表から五センチ以内の距離を通過し、ベッドの上に落ちた。


 悠里の唇が僕から離れる。


「もうエアッっち! 白いのがベッドについちゃったじゃん!」

[その言い回しはイカガワしいよ?]

「わざと言ってるんだよぉ。 どうだった? アタシのキスは」

[…………バニラの味がした]

「だよねぇ」


 僕が立ち上がってよけて、悠里がベッドに落ちた溶けたアイスをふき取る。


 ……初めて悠里の部屋に入ったときも、こんな光景あったな、そういえば。

 

 今となっては、キスをしてもドキドキバクバク、グワングワンと体がこわばることはないし。並んで座ってみると、身長は悠里の方が高いにも関わらず、座高は僕の方が高いから、ちょっと悠里よりも頭が飛び出るという、喜んでいいのかイマイチわからないこの構図でイジられるようなこともなくなった。


 だけど、この心境や行動の変化が、倦怠期けんたいきとかマンネリ化とはあきらかに違うのは、僕のくるぶし程度の深さしかない浅すぎる恋愛経験でも感じとることができた。


 悠里はアルターホールから再構築された影響で、”透過”能力を身につけたその代償として、”触感”が変化した。どんなに力強く触れても、以前とは違う感覚で、物足りなさを覚えるようになった。透過することのできない”僕”の身体を除いて。


 僕は、花太郎血液ブラッドのゼリー化とその状態を維持できる器、”エアっちボール”のおかげで、僕自身ですら僕の姿を見失うことこそなくなった。けれど、花太郎をみていて、”身体”が備わっているからこその、外的要因による気持ちの高ぶり……三大欲求に由来する喜怒哀楽が著しく欠けていると感じることは変わらない。


 僕と力強く触れあい、身体ごと心を揺さぶることができる人は、悠里しかいない。


 この共依存から生まれた僕たちの関係は、一年足らずの短い期間で自分たちでも信じられないほどの強い信頼関係を築いていた。


 これを恋だの愛だのと定義するには、気恥ずかしくもあり、そして、もったいないとも思った。


 その、言葉では言い表せない感情が、僕に囁いているような気がするのだ。


 ”もっと先へ、進みたい”と。


「ねぇ? エアっち……」


 悠里の提案は、今となっては恋人や夫婦の関係である以上は、さして珍しくもなんともない、ゴクゴク当たり前な、自然の摂理に乗っ取ったものではあるけれど、感覚や欲求が他の人と明らかに異なっている僕たち(少なくとも僕)にとっては、ちょっとした挑戦だった。


「…………しよっか?」

[何を? と問い返してお茶を濁すほど、僕は青くはないけれど……本気かな?]

「十分濁してるよドーテー君。本気だよ?」

「ドーテーじゃない。この身体になってからはドーテーだけどさ」

「お茶を濁さないで」

[僕の欲求については、言うまでもないことだけど。できるかな? 僕に]

「君ってやつは。アタシがどんだけ耐えていたことか!!」


 悠里が僕の両肩をつかんで正面を向かせた。

「できるかな、じゃないよ。 甘田花太郎」

[……はい]

「アタシと……シたい? 大事なのはそこだよね」


 ……返事をするのもヤボだと思ったから、そのまま悠里を抱き寄せて、キスをした。


 そしたら僕の肺めがけて悠里がおもいっきり空気を吹き込んできた。……返事が聞きたいってことか。わかったよ。


「ゆ、ゴヴォ! うりとヴォホ!! した!! ガヴァ!!」

「もう! かっこわるいぞ! そしてかわいい! 君はアタシとシたあとも、ずっとずっとドーテー君だ!」


[何? 童貞って肉体的条件でなくて概念なの?]

「哲学の答えは、ベッドの上にあるぞ?」


「その発言はオジサンっぽい」

「アタシの身体は?」

[みまごうことなき、美女にございます。心はオッサン、外見は美女]


「ナマイキなヤツ!」

[ナマイキなクチビルめ! 塞いでやろうか!]

「その、キザったらしくて古くさいセリフ! 声に出して言ってごらんよ!? 空気は送ってあげるから!」


 水入らず、という過ごし方には様々ある。

 水(邪魔)が入らない空間で、平穏に過ごす人々や、いつもと違うエキサイティングな日々を過ごす人々もいる。


 だれも水を差さないということは、邪魔をする者も、助け船を出す者もいないということ。これによって、同じ空間にいる人々の関係性が浮き彫りになるのだ。


 お互いを知りすぎているが故に、絆がより深まることもあれば、時として関係が悪化することだってなきにしもあらず。と、ネガティブな僕は、日々考えちゃうわけである。


 ただ、まぁ。僕と悠里が今回すごした恋人同士の、”水入らず”の一晩に関していうならば(うん、明らかに水入らずの使い方を間違えている)、お互いの絆を深める、かけがえのないひとときだった。


  

 翌朝、カーテンに差し込む朝陽を浴びて目を覚まし、微睡んでいる悠里に[昨日の晩は僕が悠里を抱き枕にしてやったぜ、ハハン]と冗談を言ってみたら、凄まじい力で締めあげてきてそのまま寝入り、昼過ぎまで抱き枕をやらされた。


次回は12月3日 投稿予定です。

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