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第17話 冒険の目的、旅の佳境

 明け方。

 アズラが最初に目を覚ました。


 アズラが気持ちよさそうに微睡んでいるうちに、ユリハも起きた。サイアは彼女の隣でまだ寝息を立てている。ユリハはサイアにかかっている布がはだけないようにようにゆっくり半身を起こすと、口を半開きにしながら首を右から左へつ~っと動かして辺りを見渡した。


 八方に配置した器の火はすっかり消えていて、中心にシドが立っていた。その脇には籠にもたれかかって寝ているカイドがいた。


「おはよう、あなた」

「おはよう」

「おはよう、ユリ」

「あ、おはよう。アズラも起きてたのね~」

 ユリハはサイアが寝ていることをまるで忘れてしまっているように、ボフッと音を立てて再び身体を寝かせると、自分の顔をアズラの腹部にグリグリと押しつけた。

「何してんだい」

 アズラは少しこそばゆそうだ。


「かーおーがーさーむーい~、アーズーラーぬーく~い~」


 そしてユリハは寝た。


「ん……アズラ、おはよう」

「サイア、起きちまったかい」

「ん」

「ユリが騒いだからね」

「ん」

「もう少し寝ていてもいいぞ、サイア」

「んあ? とおさんおはよう」

「ああ、おはよう」


「おやすみ……アズラぁ、顔が寒い~」

「……親子だね」

 アズラは自分の腹部に仲良く並んで顔を埋める母娘を微睡んだ表情のまま眺めていた。


 カイドが目を開ける。


「……明るんできやがったな」

「入れ替わり立ち替わりだな」

「なんだよ?」

「いいや、なんでもない。よく眠れたかよ」

「まあなぁ、どうせ後は帰るだけだしなぁ、運ばれながら寝れらぁ」


 カイドはそう言うと得物を杖に立ち上がり、それを籠へ立てかけると両手を挙げて大きく伸びをした。


「おう、アズも起きてたか」

「まあね。2人がこうじゃ動けやしないよ」

「よく寝てやがらぁ。アズ、今日もよろしくな」

「あいよ」

「さてと朝餉あさげの支度だな、つっても干し肉切り分けるだけだしなぁ。ああ、シド、飯の後にスナノヅチの残りの牙ぁ剥ごうぜ」

「わかった」

「水はもっと必要だな、サイアに頼まねえと」

「奴から肉を取るだけならたいして音は出ない、朝飯前にやるか?」

「そうだな。アズ、腹減ってるだろう? 干し肉だけでも先食うか?」

「後ででいいよ。ヒトリじゃ不味いものがもっと味気なくなるからね」

「ハハ、違えねぇ」


 2人は短刀を携えて、いそいそと王蛇の方へ歩いていった。


 砂漠の地平線の向こうからぼやけた太陽が半分ほど姿を現した頃、一日に二度だけ僅かに訪れる快適で過ごしやすい時分に、サイアは再び目を覚ました。


 サイアは布切れから這い出て半身を起こし、大きく伸びをした。


「起きたかい?」

「アズラおはよう!」

「おはようさん」


 サイアは上半身をひねってアズラに抱きつき、彼女の横っ腹に顔を埋めた。

「朝日が気持ちいいねぇ」

「そうだね」

「……」

「ん?」

「…………」

「……」

「………………」

「……もう起きな」

「……うん」


 三度寝の誘惑に抗いながらなんとか立ち上がると、見つめているアズラの元へ2、3歩み寄り、彼女の首に両腕を回して頬を擦りつけた。


「今日もよろしくね」

「ああ、任せときなよ」


 サイアがあたりを見渡す。父とカイドは王蛇から肉を切り出している。母はまだ寝ている。


 サイアは再び大きく伸びをして、寝ている母を尻目に歩きだし、八方に配置した小皿と二つのランプを回収すると籠に向かった。そして籠の中からいくつかの缶詰と王蛇の干し肉、それと鋸形のナイフを持ち出して朝餉の支度を始めた。


 まるでレジャーに来ている一団が、話題の観光スポットを独り占めして一晩キャンプを楽しんだ後の翌朝のようだ。


 男達が力仕事に精を出し、母が寝ている傍らで朝食の支度をする娘(ん? ここはなんかおかしいぞ)、その光景が牧歌的に見えてしまうのはカイド達がやけに落ち着いているからだ。朝起きて自分に課せられた役割をこなす、これを”日常”と呼ばずしてなんと定義すればいいのやらって感じだ。


 その日常を営んでいる場所が、過酷な砂漠のど真ん中で、直径50メートルはある反重力の渦がパーティーのすぐ脇で絶えず非科学的な運動をしながら砂塵とともに絶大な存在感を放っているし、そのせいで空気は澄んでいるのに遠くの太陽がぼやけて見えるし、籠を起点に張り巡らされた布には僅かに砂が降りつもっているような所だ。砂漠の住人でもない限り、これはまごうことなき”冒険”である。


 冒険には目的があるはずだ、それが気になって仕方がない。


 ユリハとここの精霊との最初のやりとりを思い出した。


 ”あなたの名前は?”

 ”……マダ……ナ……タロ……”


 これは間違いなくアマダハナタロウと答えている。カイドたちがこの地をタロ砂漠と呼んでいるのはここに由来があるのだろう。


 僕を探しに来てくれたのだろうか。僕が精霊の意識と乖離かいりして自我を持てたことにも関係しているかもしれない。


 僕はどのような形でもよいので、ただ解放してくれることを望んでいた。考える力を持ち続けることができるようになった今、これから流れる永劫は僕にとっては地獄でしかないのだから。


 命運の鍵を握っているのは、おそらくユリハだ。彼女は今、アズラの傍らでもぞもぞと動きだし、身体を起こして大きな伸びをすると、フワフワした目つきで辺りを眺めていた。


「……うん、よし!」


 朝食を終えて、パーティーが帰り支度をしている最中、ユリハは反重力の渦を観察していた。そして何らかの結論を見い出したようだ。


「出直しはなさそうか?」

 カイドがシドと広げた布を畳みながら問いかけた。傍らではアズラが早朝にカイドたちが切り出した肉片を持っていて、サイアの水精製を手伝っている。


「まだ断言はできないけど、大丈夫そう。アズラに来てもらってよかった」

「またあたしの出番かい? ずいぶんとこき使ってくれるじゃないのさ、ユリ」

 アズラは肉片を持ったまま、顔をユリハに向けて言った。


「ごめんねアズラ。でもこれからやってほしいことは、アズラにしかできないことだから。帰ったら私の母直伝のスイーツをごちそうするわ、……サイアが」


 傍らで詠唱していたサイアがくすくすと笑いだし、水精製が中断されてしまった。


「ちょっと母さん、集中してるんだから笑わせないでよ」

「サイアよくお聞きよ、何事も適材適所ってのがあるんだ。ユリは頭はいいけど、料理の才能には恵まれなかった。その恵まれなかった分は、娘のあんたが補わないとね」

「ちょっと。アズラも乗らないの」

「あんたの作るスイーツが楽しみなだけさ」


「うん、がんばるよ!」


 サイアの肩が笑いで小刻みにふるえていたけれど、やがて息を整え始めた。ユリハはサイアの傍に、満たされた水筒がいくつか並んでいるのを見つけた。


「昨日よりか随分と効率がいいんじゃない?」

「昨日は油も分けたからね、水だけを出すより時間かかるし疲れるの。水分を取り出して真水に変えるだけならそんなに時間はかからないから」

「ねえサイア、私にできることってある?」

「ん~、今はないかな」


 そう言ってサイアは詠唱を始めた。それを見届けたユリハは籠に布をしまっているカイド達のところへ向かう。


「あなた~、私にできることない?」

「そうだなぁ……、今は特にないな」

「武器の点検はしたか?」

「もうしたぁ」

「なら、俺たちの支度が終わるまで待ってな」

「ああそう……」


 ユリハがサイア達のところへ向かう。


「アズラぁ」

「ないね」

 カイド達のやりとりが聞こえていたようだ。


「ああ、そう……」


 ユリハの消沈ぶりを見たサイアがぷっと笑いだし、またもや詠唱が中断されてしまった。


「そしたら母さん、ここに水が貯まった水筒があるんだけど、これを籠まで持っていってくれる?」

「ええ、まかせなさい!」

 ユリハはうきうきしながら両手に水筒を抱えて籠へと向かっていった。その一部始終を見ていたサイアは、しばらく詠唱することができなかった。

 


「あなた名前は?」

 赤い宝石を手のひらにのせたユリハの声が、不思議な旋律となって響く。


 帰り支度を整えたパーティーはアズラが背負う籠の中にいて、10メートルほど離れたところの反重力の渦と対峙していた。


「アマダ……ハナタロウ……」


 宝石を小刻みに振動させ、僕から独立した精霊達が答えた。僕も答えようと試みたけれど、できなかった。


「あなたの身体はどこにあるの?」


 精霊は答えない。


「あなたが一番濃く在る所は近い?」


「……チ……カイ」


「この渦の下?」


「コノ……シタ……」


「……ハナタロウ。やっと見つけたぜ」

 カイドは笑っていたけど、同時に何か感慨深い雰囲気を出していた。まるで郷愁を噛みしめているような懐古の表情を見て、サイアが尋ねた。


「ハナタロウさんって、カイドおじさんの友達なの?」

「そうだ」

「あたしの友達でもあるさ」

「あいつとは約束があってな、サイアが生まれる前からよぉ」

「あたしもあいつと約束したんだ。うまい洋菓子を見繕ってもらうね」

「ハナタロウさんってどんな人?」

「会えばわかるさ。掴みどころがねえが、わかりやすいやつだ」

「掴みどころがない、けど、わかりやすい?」


 サイアはカイドの言ったことが理解できないようだ。その様子を見たアズラは小さく「ククク」と笑ってサイアに言った。


「会えばわかるよ」

 アズラの答えも一緒だった。


「アズラ、地面を掘ってほしいんだけど」

「いいとも。ユリがいけるって言ったんだ、なんとしても連れて帰らないとね!」


 たった一度顔を合わせただけなのに、どうして僕をここまで想ってくれるのだろうか。僕には感謝の言葉を伝える術も、一人涙を流す身体すら持ち合わせていないのだ。「よき友を持った」と一人想うことでしか、今の僕が返せるものが見つからない。


「で、どんだけ掘ればいいんだい?」

「最大で、今立っている山の麓まで」

「でっかくなったら、籠が吹き飛ぶよ」

「だからこの身体のままでお願い。掘りながら私たちを守って」

「たいした注文だね、やりがいがあるってもんさ」


 シドがロープを籠にくくりつけて先端をユリハとサイアに渡す。


「しっかり身体を結わえておけよ、アズの地団太はでかいぞ」

「ありがとう、父さん」

「ユリは吐くなよ」

「よけいなお世話!」

「みんな、準備はいいか?」


 カイドの号令に、各々が返事を返す。


 アズラは目一杯に身を屈めた。

 カイドは自身の身体をしっかりと籠に固定すると、身体をアズラに向ける。


「アズよぉ、ここが旅の佳境、ハナタロウの凱旋だ。ド派手にたのむぜ!」

「あいよ任せな! ド派手に揺らすよ!!」


 アズラは大地を蹴った。

 大地が浮上した。


 アズラが真下に放った衝撃が砂粒を揺らし、弾き合い、伝播して彼女の足下に穴をあける。弾かれた砂粒達が砂壁の波となって周囲にそそり立つ。


 アズラの前方の壁一角が反重力に触れると瓦解して、上昇する砂塵に紛れた。


 パーティーは籠の四隅に立って、屋根代わりに張った布切れの支柱を抑えながらその衝撃に堪えていた。

 カイドは柄を拡張した戦斧の柄尻で布を突き上げ、ピンッと張力を掛けている。

 反重力の渦に入れず死にこぼれた大量の砂粒がパーティーに降り懸かり、籠の中にも流入する。


 これで1セットだ。


「カイド、支柱側面に布を張ろう、堀り終わる前に埋もれちまう」

 シドの提案を受けたカイドは、畳んだ布を引っ張りだす。


「アズよ、仕切直す、待っててくれ」

「場所はこのままでいいかい? ユリ」

「うん、場所はこのままで。目標が見えるまで続けて」

「わかったよ」


 屋根布から籠の側面中腹までが黒い布で蚊帳のように覆われた。僕の視点では中の様子は見えない。ユリハの声がする。


「アズラ、私達からだと目標が見えないわ。青い球状の光が見えたら教えて」

「それまでは堀り続けていいんだね?」

「ええ、お願い」


 アズラが身を屈める。

「続けていくよ!」



 大地が浮上した。

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