第168話 無限と永遠の停止世界
千恵美さんは白衣姿で半目を開けたままピクリとも動かず、肩のあたりまで伸びている髪の毛は、まるで水中にいるかのようにふわりと浮かび、乱れていた。
変わらない。あの時と、何一つ変わってなかった。
アキラが花太郎から降りる。
「久しぶりやな、千恵美。寂しい思いさせてもうて、ごめんな」
アキラが荷物を広げる。中には、缶詰の食料と飲料水の他は、今回の調査ではとうてい必要のないものたちが、入っていた。
・陶器でできた空中神殿のミニチュアヤジロベエの置物。
・ワインのボトルとグラスが二つ。
・旧地球から取り寄せたであろう、イケメンアイドルユニットのライブを収録したBD&モニターと一体化した再生プレーヤー。
・隔月発刊の旧地球の科学雑誌”ハローアシモフ”の最新号。
・電源を確保するためのカーバッテリーと変圧器が一個ずつ(この二つだけでもさぞかし重かったろうに、シンベエもアズラも花太郎も文句を垂れずにがんばったな)。
そして、アキラの一張羅である、千恵美さんとお揃いの白衣と、JOXAで撮影した写真やアキラのメッセージが綴られているであろう手紙を取り出した。
アキラがグラスにワインを注ぐ。
「夫婦水入らずのお正月に、乾杯や」
今回の任務は、調査前の下見なので、僕たちは一度リッケンブロウムに戻らなければならない。アキラは、もし僕たちが帰っている間に千恵美さんが覚醒し、この青岩からでてこれたなら、自分が迎えに来るまでせいぜい時間を潰していてくれ、と、千恵美さん向けの暇つぶしグッズを持ち込んだのだ。
放っているだけでは、千恵美さんが解放されることがないということは、アキラ自身が一番理解しているはずだ。
だから、アキラが用意した千恵美さんの暇つぶしグッズは、完全に無駄なものであるけれど、花太郎は不平不満を言うことはなかった。もちろん僕もだ。
「まぁ、こんなもん持ち込んだところで、無駄なんやけどな」
[お前が言うなよ]
「お前が言うなよ」
花太郎とコメントがかぶった。
そしてグラスを傾けてワインを煽ろうとするアキラを「仕事が終わってからな」と花太郎が制して、ここでの作業に取りかかった。
大気濃度のチェック、地面に敷かれたリノリウムと鉄板のサンプルの採取。できれば青岩も、ってところだったけど、これが不可能なのは想定の範囲だ。
アキラが引き出した脳情報内に綴られた、千恵美さんが閉じこめられている青岩の性質は、”時間を完全に止める”こと。強度そのものは、強化ガラスとかプラスチック程度のレベルで、以外と脆いらしい。
だけど、前にこの青岩を持ちだそうとしたとき、シドの八分オリハルコンの杭や、アズラの怪力、ユリハが持っていた火薬による小規模な爆破を行っても、傷一つつかなかった。それはこの物質の特性のせいだという。
この青岩は、自身に流れる時間を止めるという特性から、外部から与えられるエネルギーを自身に到達させない。
一年近く前に与えた衝撃が、未だに青岩まで届いていないのだ。そんな特性なんぞ知らない当時の僕たちは、この物質をとんでもなく堅くて、重たいものと認識した。
だけどこの青岩でも、リアルタイムでエネルギーを伝えることができるものがある。……光だ。
観測者から見て青岩の向こう側に人が立って、手を挙げると、モザイクがかかったみたいにくぐもってはいるが、陰が動く姿が観測できる。
この青岩は、光だけはきちんと通すのだ。そうでなければ、そもそもこの青岩を見つけることすらできなかっただろう。
これが、千恵美さんを救う糸口になるかもしれない。
「空気のハナ、たのむでぇ」
そして、この下見の段階で、一つの実験を行う。
”僕、エア太郎の身体が、この青岩を透過できるのか”である。
花太郎血液で顕現した僕の身体の一部を、この青岩の中に進入させてみる実験だ。
もし芳しい結果がでれば、悠里の透過能力でもって、(有効距離が体表から5センチ以内という問題はあるが)中にいる千恵美さんを出すことができるかもしれない。だけど、今回悠里がメンバーに加わらなかったのは、忙しいこともあるけれど、思考実験の段階で、可能性の一つにかなり危険な結論が出ていたからだ。
【進入した身体の箇所の、時間が止まる】。これすなわち、僕が青岩に手を突っ込んだなら、さっき入り口で穴に手をつっこんだアキラと同じ状態になり、下手したら永遠にそこから動けなくなるかもしれない、という可能性だ。
悠里にそんなことさせるわけにはいかない。ということで、僕がやることになった。……最悪、僕の場合は瞬間移動ができるからなんとかなる……”かもしれない”と、ユリハに濁されて。
花太郎が三脚を立ててデジカメによる録画を開始した。
本当にリスキーなものだから、今回進入させるのは、僕がいつもイメージで使っているボールペンだ。こいつは、僕の体の一部であることにかわりないけど、切り離すことができる。
……透過した。ボールペンを持つ手、ギリギリの所まで。
「空気のハナ。もっと深くつっこめへんやろか」
アキラに”NO”のサインを送る。ボールペンそこまで長くないし。
「エア太郎さん。ドアを出してみたらどうかな?」
サイアの提案で仕切直しとなった。
結果、僕が顕現させたJOXA社宅・悠里部屋の扉は、千恵美さんがいる部分まで到達し、すり抜けた。……よかった。時間、止まらなかった。
「おおきにな、空気のハナ。やっぱりお互いが、アルターホール経験した者同士っちゅーのが大きいのかもしれへん」
以前、アキラのお頭が乱心した時に、まだ大粒だった魔石を操って、千恵美さんが作り出したこの空間から、花太郎と僕以外のメンバーを外へ転移させたことがあった。
千恵美さんと同様、僕たちがかつてアルターホールであったが故に、千恵美さんの意識が支配するこの空間でも彼女の能力に飲み込まれることがなかったからだと、推測できる。
通常の干渉方法では傷一つ付けることができない青岩も、アルターホールの能力をもってすれば、千恵美さんを救うことができるかもしれない。
とはいっても、花太郎と僕の魔法を無力化する能力は、青岩がマナで守られていない以上はお呼びでないし、NOSAの五人の能力は見たことないけど、概要を知る限り青岩の件に関してはあまり役立ちそうにない。悠里の”透過”能力が最も効果的に思えた。
だけど、アキラは悠里をつれてくれば、すぐにでもできそうな、青岩からの千恵美を救出する行為を、「それだけじゃだめなんや」と、後回しにするよう主張した。
青岩の中にいる千恵美さんは今は抜け殻で、この空間を創りだしている千恵美さんの心を身体に戻さない限り、意味はない、と。
千恵美さんの身体は、時間の止まっている青岩の中にあるからこそ無事だが、一度外にだせば死体となり、腐食がはじまってしまうだろう、と、言った。
「俺はオカルトは嫌いやが、AEWとこの場所に関しては、よく考えて動かざるをえん。希望でもあるんや。とにもかくにも、千恵美の魂は、この空間で生きとる。それを千恵美の身体に戻して取りださん限り、千恵美は救えないんや」
しかし、千恵美さんの意識が干渉して維持し続けている空間から千恵美さんの意識を取り除けば当然、空間そのものが消えてしまう。青岩もしかりだ。
アキラ曰く【現象を維持したまま、現象の源たる千恵美の意識だけを抽出する】という成果を挙げなければならない。
これには、科学はもちろん、AEWの魔法研究者……ニモ先生クラスの識者を集めて術式の構築に没頭しなければならない案件だ。
アキラの話の半分くらいは理解できなかったけど、とにもかくにも、アルターホールの能力だけで事態が治まるものなら、アキラは世界なんか滅ぼそうとしなかったろう。それくらいの難題なのだ。
一通り調査は終了し、ササダイ村に帰還の支度を始めた。
帰る間際、サイアが気を利かせて、先の戦闘で花太郎やカイドたちにボコボコにされた時に床に飛び散ったアキラの乾いた血痕を拭き取り、その辺に転がっていた粉々に砕けたメガネレンズの破片やゆがんだフレームなどを回収してくれていた。……万が一、千恵美さんがひとりでに解放されたとき、粉々のアキラのメガネや血痕のそばに暇つぶしセットとアキラの白衣と「俺は元気や」などと綴られた手紙が添えられていようものなら、よけいな心配をさせかねない。
あたりには血痕と伴侶が身につけていたコナゴナの眼鏡、そして、自分目の前に並べられているのは好きなアイドルのBD&再生プレーヤー。……不謹慎だが、その光景を想像して、ちょっと笑ってしまった。
村長の家を尋ねると、早朝にお願いした一通りの情報や手はずは、すでに整っていた。
ササダイ村は辺境ではあるが、交易が盛んな開けた村で、僕たちがアルターホールをやっていた”源砂の塔”攻略の際にも利用していたから、JOXAとしても受け入れ側のササダイ村の連中にしても、勝手知ったるなんとやら、なのだ。
これで、JOXA支部に任せられた最低限の目標は達成した。
「さて、ここからが本番やな」
そしてこれから僕たちは、千恵美さん救出の足場を形成するため、宣伝活動を行う。
次回は10月25日 投稿予定です。




