第114話 エア太郎、突入
ワームホールをデジカメで撮影した後、部屋の向かい側に岩壁がむき出しになっている出入り口を見つけた僕たちは、すぐにユリハたちが待つ掘削現場まで戻り、報告した。
そして、カイドから要請を受けて、悠里が透過で持ち込めるだけの機材を搬入し、出入り口までの距離を測量した。大気成分を分析する機材も、さほど大きなものではないため透過できたけれど、高濃度のマナが充満するエリアでの長時間の滞在を危惧して、測量を終えた後は機材を搬入するに止め、作業を切り上げた。
帰還したときの悠里は、「一刻も早く、明日が来ないものか」とたぎっていた。香夜さんの所へと続く(と思われる)ワームホールを目の当たりにしたのだから、当然といえば当然だろう。ワームホールの先は真空状態の月面なのだから、さすがに飛び込むことなんてしなかったけれど、居てもたっても居られない衝動を抑えるのに必死な悠里が、……ちょっと可愛いかった。
【調査隊、地中に埋没した遺跡を発見。篝外界交官、エア太郎、両名の能力を以て潜入に成功。遺跡内部は空中神殿の様式と酷似しており、破損は軽微。遺跡の一室にワームホールを発見、引き続き調査を行う】
JOXA支部へ日報を届けると、通信室で待機していた職員は、夜中だと言うのに支部局長を呼び出した。
程なくして、支部局長とともにターさんが年甲斐もなく小走りでやってきて、二人の手には、ワインのボトルが握られていた。
「局長! もしやそれは!!」
通信士が目を見開いて支部局長の握るワインボトルを凝視する。ワインの種類には疎いけれど、ラベル部分には「1980年」と銘打ってあった。
旧地球の西暦と照らし合わせると、約五十三年前のビンテージだ。
「君も飲みたまえ!」
「え? 勤務中ですよ、いいんですか?!」
「構わんよ」
支部局長が職員分のグラスを持ち出して、栓を開ける。
「すみませんねぇ、エア太郎さん」
【どうも、ターさん。やっと景気のいい報告ができてよかったですよ】
「本当にありがとうございます。我々の悲願にまた一歩近づきました」
ターさんとの談笑で知ったのだけれど、どうやら支部局長のワインは、”誕生年ワイン”と言って、支部局長が生まれた年に購入し、ずっと保管していたうちの一本らしい。……支部局長と、僕が西暦上は八つしか離れていないことに驚いた。
慎ましやかだけど、通信室で、乾杯が行われ、潜入に成功した僕は、内部の様子を根掘り葉掘り、筆談で伝えることになった。
「エアっち~、気持ちわ、る、い、よぉぉ~」
翌日、悠里が寝込んでしまった。
遺跡内部での調査は三十分に満たなかったというのに、マナに当てられて依存症状が出てしまったのだ。
”石に魅入られない”ように、連日行われる酒盛りにも、キチンと任務として参加し、昨日に至っては「ちょっち無理しとかないと、ヤバいかも」と自分の体調の変化を敏感に感じ取って、いつもより酒量を増やしていた悠里。
朝食では、毎度グロッキーなテンションでテントから出てくる花太郎と悠里に、カイド&シドは「絶好調だな!!」と挨拶するのが慣例になっていたけれど、今日の二人は違った。
カイド達は悠里の顔色をじっと窺って、「カガリのは、二日酔いじゃねぇな」と、僕には理解できない酒飲みの観察眼を発揮し、悠里を二、三日休ませるよう、ユリハに進言したのだ。
「くやしぃよぉ。エアっち~。アタシも行きたいぃ~」
[今は安静にしてなって、言われたでしょ。気持ち悪いんでしょ?]
「こんなのぉ、エベレストで訓練したときに比べればぁ。大したことないぞ? 全然。 それに、現場に戻ればすぐ治るしサ」
[それが、ダメなんだって話しじゃん]
マナコンドリアはマナを吸収することで自然治癒力を高める。悠里の言うとおり、現場に行けば、気持ち悪い症状はすぐに”治ってしまう”のだ。
だけど、マナの不足による気だるさをマナで補うことが、依存症につながる。これが「石に魅入られる」ことなのだと、ドワーフ達は主張する。
マナが濃い地中から、薄い地上へと戻るときに感じる気だるさを、暴飲暴食による二日酔いを起こして上書きし、それを高濃度のマナで治療するのは構わない。
しかし、悠里は今回、マナ不足による反動が大きすぎて、気だるさの払拭に失敗してしまったのだ。
各々の住居、寝室となるテント内部には支柱が立っていて、ハンモックがつるされている。僕は元気なので、今日も現場に行くけれど瞬間移動で行き来できるから、みんなが現場に到着するギリギリまで、ハンモックの中で「う~う~」唸っている悠里のそばにいた。
[ごめん。悠里]
「卑屈になんないのー!」
悠里が僕の頭を「グワシッ!」と掴んで揺さぶった。
[悠里がいてくれて助かったんだよ! 心細かったからさ。ありがとう]
「……うむ、苦しゅうない」
そして悠里は僕を掴んでいた手を離して、ボソっとつぶやいた。「香夜ポコ、早くみつかるといいね」と。
……ありがとう、おかげで勇気が湧いてきたよ。真空空間は怖いけど、ちょっと頑張る!
[そろそろ行くね、悠里。ワームホール、潜入してみる!]
「……行ってらっしゃい、ニンジャ・エアっち君。期待してるゾ」
悠里の看病は、公平で壮絶に執り行われたジャンケンによって、リズが担当することとなった。「おのれぇ! リズゥ!」と言いながら、サイアをギュウギュウしているペティを引っ張って行った花太郎たちも、そろそろ現場に到着した頃だろう。
「やはり素肌で温めるのが一番でしょう?」と言って、こんな偏境の地のいったいどこから調達して来たんだ? と、思わずツッコミたくなるような、妙に艶めかしい露出度の高いドレスを着て、悠里のハンモックに入り込んで添い寝しようとしているリズ。
[後はよろしく]
と口を動かすと、悠里が僕に目隠しをして「エアッちが、後はよろしくだって」と言づてしてくれて、リズから「命にかえても~」みたいな口上が返ってきた。
それを聞いた僕は、二人に手を振りながら、目隠している悠里の手の中で瞼を閉じて念じ、花太郎のもつエアっちボールへ瞬間移動した。
【ワームホールに突入しようと思うのだけど?】
現場に到着して早速、ユリハに僕の単独での調査を進言した。
「……そうね。出入り口まで堀り進めるには、まだ何日かかかりそうだし……観てきてもらおうかしら?」
ユリハにとっては、願ってもないことだったのだろう。あっさりと了承してくれた。
「いい? エア太郎。危険だと判断したら、すぐに引き返しなさい。瞬間移動も大分慣れてきたみたいだけど、焦らずに、落ち着いてね」
僕が”YES”のハンドシグナルを返す。
「ついた先が月面だったら、大気がないわ。キミが空気のような存在なら、宇宙空間に投げ出されて、拡散されるかもしれないけれど、瞬間移動が使えれば、なんとかなるわ」
僕が”YES”のハンドシグナルを返す。
「大気がないところの寒暖差は摂氏200度以上の開きがあるわ。キミの体が花太郎の血液の一滴で形成されているとしたら、地面に触れた途端、蒸発してしまうかもしれない。それでもあせらないで。そうなっても、きっと自分の姿が見えなくなるだけよ」
……僕が”YES”のハンドシグナルを返す。
「キミなら大丈夫……だと思うわ」
………………遺言書の一つでも書いておいた方がいいかな。ちょっとワームホールに手をつっこんでみて、まずそうだったらやめとこう。
「大丈夫か、エア太郎」
珍しく花太郎が、心配そうに声をかけてきた。
「なんかお前……透けてるぞ?」
[もともとだ! アホ!!]
掘削班が出入り口の方角へ掘り進めている光景を横目に、僕は壁をすり抜けて、内部へ突入した。
相変わらず、内部には壁沿いに並んだランプが青白く灯っていて、荘厳な広間の一角には、その様式とは不釣り合いな機材たちが置かれていた。悠里が昨日持ち込んだ道具たちだ。
悠里の分までがんばるよ。
僕は早速ワームホールが鎮座する一室へと続く短い廊下を突っ切って、開けっ放しの扉の向こうへ出た。
[ご対面だね、ワームホール殿]
思えば、このワームホールこそ。”静かな爆発”で生成されたものかもしれないのだ。そう思うと、忌まわしい存在ではあるけれど、コイツがなければ、かけがえのない仲間に出会えなかったかもしれないし、悠里と……こんな関係になれなかっただろうし、咲良に会う勇気も沸かなかったかもしれない。そして、コイツが外部からは到達不可能な月の巨大なクレータの内部に続いていて、もしかしたら、香夜さんがいるかもしれなくて。……得も言われない気持ちになった。
そんなことを考えていたら、不思議と恐怖が薄らいでいた。もうここまできたら、なるようにしかならないよな、と。
僕はワームホールに右手を差し込んだ。
ユリハに通信士として任命された日の当日。JOXA支部の粒子加速器で拵えたワームホールに、花太郎の血で顕現した僕を突入させる(出口はどこかの宇宙とか言ってたので、突入は拒否した)という恐怖の実験を行ったとき、僕が触れてもマナの塊であるワームホールは、マナに拡散しなかった。
ワームホールに手を入れた瞬間、体が引っ張られるような感覚を受けて、すぐに手を引っ込めたことを覚えている。これは出口の先が真空空間だったからと想われる。
このワームホールの出口が真空の宇宙、月ならば、身体が引っ張られるような感覚を覚えるはずだった。
……特に変化はなかった。何も起こらなかった。
肘まで差し込んでみる。……おかしい。大気を感じる。
[花太郎、ちょっとおかしいんだ。聞こえるか? ユリハに言づてよろしく]
『聞こえるよ。用件をドーゾ』
「ワームホールの先、大気がある」
血液通信を使って花太郎経由で、ユリハに指示を仰いだ。
『ユリハより伝達。”調査続行、突入して”だって』
[了解]
おそるおそるだけれど、顔を突っ込んでみた。
どうやら別の遺跡らしい。
ワームホールの出口で青白く照らされた場所は、岩壁の色こそ違うけれど、入口の部屋と同じくらいの広さがある遺跡だった。
こっちの遺跡は、破損がひどくて、出入り口と思われる廊下は落盤で崩れ落ち、壁面にランプが埋め込まれているのがわかるけど、機能していない。
[花太郎、聞こえるか?]
『聞こえるよ、突入したのか?』
花太郎とどこまで離れているのかわからないけど、先ほどと変わらず通信ができている。血液通信に、時差はないのだろうか。
僕は、周囲の状況を細かく説明して、指示を待った。
『……出入りできそうな通路は、全部ふさがっているんだな?』
[塞がっているね]
『……”上下がわかるなら、上昇しろ”、だって』
[わかった]
僕は、落盤の散らばり具合から、上下を確認して、上昇を始めた。
真っ暗な空間がしばらく続いた。土が暖かい。……これは、土の中にミミズとか幼虫みたいなのがきっといるぞ、畜生。全く見えないからどうしようもないな。
……やっぱりここは、月ではない。AEWのどこかだ。
しばらく上昇を続けると……音が聞こえてきた。
くぐもってはいるけれど、街の喧噪のような物音だった。
懐かしい気分に浸る間もなく、僕は地表へと到達した。
「おや? エア太郎さん?」
[え? ターさん? どうしてここに!?]
目の前によく見知った老紳士がいて、僕は、自分の声が彼に聞こえないことを一瞬失念してしまって、あわてて、メモ帳にペンを走らせた。
「エア太郎さん。パンチラですかな?」
[違います!!]
地表に頭だけひょっこり出して見上げている僕を見て尋ねてきたので、叫びながらハンドシグナルで”NO”を示した。
やっと書き終えたメモ帳を見せる。
【ここは、どこですか?】
「どこ、というのは? ここはリッケンブロウムの地上神殿ですよ」
ターさんが僕の後方を指さす。
振り返ると、そこにはワームホールが鎮座していた。
次回は6月21日 投稿予定です




